第一四章 第四次中東戦争とその後

(一)第四次中東戦争

エジプトのサダト大統領、第三次中東戦争で失ったシナイ半島の奪回を策す

エジプトのサダト大統領は一九七○年大統領就任当初、ナセルの敷いた汎アラブの対イスラエル強硬路線を継承していったが、次第にナセル時代のソ連寄りからアメリカ寄りに方向転換し、エジプトからソ連の軍事顧問団を追放するなど独自の「サダト色」を出していく。

アメリキッシンジャー国務長官は、まずは「エジプトとイスラエルの単独和平を」と、精力的な外交努力を続けた。サダト大統領はアメリカの意を入れながら「イスラエルが占領地から撤退して、パレスチナ自治権を認めれば和平協定を結んでもいい」との意向を示すが、メイア内閣のイスラルは「パレスチナ人なんていない。パレスチナの地はわれわれイスラエルの地だ」と全く聞く耳を持たない。サダト大統領はイスラエルとの大規模戦よりも、まずイスラエルに奪われているシナイ半島を奪回しようと考えていた。

 

エジプトとシリア両大統領の共同作戦

サダト大統領はシリアのアサド大統領がイスラエルに奪われているゴラン高原を奪回しようと考えているのを好機と見てシリアと共同して対イスラエル作戦を立てることとする。

一九七三年九月、サダト、アサド両大統領はカイロで秘密会議を開き第三次中東戦争での敗因を反省しながら共同作戦を練る。第三次中東戦争ではイスラエルの奇襲作戦で我々は負けた。有効な奇襲作戦を今度はこちらが使うことにすると密かに決めた。

 

第四次中東戦争、エジプト・シリア両軍のイスラエルへの先制攻撃で開戦

イスラエル諜報機関モサドは、シリア国内に潜伏する諜報員を通じエジプトとシリア両国のイスラエルに対する不穏な動きを把握し通報していたが、メイア首相らはこの情報を重く見ていなかった。

一九七三年一〇月六日、エジプト・シリア両軍がイスラエルに対し先制奇襲攻撃にでた。

一〇月はイスラム教徒にとっては「ラマダン月(断食月)」で一カ月の断食の期間にあった。一方、ユダヤ教では一〇月六日は「ヨム・キプール(贖罪の日)」と呼ばれる神聖で、二四時間の断食をして静かに過ごす休日であった。イスラエル側は「まさかこのような日には」と強い警戒をしていなかった。だがその日にエジプト、シリア両軍の攻撃が始まった。「第四次中東戦争(アラブ側は一〇月戦争あるいはラマダン戦争、イスラエル側はヨム・キプール戦争と呼ぶ)」である。

南からエジプト軍がスエズ運河を越え、シナイ半島イスラエル軍を攻撃、一方北からはシリア軍が停戦ラインを越え、ゴラン高原イスラエル軍陣地を攻撃した。南と北からイスラエルを挟み撃ちにする奇襲攻撃をする作戦を展開した。

イスラエル空軍の攻撃に対してアラブ側は地対空ミサイルを揃え徹底した防空体制で地上軍を支援する作戦に出る。エジプト軍は緒戦イスラエルに大打撃を与えた。不意を突かれたイスラエル軍は戦争の初期に歴史的な初の敗北を喫する。

初期に劣勢であったイスラエル軍は次第に反撃に転じ始める。イスラエル軍ゴラン高原を再占領した。イスラエル軍シナイ半島でも反攻に転じた。このシナイ半島の戦いで、スエズ運河を逆に渡河しエジプト軍を後退させ戦局を一気に逆転させ名を挙げた将軍が後に首相になるシャロンであった。

 

(二)停戦決議(安保理決議三三八号)、兵力引き離し決議(安保理決議三四〇号)

一九七三年一〇月二二日、国連安保理は米・ソ共同提案の停戦決議三三八号を採択した。決議は決議採択後、関係諸国に「一二時間以内に停戦」するように求め、さらに「停戦成立後直ちに第三次中東戦争後に採択され国連決議二四二号のすべての条項を履行する」とする。

一〇月二五日、国連は停戦決議に続いてイスラエル、エジプト両国の兵力引き離し決議をする(安保理決議三四〇号)。エジプト、イスラエルとも徹底的に最後まで戦おうとする意思はなく、国連停戦決議の受け入れを表明、両国は軍を引くことした。最終的にイスラエル有利で終わった戦争であったが、イスラエルにとって初めて経験する勝利のない戦いであった。サダト大統領は当初からイスラエルを徹底的に攻撃撃し撃破するというよりも、イスラエル軍不敗の神話を破れればイスラエルアメリカも和平に目を向ける。エジプトの力を示しアメリカを仲介役としてイスラエルと和平合意をしたいと思っていた。アメリカのキッシンジャー国務長官は積極的に仲介に動いた。サダトにとっては和平を手に入れるための戦争であり、緒戦でイスラエルを相当叩いたことで停戦にさほど不足は無く、むしろ初めての勝利感を持った。

 

)第中東戦争時におけるアラブ産油国側の「石油戦略」

この第四次中東戦争において中東の「石油」をめぐる施策が世界経済に大きな衝撃を与えることになった。

一九七三年一〇月八日戦争開始から三日目であった。エジプトを支持するアラブの産油国は、イスラエルを支援するアメリカなどの国々への石油の輸出を禁止しようとした。「親イスラエル国には石油を輸出しない」とする戦略である。石油輸出国機構(OPEC)と石油会社の代表者がオーストリアのウイーンで原油価格についての交渉を行った。しかし、交渉はまとまらずOPECは一方的に石油価格の引き上げを決めた。これに続いてアラブ石油輸出国機構(OAPEC)も原油生産の削減を決めた。産油国は、イスラエルを支持する非友好国に対し石油供給削減を行い、アラブを支援する国についてはこの対象にしないとするいわゆる石油操作を行った。エネルギー資源がアラブ側のいわば対イスラエル作戦への「武器」として作用し、目標達成のための「石油戦略」として作用した。その結果世界の石油価格は大幅に引き上げられ、世界経済に大きな影響を与えていった。石油ショックであった。

 

(四)戦後処理のジュネーブ中東和平会議、エジプトとイスラエル歩み寄りへ

第四次中東戦争末期におけるアラブ側の「石油戦略」によってアメリカとアラブ諸国との関係は一時的に悪化したが、アメリカのキッシンジャー国務長官は精力的に和平の実現に動いていった。中東全体を見ながらイスラエルとエジプトに焦点を当てていった。

一九七三年一二月、スイスのジュネーブで米ソ両国主導による第四次中東戦争の戦後処理に関する中東和平会議が開催された。スエズ運河周辺とゴラン高原における両軍の兵力引き離し協定のための合同委員会設置などを協議した。イスラエルの独立宣言以後初めてのアラブとイスラエル高官が公式に顔をあわせての会議であった。キッシンジャースエズ運河周辺とゴラン高原における両軍の兵力引き離し協定のための合同委員会の設置を提案し、戦後処理の第一歩が踏み出された。

翌七四年一月から具体的にエジプト・イスラエル兵力の引き離しの協議は続けられ、七五年九月にはイスラエルの前線はスエズ運河から三〇~六〇キロ東方にまで後退した。エジプトとイスラエルの両国は徐々に歩み寄りの姿勢を見せるようになっていく。

 

(五)イスラエル首相メイア辞任、後任にラビン

一九七四年四月、イスラエルのメイア首相は第四次中東戦争での責任もあり辞任した。

六月、後任首相にイツハク・ラビン(一九二二年~九五)が就いた。ラビンは一九四一年ハガナーのハルマッハに参加し、第一次中東戦争ではエルサレム防衛の指揮を取りエジプト軍と交戦もしている。一九六二年には参謀総長第三次中東戦争で勝利を経験している。国防軍を退役後、一九六八年には駐米特命全権大使に就任、一九七三年には労働党国会議員となり労働大臣となっていた。

 

)PLO、「ミニ・パレスチナ国家」構想に転換

四次にわたる中東戦争を経てアラブ各国に「イスラエルに対する軍事的勝利を得ることは困難だ」とする議論がでてきた。パレスチナ側にもPLO主流のファタハを中心に今までのイスラエル国家を追放解体しパレスチナ全土の開放を目指す闘争路線から、「ヨルダン川西岸とガザをエリアとするパレスチナの独立した民族的組織体を構築しよう」とする現実的な動きがでてきた。

一九七四年六月、PLOは第一二回パレスチナ民族評議会(PNC)で「ミニ・パレスチナ国家」構想を採択した。パレスチナ全土の二三%に相当するヨルダン川西岸とガザでのミニ国家つくりのへの路線に転換し、二国家共存を実現しようとする構想であった。だがPFLPを中心とする勢力は賛同せず拒否戦線を組織し主流と対立していった。

 

)アラブ首脳会議、PLOをパレスチナ人の「唯一正統な代表」と認める

一九七四年一〇月、モロッコのラバトで開催された第七回アラブ連盟首脳会議は、パレスチナ民族評議会のミニ・パレスチナ国家構想を受けてPLOをパレスチナ人の「唯一の正統な代表」と認め、速やかに「パレスチナ独立国家建設の権利」を承認し、PLOの主権を首脳会議として確認をした。いよいよPLOが表舞台に出てきた。

 

)国連、PLOに「国連オブザーバー組織」の資格を与える

一九七四年一一月、アラファトPLO議長は国連総会で初めて演説した。

一一月二二日、国連総会はパレスチナ人の自決権を確認する決議をするとともに、PLOに「国連オブザーバー組織」の資格を付与することを決議した(国連決議三二三六号)。結成から一〇年、ここにPLOはアラブの代表と認められ、パレスチナを公的に代表する機関として国際的な認知を得ることになった。

 

レバノン内戦勃発、キリスト教勢力とパレスチナ勢力衝突

レバノンに住むパレスチナ人の多くは、一九四八年の第一次中東戦争で難民としてここに来た人々である。その後も多くの難民が移り住み、難民は三五万人程になっていた。そこにPLOの拠点が移って来ていた。

拠点をレバノンに移したPLOは次第に勢力を活発化し、レバノン南部の難民キャンプを中心に「ファタハランド」とも呼ばれる地域支配を強化し、レバノンでの「国の中の国」的な状況をつくり出していった。このようなPLOの活動にレバノンイスラム教徒はいっそう勇気付けられてくる。そうなればなるほどマロン派キリスト教徒を中核としたファランジスト党のグループと対立が高まって来る。キリスト教徒はイスラム教徒の勢いに脅威を抱くようになりイスラム勢力を抑えようとする。イスラエルもこの状況を看過できず介入し始めるとレバノン南部で衝突が起こってくる。

一九七五年三月、パレスチナ人戦士の乗ったバスがファランジスト党の民兵に襲われ、二六人が死亡する事件が起きた。

四月一三日、レバノン国内でキリスト教勢力とイスラム教勢力の対立は頂点に達し、遂に国を二分するレバノン内戦の勃発となった。それまでもライバル関係にあったレバノンの各グループが互いに連携したり、分裂したり、外国勢力と手を結んだりして複雑なパワー勢力関係を展開した。パレスチナ勢力も同様に混乱していった。ベイルートも東西に分裂した。

一九七六年六月、レバノンと関係の深いシリアはレバノン政府の要請もあり、またレバノンに急進的政権が誕生することはレバノンとイスラルの戦争にもなり、その戦争は必然的にシリアの体制を危うくすると危惧し、シリア軍がキリスト教徒側に立ってレバノン内戦に介入し、内戦はさらに混迷していった。

一〇月、サウジアラビアクウェートの仲介によって不安定な対立を残しようやく戦いを止めた。

一一月、内戦は多数の死者を出して一応終結、シリア軍はアラブ平和維持軍の名のもとにレバノンに合法的に駐留し始める。シリア軍のレバノン駐留は続いていく。

 

一〇)PLO傘下のPFLP、ウガンダエンテベ空港で人質事件起こす

一九七六年六月二七日、ウガンダエンテベ空港人質事件が起きた。PLO傘下のPFLPに所属するアブ人ら四人のテロリストによりテルアビブ発パリ行きのエールフランス機が乗っ取られ、乗客乗員二六八人がエンテベ空港のビルに監禁された。テロリストは各国で現在服役中のテロリスト五三人の即時釈放を要求した。

七月三日、ラビン政権は特殊部隊による人質救出作戦を敢行、犯人を射殺し大部分の人質が解放された。

 

一一アメリカ大統領にカーター、中東政策に注目

一九七七年一月、第三九代アメリカ大統領に選挙戦で現職フォードに勝ったジミー・カーター(一九二四~ )が就いた。カーター大統領の中東への外交政策が注目された。

 

一二イスラエル、ラビン首相辞任し後任にタカ派リクードのベギン

一九七七年四月、イスラエルのラビン首相は自らその座を降りた。駐米大使時代からキッシンジャー国務長官と親密な関係を築いてきており、長官の調停でエジプト、シリアとの兵力引き離しなどに実績を積み重ねてきた。しかし、夫人がアメリカに残してきた銀行口座が違法との批判を受けるとあっさり首相を辞任してしまった。

 

イスラエル総選挙、労働党大敗、タカ派リクードのベギンが首相に就く

一九七七年五月、ラビンの辞任後ペレスが首相代理となり総選挙に臨んだが、建国以来三〇年近く政権を担ってきた労働党タカ派リクードに敗れ、労働党系以外の首相が誕生することになった。

六月、リクードメナヘム・ベギン(一九一三~九二)がラビンの後を継いで首相に就いた(在任一九七七~八三)。ダヤンを外務大臣に、ヴァィツマンを国防大臣に起用した。またシャロン農相を入植地委員会の委員長に任命するなど強力な右派リクード内閣となった。

ベギンは一九四二年から武装組織イルグンに参加、キング・ディビィッド・ホテル爆破事件やヤシーン村襲撃事件で悪名を馳せ、リクードの前身ヘルートを立ち上げ、一九七三年にリクードの初代党首になった根っからの過激派である。ベギンには占領地返還の意思は全く無い。ベギンは「ヨルダン川西岸もガザ地区も元々、神に約束された地だ。それを我々が解放したのであり、占領地ではない。これらの地はイスラエルの一部であり、入植推進は当たり前だ」「PLOは認めないし、パレスチナ国家は許さない」とする強硬主張が根底にあった。

一三)エジプトのサダト大統領、イスラエルを電撃訪問

第四次中東戦争を経て数年、中東が新たな政治状況を抱える中、エジプトはソ連との友好関係を破棄し、アメリカに接近していた。

一九七七年一一月一九日、サダト大統領は敵対していたイスラエルを「電撃的に」訪問した。強硬派のイスラエルのベギン政権発足からわずか半年、エジプトのサダト大統領の思い切った行動に世界は驚いた。サダト大統領の訪問は、ベギン政権から内々承諾を得ていたとはいえイスラエル国民にとっては突然の出来事であり、驚くと同時にこれを喜んで歓迎した。アラブのリーダーであるエジプトの首脳が自らイスラエルへ足を運ぶということは「イスラエルを国として認めている」ということに他ならない。

翌日、サダト大統領はイスラエル国会で演説。イスラエルと大きな対立を望まないサダト大統領はイスラエルが占領地から撤退し、パレスチナ人の自治権を認めるとする従来からの持論を述べ、和平を訴えた。

イスラエル国民はサダト大統領の主張に耳を傾けたが、ベギン首相はこれにすぐには応えることはなかった。しかし、次第に和平を考えさせられていく。

 

一四アメリカ仲介、エジプト、イスラエルの「キャンプ・デービッド合意」

サダト大統領がイスラエルを電撃的に訪問してから一年近く過ぎた。サダト大統領はイスラエルとの交渉解決の糸口をアメリカの仲介に求めた。国務長官キッシンジャーの助言もありカーター大統領は仲介に前向きになっていた。

一九七八年九月五日、カーター大統領は、ワシントン郊外のメリーランド州の大統領別荘キャンプ・デービッドにエジプトのサダトイスラエルのベギンの両首脳らを招き和平交渉を始めた。会議はアメリカの担当者も加わり、和平の条件などについて協議を進めた。

九月一七日、途中意見の相違もあり交渉中断もあったが一三日間の交渉の末,双方は和平について基本的に合意した。イスラエルアラブ諸国初の和平合意が達成された「キャンプ・デービッド合意」の意義は大きい。

 

一五)エジプトとイスラエル、和平条約締結、他のアラブ諸国は非難

一九七九年三月二六日、エジプトとイスラエルはキャンプ・デービッド合意を受け、和平条約をワシントンで正式に調印した。

エジプトはイスラエルの存在を認めて独立の国として承認し、イスラエルとの単独和平を実現した。これによって第一次中東戦争以来、エジプトとイスラエル間の戦争状態は正式に解除された。エジプトはイスラエルを正式に承認した最初のアラブ国家となり、占領されていたシナイ半島の「返還」を約束、両国間に大使が交換されることとなった。「領土と和平の交換」であった。

しかし、他のアラブの諸国には決して受け入れられるものでなかった。ヨルダン川西岸とガザの両地域においては、暫定的に五年間のパレスチナ住民の自治が認められた後、改めてイスラエル、エジプト、ヨルダンの三カ国の代表者による会議を開いて、最終的な地位を決定するとしていた。アラブ諸国パレスチナ人の土地の帰属問題をパレスチナ人の参加していない会議で決定するという合意は到底認められるものでないと非難した。

 

一六イスラエルと「和平条約」を締結したエジプト、アラブ連盟から除外

エジプトとイスラエルの和平合意に周辺アラブ諸国は反発、アラブ諸国団結の「イスラエル否認政策」崩れる

エジプトとイスラエルの和平合意に周辺アラブ諸国の怒りは収まらない。「エジプトはシナイ半島を取り戻すために、パレスチナイスラエルに売り渡した」「我々に相談もなく単独で、特にPLO抜きで進めた」「エジプトはアラブ諸国の結束を破った裏切り者だ」と非難した。イスラエルを承認することは、パレスチナ人の「治安帰還への道」を閉ざすことになる。サダト大統領のイスラエル訪問と和平条約締結は、欧米諸国から高い評価を受ける一方、アラブ諸国団結の「対イスラエル否認政策を崩壊させた」とアラブ諸国の怒りは収まらない。ますますエジプトと周辺アラブ諸国との関係は悪化していった。

 

エジプトはアラブ連盟から除外され、連盟本部はカイロからチュニスへ移る

周辺アラブ諸国の反発にアラブの盟主エジプトは一転して孤立しアラブの孤児となった。

一九七九年一一月、エジプトを除くアラブ二〇カ国はアラブ連盟首脳会議を開催し、「裏切り者」としての制裁措置として、アラブ連盟へのエジプトの加盟資格の停止、アラブ連盟本部のカイロからチュニジアチュニスへの移転などを決議した。エジプトはアラブ社会から村八分にされた。

