はじめに

不安定な国際情勢

最近の不安定な国際情勢が大変気にかかる。日々ニュースを見たり聞いたりするたびに、どうも愚痴や批判が先に出てしまう。心底から称賛し、大きな拍手を送ることができるニュースは実に少ない。自国中心で、すぐ相手を批判したり非難したりする不信と対立の構図である。今、国際関係において求められることは、胸中を開いて歩み寄り、真摯に対話して平和を希求する姿勢であると思う。

 

中東地域

このような不安定な国際情勢の中で、特に中東地域に関するニュースから目が離せない。地域の分け方はいろいろあるが、中東地域とは、アラブ首長国連邦、イエメン、イスラエルイラク、イラン、エジプト、オマーンカタールクウェートサウジアラビア、シリア、トルコ、バーレーン、ヨルダン、レバノンの諸国、及びパレスチナ自治政府の管轄地域(パレスチナ)を包含した地域を指すとされる。この地域では、(地域外との関係よりも)地域内における対立抗争が絶えず、国際社会からも紛争多発地域だとして格別に注視されている。シリアの内戦問題、イエメンの内戦問題、イランの核開発をめぐる問題、カタールの断交問題、イスラエルパレスチナ間の対立問題など多くの紛争や事件が続いている。また、イスラム国」(IS)の問題、クルド人自治の問題などもこの地域での厳しい紛争の問題である。

 

パレスチナ問題

中東地域における紛争や事件の中でもイスラエルパレスチナ間の対立問題は、宗教、人種、地域、領土、国境、国などの要素が絡み合って、長年にわたり解決できずに続く紛争問題である。この問題は、パレスチナ紛争、イスラエルパレスチナ紛争、中東問題、パレスチナ問題などと様々の言い方がされるが、ここでは一つに絞り「パレスチナ問題」としていくことにする。

パレスチナ問題は複雑すぎてよく分からないとの声が多いが、一般的には一九世紀後半頃からの問題として捉えていくと理解し易いとされる。平易に表せば、第一次世界大戦前からシリアの南部辺りにはイスラム教徒のアラブ人が多く住んでいた。その地に世界中に散らばっていたユダヤ人が移住し始め、自分たちの独立した国を建設しようとして、先に住んでいたアラブ人との間で衝突が起きた。ユダヤ人側が優勢で多くのアラブ人が難民となって住んでいた土地を離れ、そこに「イスラエル」という国が建設された。その後もこの双方の紛争が続いており、途中「オスロ合意」という和解もあったが対立は解けず、現在も抗争が続いている。これがパレスチナ問題だとされる。また別の言い方をすれば、パレスチナと呼ばれる地域をめぐるユダヤ人とアラブ人との政治的な紛争であるとか、ユダヤ人対アラブ人、ないしはイスラエル人対パレスチナ人の土地をめぐる紛争問題であるとか、ユダヤとアラブのエルサレム争奪を中心にした争いであるなどとされる。このようなことからパレスチナ問題は、宗教上の対立による問題よりもイスラエルパレスチナの地域をめぐる政治・社会的な対立問題と見た方が分かり易いとされる。

パレスチナ問題の解決に向けては、これまで双方が何度も話し合い、またアメリカ始め多くの国や機関が仲介に入ったり決議をしたりして努力をしてきた、しかし、双方の対立は解けず、パレスチナ問題は今も続く国際的な対立と紛争の問題である。

(以後、特に断らない限り、イスラエルパレスチナ双方の問題を解決し合意する和平を「中東和平(又は和平)」、それに向けての交渉を「中東和平交渉(又は和平交渉)」と呼び、その合意を「中東和平合意(又は和平合意)」としていく)

 

イスラエルパレスチナエルサレム

地図を開いてイスラエルパレスチナエルサレムの位置などをチエックしてみる。

最初に「イスラエル」である。イスラエルは地中海の南東岸に位置する矢じりのように尖った形の国である。

周りには北にレバノン、北東にシリア、東にヨルダン、南にサウジアラビア、西にエジプトの国々がある。ヨルダンとの境にヨルダン川が流れ、アカバ湾へ通じている。

イスラエルは歴史的にも非常に興味深い地にある。聖書に見える物語の舞台とされる「カナンの地」にあり、神がアブラハムとその子孫に与えると約束した地だとされる。この辺りは古くからユダヤ教徒ヘブライ語の聖書からのエレツ・イスラエルイスラエルの地)と呼んでおり、紀元前一一世紀頃には古代イスラエルの王国があったとされる地域である。一九世紀後半頃から世界中に散らばっていたユダヤ人が移住し始め、この地に独立した自分たちの国をつくろうというシオニズム運動が高まり、第二次世界大戦後の一九四八年にここに国を建設した。国名の「イスラエル」は、彼らの祖先アブラハムの孫ヤコブ(別名イスラエル「神の戦士」の意)に因んでいるという。