 

一七サダト大統領とベギン首相にノーベル平和賞

サダト大統領のイスラエル訪問と和平条約の締結は欧米諸国から高い評価を受ける。この功績にサダト大統領とベギン首相はノーベル平和賞を受賞した。

 

(一八)「イラン革命」、ホメイニ師イスラム革命勢力が全権掌握

イランは一九三五年から国号を「ペルシャ」から「イラン」に改称している。一九四一年から続いていた親米的パーレビ王国は一九六三年の「白色革命」を経て急速な西欧化を進めていたが、石油外交の破綻などから国民の不満が高まり衰退が進んでいた。

アヤトラ・ホメイニ師(一九〇二~八九)は一九六四年から国外追放されてフランスに亡命していたが、そこにいながらイラン国内の反政府勢力を動かしていた。

一九七八年一月、イスラムシーア派の聖地コムで神学生による大規模な反政府デモが発生し、政府側の鎮圧部隊との衝突で約六〇人が死亡する惨事が発生した。これをきっかけに各地で反政府の動きが次々と起きていった。

一九七九年一月、ホメイニ師シーア派法学者を支柱とする国民の革命勢力が、国王の専制や経済不安などからイスラム原理主義を掲げ、大規模な国王追放運動を起こした。パーレビ国王らは国外へ亡命、パーレビ王朝は倒れた。

二月、ホメイニ師がパリから帰国。イラン・イスラム共和国(イラン)が樹立され、ホメイニ師が最高指導者として実権を握った。イラン革命(イラン・イスラム革命)である。

 

一九イラク大統領にサダム・フセイン

イランの革命は、周辺アラブ諸国に大きな衝撃を与えた。

一九七九年七月、イラクではバルク大統領の辞任を受け、サダム・フセイン(一九三七~二〇〇六)が大統領に就任した。フセインは革命評議委員会議長、バース党書記長、国軍の総司令官なども兼任し要職を一身に集め権力を掌握した。チグリス河のほとりのタクリート出身で、イラク国内では少数派のスンニ派である。

 

二〇テヘランアメリカ大使館人質事件

イランではホメイニ師の呼びかけに反アメリカの動きも でた。

一九七九年一一月四日、テヘランで「アメリカ大使館人質事件」が起きた。イランから亡命したパーレビ国王らの入国を、アメリカが受け入れたことに反発したイスラム法学校の学生らが元国王の引渡しを求めテヘランにあるアメリカ大使館を占拠した。外交官ら五二人を人質に四四四日間も占拠した事件である。この事件をきっかけにイランとアメリカは国交を断絶し敵対するようになっていった。

なお、翌年四月、カーター大統領は人質奪還のため特殊部隊をイランに派遣するが、輸送機とヘリコプターが砂嵐のため接触墜落、救出は失敗に終わっていく。

 

二一ソ連軍、アフガニスタンに侵攻

一九七九年一二月二七日、アフガニスタンのクーデターに乗じソ連軍はアフガニスタンに侵攻を開始した。

これに抗議するアメリカのカーター大統領は一九八〇年のモスクワ・オリンピックのボイコットを呼びかけ、日本もオリンピック出場を断念した。

ソ連軍の侵攻に対抗してイスラムの「ムジャヒディン」(イスラム聖戦士)が立ち上がる。その後アフガニスタンの泥沼戦争は一九八九年のソ連軍撤退まで約一〇年間続いていく。

第一五章 一九八〇年代の中東情勢

一九八〇年代に入ってさらに中東情勢は不安定で激変していく。その中東情勢の概略を年代順に見ていく。

 

一九八〇年

)エジプトとイスラエル国交樹立

一月、エジプトとイスラエルは前年の和平条約の正式調印を受けて国交を樹立した。

 

イスラエル入植地に係る安保理決議(四六五号)、イスラエルこれを無視

三月、国連安保理は「イスラエルエルサレムを含むアラブ側の領土を占領し、または入植地を建設した行動を全て無効とし速やかな撤退をすること」を内容とした「アラブ占領地におけるイスラエル入植地に関する決議」をした(安保理決議四六五号)。

しかし、イスラエルはこれを無視し、占領地を返還する意思もなく入植を続けていく。

 

イスラエルエルサレム基本法制定、「エルサレムは永遠の首都」と宣言

イスラエルは「エルサレムは我が国の首都だ」と明確にしていく。

七月、イスラエル議会(クネセト)は「エルサレム基本法」を制定し、「東西統一されたエルサレムイスラエルの永遠の首都」であると改めて決議した。以後、イスラエルは「首都はエルサレム」だと主張している。しかし、この首都宣言はイスラエルが一方的にしたものであり、現在でも国際的にはエルサレムイスラエルの首都だと承認されておらず、今も首都論争が続いている原点がここにある。

 

)イラン・イラク戦争始まる

イラクもイランと同じようにスンニ派よりシーア派のほうが多い。フセイン大統領は少数派のスンニ派である。フセインはイランのシーア派による革命が成功したことに大きな衝撃を受けた。自国内のシーア派がイランのような動きをしないか心配の上に国境問題があった。一九七五年に締結された「アルジェ協定」では両国間の国境地帯を流れるシャトル・アラブ川の中央部が国境線となっていたがフセインは川全体がイラクの領土だと主張している。フセインは一方的に協定の破棄を宣言した。イラン革命でまだ安定していない今がイランを攻める絶好のチャンスだと判断したフセインはイランに攻撃を加える。

九月二二日、イラクはイランの空軍基地を空爆、イランはこれに応戦した。「イラン・イラク戦争」の始まりだった。イランと国交を断絶しているアメリカは、反共とイスラム革命の防波堤としてイラクの支援に回った。

 

一九八

サウジアラビアのファハド皇太子、「中東和平案」発表

イスラエルは一九七九年にエジプトと和平条約を締結すると一九八〇年には「エルサレムイスラエルの永遠の首都」であると宣言した。イスラエルのこれらの動きをアラブ連盟諸国は許すことはできない。こうした中でサウジアラビアのファハド皇太子(後の第五代国王)はイスラエルパレスチナ人の独立国家の樹立などを認めるよう求める「ファハド和平案」と呼ばれる中東和平案を発表した。。「パレスチナ人の独立国家の樹立」を前向きに出している和平提案にPLOや他のアラブ連盟加盟国もこれを支持した。サウジアラビアからこの提案が出されたのはイスラムのメッカ、メディナの二聖都を擁する国家として岩のドームなどがある聖都エルサレムを異教徒のイスラエル支配下から解放したい想いがあったのが第一の理由であった。

 

アメリカ大統領、カーターからレーガン

アメリカのカーター大統領の人気は、イランでのアメリカ大使館員の人質救出作戦の失敗後急速に下向になり、再度大統領を狙った選挙でロナルド・レーガン(一九一一~二〇〇四)に敗れた。

一月二〇日からレーガンアメリカ大統領に就く。

 

イスラエルイラクの原子炉爆撃

イスラエルはエジプトと和平条約を結び、エルサレム基本法を制定し、安保理決議四六五号を無視し入植を続け、独立国として国力を一段と強くしている。このような状況下でアラブ側にかなり挑発的行為を続発させてくる。イラクの動きにも神経をとがらせていた。危険なものは早く除きたかった。

六月、イスラエルイラクの首都バグダード近郊に建設中であったオシラク原子炉を空爆し破壊した。

 

)エジプトのサダト大統領暗殺される

一九八一年はエジプトのサダト大統領の就任から一一年、第四次中東戦争終結して八年を経た年であった。

サダト大統領はイスラエル訪問と和平条約の締結を成し遂げ、欧米諸国から高い評価を受けていた一方、国内情勢の不安定に加え、エジプト周辺アラブ諸国との関係は悪化してきていた。こうした中で事件は起こった。

一〇月六日、エジプトではカイロ郊外で第四次中東戦争を記念する式典が行われた。サダト大統領が軍事パレードの閲兵中であったその時、一台のトラックが突然車列を離れて観閲台に近づき、手榴弾と銃弾を浴びせた.凶弾は大統領の命を奪い去った。大統領を狙ったのはイスラエルとの和平に反対していたイスラム過激派ジハード団に属する軍人ハリド・イスランプリ中尉ら四人であった。犯人たちは直ちに逮捕され裁判にかけられた。彼らは「パレスチナイスラムの敵であるイスラエルとの単独和平に走り、その一方で経済開発に狂奔し物質主義におぼれたサダトは殺されるべき」、「我らはサダトを殺したが有罪ではない。全ては、我が宗教と祖国のための行為である」と主張した。そして、その背後には原理主義の大物の指令があったともいわれる。一一年にわたるサダトの統治時代は終わり和平への夢は叶わなかった。

 

)暗殺されたサダト大統領の後任に副大統領のムバラク

一〇月一四日、暗殺されたサダト大統領の後任に副大統領のホスニー・ムバラク(一九二八~)が就く。以後ムバラクは、長期政権を維持していくこととなる。

 

(六)イスラエルゴラン高原併合法案を可決

一一月、イスラエルは占領中のシリアのゴラン高原を併合する法案を成立させた。

 

一九八

イスラエル軍シナイ半島撤退完了、シナイ半島エジプトへ返還

四月、イスラエル軍シナイ半島から撤退を完了。シナイ半島はエジプトへ返還され、イスラエルの領土は現状に近いものに画定していった。

 

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イスラエルレバノンへ侵攻(レバノン戦争)、PLOを攻める

イスラエルレバノン対策

レバノンでは一九七五年からの内戦で不安定状況が続いている。PLOはベイルートに拠点を置き、レバノン南部の「ファタハランド」からイスラエルへの攻撃を断続的に続けていた。

イスラエルは南のエジプトとのシナイ半島問題が一段落し、エジプトとの関係が安定したところで北のレバノン国境での問題に力を注ぐことになる。「ガリラヤ地方の安全を守る」として内戦で消耗したレバノン南部のPLOゲリラの拠点攻撃にでる。イスラエルの戦略はこれだけではなかった。同時にレバノンに対するシリアの影響力を弱めるためにレバノンにいるシリア軍も追い払いたい、さらにレバノンに親イスラエル的な勢力を強めレバノンイスラエル寄りにさせたかった。イスラエルレバノン南部を攻撃する。

 

イスラエルレバノン侵攻、イスラエルはこれを「ガリラヤ平和作戦」という

六月四日と五日、シャロン防相の指揮のもとイスラエル軍レバノン南部を中心に猛烈な空爆を行った。

六月六日、約八万もの機甲部隊がレバノン国境を越え、ファタハランドのPLOの拠点を攻めた。「レバノン戦争」の始まりである。南レバノンから家を失った難民がベイルート流入していった。六月八日には国連の停戦案をPLOとレバノンが受諾したがイスラエルは拒否した。イスラエル側はこの戦争をレバノンに攻め入ったのではなく「ガリラヤ地方をテロリストの攻撃から守り、平和をもたらすための作戦だ」との言い分で「ガリラヤ平和作戦」と呼んでいる。しかし、シャロンの攻撃は「守りの平和をもたらすもの」でなかった。当初はこの侵攻はレバノン南部の防衛的な攻撃作戦だとしていたが、シャロンの強引な攻撃は防衛的な目的を逸脱して北上しベイルートの占領にまで拡大し、ベイルート市民にも多くの死傷者が出る惨事となった。

六月二〇日、事態を憂慮したレバノンのサルキス大統領は救国委員会を開催しPLOの降伏とシリアの撤退を呼びかけた。しかし、イスラエルは攻撃を止めず、シャロンの強引なレバノン国内への侵攻にレバノン南部やベイルートは大混乱となっていった。

六月下旬からベイルートを中心に大爆撃が繰り返され多くの犠牲者が出た。ベイルート市街地は徹底的に破壊が繰り返され廃墟寸前となった。PLO拠点のある地域も廃墟同然となった。PLOが受けたダメージは計り知れない。

 

)PLO拠点、レバノンからチュニジアチュニスへ移る

レバノンの混乱は収まらない。レバノンの住民らは「PLOがこの国に留まっている限り自分たちに身の危険は去らない」と劣勢となったパレスチナ武装組織に国外退去を迫っていった。他のアラブ諸国もあまりこの問題に介入するのを躊躇した。PLOの追い出しは必然となった。

七月、アラファトは苦慮するが国際的な反応やアラブ諸国の現状から遂にレバノンを離れる決断をする。

八月一二日、五万人以上の死傷者を出した戦争はようやく終わった。

八月一九日、アメリカ仲介のレバノン退去案が合意された。

八月二一日、米、仏、伊の部隊による援護の中、軍事的に敗北したパレスチナ武装組織の退去が開始され、バラバラになってがチュニジアやシリア、イラク、イエメンなどに離散していった。

PLOの一団は仲間と共にアラブ連盟本部のあるチュニジアへ向かい、PLOの拠点はベイルートからチュニスに移った。

八月三〇日、アラファトは最後のPLO幹部のメンバーとしてレバノンを離れた。PLOの最終退去は翌年までかかったが一二年にわたるレバノンにおけるPLOの歴史はここに幕を下ろした。

PLOの拠点がレバノンから離れたということは、イスラエルからすれば「PLOをベイルートから追放した」ということであり、またこのことは、「イスラエルという国家主体とPLO(パレスチナ人組織)という非国家主体」との戦闘の結果であったという意味で、「武力による国家間闘争」である通常の「戦争」とは異なり、今も続く「イスラエルパレスチナの紛争」の始まりの戦争であったともいうことができ重要な意義を持つといわれる。

 

レバノン、次期大統領にジェマイエル選出

八月、レバノンは、PLOの拠点が国外へ抜ければ新しいレバノンが生まれることも期待し、新大統領を選出した。マロン派キリスト教ファランジスト党のバシール・ジェマイエルである。イスラエルのベギン首相はジェマイエルがレバノン国内から反イスラエル勢力を一掃してくれることを期待していた。しかし、その期待は一カ月も経たないうちに消え失せる。

 

)ジェマイエル暗殺、マロン派民兵パレスチナ難民キャンプ大量虐殺事件

九月一四日、レバノン次期大統領のジェマイエルが東ベイルートにあるファランジスト党の支部での大爆発により暗殺される事件が起きた。

九月一六日、マロン派民兵は、ジェマイエル暗殺はパレスチナ側によるものだと主張し、その報復の攻撃にでた。イスラエル軍が包囲した二つの難民キャンプ(サブラとシャティーラ)にPLOの残したゲリラが隠れているとしてマロン派民兵が乱入し、一八日までに老若男女を問わず二〇〇〇人とも三〇〇〇人ともいわれる難民を虐殺するという大惨事を起こした。レバノンの混乱はまだまだ続いていく。

 

アメリカのレーガン大統領、中東和平の新提案発表、イスラエル側拒否

九月一日、PLOの拠点とともにアラファト議長らがベイルートから撤退した翌日である。アメリカのレーガン大統領は「新たな出発」と題した中東和平についての新堤案を発表した。「レーガン・プラン」と呼ばれる提案は基本的にはサダト、ベギン両首脳が一九七八年にキャンプ・デービッドで合意した条件を下敷きにしたものであったが新しい点も含んでいた。

などの考えが主軸になっている。

この提案をイスラエルのベギン首相は即座に「そのような提案は受け入れられない」との声明を発表して拒否した。

 

レーガン提案に対し、アラブ首脳会議が示した和平提案「フェズ憲章」

アラブ側の「フェズ憲章」

レーガンの提案に対してアラブ側は概ね好意的に受け止めた。しかし、PLO内部の強硬派やシリアなどは「パレスチナ人の独膣国家を認めたものではないとして反発する姿勢を見せた。

九月九日、アラブ諸国レーガン提案を基にモロッコのフェズで開催されたアラブ首脳会議で協議し、次のような和平提案を採択した。「フェズ憲章」といわれる。イスラエル側はレーガン提案を拒否したが、アラブ側はこれをアラブ統一の中東和平提案として逆提案した形であった。

一、東エルサレムを含む第三次中東戦争イスラエルが占領した地域からの完全撤退

一、PLO指導下でのパレスチナ人による自治権の完全な行使

一、東エルサレムを首都とするパレスチナ人の独立国家の樹立

一、パレスチナ独立国家を含む周辺諸国の安全の保障

など八項目がが謳われた。その基本的内容は前年のサウジアラビアのファハド皇太子案とほとんど同じであった。

 

和平への提案、進展せず

レーガン提案により、中東和平の進展によせる国際的期待は大いに高まったが、シリアやPFLPは依然厳しい姿勢を崩さず、PLO主流派も賛成とも反対とも声明を発しないままであった。またイスラエル側がどのように対応するかに関心が注がれたが、フェズ憲章の発表の一週間後にパレスチナ難民キャンプ場での大虐殺事件が起き、周辺アラブ諸国の態度も一変し、結果的にレーガン提案やフェズ憲章は目に見えた動きを見せないまま自然消滅的な結果で終わってしまった。

 

一九八

イスラエルシャロン防相解任

イスラエル軍レバノン侵攻と難民キャンプ虐殺事件は、イスラエル建国以来最大規模の政府に対する国民の抗議行動に発展していく。この襲撃の裏にイスラエル軍の関わりがあったとされ、シャロンの責任問題が出てくる。「パレスチナの難民キャンプをレバノン側に襲撃させたのだ」「シャロンはそれを黙認、見て見ぬふりをして対応しなかった」とシャロンに向けての批判が高まり、また国際的にも激しい非難が起きた。イスラエル政府はこの事態を重大視し、調査委員会を設置し調査を始めた。

二月、イスラエルレバノン侵攻について調査委員会は報告書を提出、「ジェマイエル暗殺直後の報復の危険を無視した」「難民虐殺はシャロンの責任」と激しく指摘した。ベギン首相は間もなくシャロンの国防相を解任したが、この事件がベギン政権に与えた後遺症は大きかった。

 

イスラエル、ベギン首相辞任、後任に同じくリクードの外相シャミル

九月、シャロンの解任から約半年後、首相のベギンも辞任し、政界を引退した。

一〇月、外相のイツハク・シャミル(一九一五~二〇一二)が後任の首相になる。シャミルはベギンの創設したリクードで一九八〇年には外務大臣に就いており、対パレスチナ政策の強硬派、中東和平には消極的である。

 

一九八

イスラエル総選挙、リクード労働党の挙国一致内閣誕生、首相にペレス

一九八四年、イスラエル総選挙が実施された。過半数を得た政党はなく、その結果リクード労働党の挙国一致内閣が誕生した。首相は任期の前半は労働党から、後半はリクードから選出するとの合意があり、前半八六年までの首相に労働党党首のシモン・ペレス(一九二三~二〇一六)が就いた。

 

一九八

(一)ヨルダンとPLO、共同和平方式の合意(アンマン合意)

レバノンを追われチュニジアにPLOの拠点を移していたアラファトは、それまでの武力闘争から次第に外交的攻勢へと解放闘争姿勢に変化を見せるようになる。ヨルダン、エジプト、サウジアラビアなどとの関係を改善強化していった。

二月、アメリカの仲介もあり、アラファトはヨルダンのフセイン国王とアンマンで和解をする。

アラファトが一九七〇年にヨルダンを追われて以来一五年、ここにきて両者の関係悪化は修復されることになった。

「ヨルダンとパレスチナ人との国家連合の樹立」、「ヨルダン・パレスチナ合同代表のメンバーはヨルダン政府とPLOとする」ものであり、共同和平方式の「アンマン合意」と呼ばれる。

アラファトは今まで一貫して「パレスチナ全土を解放する」との目標を掲げていたが、次第に現実的な解放となる「ミニ・パレスチナ国家案」に路線を変換していった。

 

一九八

一〇月、イスラエル首相は労働党のペレスからリクードのシャミルになる。一九八四年の挙国一致内閣の発足の時の合意によりリクードからの選出であり、シャミルは一九八三年に次ぐ二回目の就任である。一九九二年まで政権を担った。

 

一九八

パレスチナ、「インティファーダ」(自主的民衆一斉蜂起)発生

和平交渉が進まず、イスラエルパレスチナ対応が厳しくなればなるほど、占領下のパレスチナ人のイスラエルに対するフラストレーションは高まっていく。特にガザ地区での閉塞状態、経済不安は限界にきており、もはや暴発寸前の状態にあった。

一二月六日、ガザの市場でユダヤ人入植者がパレスチナ過激派により刺殺されるという事件が起きた。

一二月八日、イスラエル領内で働いてガザに帰ってきたパレスチナ人労働者の二台のバンに、イスラエル軍の大型トレーラーが突っ込んでパレスチナ人四人が即死、七人が重軽傷を負う事故が起きた。頑丈な軍トレーラーを運転していたイスラエル兵は無事だった。これは二日前の事件の入植者の親族による報復だとの噂が広まり、パレスチナ側でイスラエル軍に対する怒りの声が沸き上がった。

翌九日、ジャバリア難民キャンプ場近くで住民と見回りに来たイスラエル軍の予備役兵の間でもめ事が起きた衝突が起きた。イスラエル兵が投石するパレスチナ人の若者を拘束したため、その身柄を取り戻そうとする民衆と衝突が起きた。「ジハード」を叫び投石する子供を含むパレスチナ民衆にイスラエル軍が発砲、パレスチナ人の一七歳の少年が死亡した。少年の遺体が安置された病院の周りには三万人ともいわれるパレスチナ人が集まり、強引に少年の遺体を奪い取り葬儀の行進を始めた。弔いの行進は自然発生的にイスラエルの占領に対する抗議集会の波となり、民衆は手に手に石やガラス瓶、熊手などで警備に当たっていたイスラエル兵に襲いかかっていった。

一〇日以降、この事件をきっかけに鬱積していた怒りを爆発させたパレスチナ民衆が、ガザのみでなく、ヨルダン川西岸でも、イスラエル軍に投石し、占領に対する抗議運動といえる「自主的民衆一斉蜂起」となり大暴動に発展した。「インティファーダ」(アラビア語で「振り落とす」「払いのける」の意)と呼ばれる。「石の蜂起」とも。今までのパレスチナ人のイスラエルに対する積もり積もった不満が一気に噴出した行動であった。

 

アラファトチュニジアからインティファーダ支援

当初インティファーダは一般民衆の自主的な行動で、いわば自然発生的に起こり組織化されたものではなかった。しかし、パレスチナ民衆の投石抵抗は止まず、大きく頻繁に起きてくるようになるとパレスチナイスラエルに対しての大きな圧力行動となっていく。当時、PLO本部はチュニジアにあり、アラファトは直接インティファーダには関与していなかったが、インティファーダが対イスラエルへの大きな動きになってくると、アラファトはこれを好機ととらえ組織化し、うまくPLOの活動に取り入れようとした。アラファトチュニジアからパレスチナのフサイニーらインティファーダ指導者と連絡をとりながらこれを支援していった。

 

)ヤシーン師ら、イスラム抵抗運動「ハマス」を結成

アラファト主導のPLOも一枚岩ではない。その上アラファトの活動拠点はチュニジアにある。チュニジアから離れたガザではPLO主流とは別の動きが起きてきた。

一二月九日、インティファーダの勃発をうけて、ガザのアフマド・ヤシーン師の自宅に師の派幹部七人が集まりイスラム抵抗運動の一翼を担う組織として、PLOの影響力を排除した民衆レベルの組織を結成することを決めた。

一二月一四日、ヤシーン師によりムスリム同胞団パレスチナ支部を母体として「ハマス」が結成された。「ハマス」という名称は「イスラム抵抗運動」のアラビア語での頭文字から名付けたられたもので、イスラエルとの共存ではなくパレスチナ人による「パレスチナ地域全土」の奪回を目標に掲げていった。「ハマス」はPLO主流傘下に入らず、以後パレスチナの運命を左右するような動きをするようになる。

 

一九八

イスラエル特殊部隊、PLO最高幹部アブ・ジハードを暗殺

四月、イスラエルのシャミル政権はインティファーダを指導しているPLOの最高幹部アブ・ジハード排除を決定し、特殊部隊がチュニジアの自宅を襲撃し百発以上の銃弾を浴びせ暗殺した。ジハードはアラファトと共にファタハを創設した一人で、PLOのインティファーダを組織化したPLOのナンバー・ツーの指導者であった。

 

)緊急アラブ首脳会議開催、インティファーダ支援を決める

インティファーダがアラブ世界に与えた衝撃は大きかった。

六月、緊急アラブ首脳会議がアルジェで開催され、インティファーダへの全面的な支援の約束を決議した。アラファトインティファーダの組織化に力を入れていく。

 

)ヨルダン、ヨルダン川西岸の領有権放棄を表明

インティファーダの長期化は、パレスチナ人口を多く抱えたヨルダンの統治に変化をもたらす。

七月三一日、インティファーダが始まって約八カ月、インティファーダの長期化を受けて影響が自国へ波及することを懸念したヨルダンのフセイン国王は、一九五〇年以来ヨルダンが併合していたヨルダン西岸について「法的、行政的な関係を切る」との「領有権放棄」を表明した。西岸に対する主権を正式に放棄し、パレスチナ側に委ねるとした。ヨルダンが領有権放棄を決めたのは、第一次中東戦争で西岸地区を自国領として併合したが、インティファーダの混乱がパレスチナ人口を多く抱えた自国に波及することを恐れたためともされる。

アンマン合意以後PLOとの仲も良好となり、独立したパレスチナ国家を創りたいというパレスチナ人の意向を考慮したものであり、PLOにとって画期的な「パレスチナ国家」固めへの重要な足がかりとなった。

 

アラファト、従来からの強硬な国家構想方針を転換へ

アラファトの動きはインティファーダの発生とアブ・ジハードの暗殺を機に大きく「平和攻勢」に変わっていく。

更にアラファトはヨルダンの「ヨルダン川西岸の領有権放棄宣言」が出されたことを好機ととらえ、今まで「イスラエル殲滅」「パレスチナ全土解放」を目標にしてきた方針を「イスラエル生存権」を認める方向に変え、国家の範囲をパレスチナ全土の約二二%に当たる「ヨルダン川西岸とガザ地域に縮小したパレスチナ国家」の樹立構想に転換していった。

 

ハマス、「イスラム抵抗運動憲章」(ハマス憲章)を発表

アラファトの動きにハマスを始め反対派はさらに強硬姿勢を強めていった。

八月一八日、ハマスは「イスラム抵抗運動憲章」(ハマス憲章)を発表した。ハマスイスラエルに対抗する組織としての「ハマスの行動指針」としてこれを示した。「パレスチナの地はイスラムの土地であり、神からイスラム教徒に委託された土地だ」としている。歴史的パレスチナの地全体を所有権の移転を禁じる「ワクフ」(イスラムにおける寄進財産)としてとらえ、アラファトの進める動きに合わせず、全土解放を図るとすることなどを基本に独自の対抗勢力となっていく。

 

)イラン・イラク戦争終結

レーガン大統領は、イラン・イラク戦争にはソ連、イランの動きを見ながらフセインの武器要求などに柔軟に応じていった。それだけアメリカはイランの反米の動きを気にしていた。欧米から武器の供与を受けたイラクは、一九八八年八月まで約八年続くこの戦争を通して、中東第一の軍事大国になっていく。

八月二〇日、兵器強化を図り強国化したイラクの勝利の形で終結した。一九八〇年から八年間という大変長く激しい流血を伴った戦いは、双方とも無駄な戦費を費やし惨状を残して安保理決議を受け入れて終わった。

 

アラファト、「パレスチナ国家独立」を宣言(パレスチナ民族評議会)

一一月一五日、第一九回パレスチナ民族評議会(PNC)がアルジェリアの首都アルジェで開催され、(まだ実体はないが)パレスチナの「独立宣言」が採択された。アラファト議長が「パレスチナ国家」の独立宣言を読み上げた。従来からの「シオニスト国家打倒によるパレスチナの解放」政策から「ヨルダン川西岸とガザ地域で、東エルサレムを首都とするパレスチナ独立国家を建設する」と根幹方針の転換となる宣言を採択した。

宣言は「イスラエル国家承認」を明確に表現していないが、イスラエルが占領しているヨルダン川西岸(東エルサレムを含む)とガザに「パレスチナ国家」を樹立することを条件に、第三次中東戦争後の一九六七年の国連決議二四二号及び一九四七年の国連パレスチナ分割決議一八一号を認める形で「イスラエル国家の存在を受け入れた」といえる歴史的な宣言であった。

だがアラファト主導のこの「パレスチナ全土解放政策の断念」と「二国家共存」を認めようとすることを意味する宣言にPFLPのハバシュやDFLPのハワトメら強硬派は賛成できないと反発しており、その後のアラファトの統率力が注目されていく。

 

アラファト、国連総会で「パレスチナ国家」宣言へアピールと和平へ決意

アラファト、国連総会で和平への基本姿勢表明

一二月四日、国連総会はパレスチナ問題に関する国連特別総会を開き、アラファトを総会に招くことを決議した。決議に反対したのはイスラエルと「アラファトはテロに関与している」としたアメリカであり、一五四カ国が賛成した。

一二月一三日、アラファトはスイスのジュネーブで開かれた国連総会で演説し、パレスチナ民族評議会(PNC)でのパレスチナ国家宣言を基に和平への基本姿勢を表明し和平案を提案した。アラファトが初めてイスラエルの存在を認めた瞬間であった。

 

アラファトの和平への基本姿勢

一二月一四日、アラファトは記者会見で前日の演説内容をより具体的に述べた。

  • 中東紛争に関わる当事者、即ち、パレスチナ国家、イスラエルおよび他の近隣諸国が、平和と安全の中で生きる権利を承認する。
  • また、PLOはあらゆる種類のテロ行為を、完全に絶対的に放棄する。
  • そして、国連安保理決議第二四二号(第三次中東戦争後の決議)と第三三八号(第四次中東戦争後の決議)を受諾する

と述べ、和平への基本姿勢をより詳細に表明した。イスラエルとの共存をうたう和平への基本姿勢を明確にした。

 

)国際社会は「パレスチナ国家」構想に期待、アメリカはPLOと対話開始

アラファトの「イスラエル国の存在」を認めたこと、「テロ放棄をする」としたこと、「国連決議を受諾した」ことへのアピールは、欧米始め広く国際社会から和平への期待を抱かせた。

欧州共同体(EC)は「PNC決議はアラブ・イスラエル紛争の平和的解決に向けての積極的な一歩」だと好意的な生命を発表した。

アメリカはアラファトの発言を受け、PLOを交渉相手として正式に認めていくようになる。そしてこの歴史的なパレスチナ国家独立宣言からアメリカとPLOの対話が始まった。パレスチナ国家の独立宣言は約一〇〇カ国が承認した。

 

一〇イスラエル、「パレスチナ国家」構想に反発

パレスチナ国家構想」に期待が高まる中、イスラエルは反発する。イスラエルのシャミル政権はアラファトの「パレスチナ国家」構想に積極的に応えようとはしなかった。「この構想はPLO全体を代表したものではない」「PLOは今まで長い間テロを続けてきた。テロを放棄するというが信用できない」とアラファトの基本姿勢と構想を無視した。

 

一九八

アメリカ大統領、レーガンからジョージ・H・ブッシュに

一月、アメリカ大統領は、レーガンからジョージ・H・ブッシュ(一九二四~)になる。

 

ソ連軍、アフガニスタンから撤退完了

二月、ソ連軍は介入から一〇年の泥沼を出て、アフガニスタンから撤退を完了した。ソ連は多くの軍将兵を失ったばかりではなく、ソ連自体も疲弊しソ連崩壊へと続いていく。

 

イスラエルハマスのヤシーン師を逮捕、ハマス一段と先鋭化

五月、ハマス指導者ヤシーン師は、ハマスによるイスラエル兵の誘拐殺人事件や武器購入画策疑惑などの理由でイスラエル側に逮捕され、終身刑判決で刑務所に入れられた。

六月、イスラエルハマスをテロ組織と認定し非合法化した。ハマスは対イスラエル姿勢を硬化し、一段と先鋭化していく。

 

)エジプト、アラブ連盟に復帰

アラブ連盟から除外されていたエジプトは、一〇年ぶりに連盟に復帰、連盟本部もチュニスからカイロに戻った。

 

)イラン、ホメイニ師死去、後継はハメネイ

六月、イラン革命の父ホメイニ師が死去し八月にハメネイ師が後を継いだ。大統領にラフサンジャニ師が就いた。

 

レバノン内戦、「タイフ合意」で一応の終結

一九七五年から続いていたレバノンの混乱は、一〇年以上経ってシリアがレバノンを事実上支配する形で終わりが見えてきた。

一〇月、レバノン内戦の終結サウジアラビアの仲介により、サウジアラビアのタイフで各派代表による会合が行われ、シリア軍の撤退の件などを決めた「タイフ合意(レバノン国民和解憲章)」が採択され、一九七五年から続いた内戦は一応の決着を見た。(しかし、その後もシリア軍は駐留を続け完全撤退はなかった。レバノン南部ではシーア派ヒズボラが対イスラエル抵抗運動を継続し、レバノンの混乱は止むことはなかった。)

 

ベルリンの壁崩壊と米・ソ冷戦終結

一一月、ベルリンの壁が崩壊した。

一二月、アメリカのブッシュ大統領ソ連ゴルバチョフ書記長によるマルタ会談で米・ソ冷戦が終結した。

 

第一六章 一九九〇年代の中東情勢

一九九〇年(平成二年)から一九九九年(平成一一年)までの主な中東情勢について年を追って見ていく。

 

一九九〇年

(一)イラク軍クエートに侵攻、湾岸危機の勃発

イラン・イラク戦争は一九八八年八月に終結したが、戦争の結果イラクにプラスは少なく借金は拡大、戦後の経済政策など国民の生活への不満が高まり、フセイン大統領は新しい対応に迫られてきた。

そこでフセインはクエートを標的にした。クエートはイラクにとってアラビア海に出る好位置にあり、イラクは以前から石油産出問題などを含めクエートの動きに強く関心を持っていた。遡ればイラクとクエートはオスマン帝国の時代には一つであったがイギリスが支配した後、イラクとクエートに分割した経緯がある。

八月二日、フセインは「クエートは歴史的にもイラクの一部だった」「最近のクエートの石油生産政策は許せない」とばかりに大軍をクエートに侵攻させた。アメリカはこの侵攻に対し、先のイラン・イラク戦争の時のようにフセインの行動を大目に見ることはなかった。米ソ冷戦は前年に終結しており、もうイラクを援助するメリットはなく、クエートの石油がイラク支配となった場合など世界的に大きな影響が出ると懸念したブッシュ大統領イラクをクエートから追い出すことを考えた。アメリカのイラク攻撃計画にサウジアラビア、エジプト、シリアなどは賛同した。

 

イラク、クエートの併合を発表

八月八日、イラクはクエートをイラク第一九番目の州として併合すると発表した。

 

安保理イラク軍の即時無条件撤退を決議、フセインは拒否

国連安保理、クエートからのイラク排除を決議

八月八日、国連安保理イラクのクエート併合に直ちに反応し、イラク軍が無条件でクエートから撤退することを求め、翌九一年一月一五日までにクエートから撤退しない場合には「武力行使を含む必要なあらゆる手段」をとることを認める決議を採択した。イラク軍追い出しに他国軍隊の攻撃を認めるとした決議である。

また、八月一〇日にアラブ連盟も緊急首脳会議を開き、イラクのクエート併合を無効とする決議をした。しかし、PLOは反対した。

 

フセイン安保理決議を拒否、強硬姿勢を示す

フセイン大統領は国連安保理イラク軍の即時無条件撤退決議を拒否する。「イラクが侵略者だと非難されるなら、イスラエルも侵略者だ。そのイスラエルは国連の撤退決議に反してパレスチナを二〇年以上占領し続けているではないか。国連やアメリカはそのようなイスラエルに制裁を加えず、我々だけを非難するなどとは全く逆だ。我々にクエートから出て行けというのであれば出て行ってもいいが、その前にイスラエルパレスチナの占領地から撤退せよ」と、いわゆる「リンケージ論」を展開し、イスラエルの問題を持ち出すことでクエートに攻め込んだ自分の正当性を主張した。このフセインの発言にパレスチナの人々は「よく言ってくれた」とフセインを持ち上げた。

 

アラファトフセイン支持を宣言、アラブ諸国アラファト不支持へ

アラファトフセインのリンケージ論やパレスチナ人の間でのイラク人気を後押しし、フセインのクエート侵攻など一連の行為を支持すると宣言した。ところがこの決断は大きな代償をもたらすことになる。

アラファトフセイン支持に激怒した湾岸諸国は猛烈に反発し、PLO支援から離れていく。アラファトは湾岸諸国から疎外され窮地に陥っていく。PLOの活動資金の大半はクエートとサウジアラビアから出ている。アラファトがそのクエートを占領したイラクを支持するとしたことに怒りが収まらない。PLOへの資金送金は停止するようになる。また、これら諸国に在住するパレスチナ人も国外に追われ始め、これによりPLOは資金面で困窮するようになっていく。

 

(五)多国籍軍イラク攻撃態勢をとる

クエートから軍を引かないイラク攻撃に、アメリカ軍を中核に二八ヵ国、六〇万人超の多国籍軍が編成されイラク国境付近に集結した。

 