一九六七年の第三次中東戦争で支配地を更に広げ、今では面積が約二万二〇〇〇平方キロメートルで、人口は八六〇万人ほどだとされる。首都はエルサレムとされるが国際的には未承認である。現在のイスラエルの首相は、ベンヤミン・ネタニヤフ氏である。

 

次は「パレスチナ」である。パレスチナを地図上で探すがパレスチナという国は見当たらないし、またパレスチナという地の表示もない。イスラエルに重なるように「ヨルダン川西岸地区」と「ガザ地区」の表示がある。この両地区はイスラエルが占領した地域であり、現在ではパレスチナ自治政府が管轄する「パレスチナ自治区」の地域となっておりパレスチナという場合の地域はこの両地域を指す。パレスチナは、正式には「国」とは認められておらず、将来、「国」として独立することを目指している。

この辺りの地域は、古くから(現在のイスラエルの地も含んで)周辺地域をアラビア語でフィラスティーン(ペリシテ人の地)と呼び、更にフィラスティーンがなまってパレスチナと呼んでいたという。パレスチナについて広辞苑第七版の説明によると、(ギリシャ語の「ペリシテ人の地」から)西アジアの地中海南東岸の地方。カナンとも称し、聖書に見える物語の舞台。第一次大戦後、オスマン帝国からイギリス委任統治領。以後、シオニズムによるユダヤ移民が進展。一九四八年イスラエル独立とともにイスラエルとヨルダンとに分割されたが、六七年イスラエルヨルダン川西岸地区ガザ地区を占領。八八年独立宣言、二〇一二年に国連総会でパレスチナ自治政府を国家と決議」となっている。少し付け加えれば、「六七年イスラエルヨルダン川西岸地区ガザ地区を占領」とは、一九六七年の第三次中東戦争イスラエルがヨルダンからヨルダン川西岸地区を占領し、エジプトからガザ地区を占領したことを指している。また、「八八年独立宣言、二〇一二年に国連総会でパレスチナ自治政府を国家と決議」とは、一九八八年、パレスチナの国会に相当する民族評議会でパレスチナ国家の独立宣言を採択しパレスチナの独立が宣言されたことと、二〇一二年に国連総会でパレスチナ国家の独立を再確認し、パレスチナの資格をオブザーバー国家と決議したことを指している。

ヨルダン川西岸地区は面積約五六五五平方キロメートルで人口は二九〇万人ほど、ガザ地区は面積約三六五平方キロメートルで人口は一八五万人ほどだとされる。現在の自治政府の議長は、マフムード・アッバス氏である。

 

もう一つ、「エルサレム」である。エルサレムイスラエルヨルダン川西岸地区との境界近くにある都市である。歴史的にはこの辺りに古代イスラエル王国の首都があったとされる。その後、悲惨な戦争と征服の歴史を刻みながら支配者が次々と入れ替わってきた地域で、ユダヤ教キリスト教イスラム教の三宗教の「聖地」であるとされている。第一次中東戦争の結果、エルサレムは東と西に分割され、東エルサレムはヨルダン、西エルサレムイスラエルの統治となった。その後第三次中東戦争イスラエルが東エルサレムを占領して、エルサレム全体を領有した。そしてイスラエルは、「エルサレムイスラエルの永遠の首都である」としている。一方、パレスチナイスラエルの主張を認めず、東エルサレムを将来の独立したパレスチナ国の首都にすると主張している。なお、多くの国はエルサレムイスラエルの首都と承認しておらず、大使館は地中海寄りの商業都市テルアビブに置いている。エルサレムの面積は約一〇五平方キロメートル、その中で旧市街は、わずか一平方キロメートルほどである。

 