一九九一年

(一)湾岸戦争

多国籍軍バグダッド空爆湾岸戦争勃発

一月一五日、国連が求めたイラク軍のクエートからの撤退の日であるが、イラク軍は撤退の動きを見せない。

一月一七日、多国籍軍イラク軍へ総攻撃をかける。イラクの首都バグダッド空爆、「湾岸危機」は「湾岸戦争」に発展した。なおこの際、サウジアラビア多国籍軍に駐留地を提供し、オサマ・ビン・ラディンがこれを非難したことが後に彼が起こしていく大きな事件の発端になったといわれる。

 

イラクイスラエルを襲撃、しかしイスラエルは「報復」反撃を自重

多くのアラブ諸国フセインのクエート侵攻と撤退拒否姿勢に批判的である。フセインアラブ諸国の批判をかわし、自分の方に向かせたかった。

戦争が始まるとイラクイスラエルを戦争に引き入れようと参戦していないイスラエルのテルアビブやハイファなどにミサイルを何度も撃ち込み死傷者をだす行動にでた。

しかし、イスラエルはあえて反撃をしなかった。この攻撃にイスラエルが怒り反撃しイラクを攻撃すれば、直ちに「アラブ対イスラエルの戦争」になり、アラブ諸国フセイン側に立って戦うことになる。アメリカはこのようになることを一番恐れ、イスラエルが反撃することやめさせた。イスラエルはこの説得を受け入れて反撃をしなかった。フセインの狙ったアラブ諸国の反イラク批判をかわそうとする作戦は失敗した。

 

多国籍軍、地上戦を開始、イラク領内に侵攻

二月二四日、多国籍軍は地上戦を敢行しイラク領内に侵攻し猛爆を加えた。士気は上がらず装備の古いイラク軍はハイテク装備の多国籍軍の敵ではなかった。

 

クエート解放、湾岸戦争終結

二月二八日、多国籍軍はクエートを奪還した。ブッシュ大統領はクエート解放を宣言し停戦を発表した。

三月三日、イラク安保理決議を受け入れ、事実上の降伏の形で戦争終結となる。

 

(二)アメリカ仲介、マドリードで「中東和平国際会議」開催

アメリカ、中東和平会議へ動く

三月六日、湾岸戦争終結すると、アメリカは中東和平の好機とみて動き出した。ブッシュ大統領の主導によりベーカー国務長官は積極的に仲介に乗り出し、イスラエルパレスチナの直接対話の可能性を探りイスラエルアラブ諸国が参加する中東和平国際会議の開催を目指した。

イラク支援で失速したPLOは、アメリカの動きに「渡りに船」と乗り気になり、会議開催に期待を寄せた。

 

イスラエル、会議にPLOがパレスチナの代表として参加することに反対、アメリカは参加メンバーを再調整

イスラエルのシャミル首相は会議への参加に注文をつけ、パレスチナ代表団側にアラファトやPLOが参加する会議には出席しないと主張した。またシリアも、会議は米、ソ共同開催ではなく国連とすべきだと主張した。

アメリカは会議への参加メンバーを再調整することにした。ベーカー国務長官は会議に消極的な国々にも粘り強く交渉し、根気よく会議の開催方法など調整を続けようやく会議の開催に漕ぎつけた。

会議のパレスチナ代表団は、PLOもアラファトも加わることのないパレスチナとヨルダンの合同代表という形で参加することでまとまった。会議の参加は、イスラエル代表団、パレスチナとヨルダンの合同代表団、シリア、レバノン、エジプトで開催すると決まった。

 

マドリードで中東和平国際会議の開催

一〇月三〇日、中東和平国際会議はホスト国スペインのマドリードで開催され、一九四八年のイスラエル建国以来、初めてイスラエルパレスチナの敵対同士が同席する歴史的会議となった。「マドリード中東和平会議」と呼ばれる。

会議は「イスラエルが占領地から撤退すれば、アラブ諸国イスラエル生存権を認め、テロ行為を止め、和平を結ぶ」という国交樹立、中東包括和平が出来るかが焦点である。言わば「土地と和平の交換」が実現するかにあった。

初日はホスト国スペインのゴンザレス首相の挨拶と会議の共同開催国アメリカのブッシュ大統領ソ連ゴルバチョフ書記長の演説があり、二日目からイスラエルとアラブ代表団の演説が行われた。

イスラエル代表団側は、シャミル首相自らが演説した。当時住宅建設相のシャロンの後押しもありシャミル首相は「我々はエルサレムを首都とする唯一の民族である」、「この聖なる土地は、神の与えたイスラエルだけのものだ」などと主張し、頑ななまでに妥協を拒絶する強硬姿勢であった。

パレスチナ代表団は、ガザの医師であるシャフィー代表が演説した。代表団は常にチュニジアアラファトと連絡を取っている。シャフィーは「希望を共有しよう。そして一緒に約束の地に住もうではないか。そのため対等のパートナーになることが必要だ。そのためにも入植活動と土地収用は停止すべきだ」と主張し共感を呼んだ。

 

和平会議の終了

三日間に及んだマドリードでの会議はシャミルの強硬論とシャフィーの和平論は噛み合わず、双方が主張を述べ合う場で終わり、交渉は停滞したままで目的は達成できなかった。

その後イスラエルと周辺国との交渉は引き続きワシントンで行われたが進展はなかった。しかし、パレスチナにとっては大きな前進となる会議でもあった。アメリカのリードにより、今まで以上にイスラエルの占領地問題が俎上に上り、敵対同士が同じテーブルに着いたということは、その後の和平プロセスへの突破口となり「一歩前進」であった。

 

(三)PLOへの国際的支持、湾岸戦争終結頃から下降気味になる

湾岸戦争終結後、PLOに対する各国の対応は極端に冷淡になった。アラファトフセイン支持に激怒した湾岸諸国はPLOの支持者ではなくなった。今まで続けられていたPLOへの資金援助は打ち切りとなり、PLOの主要な財源を占めていたクエートなどへの出稼ぎ労働者らからの「税収」も彼らが国外に退去させられるなどして激減。「村八分」的にされたPLOの財政的基盤は揺るぎ始めた。また、クエートはPLOの事務所も閉鎖した。

PLOは国際社会の支持を失い孤立していく、経済的にも困窮し、アラファトの権威も落ち目になっていった。このようなPLOの政治的にも財政的にも危機といえる状況にあっては、アラファトには一九八八年の「パレスチナ国家宣言」の時のような勢いは無かった。またPLOにも強気で対イスラエル闘争を続ける気概はもう残されていなかった。

 

(四)ソ連崩壊、エリツィンロシア連邦の初代大統領に

一二月二五日、ソ連は崩壊した。ゴルバチョフ書記長が辞任し、エリツィンロシア連邦の初代大統領となる。

 

一九九二年

(一)イスラエル総選挙で労働党勝利、第次ラビン政権発足

六月、イスラエル総選挙で労働党はシャミル首相主導のリクードに勝利した。

七月一三日、労働党の党首イツハク・ラビンは二五年ぶりに二回目の首相に就いた。ペレスを外務大臣、若手有力議員ペイリンを外務副大臣に起用する。ラビン内閣は和平推進派である。和平に消極的なリクード政権と違い和平推進に前向きなラビン政権がどのような動きに出てくるか期待された。

(二)イスラエル総選挙で敗れたリクード、党首にネタニヤフを選出

シャミルを党首とするリクードは総選挙で敗れた。シャミルは退きリクードは党首選を行った。四〇歳を少し過ぎたばかりの新鋭のベンヤミン・ネタニヤフが先輩ベギンらに勝ち三代目の党首となる。ネタニヤフは、シャミルと同様に和平推進には消極的である。

和平推進派の労働党のラビンと消極派のリクードのネタニヤフが共に足場を固めたことにより、今後のパレスチナ問題をめぐる双方の駆け引きが注目されることになる。

 

一九九三年

(一)アメリカ大統領、共和党のブッシュから民主党クリントン

一月二〇日、第四二代アメリカ大統領に共和党のブッシュに勝利した民主党ビル・クリントン(一九四六~)就任した。

 

(二)ニューヨーク世界貿易センタービル爆破事件

二月二六日、ニューヨーク世界貿易センタービルが爆破される事件が起き、大統領就任直後のクリントンは、テロの脅威にショックを受ける。クリントンはこの事件により、より中東問題の解決の重要性を認識させられることとなる。

 

(三)イスラエルとPLO、ノルウェーオスロで和平推進の秘密交渉

ノルウェーオスロで和平推進について秘密交渉合意

イスラエルのラビン労働党政権は和平推進には理解を示す。「PLOとの交渉なしにはパレスチナ問題の解決なし」との考えを強くし、前年からノルウェーホルスト外相の仲介を受け、非公式にPLOと接触し始めていた。マドリードでの和平工作がPLOを外し、しかも衆人環視の下で行われたため失敗したとの反省から極秘のうちにペレス外相を軸にイスラエルパレスチナ双方の関係者が、エルサレムノルウェーオスロなどで何回も協議を重ねた。実際には、前年からひそかに関係者らがエルサレムなどで会合を重ねていたのである。

五月、秘密交渉はイスラエル政府とPLOの代表による協議へと格上げされて引き続き協議は続き、七月の交渉では途中決裂の危機もあったが双方は粘り強く協議を重ねた。八月には、ペレス外相がオスロを訪問し、関係者とさらに詰めながら、アラファトとも電話協議する。その上、ペレス、アッバスホルストら交渉責任者らが詳細に協議した。

八月一八日、遂に「イスラエル、PLO相互承認」の合意に漕ぎつけた。アラファトは安堵と幸福感で声をあげて泣いたという。

八月二〇日、代表団は「パレスチナ暫定自治に関する諸原則合意」の和平案に署名した。「パレスチナ暫定自治に関する諸原則合意」である。

 

オスロ秘密交渉の合意承認

九月三日、交渉結果についてPLO執行委員会で協議した。アラファトは合意内容が「欠点がないもの」とは認識していなかった。合意を受け入れるよう説明する際にも十分気を使った。合意に反対、批判があることは承知で熱心に説明した。反対者も多かったが投票の結果、賛成票が反対票をわずかに上回った。アラファトは安堵した。賛成多数で承認された。この承認を得て、後日の「調停」を待つことになった。

九月九日、ノルウェーホルスト外相が二通の手紙を持ってエルサレムチュニスを往復する。一通は、アラファトからイスラエルのラビン首相宛である。「PLOはイスラエル生存権を認める。安保理決議二四二号と三三八号を受け入れる。テロを始め暴力行為をやめる。パレスチナ民族憲章にあるイスラエル生存権を否定した条項は訂正する」などとした。もう一通は、ラビン首相からアラファト宛である。「イスラエル政府は、PLOをパレスチナの代表として正式に認める」とした。「オスロ秘密交渉」の合意である。

 

(四)イスラエルとPLO、「パレスチナ暫定自治協定」(オスロ合意)調印

クリントン大統領、仲介へ動く

ノルウェーでのイスラエル、PLO双方の歩み寄りにより、長年にわたり希求してきた和平への進展に明るさが見えてきた。正式調印には当事者同士が承認し合っていなければならない。アメリカはこの交渉に直接関わって来なかったが、クリントン大統領は就任一年も経たないうちに、イスラエルパレスチナの関係がこのように好転してきたことを幸運とみて直ちに仲介へ動いた。

 

パレスチナ暫定自治協定」の共同宣言(オスロ合意)調印

九月一三日、ラビンとアラファト両者はワシントンのホワイトハウスにおいてクリントン大統領、ブッシュ前大統領、カーター元大統領、キッシンジャー国務長官らをはじめ約三〇〇〇人の招待客を前に「パレスチナ暫定自治協定」の共同宣言に調印した。ここに至るまでのノルウェーの役割、中でもホルスト外相の貢献は大きい。ノルウェーの首都オスロでの事前交渉の合意を踏まえての宣言であるので「オスロ合意」または「オスロ宣言」と呼ばれる。

 

オスロ合意の要点

合意の要点は、五年間のパレスチナ暫定自治を行い、その三年目までにエルサレムの帰属、パレスチナ難民、入植地や国境などの問題を含むパレスチナ最終地位交渉を開始し、暫定自治が終る五年後に最終的地位協定を発効させるとするものである。

主な合意事項は以下のようである。

一、イスラエルを国家として、PLOをパレスチナ自治政府として相互に承認する

一、イスラエルが占領しているヨルダン川西岸地区ガザ地区からイスラエル軍は順次撤退し、撤退完了後、両地区で五年間のパレスチナ人による暫定自治が実施される

一、パレスチナ自治政府の大統領及び立法議会の選挙を行う

一、安保理決議二四二号と三三八号に基づき最終的地位交渉を行う

一、暫定自治開始後、三年以内にエルサレムの帰属、パレスチナ難民、入植地や国境などの問題を含むパレスチナ最終地位交渉を開始する

一、暫定自治開始後、五年以内にそれぞれが確定して、暫定自治が完了する

 

オスロ合意調印後のスピーチ

オスロ合意調印後、ラビン首相らはスピーチで次のように述べた。

ラビン首相は、「血も涙も十分に流しました。もう十分です。私たちは、あなたたちにいささかの憎しみも抱いていません。共に綴ってきた悲しみの書物に、新しい章を一緒に開こうではありませんか」。

アラファト議長は、「ここまで到達するには、大変な勇気が必要でした。平和を確立して共存関係を維持していくにはさらに大きな決意が必要となるでしょう」。

クリントン大統領は閉会の辞で次のように述べた。「アブラハムの子供たち、イサク(ユダヤ人)とイシュマエル(アラブ人)は、今、手を取り合って勇敢な旅を始めました。今日、私たちは心を一つにして呼びかけます。シャローム、サラーム、そしてピース(それぞれ、ヘブライ語アラビア語、英語の平和の意)と」。

 

オスロ合意」の意義

オスロ合意が調印までできたのは、マドリード中東和平会議、オスロ秘密交渉を基礎に積み重ねてきた努力の成果でもあり、中東和平の方向を示したものとして重要であるばかりでなく、中東問題に直接利害関係のない世界の国々も、この歴史的な協調関係の樹立に大きな拍手を送った。

ラビン首相とアラファト議長は、和平合意調印後に両手を広げたクリントン大統領の前で、歴史的な握手を交わした。両者の握手の瞬間の姿は新しい和平の到来を現した。世界の人々は「これで平和が来る」とその後の進展に大きな期待をし、イスラエルパレスチナの動きに注目していった。和平合意の意義は大きい。

 

オスロ合意」に積み残しの問題点

オスロ合意の意義は大きい。だが、積み残した問題点は多い。

一、パレスチナ人の自治は「暫定」である。自治期間の終了後にどのような体制となるかの定めはない。従って、和平がその後どのように展開するか不安定のままである。PLOは一九八八年にパレスチナ国家の独立を宣言しているが、イスラエルオスロ合意でこれを承認したとしていない。

二、合意はパレスチナ人の暫定自治に関する交渉を優先し、境界線やパレスチナ難民の処遇、エルサレムの帰属などパレスチナ人の最終的な地位に係る諸問題の交渉(最終的地位交渉)を先送りしている。

三、合意はパレスチナ人の総意を事前に取り付けることなく開始されたイスラエルとの直接かつ秘密の交渉によって生み出されている。

(このようなオスロ合意の「積み残した問題」は、今に続くパレスチナ問題の中心事項として現実に残って行き、オスロ合意の副作用として合意に構造的な無理があったとも指摘される)

 

一九九四年

オスロ合意に反対の勢力、イスラエルパレスチナ双方に

イスラエルパレスチナは「和平への歴史的な合意」ができた。しかしこれを快く思わない勢力がイスラエル側にもパレスチナ側にもいる。また、それぞれの側の内部における対立の動きも目に見えるようになってくる。事件も起きてきた。

二月二五日、ヘブロンのモスクでパレスチ人約八〇〇人が集まって祈りを捧げていたその背後からユダヤ人の入植者の男が銃を乱射し、二九人が射殺され一〇〇人以上が負傷する事件が起きた(ヘブロン乱射事件)。男はその場で殴り殺されたがユダヤ教過激派「カハ」の幹部で医者だった。半年前の「オスロ合意」破壊が目的だったという。

四月六日、イスラエル北部アフラのバス停でバスの自爆テロ事件が起き、多くの死傷者がでた。ハマスが犯行声明を出した。その一週間後の四月一四日、アフラに近いハデラの中央バスターミナルでもハマスによるバス自爆テロがあり、またも多くの死傷者がでた。

 

)「ガザ・エリコ先行自治協定」(カイロ協定)調印

オスロ合意から八カ月後、いよいよ具体的にパレスチナ自治が動き出した。当初自治はガザが先行自治の対象とされていたが、そこにヨルダンとの交通の要所にあるのエリコが加わることになった。

五月四日、イスラエルパレスチナの代表者ラビンとアラファトはエジプトカイロで再会し、「ガザ・エリコ先行自治協定」に調印した。「カイロ協定」と呼ばれる。カイロの国際会議場には各国の代表約二五〇〇人が詰めかけた。先のオスロ合意での合意内容に従い、ガザとヨルダン川西岸のエリコからのイスラエル軍撤退に始まる暫定自治を先行させようとする実務的な「ガザ・エリコ先行自治協定」の調印となった。

主な協定事項は

一、イスラエル軍は三週間以内にガザ、エリコ地域から撤兵する

一、パレスチナ警察を配備する。入植地と対外的治安はイスラエルが管轄する

一、イスラエル軍政当局の権限をパレスチナ自治行政府に移譲する

一、自治行政府は協定の範囲内で立法権を持つ。徴税や独自の貿易を実施する

などである。

 

)「パレスチナ暫定自治政府(PA)」の設立、暫定自治開始

五月四日のガザ・エリコ先行自治協定調印とともに「パレスチナ暫定自治政府(PA)」が設立された。パレスチナは一九九九年まで五年間、パレスチナ人自身による統治下へ移行する。パレスチナにとって画期的な自治の始まりとなった。ガザとエリコカらイスラエル軍が撤退を開始し、ガザ・エリコに先行自治が始まり和平へのステップが始められた。ここまでくるのには長い苦労の連続であった。第一次世界大戦後からイスラエル建国までのイギリスによる委任統治(一九二二年~四八年)の期間、そしてイスラエルの建国、第一次、二次中東戦争の時代(ヨルダン統治一九四八年~六七年)、さらに第三次中東戦争によるイスラエルの占領下(一九六七~ )の苦難の時代を経てきた。

 

アラファトチュニジアからガザへ帰還

七月一日、アラファトチュニジアから一一年ぶりにガザに帰ってきた。広場に集まった七万人のパレスチナ人の大歓迎を受けたアラファトは、「パレスチナの地」にキスをし「パレスチナ国家」の樹立、エルサレム回復を約束する。今やアラファトは、パレスチナ解放闘争のリーダーから「パレスチナ国家樹立」の指導者となった。