最近の中東和平への動き

中東和平への動きは一九九三年の「オスロ合意」の締結を経て、パレスチナ自治政府による暫定自治が始まり大きく進展した。しかし、その後も対立、闘争は絶えず不安定な情勢が続いた。二〇〇三年に示されたロードマップに基づく動きも弱く、むしろ混迷を深めてしまった。さらにその後も何度となく和平交渉の場が持たれたものの合意できず、いずれの交渉も途中で中断してしまった。

 

最近の中東和平に向けた動きを少し見てみよう。

二〇一三年七月、三年ぶりにオバマ政権下のアメリカの仲介により和平交渉がイスラエルパレスチナ双方の代表によりワシントンで始まった。これまでの交渉での反省を踏まえ、国境、領土、首都などをどのように定めていくかを双方で話し合い、「二国家共存」による和平を達成しようとするものであった。しかし、パレスチナ側のパレスチナ国建設の主張に対し、ネタニヤフ首相を始めイスラエル側のこれを認めようとしない基本的な対立に交渉は初期段階から難航した。

 

二〇一四年に入った。和平交渉は続いたがこれまでの交渉と同じように進展がない。

四月、交渉は暗礁に乗り上げ、今回の交渉もまた中断してしまった。

 

二〇一五年三月、イスラエルで総選挙が行われた。ネタニヤフ首相率いる与党強硬派の右派と中東和平の再開を目指す中道左派の野党連合が接戦を展開した。選挙戦の途中では劣勢の予想もあったネタニヤフ側が後半挽回して僅差で勝ち、政権の継続を確実にした。これによりイスラエルの強硬姿勢は継続し、(今まで通り)イスラエルパレスチナとの対立は続き、中東和平の達成は遠のいたとする見方がさらに強くなっていった。

三月二〇日の日本経済新聞は、「ネタニヤフ氏が総選挙勝利」、「中東に広がる失望感」との見出しで、次のようなイギリスフィナンシャル・タイムズ紙の社説を紹介した。

イスラエル総選挙でネタニヤフ氏が決定的な勝利を収めた。彼の政治家としての強烈な意志を感じさせる。だが、彼が期目の首相として再任されることは西側諸国と中東全域で失望感を高めるだけだ。

ネタニヤフ氏は圧勝したわけではない。選挙結果は右派政党「リクード」を率いるこの指導者についての評価が今も分かれていることを示す。

彼の勝利は過度に不安をあおる選挙運動がもたらした結果でもある。彼は右寄りの有権者の票を得ようと必死で、パレスチナ国家を拒否、それを認めれば「イスラム過激派に攻撃の陣地」を提供することになるだろうと述べた。

彼を支持する人たちはネタニヤフ氏を「ビビ(ネタニヤフ氏の愛称)国王」と呼ぶが、彼の選挙運動をみると、とても国父の称号を与えるわけにはいかない。

問題は彼の首相再任がイスラエルの地域政策にどのような意味を持つかだ。まずイラン問題がある。彼はイランの核計画をめぐる取引に強く反対してきた。イランは計画を完全に放棄するか、そうでないなら制裁を強化すると主張するが、彼の姿勢は非現実的だ。

今回の選挙結果はイスラエルパレスチナ自治政府との関係により大きな影響を与える。国家解決案をめぐる双方の交渉は昨年月に失敗に終わっているが、ネタニヤフ氏が今回、その案を拒否したことで雰囲気は一段と冷めた。西岸とガザの住民は幻滅感を深めるだけだ。

したがってオバマ政権は何らかの対策を考えなければならない。米国は二国家案を支持しているが、パレスチナ自治政府が国家安全保障理事会で国家としての承認を求めた際、米国は交渉を複雑にすると言って拒否権を行使した。

ネタニヤフ氏は今や交渉自体を拒否しているようであるし、西岸への入植をやめない。こうした状況下では米国がパレスチナ国家に関する拒否権をいつまでも続けられると信じるわけにはいかない。ワシントンはパレスチナ側が国連で再び国家承認を求めた場合には、対応を再検討すべきだ。

イスラエルパレスチナの歴史は新たな章に入りつつある。(一九日付、社説)

五月一四日、この総選挙から二カ月後、勝利したネタニヤフ首相は、パレスチナ国家反対の右派五党で連立を組み、通算四期目となる政権を発足させた。これで右派傾向はさらに強まり、パレスチナへの強硬路線が続き、パレスチナとの二国家共存を目指す和平交渉の再開は極めて困難な状況となった。

五月二〇日、ネタニヤフ首相が「二国家共存構想を支持する」と今までの姿勢を覆すような発言があったとの報道があり驚きが広がった。

六月二日、オバマ大統領はネタニヤフ氏の二国家共存支持発言に対し、「国際社会は既にパレスチナとの二国家共存に対するイスラエルの真剣さを信じていない」とネタニヤフ発言を批判したともとれる報道がされた。ネタニヤフ氏の真意はどこにあるのだろうか。ネタニヤフ氏はその後もパレスチナへの強硬姿勢を続け、パレスチナの独立を認めようとする具体的な動きはない。パレスチナの独立には反対の姿勢だ。この状況では和平交渉の再開は到底望めない。

 

二〇一六年はアメリカの大統領選挙が実施された年であった。オバマ氏の後継は、民主党ヒラリー・クリントン氏か共和党ドナルド・トランプ氏か。投票前からクリントン氏の優勢が伝えられていたが一一月の選挙結果は「トランプ氏の勝利」であった。親イスラエルの姿勢を鮮明にしているトランプ氏が中東和平交渉にどのように向き合うか注目された。

一二月、オバマ政権の任期は残り一カ月となった。イスラエルと距離を置くオバマ政権は対イスラエルで注目される判断をした。アメリカはイスラエルが入植活動を強化している状況を懸念して提出された国連安保理の「イスラエルによるユダヤ人入植活動の停止を求める決議」を「棄権」した。決議は一五カ国中一四カ国が賛成し、アメリカ一国のみが棄権した。アメリカが友好国であるイスラエルの立場に反する決議案の採択で「拒否権」を行使せず、「棄権」したのは極めて異例である。オバマ政権は政権最後にさらに大きく「イスラエルとの距離」を広げた。

 

二〇一七年に入った。一九六七年の第三次中東戦争から五〇年となる大きな節目の年である。

一月二〇日、トランプ氏がアメリカ第四五代の大統領に就任し、新政権はトランプ氏のアメリカ第一主義を政策方針を基盤にその第一歩を踏み出した。アメリカの国内政策に及ぼす影響は言うに及ばず、世界全体が期待と不安の混在した特異な政権の発足となった。政権を担ったトランプ氏は、早々と「パレスチナ問題」にも積極的に動いた。

二月一五日、トランプ氏はイスラエルのネタニヤフ首相とワシントンで会談し、国際情勢や中東地域の安定などについて協議した。ネタニヤフ首相はトランプ政権の発足を好機と捉え、トランプ氏のイスラエル支持を期待している。トランプ氏はネタニヤフ首相との共同記者会見で注目される重大な発言をした。これまでアメリカが支持してきた二国家共存の和平案を転換するともとれる「二国家共存に必ずしもこだわらない」との考えを示した。ネタニヤフ首相のパレスチナの独立を認めないとする姿勢を支持した形で「一国家」案につながる発言だとも評された。イスラエルはトランプ氏の姿勢に感謝と期待を示した。一方、パレスチナ側はトランプ氏の発言は二国家共存を否定するものだとし、不安をつのらせ強く反発した。

五月三日、トランプ氏はパレスチナ自治政府アッバス議長とワシントンで会談した。二月にネタニヤフ首相との会談に続き、今度はアッバス議長と中東和平などについての協議である。アッバス氏は先の二国家共存に必ずしもこだわらないとするトランプ氏の発言を念頭に、従来からの二国家共存の和平実現を熱く主張した。その上でトランプ氏の中東和平への仲介熱意を大いに期待するとしつつ、一貫して二国家共存を目指し、トランプ政権の理解を得ようと懸命であった。パレスチナでは自分たちのパレスチナの国の樹立に望みを託し希望を失っていない。ほとんどのアラブ諸国も同じ姿勢だ。

五月一九日、トランプ大統領北大西洋条約機構NATO)首脳会議、主要国首脳会議(G7)などへの出席に先立ち、ユダヤ教イスラム教、キリスト教の三宗教に縁の深い、サウジアラビアイスラエルパレスチナバチカンの訪問に出発した。歴代のアメリカ大統領が就任後の最初の訪問先にこれらの地域を選んだ例はない。新大統領がこの地を訪問することの意義は大きい。トランプ氏は現地でイスラエルではネタニヤフ首相らと、パレスチナではアッバス議長らとそれぞれ中東和平についても会談し、重ねて中東和平に向けての積極姿勢を示した。