 

イスラエルとヨルダン、和平条約締結

イスラエルアラブ諸国の中で和平条約を結んでいるのはエジプト一国のみであるが、ヨルダンとも和平の協議が進められていた。長年の戦争状態の解消を目指した。

一〇月二六日、イスラエルのラビン首相とヨルダンのフセイン国王はクリントン大統領の仲介で両国の「和平条約」を締結した。イスラエルにとっては一九七九年のエジプトとの和平条約締結以来一五年ぶりで、アラブ諸国での二カ国目となる締結であった。これによりヨルダンは、一九六七年の第三次中東戦争イスラエルにより占領されていた東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区の領有権を放棄した。以後「ヨルダン川西岸地区」は、統治問題、中でもエルサレムをめぐる論争など中東紛争の焦点地域となっていく。

 

)ラビン首相、ペレス外相、アラファト議長ノーベル平和賞

一二月、イスラエルのラビン首相とペレス外相、それにPLOのアラファト議長の三名に対し、中東和平交渉での貢献によりノーベル平和賞が授与された。

 

一九九五年

(一)ハマスなどパレスチナ過激グループ、イスラエルへの反抗テロ続く

ハマスなどのパレスチナ過激グループによる自爆テロ事件は後を絶たない。

一月、「イスラム聖戦」と名乗るハマスとは別のイスラム原理主義集団が自爆テロ事件を起こした。またハマスが七月にテルアビブ郊外で、八月には東エルサレムで連続してバス爆破テロを起こすなどパレスチナ過激グループのイスラエルへの反抗は続いた。自爆テロ事件の裏にはハマスの軍事部門カッサム旅団のアヤシュという爆弾製造にたけた男がいたという。

 

パレスチナ暫定自治拡大協定(オスロ合意)調印

オスロ合意による自治区領域の拡大交渉が進められていった。

九月二八日、ラビン首相とアラファト議長は二年前のオスロ合意と同じようにワシントンでクリントン大統領主催のもと「暫定自治拡大協定」に調印した。前年の「ガザ・エリコ先行自治協定(カイロ協定)」に続いて、その領域よりもさらに拡大した範囲で自治を行う協定であり、先のオスロ合意の宣言を「オスロ・ワン」というのに因んで二つ目の協定「オスロ合意Ⅱ(オスロ・ツー)」と呼ばれる。

ヨルダン川西岸の主要六都市(ジェニン、ナプルス、トルカルム、カルキリヤ、ラマラ、ベツレヘム)及び人口密集地からの撤退、一九五六年五月の最終的地位交渉の開始に合意した。

同時にヨルダン川西岸を安全保障の面から、「誰」が、どの「権限」を有するか、を基準に三地区に区分けをした。

A地区は、自治政府が治安及び民政に関し責任を負う地区(完全自治区)

B地区は、自治政府が民政に関して責任を負うが、治安はイスラエル軍の管轄する地区(半自治区)

C地域は、イスラエル軍が治安、民政共に責任を負う地区(イスラエル軍地区)

である。

いよいよこれでイスラエルパレスチナ全支配は終わり、順次パレスチナの暫定自治政がPLOを基盤にアラファトを元首(大統領)とした組織で自治を進めていくことになる。オスロ合意に基づきイスラエル軍は撤退を始め、暫定自治は始まった。

しかし、パレスチナの現状は政治的にも経済的にも未熟で、特にガザでは若者を中心に過激な考えを持つ者も多く、反自治政府、反アラファト運動も水面下で拡大していく。一九八七年にヤシーン師により結成された「ハマス」も本格的な闘争活動を始めており、また「イスラム聖戦」と名乗るイスラム原理主義集団も活動を繰り返している状況に、アラファトの進める暫定自治も安泰ではなかった。

 

(三)イスラエル軍ヨルダン川西岸からの撤退

イスラエル軍は、撤退合意に基づき一九九五年一〇月にヨルダン川西岸から撤退を始め、一一月半ばには主要都市ジェニンからの撤退を終え自治政府が治安権限を持つ最初の都市が誕生した。二月にはイスラエル軍の大半はヨルダン川西岸の主要都市から撤退した。

 

)ラビン首相の和平推進政策、イスラエル国内で批判も

ラビン首相の進める一連の和平政策に多くのイスラエルの人々も大きな拍手を送った。しかしイスラエル国内ではこの動きに反対する根強い勢力もある。右派野党リクード党首のネタニヤフ、軍出身の有力議員右派シャロン、入植政策に力を入れる国家宗教党など反オスロ合意、反和平の右派勢力はパレスチナからの軍撤退、パレスチナ自治の拡大などに反対し、ラビンの和平推進政策を批判していった。

 

イスラエルのラビン首相、暗殺される

一一月四日、ラビン首相が暗殺された。「オスロ・ツー」の合意からわずか二カ月後のことであった。

イスラエルの和平推進派を中心に、テルアビブの市庁舎前で平和記念集会が開かれ、ラビン首相、ペレス外相らも参加していた時である。ラビン首相は演説をした。「今こそ平和を実現する機会である。暴力は非難され排除されなければならない。和平への道は様々な困難や痛みを伴う道だ。イスラエルの前に痛みを伴わない道はない。しかし、戦争より平和の道を望むのだ。私たちの子供のために、そして私たちの孫たちのために、この政府が包括的な和平の推進と達成のためにあらゆる可能性を探り尽くすように願ってやまない。今夜の集会は、世界中のユダヤ人社会、アラブ世界、そして全世界へ向け、我々が平和を望んでいることを伝えてくれるに違いない」と強調し、イスラエルパレスチナ人と共存を望んでいるとの姿勢を熱く示した。

この演説に、参加者は多くの共感と和平への願いを強くし、拍手を惜しまなかった。そして参加者全員で「平和の歌」を大合唱した。

和平希求への余韻のなか、ラビンが車に向かおうとした時、非情な弾丸がラビンを襲った。弾丸は、極右カハネ師の考えに影響を受けた一人の熱狂的なユダヤ人の青年イガール・アミールが至近距離から発射したものだった。ラビンは直ちに病院に搬送されたが蘇生しなかった。ユダヤ人が同じユダヤ同胞の首相を殺害した事件であった。首相殺害犯人の論理は、和平締結によって、「神から与えられたイスラエルの地」を「異教徒パレスチナ人に返還するなどとはユダヤ教への背信行為だ」とするものであった。

世界中が寝耳に水の大事件に大きなショックを受けた。オスロ合意後の歴史的情勢進展にラビンの手腕を大いに期待していただけにアラファトクリントンは突然の悲劇に肩を落とした。

一一月六日、ラビン首相の国葬が行われ、クリントン大統領はじめ約五〇〇〇人が参列した。暗殺現場の市庁舎前の広場にはラビンの死を悼むために約五〇万人の市民が詣でたという。アラファトは治安上の理由で欠席、三日後にラビン邸を密かに訪問し未亡人に弔意を伝えた。市庁舎前広場は現在ラビン広場と呼ばれている。

ラビンの死により「オスロ合意」の和平への道はストップしたともいわれ、その後の中東和平の進展に大きな影響を及ぼすことになる。

 

)暗殺されたラビン首相の後継に、ペレス外相

一一月、ラビン首相の後継にペレス外相が二度目の首相に就き、前首相の意思を継いでパレスチナとの和平を推進することになった。ラビン政策の継承が順調に進むか注目された。

 

一九九六年

(一)パレスチナ暫定自治政府第一回総選挙、アラファト初代大統領(議長)に

一月二〇日、パレスチナ暫定自治政府の第一回総選挙が実施された。

パレスチナ立法評議会(PLC)選挙ではファタハが八八議席中五〇議席を獲得し勝利した。同時に自治政府の大統領(議長)選挙も実施され、アラファト対立候補として唯一人出馬した女性のサミハ・ハリルに圧勝し当選した。事実上のアラファトの信任投票であった。アラファトはPLO議長と初代のパレスチナ自治政府の議長(大統領)の二つの顔を持つこととなった。PLOの組織化も充実させ事務局長にマフムード・アッバスを起用し、これまで対イスラエルテロ活動を繰り広げてきたPLOの軍事組織を「パレスチナ自治政府の警察」として再生させた。

自治政府の基盤が固まり始めていく一方、和平反対の過激派のテロ発生は続いていく。イスラエルとの闘争も予断を許さない状況が続き、アラファト議長指導力がさらに重要になってくる。

 

イスラエル初の首長公選、リクードのネタニヤフが現職ペレスに勝利

五月二九日、イスラエルでは首長公選と国会議員選挙が行われた。

首長公選はイスラエル初である。ペレスは現職である。強い首相を見せつけるために「テロ対策を強化した平和と共に、強力な国家体制」を主張した.リクードのネタニヤフは「無差別テロから治安回復」を旗印に、テロを封じた「国家の安全が保障された和平」を真っ向から主張する発言を続けた。結果は得票率一%未満の僅差でネタニヤフが勝った。「和平主張」のペレス有利かと見られていたが最終的にネタニヤフの「安全保障主張」の強硬姿勢が効き逆転の結果となった。

 

イスラエル、ネタニヤフ政権発足、対パレスチナへの強硬姿勢

六月一八日、首長公選で勝ったリクード党首ベンヤミン・ネタニヤフ(一九四九~ )が首相に就く。イスラエル史上最年少の四六歳であった。テルアビブ生まれで父の関係もありアメリカで育ちマサチューセッツ工科大学を卒業、イスラエル軍での経験を経て、八四年に国連大使、八八年に国会議員に転身し九一年まで外務次官を務めていた。そして四年前のリクード党首選で党首に選ばれていた。アメリカのネオコンイスラエル・ロビーと関係が深い。

七月一日、クード強硬派のシャロンが国家基盤相として入閣する。

ネタニヤフ政権の対パレスチナ姿勢は強硬であった。「ヨルダン川西岸の都市からのイスラエル軍の撤退を中断させる」、「ヨルダン川西岸の入植地を拡大する」、「エルサレムイスラエルの永遠の首都、二度と分割をさせない」、「ゴラン高原はシリアに返還しない」、「パレスチナ国家樹立に反対する」などとオスロ合意の内容を反古にする政策を次々と打ち出していった。ヨルダン川西岸やガザへのユダヤ人の入植も推奨し始めた。

このようなネタニヤフの政策にオスロ合意を仲介したクリントンは不快感を持った。

 

イスラエル労働党、党首にバラクを選出

イスラエル労働党は、党首のペレスが首長選でネタニヤフに敗れたため、後任党首を選出した。ラビン政権下から内務大臣、外務大臣を務めていたバラクをネタニヤフに対抗できる適任者とした。一九七二年の航空機乗っ取り事件での特殊部隊突入による乗客救出で名を挙げていた。

 

クリントン大統領、イスラエル軍ヘブロン撤退へ緊急首脳会議開催

クリントン大統領は、和平進展へ向けてイスラエル軍ヘブロンからの撤退を急いだ。

一〇月一日、クリントン大統領は、イスラエルのネタニヤフ新首相、PLOのアラファト議長、ヨルダンのフセイン国王をワシントンへ緊急に招き、パレスチナ自治拡大協定で残っていたヘブロンからのイスラエル軍の撤退について協議を促した。ネタニヤフは支持基盤である右派の顔色を窺いながらクリントンには大きな反対もできず、パレスチナ側に一定の譲歩をせざるを得なくなる。会議は実務交渉の開催が決まった。

 

一九九七年

(一)ネタニヤフとアラファトイスラエル軍ヘブロンからの撤退合意

一月一五日、ネタニヤフとアラファトは、イスラエル軍の撤退計画で残っていたヘブロンからの撤退について協議し、一部の地域を除き「イスラエル軍ヘブロンから撤退、段階的な権限移譲」が合意された。「ヘブロン合意」である。イスラエル軍の撤退によりパレスチナ側はまた一歩前進した。

 

(二)イラン大統領、ラフサンジャニ師からハタミ師に

八月、イランのラフサンジャニ大統領の任期満了に伴う選挙により、イスラム指導相を務めていたモハド・ハタミ師が当選した。

 

(三)イスラエルハマス最高幹部メシャルの暗殺失敗

九月二五日、ヨルダンの首都アンマンで、シリア在住のハマス最高幹部ハレド・メシャルがイスラエルの特務機関モサド工作員三人に襲われた。ヨルダン当局は三人のうちの二人を逮捕、イスラエルによるメシャル暗殺は失敗した。

 

)メシャル暗殺失敗のイスラエル、逮捕獄中のハマスのヤシーン師を釈放

自国内での事件にヨルダンのフセイン国王は激怒、イスラエルのネタニヤフ首相に「工作員を絞首刑にする。釈放の条件はイスラエル終身刑で服役中のヤシーン師の釈放だ」と迫った。

一〇月一日、イスラエルは一九八九年に逮捕し、八年間獄中にいたヤシーン師を釈放した。なお、メシャルは生死をさまよったが一命を取りとめた。

 

一九九八年

(一)クリントン大統領仲介、ネタニヤフとアラファトの「ワイリバー合意」

ハマスの最高幹部メシャルの暗殺失敗とヤシーン師釈放をきっかけに、イスラエルパレスチナに話し合いも持たれるようになる。

一〇月一五日、クリントン大統領はネタニヤフ、アラファトらをワシントン郊外のワイ河畔会議場に招き、前年のヘブロン合意を発展させパレスチナ政治犯の釈放、ガザ地区の港湾・空港などの建設、イスラエル軍追加撤退などについて集中交渉を進めた。交渉は難航したが交渉六日目、癌で体調を崩していたヨルダンのフセイン国王も顔を見せ交渉促進を図った。

一〇月二三日、熱心な協議の結果、ネタニヤフとアラファトは「ワイリバー合意」と呼ばれる三段階での追加撤退合意に署名した。

 

(二)ネタニヤフ首相、総選挙の前倒し実施を決める

昨年のヘブロン合意、今回のワイリバー合意と続けてイスラエル軍の追加撤退を決めたネタニヤフ首相は、リクードの支持基盤にいる右派勢力などから「パレスチナに譲歩し過ぎだ」と大きな反発を招くことになった。首相の動きを批判した国家宗教党が連立政権から離脱を宣言した。首相は政権を立て直し、リクード中心のより強固な政権にすることに迫られてきた。

ネタニヤフ首相は就任からわずか二年半であるが、次回選挙の時期を模索し始めた。首相は「パレスチナ暫定自治期限である一九九九年五月四日は半年後だ。そこでパレスチナ側が独立宣言を出せば占領地駐留の軍とパレスチナ住民とさらに大きな衝突が起こるだろう。そのような時に選挙を行えば右派のリクードの圧勝は固い」と考えたようだ。そこで首相は「首長公選と国会の総選挙を来年(自治期限である九九年五月四日より約二週間後の)五月一七日に実施する」と発表した。

 

(三)クリントン大統領、パレスチナ初訪問

一二月一四日、クリントン大統領はパレスチナを訪問した。アメリカ大統領がパレスチナを訪問するのは初めてであった。妻のヒラリーも同行した。この時、パレスチナはガザでパレスチナ民族評議会PNC)を開催しパレスチナ民族憲章から「イスラエル敵視条項」を削除することを決議した。クリントン大統領はこの採決に立ち会い決議を見届けた。

 

一九九九年

(一)ヨルダンのフセイン国王死去、アブドラ皇太子が後を継ぐ

二月七日、体調を崩していたヨルダンのフセイン国王が死去した。国王に三七歳のアブドラ皇太子が就いた。

 

(二)アラファト、暫定自治期限は終了するも「パレスチナ独立宣言」を行わず

五月四日、五年間の「暫定自治に関する終了期限」である。しかし、その日パレスチナ側は「独立宣言」をしなかった。アラファトは総合的に判断の上問題の紛糾を避ける方向で各方面との調整を行い、期限の五月四日になっても動きを見せなかった。事実、国際社会は諸状況からパレスチナ側の一方的な独立宣言に消極的であり、クリントン大統領もアラファトに対し、独立宣言の延期とハマスなどに対するテロ活動自粛の働きかけを行うよう要請していた。アラファトはその方向に沿った。

ネタニヤフが予想していたような衝突事件に発展することなく節目の日が過ぎた。イスラエルパレスチナの衝突が続く中での選挙であればリクードの勝利は確実と考えていたネタニヤフの思惑は外れた。

 

(三)イスラエル回首長公選、労働党党首バラクが現職ネタニヤフに圧勝

ネタニヤフの決断した前倒し選挙の日が近づいた。強硬なネタニヤフの方針に反対する国民も多かったが現職のネタニヤフは労働党党首のバラクには負けられないと懸命であった。

五月一七日、イスラエルの第二回首長公選が実施された。結果、「ネタニヤフは「予想以上の大差負け」であった。バラクはラビン路線を受け継いで和平交渉再開を公約に掲げて勝利した。

 

(四)イスラエル、和平推進派のバラク政権発足

七月六日、エフード・バラク(一九四二~ )がイスラエル首相に就任した。中道・左派連立政権が発足した。

ラク首相の誕生は沈滞していた中東和平への動きに光明をもたらす。バラクは和平交渉再開を前面に出しオスロ合意六周年を機に「中東和平の総括的合意」に積極的に動いた。だが境界線、パレスチナ難民の帰還、入植地拡大などイスラエルの基本的な立場は変えられない中でバラクは苦労していく。

 

(五)イスラエルリクード党首にシャロン

イスラエル首長公選で敗れたリクード党首であったネタニヤフは一時政界を去った。

九月二日、リクードは新党首に外相のシャロンを党首に置いた。シャロンはバラク政権の政策を批判しつつリクード勢力を強化していった。

 

(六)パレスチナ暫定自治期間延長に係る「シャルム・エル・シェイフ合意」

五月四日でパレスチナ暫定自治期限が切れている。クリントン大統領は和平交渉に何とか活路を見出し仲介の成果を出したかった。和平推進派のバラクイスラエル首相になったこの時を好機と見て自分の大統領任期中に和平交渉をまとめたいとして積極的に和平仲介の動きに出た。

九月四日、バラク首相とアラファト議長は、エジプトのムバラク大統領、ヨルダンのファイサル国王、アメリカのオルブライト国務長官らの立ち合いのもと、シナイ半島南端の保養地シャルム・エル・シェイフで会談し、ネタニヤフ首相時代に完全に停滞していた和平プロセスを再び軌道に乗せるべく、ワイリバー合意の再確認を含め和平交渉の見直しと継続について協議した。「五年間の暫定自治期間を延長して最終的合意への交渉を再開する」という合意文書に調印した。二〇〇〇年九月一三日までに和平を達成しようとするものであった。「シャルム・エル・シェイフ合意」と呼ばれる。