六月、一九六七年六月の第三次中東戦争イスラエルヨルダン川西岸や東エルサレムなどを占領してから

五〇年の節目を迎え、改めてイスラエルパレスチナに注目が集まった。

七月、トランプ政権が発足から半年が過ぎた。大統領に対する支持率はまだ低いままだ。七月一六日、新しい世論調査が発表された。四月発表の世論調査で四二%だった支持率は三六%にダウンし、不支持率は逆に五三%から五八%にアップした。内政、外交も厳しい状況だ。トランプ政権は対北朝鮮問題に躍起であるが、中東での諸問題への外交手腕も問われる。声高に主張するトランプ大統領ではあるが目立った成果が表れていない。

七月下旬、聖地エルサレムをめぐりイスラエル側とパレスチナ側の対立がまた激化してきた。

九月以降、パレスチナファタハハマスの対立解消に向けての協議が進み始め、明るいムードになると期待されたがスムーズに進展しなかった。

一二月六日、国際社会に激震が走った。トランプ大統領エルサレムイスラエルの首都と認定。テルアビブにあるアメリカ大使館をエルサレムに移すと表明した。イスラエルは長い間、「エルサレムイスラエルの首都」、「(各国は)エルサレムに大使館を」と主張しており、今回のアメリカの表明を大歓迎した。一方、パレスチナ始めイスラム諸国は猛烈に反発した。

 

二〇一八年になった。二月二三日、アメリカは在イスラエル大使館を今年の五月に現在のテルアビブからエルサレムへ移転させると発表した。移転時期はまだ先だと思われていただけに、前倒しの発表に国際社会は驚いた。

五月一四日、イスラエル建国七〇周年に当たる日、アメリカは大使館をエルサレムに移転した。エルサレム旧市街の南の方にある領事館の建物を衣替えしたという。移転に強く反発していたパレスチナでは大反対のデモ行動が各地で起きた。特にガザではイスラエル軍との衝突により死者五〇人超、負傷者二〇〇〇人以上がでる事件となった。国際的にもエルサレムの帰属や位置づけをめぐる問題に新たな火種が加わり、和平交渉に向けての困難性が一段と高まった。多くの国がアメリカの動きを批判した。

和平交渉は四年前に中断したままだ。交渉の再開に向けて新しい進展が待たれるが、アメリカ大使館の移転問題がさらに状況を悪くしている。パレスチナ側はイスラエル寄りのアメリカの仲介を拒否する姿勢を崩していない中、トランプ政権は和平交渉の仲介役を模索し、近く新たな和平案を纏めたいとしているようだ。真の和平に繫がる案となるか期待されるが、逆に混乱を増すことにならないか心配もされる。

 

パレスチナ問題へのアプローチ

さて、二〇一八年の今年は一九四八年のイスラエル建国から七〇年となる年であり、また一九九三年のオスロ合意からは二五年となる節目の年である。このような時にこそ改めてパレスチナ問題に焦点を当ててみるのも意義がある。また、複雑で分かりにくい問題であるからこそ、この問題にチャレンジしてみる価値がある。そう思ったとき、「そもそもこの問題が生じてきた始まりは何だったのだろうか」、「この問題が解決できない主な原因はどこにあるのだろうか」、「問題解決に向けて今まで誰がどんなことをしてきたのだろうか」、「果たしてこの問題の解決はあるのだろうか」などと次々と疑念が湧いてくる。

そこで、関係がありそうな事柄ついて、年代順にどんどん勝手に拾ってみれば少しはこの問題に近づけるのではないかと考えた。拾い出しの初めは一九世紀以降からでいいと思ったが、この際、もっと遡って旧約聖書の時代からのことにも触れることにした。まず、聖書の時代からムハンマドイスラムの時代などを経て、イスラエル建国に至るまでの概略を見る。続いて、イスラエル建国から現在まの七〇年はもう少し詳しくフォローする。特に、オスロ合意からの二五年間についてはより詳細にチェックしてみるのがよいと考えた。その中でも、アメリカにトランプ政権が誕生してからの動きには細心の留意を持ってあたることにした。

そこで、

一、既に広く伝えられていることや報道されていることを

一、誇張したり憶測を交えたりすることなく

一、いつ頃、どこで、どのような事があったかなどを

一、時系列に留意しつつ、できるだけ年代・年月日の順に

、年表を拡大する(項目を増やして少し説明を加えるような)方法で

書き出してみることにした。

 

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