九月一三日、ガザ地区で最終的地位交渉開始の式典を開催、一〇月に西岸・ガザ間の安全通行路が開通したのに続き西岸地区からのイスラエル軍の撤退等も実施に移された。

一九九七年のへブロン合意や一九九八年のワイリバー合意の「パレスチナからのイスラエル軍の撤退合意」を経て事態の好転が期待されたがバラクアラファトが思うように進展して行かなかった。

第一七章 二〇〇〇年から二〇〇九年までの中東情勢

二〇〇〇年(平成一二年)から二〇〇九年(平成二一年)までの主な中東情勢について年を追って見ていく。

 

二〇〇〇年

(一)イスラエル軍レバノン南部より撤退完了

目まぐるしい国際情勢の変化の中、イスラエルパレスチナを取り巻く諸情勢も刻々変転し、予断を許さない状況が続く。和平を目指す動きを進めるが道は遠い。

ラク首相は基本的に和平派である。シリアとの和平交渉にも意欲的だった。シリアとの平和条約の締結は、安全保障上、計り知れないほど重要であり、レバノン最南部の「安全保障地帯」からのイスラエル軍撤退は公約の一つでもあった。

五月、イスラエルレバノン南部より軍を一方的に全面撤退させた。シャロンレバノンに本格侵攻して以来一八年ぶりにイスラエル軍レバノンを去った。

 

)シリアのアサド大統領死亡、後任は次男バッシャール・アル・アサド

七月、シリアのハーフィズ・アル・アサド大統領が死去した。三〇年近くの就任であった。長男のパッシールは一九九四年に交通事故で死亡しており、次男のバッシャール・アル・アサド(一九六五~ )が大統領に就任した。シリア国民の大半はスンニ派であるがアサド一族はシーア派でイランとの結びつきは強い。

 

クリントン大統領仲介の和平交渉、キャンプ・デービッドで始まる

ラク首相は和平に積極的、クリントン大統領は最終的地位交渉の結果を出そうと和平仲介を急ぐ

イスラエルのバラク首相は来年二月の首長選を前に和平への動きを激しくする。イスラエル国内では、バラクの和平への動きにリクードシャロンをはじめ右派勢力は対抗姿勢をさらに強め、宗教政党などが政権を離脱すると政権も揺らいでくる。首長選でシャロンに負けるわけにはいかないバラクは早くアメリカの仲介によりアラファトと合意し、政権も安定したかった。和平交渉で、合意を持ち帰れば、選挙に勝てると踏んでいた。

またクリントンの大統領任期は来年一月迄であり残り期間は余りない。任期切れを前に和平交渉が気になるクリントンは急ぎ仲介に動いた。バラククリントンも期間内に最終的地交渉の結果を出そうと焦りも出てくる。

 

キャンプ・デービッドで和平交渉始まる

和平交渉の進行を強く求めたのはバラクであった。アラファト自治交渉でイスラエル軍が撤退するとした領域がすべてパレスチナ側に返還されるまで待ちたかった。交渉内容を詰めるためにももう少し時間が欲しかったのであまり乗り気でなかった。だがクリントンは仲介を急いだ。

七月一一日、クリントンの仲介によりバラクアラファトによる集中和平交渉がキャンプ・デービッドで始まった。各国は今度こそ和平の実現につながる重要な合意に達するのではないかと期待した。「キャンプ・デービッド交渉」と呼ばれる。約二週間を予定した。一九七八年に「イスラエルとエジプト和平交渉」も同じキャンプ・デービッドで行われていたので今回の交渉を「キャンプ・デービッド・ツー」とも呼ばれる。

交渉の主要点は①イスラエル軍の撤退、②ユダヤ人入植者の削減、③エルサレムの帰属、④双方の境界線の画定、⑤パレスチナ難民の帰還など一九九三年のオスロ合意で先送りされていた難問ばかりであるが、先ずは境界線、エルサレムの帰属、難民問題を最重要テーマとして絞っていった。中でも最難関とされるのが聖地エルサレムの帰属問題であった。

 

クリントン大統領、和平合意への「基本原則」を示す

クリントンは、バラクアラファトとそれぞれ個別に相談した後、協議が始まった。協議中の妥協案が報道を通じて外部へ流れる恐れから完全な情報統制が敷かれ、クリントンは交渉の始めに合意への基本原則を示してこれをたたき台にバラクとあらあふぁとの協議を詰めるよう促した。

まず国境は第三次中東戦争直前の「グリーンライン」を原則とするが修正や補償措置も可能とする。次にエルサレムの帰属については旧市街の「主権を分割」するとした。パレスチナ側は「(ハラム・アッシャリーフを含む)イスラム教徒地区とキリスト教徒地区、それに城壁外のパレスチナ人居住区」を管理下に置くとし、イスラエルは「城壁内のユダヤ教徒地区とアルメニア教徒地区、そして東エルサレムのユダ人入植地、さらにエルサレム市行政区外にあるユダヤ人居住区を管理下に置くとした。

また難民問題での「帰還権」についてはパレスチナ側の「象徴的必要性」とイスラエル側の「ユダヤ人国家」を堅持したいという「現実的必要性」を調和させるというものである。

 

)バラクの譲歩にもアラファト拒否、和平交渉進展せず 

ラククリントン案に前向きに反応し、さらに大幅な譲歩を示す

ラクアラファトの交渉はクリントンが示した基本原則を中心に進められたがなかなか進展しなかった。しかし、バラクは柔軟に対応した。基本的にクリントンの調停案を受け入れる姿勢を示しつつ、ガザ地区全域とヨルダン川西岸の九二パーセントをパレスチナに返還する案を提示するなどパレスチナ側に接近した。即ち、占領地域の一部返還と「エルサレムの分割」を受け入れていいというのである。イスラエルは今まで一貫して「エルサレムは永久の首都」であると歴代内閣は労働党リクードを問わず主張してきていたが、バラクはこれを「撤回した」ともとれる「大胆かつ画期的」な反応を示したといえる。

 

ラクの譲歩にもアラファトは応じようとしないない

ラクの思い切った譲歩にもアラファトは良い反応をしなかった。アラファト自身、ムスリムを代表して「聖地エルサレムの主権」問題をここで決定する権限を持っていなかったし、その考えもなかった。あくまで目指す「パレスチナの国」は旧ヨルダン領の「東エルサレムを首都」とするというアラファト自身の従来からの立場を崩すことはなかった。

交渉は続けられたが、エルサレムの帰属問題、難民の帰還問題を中心にバラクアラファト双方の意見は噛み合わない。アラファトは難民問題が据え置かれ、特にエルサレムの帰属問題が進展しない中でイスラエルの提案を受け入れるわけにはいかなかった。最大の焦点は「難民」と「エルサレム」だった。

 

)キャンプ・デービッド交渉不調に終わる

交渉まとまらず不調に終わる

交渉は暗礁に乗り上げかけた。時間はもうなかった。丁度この時期、七月二一日から二三日まで沖縄で「サミット」が開催されるため、クリントンは七月一九日には沖縄へ出発する予定であった。だが、交渉の重大な局面に当たり出発を延ばし、一九日はアラファトと七回も会談し調整を図った。だがアラファトは譲る気配を見せなかった。交渉が気になるクリントンはサミット終了直後急ぎキャンプ・デービッドへ帰り、引き続き調整を続けた。しかし、バラクアラファト双方の意見は噛み合わず、合意に至らなかった。

七月二四日、最後の交渉となった。バラクアラファトは感情的に対立し、和平交渉は纏まらず不調に終わり決裂した。結局最終は物別れで交渉は閉じられた。

 

交渉結果にバラクは非難される

交渉結果にイスラエル側とパレスチナ側の反応は相反したものとなる。

イスラエル国内ではバラク政権に対する批判が噴出した。バラクは、シャロンをはじめ和平反対派から「今回の交渉は完全に失敗だった」「パレスチナ側にあれだけの譲歩した結果、イスラエルは何一つとして見返りを得ていない」と強く非難される。

 

アラファトは評価され、九月一三日パレスチナの独立宣言を見送る

一方、アラファトは、パレスチナ人のみならず、周辺アラブ諸国からも「エルサレムの主権に関して妥協せず、圧力に負けず良く抵抗した」と高く評価された。そしてアラファトは、独立宣言は逆にイスラエルとの全面衝突を招くとの周辺アラブ諸国の声を入れ、九月一三日のパレスチナの独立宣言を見送った。

 

ラク、大きな賭けにでる

九月二八日、追い詰められたバラクは大きな賭けに出る決断をした。新聞記者との会見で、和平合意が達成されればエルサレムとアル・クドゥス(東エルサレム)という二つの首都が隣り合うことになろう」と述べ、事実上のエルサレム分割を容認する姿勢を示した。

 

(七)リクード党首シャロン、バラクの交渉を非難し政権獲得へ積極的に動く

シャロンは長く政界右派の重鎮としてリクード内で影響を持ちながらも傍流にあった。和平推進についてアメリカの仲介でバラクアラファトとの交渉が進むとシャロンは政権の主導権を攻めあぐねていた。しかし、和平交渉がもたつき始めるとリクードの党首としてシャロンに攻めの絶好のチャンスがやってきた。「バラクは裏切りだ。今までエルサレムは永遠にして不可分の首都と約束してきたではないか。エルサレムを分割しようとするなど信じられない」とバラクのキャンプ・デービッド交渉での譲歩姿勢を強烈に非難した。

国会議員のなかにも、シャロンの意見に賛同する者も多くなり「統一された不可分のエルサレムと治安のための議員連盟」も結成され、次の政権を視野に、バラク政権の追い落とし攻勢を強めていた。またシャロンが次の政権を手にするためには、バラクだけが相手ではなかった。同じリクードの前党首ネタニヤフの政界復帰も大いに気になる。ネタニヤフがシャロン以上に強硬な反和平路線を打ち出している。シャロンは今ここで指導力を発揮し、党首としてネタニヤフに対抗する勢力統一の「秘策」が必要であった。シャロンは「行動を起こすチャンスは今だ」だと考えた。

 

シャロン、「神殿の丘」へ入る、パレスチナ民衆激しく反発

九月二八日午前七時半、リクード党首のシャロンリクードの主要国会議員六人を伴い、一〇〇〇人近い武装警官に守られて「岩のドーム」のあるエルサレムイスラム教の聖地「ハラム・アッシャリーフ」に足を踏み入れた。ここハラム・アッシャリーフは、イスラエル側からすれば「神殿の丘」であり「イスラエルの領地、我々の聖地だ」と主張する地である。多くの反対の声もあったがこれを無視しての挑発的な行為であった。シャロンはバラクアラファトとの交渉で東エルサレムパレスチナ側の主権を認めてもいいという方針を打ち出したことへの反対行動を自らの行動で「ここはイスラエルの聖地だ」という主張を実行して見せたのであった。

ハラム・アッシャリーフにいたパレスチナ民衆は「イスラム教の聖地」に入り込んだシャロンの行動に激怒、罵声を浴びせた。一行が去った直後、怒りを爆発させた民衆はイスラエル治安警官隊と衝突し投石を繰りかえす。これに治安警官側はゴム弾で対抗、双方に四〇人もの負傷者が出る事件となった。

 

)「第二次インティファーダ」の勃発、衝突激化

翌日の九月二九日、さらに大きな衝突事件となる。この日は金曜日。モスクで礼拝を終わった民衆は警備のイスラエル部隊と衝突、「嘆きの壁」で祈るユダヤ教徒パレスチナ人が投石、イスラエル警備隊は実弾で反撃し、双方に多数の死傷者がでた。先のオスロ合意などで約束されたイスラエル軍の撤退が進まず、日頃から不満がたまっているパレスチナ民衆は、目の前でイスラエル部隊が反撃してくる状況に忍耐の限界を越え、怒りが爆発したのである。

この聖地での惨劇に反イスラエル闘争はまたたく間にパレスチナ自治区の全地区に広がり、和平への機運は一気に冷めた。

今回の衝突事件は、一九八七年から九三年のオスロ合意まで続いたインティファーダを「第一次インティファーダ」と呼ぶのに対して「第二次インティファーダ」と呼ばれる。また事件の発端となった場所がアル・アクサ・モスクの近くであったことから「アル・アクサ・インティファーダ」とも呼ばれる。

 

インティファーダの流れは「イスラエル兵リンチ殺害事件」を起こす

インティファーダの勃発を境にさらに双方の対立は激しくなる。

一〇月一二日、自治区ラマラに迷い込んだ二人のイスラエル軍の予備役兵がパレスチナ群衆のリンチによって殺害される事件が起きた。アラファト傘下でインティファーダをリードしてきた武装組織「タンジーム」の主導によるものだという。イスラエルはこの事件に猛反発、パレスチナ自治政府の施設、警察署、放送局などを武装隊が本格的に攻撃、双方は「戦争」状態となる。

 

一〇)バラク首相辞意を表明、次期首長選を前倒し二〇〇一年二月予定

ラクシャロンの行動から起きたこの惨劇に大きなショックを受けた。東エルサレムイスラエル領だと言わんばかりのシャロンの行動にによって、バラクの発表した「エルサレム分割案」は、どこかへ飛んでしまい、現実味もない空手形になってしまったからであった。

ここでバラクはまた新たな決断をした。イスラエルの次期首長選と国会議員選挙は二〇〇三年春の予定であったが、バラクはこのままでは事態の悪化が避けられず、シャロンらの圧力に抗しきれないと考え「あらためて首長選挙を実施し再選を果たし、国民の支持を得たとして一気に和平を実現したい」と決断した。この時点では前任者のネタニヤフは国会議員の資格を持っておらず、首長選でシャロンに勝つためには、パレスチナと恒久的地位交渉を進め、紛争終結の見通しを示したかった。

一二月一〇日、バラクは突如として辞意を表明し、首長公選だけを来年春に前倒し実施して国民の信を問うと述べた。選挙は来年二月となった。

 

一一クリントン大統領、「和平の基本指針(パラメーター)」提示

クリントン大統領、和平への調停に動く

一〇月一六日、インティファーダの発生など双方の対立に衝撃を受けたクリントン大統領は、バラクアラファト両首脳と、エジプトのムバラク大統領、ヨルダンのアブドラ国王、アナン国連事務総長らをエジプトのリゾート地シャルム・エル・シェイフに招き緊急首脳会談を開き、和平交渉再開への意見調整を詰めていった。しかし、意見はまとまらなかった。

 

クリントン、「和平の基本指針」を示す、

一二月一九日、クリントンは大統領任期切れを目前にして和平合意に向けてイスラエルパレスチナ双方の交渉団をワシントンに招き交渉を進めた。

一二月二三日、クリントンは「最終の和平案」として自分の考えを明らかにし、交渉の基礎として「パラメーター」と称する基本指針を提示した。指針提示にあたりクリントンは「時間は尽きようとしているが、この好機を失ってはならない」と語りかけ、政府の提案ではなく自分の案だとした上で「提示案を基に協議していくが、その方法に双方の賛同がなければこの案は大統領の任期切れ(二〇〇一年一月二〇日)で消滅する」として、五日以内に「イエスかノーか」で返答するよう迫り、双方に交渉の進展を促した。

 

基本指針の要点

クリントンが提示した案は明らかにキャンプ・デービッドで示していた案よりパレスチナ寄りになっていた。その主な点は、

一、境界については、ヨルダン川西岸の九四~九六%をパレスチナ国家の領域とした上で、イスラエル国家領域との領土交換で一~三%をパレスチナ領域に振り替える。また、ヨルダン川西岸とガザを結ぶ道路を恒久的に確保する。国境画定に際してはパレスチナの領域的な一体性を維持する。

二、安全保障については、イスラエル軍パレスチナ領から三年以内に撤退し徐々に国際部隊に交替する。

三、エルサレムへの帰属問題については、エルサレム旧市街のアラブ人地区はパレスチナ側、ユダヤ人地区はイスラエル側を原則とし、聖域ハラム・アッシャリーフ(神殿の丘)の地上の主権はパレスチナが、西壁の主権はイスラエルが持つなど特別な取り決めをしていく。

四、難民問題については、イスラエルパレスチナ二国家併存と矛盾しない解決を図る。

などであった。

 

クリントン案にバラクは「留保付きで受け入れる」とした。アラファトは明確な態度を示さず

一二月二七日、バラクは、留保付きでクリントンの和平提案を「受け入れる意向」を表明した。イスラエルの今までの姿勢から、大幅に譲歩した内容であるが、バラク政権として来年二月の首長選を目前にして弱みを見せられず最大の決断をした。

一方、アラファトは、クリントン案とイスラエルの示した条件ではまだ不十分だとして年内には明確な態度を示さず意見表明は年を越した。

 

二〇〇一年

(一)アラファト、和平へのイスラエル側の大幅譲歩姿勢にも応じず

アラファトクリントン案に近づくが「条件」を付け受け入れない

クリントン大統領の示した和平調停案への対応は最後の山場に来ていた。クリントンの大統領の任期満了日は目前である。

一月二日、アラファトクリントンと会合、前年末に態度を明確にしていなかった「クリントン案」について、「西壁のことは譲ってもよい」としたものの、その他事項については条件を付け、事実上の拒否に近い考えを示した。

一月二一日、アラファトの表明を受け、双方の交渉団は最後の詰めをシナイ半島のタバで始めた。イスラエル側は、何とか合意をと譲歩姿勢をとるが、パレスチナ側の「条件付き」をめぐり議論は蒸し返され、まとまらない状況になった。

 

イスラエル側はさらに大幅な譲歩案を示す

この状況にイスラエル側は、さらに大胆に「ヨルダン川西岸の九六%程の返還」、「難民の帰還への配慮」など大幅な譲歩を示した。

イスラエル側の譲歩は、従来からの主張からは考えられないほどの変化であった。ここまで譲歩してきたイスラエル側の姿勢にパレスチナ側がうまく乗っていけば交渉はさらに進むであろうとパレスチナ側の前向きな反応が大いに期待された。

 

アラファトイスラエルの大幅譲歩案にも「受け入れられない」とし交渉不調

一月二七日まで交渉は続いた。ここまでイスラエルが譲歩してもアラファトは首を縦に振らなかった。「イスラエルのぎりぎりの案」をも受け入れなかった。

 

(二)和平交渉は合意のないまま終了、和平とパレスチナ独立の好機は逸した

一月、和平交渉は結局合意のないままに終了した。和平交渉で今までに双方がこれほど合意に近づいたことはなかった。仮にこの時、アラファトがこの案を受け入れアラブ関係者を納得させ、バラクイスラエル国民の説得に成功していたならば、「パレスチナ」という国が成立していたのではないかとも言われた。和平とパレスチナ国家の独立という歴史的な最後の最大の「チャンス」は失われた。以後、このような結果を踏まえ中東の混乱はますます深く険悪になっていく。

 

アメリカ大統領、クリントンからジョージ・W・ブッシュ

一月二〇日、アメリカ共和党ジョージ・W・ブッシュ(一九四六~)が第四三代大統領に就任した。ブッシュは前年一一月七日のクリントンの後継を決める大統領選で民主党アル・ゴア副大統領を僅差で退けていた。

中東和平に努力を重ねてきたクリントンは有終の美を飾れず、和平合意のないまま大統領の座を去った。

 

イスラエル首長公選、リクード党首のシャロンが現職のバラクに大勝

イスラエル首長選が近づいてきた。バラクシャロンの対立は顕著になった。現職バラクは和平交渉の成果を出せないでいる。このまま首長選に突入しシャロンと争うのは不利であるが、イスラエル国籍を持つパレスチナ人の支持も期待して和平交渉推進を前面に出し強気を示す。

シャロンは、「バラクは平和を約束して逆に戦争をもたらした」とバラクを攻める一方、市民の安全な暮らしを回復してみせると「治安と和平の両立」を訴えソフト面も強調してアピールした。

二月六日、首長公選制第三回目の結果、シャロンはバラクに大差で勝利した。勝利宣言のスピーチで「エルサレムは永遠にして不可分の首都だ」と対パレスチナ政策で妥協しないことを強調した。

 

シャロンイスラエル首相に就任、対パレスチナに強硬姿勢

三月七日、アリエル・シャロン(一九二八~二〇〇六)が首相に就任就任。労働党との大連立のシャロン政権が発足した。シャロンの首相就任で和平交渉は事実上棚上げになった。

アラブ諸国の中でイスラエルと平和条約を結んでいる国はエジプトとヨルダンの二国である。両国はシャロン政権の発足でイスラエルパレスチナの現状を憂慮した。

四月、エジプトとヨルダンは共同で、①衝突回避措置とイスラエル軍撤退 ②ユダヤ人入植活動の全面凍結と治安維持措置の履行 ③中東和平交渉の再開などの仲介案を示した。しかし、イスラエル政府は仲介案に関心を示すが受け入れようとすることはなかった。

 

)強硬シャロン政権とアラブ側の反抗、テロの応酬続く

シャロン政権の発足にパレスチナ側は「テロ活動」などで対抗する姿勢

アラファトイスラエル首長選でのバラクの敗退、シャロン政権の発足に「これで和平は進まなくなる」と大きく落胆した。しかしイスラエルへの対抗姿勢は崩せず、硬化していく。

PLOの中でもハマスイスラム聖戦など「イスラム過激派」の動きは激しくなり、対イスラエル行動を強めていく。パレスチナ人民衆の間にも、イスラエルシャロン政権の姿勢では和平は遠いものになったと感じる者がますます増えてくる。ようやく平和な暮しが取り戻せると期待していたのに将来に希望を失ったと悲観的な考えも広がり、特に若者を中心に過激派を支持し、過激派メンバーに加わる者も多く出てきた。イスラエルに対する憎しみが強まると「自爆テロ」の発生も増え、それに身を投じる若者も出てくる。パレスチナの状況は更に暗いものになっていった。

 

イスラエルの強硬姿勢にパレスチナ自爆テロで応酬、これにイスラエルの報復続く

イスラエルパレスチナへの強硬姿勢にパレスチナ側の「自爆テロ」は続き,これに対するイスラエルの攻撃は止むことはなく、さらに激しく闘争が続いていった。イスラエル軍パレスチナ自治区に侵攻を常態化していく。ハマスイスラム戦線のパレスチナ過激派による「自爆テロ」がたびたび起きるようになるとシャロンは「断固たる報復を行う」と言明、ガザ地区ヨルダン川西岸のラマラに攻撃ヘリを投入するなど大攻撃をする。パレスチナ側は「イスラエルはテロの報復だとして、ジェット戦闘機やヘリコプターからミサイルを発射してパレスチナ人を殺害し、戦車で家も畑もぶっ壊し、我々の生活をメチャメチャにする。これには自爆テロを行いシャヒード(殉教者)になって対抗すべきだ」とガザを中心に希望を失った若者たちがパレスチナ過激派メンバーに刺激され、ますます過激思想に走り始め、「ハマス」などの過激派メンバーに入っていく。

イスラエル政府は、「自爆テロ」取締りの責任はパレスチナにある。アラファトはこれを取り締まろうとしない。アラファトや指導部は退陣せよと迫る。

 

イスラエル軍、PFLPのムスタファ議長を殺害

八月二七日、イスラエルはラマラのオフィスにいたパレスチナのムスタファPFLP議長をミサイル攻撃し殺害した。PFLPは直ちに「報復」を宣言した。

国際社会は「テロ」を批判し、シャロン政権の暴挙に非難を浴びせるが、シャロン側は「テロ抑止政策を打ち出せないアラファト議長への警告だ」、「テロ攻撃をしてくるから反撃するのだ」とイスラエル側の正当行為を主張する。

ブッシュ大統領は、パレスチナの「自爆テロ」を非難すると同時にイスラエルの激しい反抗攻撃と、シャロンの行動を批判するが、クリントンのように進んで仲介に入る姿勢は見せない。

イスラエルパレスチナのテロの報復攻撃は止まらない。

 

ムスタファ議長を殺害されたPFLPは報復としてイスラエルのゼエビ観光相を殺害

一〇月一七日、PFLPは八月に議長のムスタファが殺害されたことへの報復だとしてイスラエルのレハバム・ゼエビ観光相をエルサレムのホテルで射殺した。ゼエビは極右政党「統一我が家イスラエル」の代表でありシャロン政権での強硬派のリーダーであった。シャロンアラファトを非難、自治政府を「テロ組織」だと宣言した。シャロンの怒りはますます高まり、軍を西岸の自治区内へ侵攻させ六都市を占領した。「ゼエビ侵攻」と呼ばれる。

 

シャロン政権、「アラファト排除」作戦へ

パレスチナ自爆テロはさらに多くなった。パレスチナ市民の中にはイスラエルに対する憎しみが強まると自爆テロを支持する気運が一段と高まりそれに志願する若者が次々に出てくるようになった。

イスラエルに対するテロの連続にシャロンは苛立ち、その怒りの矛先をアラファトに向ける。リクードシャロン政権は更に強硬になる。徹底的に「アラファト降ろし」に焦点を絞ってきた。シャロンは一連の責任はアラファトにあるとしてアラファトをラマラに「軟禁状態」になるほど攻撃を加える。議長府の至近距離にヘリによりミサイルを撃ち込み、アラファトに脅威を与え、テロ活動の停止をせよと実力行使にでた。

シャロンは「テロを仕掛けてくるアラファトを攻撃するのは、ブッシュがテロのビン・ラディンへの攻撃することと同じだ。テロ壊滅への正当性はアメリカと変わるところはない」とブッシュのテロ攻撃に自分のアラファト攻撃をダブらせて正統化する。

アラファトはこのような状況打破のため、自治区向けのテレビ演説ですべての武力行使を停止するようにと呼びかける。ハマスらのテロ行為は一時小康状態となるが収まることはなかった。

一二月、エルサレムなどで四件の連続テロ事件が起きた。シャロンは徹底的にアラファトの排除を宣言した。シャロン政権は「今後一切アラファトを交渉相手としない」と決定した。オスロ・プロセスは、PLOとイスラエルが相互に交渉主体として認め合うことに支えられていたが、シャロン政権の動きは相互承認に終止符を打ち、オスロ・プロセスを崩壊させるものとなった。

 

アメリカ、「同時多発テロ」事件(九・一一事件)

九月一一日、アメリカで「同時多発テロ」事件(九・一一事件)が起きた。ニューヨーク世界貿易センタービルとワシントン郊外のペンタゴンアメリ国防省)が、イスラム過激派のハイジャックした旅客機を使い自爆攻撃をしたテロ事件が発生、三〇〇〇人以上の犠牲者がでる大事件となった。事件発生直後、オサマ・ビン・ラディンが声明を発表する。

 

九)米英軍がアフガニスタン侵攻、カブール陥落、タリバン政権は事実上崩壊

九・一一事件はアメリカの外交、安全保障政策を根本から揺さぶった。ブッシュは、イスラム過激派「アルカイダ」とそれを擁護してきたアフガニスタンの「タリバン政権」の壊滅を目指し、「対テロ戦争」を宣言した。

一〇月七日、アメリカ軍らはアフガニスタン空爆を開始し、拠点首都のカブール陥落を目指した。アフガニスタンを拠点にテロを指示しているオサマ・ビン・ラディンは、もともとはサウジアラビアの出身である。オサマはそのサウジアラビア湾岸戦争時にアメリカのイラク攻撃基地を提供したことに反発しており、アメリカもサウジアラビアも敵であり、イスラエルも敵と見てシオニスト批判を展開している。

ブッシュはテロ攻撃に怒りを集中する。

一一月一三日、カブールが陥落、タリバン政権は事実上崩壊する。

 

二〇〇二年

(一)サウジアラビアのアブドラ皇太子、「アラブ和平案」発表

二〇〇二年二月末、サウジアラビアのアブドラ皇太子(後の第六代国王))は、同時多発テロによって悪化した同国に対する国際社会のイメージを改善したいと考え、新たな中東和平の提案を発表した。この提案はイスラエルパレスチナ国家の樹立を認めるなら、アラブ諸国イスラエルと正常な関係を樹立するとした「アラブイニシアチブ」を提案したものであった。「アブドラ和平案」と呼ばれる。

 

(二)アラブ首脳会議、「アラブ和平案」を基に和平案「ベイルート宣言」採択

アブドラ皇太子の案が発表されると「画期的な提案」として国際的にも注目され、イスラエルパレスチナの停戦と和平交渉再開に向け明るい兆しが見えるかと期待された。

三月二八日、レバノンベイルートで開催されたアラブ連盟首脳会議はアブドラ皇太子の中東和への提案を基に「ベイルート宣言」として「アラブ和平イニシアティブ」をまとめ、正式に全アラブの統一和平案として発表した。

宣言の要旨は、

という和平構想であった。即ち、イスラエルが国連決議二四二号を受け入れて、第三次中東戦争で占領した地域から撤退し、パレスチナ国家の樹立を受け入れるならば、アラブ連盟諸国はイスラエルを全面的に承認して外交・通商関係を結びイスラエルとの平和的共存を保障というものであった。

この宣言は現在でもアラブ連盟パレスチナ問題に対する基本的な姿勢となっており、PLOや他のアラブ連盟加盟国もこれを支持している。

 

シャロン、「テロリスト一掃」と「アラファト排除策」を加速

二〇〇二年に入ってからもパレスチナの「テロ」攻撃は止まない。一月にはエルサレムで初めての女性自爆テロも起きた。

二月、シャロン政権はアメリブッシュ政権の「反テロ戦争」に便乗し、パレスチナ自治区へのイスラエル軍は新たな攻撃にでた。「アラファトがテロを止められないから我々が止めるのだ」とばかりに、ヨルダン川西岸のパラタ難民キャンプを「テロの拠点」だとしてして攻撃し制圧した。

 

シャロンの「守りの壁作戦(防衛の盾作戦)」、アラファトを軟禁、「ジェニンの虐殺」行為

三月二九日、イスラエルアラファトを敵と宣言し、「守りの壁作戦」と称して「テロリスト一掃」名目でパレスチナ自治区に侵攻、自治政府のあるラマラを戦車で大攻撃し、前年からラマラの議長府に足止めをさせていたアラファトを「軟禁」状態にしてしまった。

これに対してパレスチナ側は反発し「自爆テロ」で対抗するが、イスラエル軍は、ラマラに続き、カルキリヤ、ナプルス、ジェニン、ベツレヘムなど主要都市を次々に制圧、ジェニン難民キャンプへも攻撃を加え市街は廃墟と化し多数の死傷者をだした。「ジェニンの虐殺」行為であった。安保理イスラエル軍の撤退を求め、ジェニン調査団を結成し現地調査を決めたが、イスラエルはこの受け入れを拒否、結局詳細な惨状は解明できずに終わってしまった。

圧倒的な力を誇示するイスラエルの攻撃に「自爆テロ」で応戦する激しい対立に双方とも被害は大きく、結果的に「守りの壁作戦」はイスラエルパレスチナとも被害と憎しみを生じさせる「憎しみの連鎖」は、双方国際社会から大きな非難を浴びる。オスロ合意は死文化していった。

 

シャロンの「アラファト排除策」加速

五月一日、イスラエル軍に軟禁されていたアラファトアメリカの仲介で軟禁が解除されるが、移動は自治区内のみに限定され、自由は奪われたままであった。

シャロンはますますアラファトを追い詰め、「アラファト排除」を主眼に動き、アラファト排除後の後継者と目される指導者たちに目を向けていく。オスロ合意を指揮したアッバスPLO事務局長、その交渉団長だったクレイパレスチナ評議会議長らがアラファトに代わり権力を持つようになった場合を考え、「アラファト後の自治政府」を念頭に置いた対策を模索するようになる。

 

パレスチナ自治政府の改革

シャロンの作戦は次第にアラファトを圧迫、パレスチナ自治政府の改革を迫ってくる。かねてからPLOへの援助資金の流れの不透明さが指摘されていたこともありパレスチナ自治政府改革の動きはアラファトを締め付けてきていた。パレスチナ内部からも「アラファト自治政府」への不満も高まってくるとアラファト自身も「自治政府改革」を約束させられてくる。

 

(四)イスラエルヨルダン川西岸地区分離壁の建設を開始

二〇〇二年六月、シャロンはテロリストの侵入を防ぎ、自国をテロリストから守るためとしてヨルダン川西岸に「治安フェンス」としての「分離壁」の建設を命じた。分離壁の動きは以前よりあったがシャロンにより具体的になってきた。

分離壁」はテロの侵入を防ぐ防護壁だとするが、どこへ、どのような規模で建設するかが問題である。前にもラビン首相やパレス首相の時に柵などを設けパレスチナとの境としたこともある。しかし、今回の分離壁建設計画は位置と規模から建設の意義が全く異なってきている。

建設位置は一九四八年の第一次中東戦争後の軍事休戦ラインである「グリーンライン」より東側、即ちパレスチナ側に大きく入り込んでいる。パレスチナ人の土地と水源を奪いパレスチナ人を追い出していった。これはユダヤ人入植地の拡大につながり、境界の合意がない現段階では占領地拡大をも意味し、「イスラエル領土拡張」にもつながる。また、分離壁の規模は頑丈なコンクリートで高さが四メートルから八メートルもあり監視カメラや鉄条網で守られ、何百キロにもわたり張りめぐらす計画だという。分離壁をめぐっては次第に大きな問題として後日に続いていくことになる。

 

(五)ブッシュ大統領、中東和平への基本姿勢を示す

ブッシュ大統領はこれまでパレスチナ問題にあまり真剣に取り組もうとしてこなかったが、イスラエルパレスチナの争いが激化してくると重い腰を上げた。

六月、ブッシュ大統領は初めてパレスチナ問題を外交上の最重要課題に掲げ、中東和平への基本姿勢を示した。パレスチナには「今のパレスチナ指導部はテロを抑えるのではなく逆に促している。テロ組織は解体すべき」と切り捨て、「和平には新指導者が必要だ」とPLO指導部の交代などに関しアラファトの退陣にも連なる考えを示した。その上、新憲法を導入し、総選挙の実施などを求めた。そして暫定的な国境を定めた上での「パレスチナ国家の独立」を認めるものとした。一方、イスラエルに対しては、パレスチナ自治区を占領している軍の撤退と入植活動の停止を呼びかけた。その上で、三年以内に独立国家創設について最終的な合意の実現をめざすとした。パレスチナの暫定国家建設を支持、入植活動を停止し、パレスチナのテロ組織を解体するとの構想を示し、一歩進んだ姿勢であった。

これに対しイスラエルパレスチナも大きな反応は示さなかった。イスラエルは引き続いてパレスチナ側に強硬な姿勢を続け、パレスチナ自治政府は、パレスチナ国家の独立を認めるとの提案に一定の評価を与えたがアファト議長の退陣については受け入れることができないとして無視した。

 

(六)シャロン、政権強化を策し「総選挙の繰り上げ実施」を決定

リクードシャロン政権は労働党との大連立内閣である。シャロンリクードの強化を第一に考えている。

一〇月、対パレスチナ政策をめぐる意見対立などを背景に、シャロンの政策に合わすことが出来なくなった和平推進派の労働党は連立を解消し、ペレス外相は辞任した。

シャロンは総選挙を繰り上げ、翌年の年明け早々に実施する決断をした。

 

(七)総選挙を前に党首を選出、リクードシャロン労働党はミツナ

一一月、イスラエルでは、リクード労働党も党首を選出し総選挙に備えた。リクードシャロンが「パレスチナ国家断固反対」の持論を曲げないネタニヤフに圧勝し引き続き党首となる。労働党は和平推進派のハイファ市長アムラム・ミツナを党首に選んだ。

 

二〇〇三年

(一)イスラエル総選挙、リクードが圧勝、首相にシャロン再選

一月末、イスラエル総選挙が行われた。労働党は党首ミツナを立てて選挙に望むがシャロンの与党リクードが圧勝する。リクード議席を一九から三八へ大幅に躍進、労働党は二五から一九に減少させた。

二月、シャロンが首相に再選、オルメルトが副首相兼産業貿易労働大臣として入閣した。

 

パレスチナ自治政府に「首相職」設置、初代首相にアッバス

イスラエルアメリカは、以前より「アラファト排除」を画策し、アラファトの立場はそのままにして置き、実質的な交渉相手としてパレスチナ自治政府に「首相職」を設け、アラファトの影響力を排除したその首相と交渉するとの道筋を考えていた。またパレスチナの中にもその動きもあり、アラファトも首相職を設けることに正面から反対も出来ない状況になっていた。

三月、アラファトはこれに同意し、パレスチナ基本法が改正され、パレスチナ立法評議会(PNC)も「首相職新設」を決議した。

五月二日、アラファトの監禁状態は一応解かれた。

五月一九日、PLO事務局長のマフムード・アッバス(一九三五~)がパレスチナ自治政府初代首相に就いた。パレスチナ立法評議会(PNC)は、アッバス内閣を承認した。

アッバスパレスチナのサファドで生まれ、少年時代イスラエル建国とともに難民となりヨルダンに移住。その後、ファタハの設立にも参加し幹部となり、以後アラファトと行動を共にしてきた。オスロ合意にも責任者として活躍し、PLOの事務局長としてナンバー・ツーになっていた。

アッバスは首相としての権限を発揮しようとするが、実際にはアラファトの支持、協力のもとに政策を進めざるを得ず、実権はまだアラファトにある状況下で苦労する。

 

アメリカらカルテット、和平への行程表(ロードマップ)を発表

ブッシュ、「和平への行程表」(ロードマップ)を発表

アメリブッシュ大統領は、イギリスのブレア首相の勧めもあり中東和平へ積極的に取り組む姿勢を示し、二〇〇二年六月に示した和平への提案を発展させた和平への行程を示す案を提示することになる。

四月三〇日、ブッシュは「和平への行程表」(ロードマップ)を発表した。カルテット(アメリカ、ロシア、EU、国連)が協力して、イスラエルパレスチナの二国家共存に向けオスロ合意の再生とパレスチナ和平の達成を目指して関係者の交渉を再開し、パレスチナ自治政府の行政、治安などの民主化を進めようと関係者が組まなければならないとする義務を記載した和平への行程である。

 

ロードマップの骨子

ロードマップの骨子はオスロ合意に沿っており、二〇〇五年までに三段階に分け実行しようとするものである。

第一段階(二〇〇三年五月末まで)は、パレスチナイスラエル生存権を認めテロと暴力を中止する。イスラエルパレスチナの主権を認め、ガザ、ヨルダン川西岸から軍を撤収し、入植活動を凍結する。

第二段階(二〇〇三年六月から一二月まで)は、パレスチナ憲法を制定し、暫定的な国境を持った独立国家を樹立する。

第三段階(二〇〇四年から〇五年)は、エルサレムの主権などの問題を解決してパレスチナの独立とパレスチナ紛争を終結する

 

(四)ロードマップの履行、イスラエルパレスチナ双方消極的で事実上頓挫

ロードマップの履行について協議

六月四日、ブッシュ、シャロンアッバス三首脳はヨルダンのアカバで会談を行い、ロードマップの履行について協議を始めた。ブッシュとしては大統領就任後の最初のパレスチナ問題での首脳会議であった。シャロンアッバス双方ともロードマップを包括的に承認した形で会談は始まったがスムーズに進展しなかった。イスラエル代表はタカ派シャロンである。和平推進派のバラク首相の時でさえ「オスロ合意」には苦労したのに、ましてや今回は強硬派シャロンである。一方、パレスチナ代表はアラファトでなくアッバスである。アッバスアラファトの頭越しには大事の決定は出来なかった。アッバスにとってはアラファトの存在は大きかった。九月には和平合意の大きな節目となった「オスロ合意」から一〇周年になる。アッバス首相はこの記念すべき年に安全保障や行政の安定を図りたかった。アッバスは首相として努力するが首相権限だけではなかなか前に進めなかった。「大統領」としてのアラファトの意見を入れながらの交渉にアッバスは苦しんだ。

 

ロードマップの頓挫

シャロンも、アッバスも一応ロードマップを受け入れた形で協議を終えたが、イスラエルは消極的であり、パレスチナアラファトが乗り気でなく、結局ロードマップは高く評価されなかった。この間にもテロは頻発、六月一〇日にはイスラエル軍により、ハマスのナンバー・ツーのランティシー暗殺未遂事件が発生する。テロが起きるとそれに報復がある。報復されればまたテロ攻撃を加える。双方衝突の繰り返しで混乱は続いた。ハマスなどによるテロは一向に止まず、懸案の治安回復についても安全保障部門の権限をアッバスに譲ることとしないアラファトとの間に意見の相違も出てきた。結局、第一段階のテロの中止さえも出来ぬままに、ロードマップの履行は事実上頓挫し停滞してしまった。ロードマップは衝突と流血が続くパレスチナの状況の下では野心的過ぎで非現実的な和平案であったといえる。

 

(五)アッバス首相辞任、後任にクレイ自治評議会議長

アッバス首相は「首相」の立場でパレスチナ主導に自信が揺るぎ始めた。

九月六日、アラファトとの溝を感じたアッバスは、首相の座を退くとして辞表を提出した。アラファトアッバスの辞意表明を受けて自治評議会議長のアフマド・クレイを後継首相に指名した。アッバス内閣はわずか半年で終わってしまった。

九月九日、エルサレムなどで二件の連続自爆テロ事件が発生する。

九月一一日、イスラエル政府はパレスチナ自治政府の変動の最中に、アラファトの「追放」を閣議決定した。

九月一二日、自治政府でクレイが首相に就任した。しかし、アラファトの側近であったクレイは、アラファトが実権を握っている中での首相職はアッバスの場合と変わらなかった。

 

(六)イラク戦争バグダッド陥落し戦争終結

アメリブッシュ大統領は九・一一事件以後、真剣にテロ対策にでた。タリバン攻撃を経て、イラクに照準を合わせ始めた。

三月一九日、米英軍によるイラク空爆が開始された。ブッシュは「フセイン政権は生物化学兵器核兵器などの大量破壊兵器を開発し隠匿保持している。テロのアルカイダと手を組んで、アメリカを攻撃しようとしている。我々は自衛権の行使としてイラクを攻撃する権利がある」といわゆるブッシュドクトリンの先制攻撃論をぶち上げる。国連のイラク状況査察団は国連決議に基づき査察を行っていたがまだその結論は出ておらず、攻撃を承認していなかった。またフランス、ドイツなど多くの国も攻撃には消極的、批判的であった。しかし、ブッシュは待てなかった。アメリカはイギリスを引き入れ、米英軍はイラク攻撃にでた。イラク大量破壊兵器除去と民主化実現の名のもとに独裁政権排除にでた。イラク戦争が始まった。三月二〇日、クエート領内から地上部隊がイラク領内へ地上侵攻した。四月九日、バグダッドは陥落、四月一一日にアメリカ政府は「フセイン政権は事実上崩壊」と発表した。

五月一日、ブッシュ大統領は「イラクでの大規模戦闘は終結」したと戦争の終結を宣言した。一二月、逃亡していたサダム・フセインは逮捕された。なお、フセインは二〇〇六年に死刑執行された。また、後日、このブッシュのイラク攻撃の判断になったイラク大量破壊兵器の存在は確認されず、ブッシュのイラク攻撃は国際的にも大きな議論を呼んでいく。

 

)国連、分離壁の建設中止を求める決議を採択、イスラエルは建設続行

一〇月二一日、国連総会で分離壁の建設中止を求める決議が採択された。賛成は一四四カ国、反対はアメリカやイスラエルなど四カ国、棄権は一二カ国であった。国連での決議に拘束力はなく、シャロンは建設を止めることなく、さらに拡大していった。

 

二〇〇四年

シャロンの対パレスチナ作戦はますます現実性を増してくる。ヨルダン川西岸での分離壁の建設はパレスチナ側や国際社会からの非難にも関わらず、ユダヤ人入植地拡大に合わせて次々と進んでいった。

 

(一)シャロン首相、ヨルダン川西岸での対策を重視、ガザからは撤退を表明

ガザの入植地

パレスチナ自治区のガザではイスラエルが一九か所の入植地を建設しており、ガザ面積の約三〇%に七五〇〇人程のユダヤ人が入植していた。一方、残り七〇%のところに一三〇万人以上ものパレスチナ人が追いやられるような状況で生活していた。さらに、各入植地とイスラエル本土との間にはユダヤ人専用のアクセス道路も建設されていた。

 

シャロンガザ地区からの撤退」を一方的に発表

一月、イスラエルパレスチナ政策が進む中、シャロンは思い切ったガザでの政策変更に出た。シャロンは突然「ガザ地区から入植地も軍隊も撤退する」とパレスチナ側と交渉なしに一方的に発表した。

 

シャロンヨルダン川西岸」対策を重視

ヨルダン川西岸で進めている「分離壁」については、国際的にも非難の的になっており中止を求める声が大きかったが、シャロンは西岸対策として重要だと「分離壁」建設を進めていった。

シャロンは、ガザ地区を返還することで西岸対策の分離壁建設などの非難を和らげると同時に、防衛管理にコストが見合わず苦慮の多いガザ地区に手をかけているよりも、聖地エルサレムを包含するするヨルダン川西岸地区に重点を置くことの方がより現実的だと判断した。西岸地区の強化を進めるためにガザ地区からの撤退が得策だと決断していった。

党員の中にも撤退に反対する者もいたが、一〇月、シャロンガザ地区からの軍撤退について、労働党の支持を取り付け国会で承認させた。

 

ネタニヤフらは「ガザ撤退反対」

シャロンの「ガザ撤退計画」については、イスラエル国内でも宗教党など右派や入植者からの強い反対が出た。財務大臣のネタニヤフは「ガザを手放すなどとするこの計画に反対」だとし、両者の対立は再燃した。またシャロンの腹心であったリブナット教育相も離反するなどシャロン批判勢力も強い。しかし、シャロンは苦境に立つが調整を続け計画を実行しようとする。

 

(二)ハマスの最高指導者ヤシーン師とランティシー師、二人続いて殺害される

シャロンは「ガザ地区返還」の前に「テロリストを壊滅させる」として大規模な掃討作戦にでた。シャロンのテロ掃討作戦は遂にハマスの中心指導者にまで伸びていった。

三月二二日、イスラエル軍はモスクで礼拝を終えて車いすで外へ出たところのヤシーン師をヘリコプターによるミサイル攻撃で暗殺した。ヤシーン師はハマス創設の後、一九八九年から九七年までイスラエル当局により刑務所に入れられており、釈放されてからもガザを中心に闘争を指導していたハマスのシンボルであった。シャロンの攻撃はヤシーン師のみで終わらなかった。ヤシーン師暗殺の僅か一カ月もたたないうちに次の攻撃にでた。

四月一七日、ヤシーン師の後を継いだハマス幹部ランティシーがガザ市内を車で移動中に武装ヘリからの攻撃で殺害された。二人の最高指導者を相次いで殺害されたハマスは激怒し、報復の機会を狙いますますイスラエルに対抗姿勢を鮮明にしていく。

 

(三)アラファト死去、後継のPLO議長にアッバス前首相

アラファト体調を崩す

イスラエルパレスチナの激しい情勢変化の中で、パレスチナの中心指導者アラファト議長は体調を悪くしていった。二〇〇〇年の軟禁状態になった頃から健康不調が囁かれていたが、二〇〇四年一〇月頃から急に体調を崩していった。多くの敵対者を抱え、自身への「排除」から「暗殺」の恐れまでの不安から今までのようなカリスマ的指導力は見られなくなっていた。体調を崩したアラファトはフランスに緊急移送された。

アラファトはいわば独断的指導者であり、後継者を育成することがなかった。アラファトが重体に陥ると急きょPLO執行委員会とファタハ執行委員会が開かれ、暫定的にPLO事務局長が議長職を代行した。

 

アラファト死去

一一月一一日、アラファトはフランスの軍の病院で死去した。七五歳だった。アラファトがPLO議長になってから今まで、イスラエルでは九人の首相が交代し、アメリカでは七人の大統領が登場した。オスロ合意から一〇年、その間ラビン暗殺、クリントン仲介の和平不調、シャロン対応などパレスチナトップとして長期間苦労の連続であったアラファトの生涯は終わった。太い柱を失った主導のパレスチナ情勢は大きな転換点を迎えていく。

 

アッバス前首相、アラファトの後を継ぎPLO議長に

一一月一一日、アラファトが死去すると、即日開かれたPLO執行委員会で議長職を代行していたPLO事務局長のアッバス(前首相)が後継の議長に選出された。

 

二〇〇五年

(一)パレスチナ自治政府の大統領にアッバスPLO議長

一月一五日、パレスチナ自治政府の大統領(議長)選挙が行われ、アラファトに次いで第二代の大統領にアッバスPLO議長が就任した。

 

(二)シャロン首相、労働党との連立内閣を発足

イスラエルではシャロンのガザ撤退策について反対の動きも続く。

一月、ガザ撤退に反発する宗教党が政権を離脱した。シャロンはガザ撤退に理解を示す労働党のペレス党首を副首相とし労働党との連立内閣を発足させた。

 

(三)初のシャロンアッバス会談

シャロン政権は労働党が加わった新体制になった。またパレスチナ自治政府アッバス政権も発足している。双方に首脳による会談の機運が出てきた。

二八日、シャルム・エル・シェイクにおいてシャロンアッバスの新トップによる会談が実現した。双方のトップが直接会談するのは実に四年四カ月ぶりのことであり、エジプトのムバラク大統領、ヨルダンのアブドラ国王らも加わる四者会談の成果が期待された。双方は軍事活動と暴力の停止を宣言し、西岸六都市の治安権限の移譲、パレスチナ人拘禁者六〇〇名の解放等につき合意し和平への交渉の継続を取り決めた。しかし双方は根本的にそれぞれ問題点を抱えており、期待した会談は目立った進展がないままに終わった。

 

レバノン内閣総辞職(杉の革命)、シリア軍はレバノン撤退

二月、レバノンのハリーリー首相がベイルート市内を自動車で移動中、爆破テロで暗殺され、シリアの関与が国際的に疑われることになった。レバノン国内でもシリアの支配に対する国民の不満が爆発、親シリア内閣が総辞職した。「杉の革命」と呼ばれる。

五月、シリアのアサド大統領はシリア軍をレバノンから全面撤退させた。

 

)イラン、大統領にアフマドネジャ

六月、イラン大統領に保守強硬派のアフマドネジャロが当選した。

 

シャロン首相、「ガザ撤退」を実行へ

シャロンヨルダン川西岸での入植計画を着々と進める一方、財政的負担の軽減にもなるとガザでの入植を止めガザ撤退を実行していった。多くの撤退反対者らから「シャロンは裏切り者だ。なぜユダヤ人がユダヤ人の入植から追放し、軍まで撤退するのだ」とシャロン非難の声が高まった。しかし、シャロンは強い反対もある中、イスラエル軍を撤退させ、ガザ地区の入植地の閉鎖を強行していった。三五年間支配してきたガザからイスラエルが手を引くことの影響は大きい。

 

)ガザ撤退に反対のネタニヤフ、財務大臣を辞任

八月七日、シャロンのガザ撤退に強く反対しているネタニヤフ財務大臣は、大臣を辞任した。後任にシャロンの腹心オルメルトが任命された。

 

シャロン首相、リクードを離党し新党「カディマ」結党

リクード内でシャロンとネタニヤフの権力闘争が激化しネタニヤフが支持されるようになるとシャロンリクードを離れる決心をする。

一一月二一日、シャロンはネタニヤフの後任として財務大臣になっていたオルメルトらとリクードを集団離党し新党「カディマ」を結党した。

カディマは「領土の譲歩、非武装パレスチナ国家承認」を基本方針とし労働党のペレスとも交流を持ち、対パレスチナ政策で理解をし合うようになる。

 

シャロンが去ったリクード、党首にネタニヤフを選出

一二月、リクードの党首でもあったシャロンが離党したため、リクードは党首選を行い、ネタニヤフを選出した。ネタニヤフにとって二回目の党首である。

 

二〇〇六年

(一)シャロン首相脳卒中で倒れる、オルメルトカディマの党首を代行

一月四日、シャロン首相が突然脳卒中で倒れた。シャロンは数日後に大腸虚血疾患で大腸を切除し、意識不明を続ける。三月に行われる総選挙に出馬できず、本人の意思とは無関係に政界引退を余儀なくされた。

オルメルトシャロンの代行党首としてカディマを率いることとなる。

 

イスラエル総選挙カディマが勝利、オルメルトが首相に

三月二八日、イスラエル総選挙が実施された。オルメルトが主導することになった中道右派の新党カディマがネタニヤフのリクードに大差で勝った。

四月一四日、エフード・オルメルト(一九四五~ )は臨時首相に就き、五月四日から正式に第一六代首相に就任、労働党などとの連立内閣を発足させた。オルメルトは一九九三年から二期エルサレム市長を務めた後、二〇〇三年にシャロン内閣で副首相兼産業貿易労働大臣を務め、前年八月からネタニヤフ後任の財務大臣、そしてシャロンの代行党首としてカディマを率いていた。

 

パレスチナ自治評議会選挙、「ハマス」が勝利

イスラエルシャロン脳卒中で倒れた頃、パレスチナ自治においても大きな変革が生じてきた。

一月二五日、一〇年ぶりに第二回パレスチナ自治評議会選挙が実施された。イスラエル国家を認めず聖戦(ジハード)を公言し、対イスラエル武装闘争継続を標榜するハマスが定数一三二議席のうち過半数の七四議席を獲得し圧勝した。アッバスの率いるファタハは四五議席にとどまった。

 

(四)パレスチナ自治政府首相にハマスのハニヤ

与党のハマスはガザのイスラム大学元学長のイスマイル・ハニヤ評議会議員を自治政府の首相に擁立した。

ハニヤは一九六三年にガザ難民キャンプ生まれの五〇歳であった。

三月二九日、ハニヤはアッバス議長に宣誓し首相に就任、ハマス主導の自治政府内閣が発足した。

イスラエルは、ファタハアッバスおよびその周辺との接触は維持するものの、ハマス主導の新自治政府との接触を停止した。

パレスチナアッバスファタハとハニヤのハマスが対立する道へと進んで行くことになる。

 

(五)パレスチナ、「ヨルダン川西岸地区」と「ガザ地区」離反対立

パレスチナはハニヤ内閣が三月に発足してからも不安定状況は続く。

六月、七月頃にはアッバス率いるファタハとハニヤの率いるハマスの対立構図がさらに鮮明になった。双方は、次第に離反、対立、分離へと進みパレスチナ自治政府は「ファタハ中心のヨルダン川西岸地区」と「ハマスが事実上支配するガザ地区」に分離した状態となった。ガザ地区の中でファタハハマスの衝突も起きるようになってきた。。

イスラエル軍ガザ地区から撤退しているが検問所は閉鎖されている状況下にあり、ハマスが実効支配するガザの住民は、原則としてこの地区から自由に外出も出来ないような不自由を強いられるようになる。

ガザからのイスラエル領内へのロケット弾打ち込みは続きテロ攻撃は止むことはない。

 

(六)イスラエルパレスチナへの税還付を凍結

イスラエルパレスチナは、ハマス政権が発足すると関係がさらに悪化、イスラエルパレスチナテロへの資金流入を恐れ、二〇〇六年二月以降の関税等の還付を凍結してしまった。

歳入の半分近くを占める収入源を断たれたパレスチナ内閣は深刻な財政難に直面し、公務員の給与の未払いや公共サービスの低下が発生し、機能不全の状態に陥ってしまった。

 

イスラエルレバノンの「ヒズボラ」を攻撃(レバノン戦争)

六月、ガザでイスラム武装勢力ヒズボラ」によるイスラエル兵士(シャリート)の拉致事件が発生した。ヒズボラレバノンシーア派イスラム原理主義武装組織である。イスラエル軍は兵士救出のためガザに侵攻、衝突を起こす。

七月一二日、イスラエル軍は報復としてレバノンヒズボラ攻撃のためレバノン南部に侵攻した。二〇〇年にバラクが軍を撤退させて以来六年ぶりの侵攻であった。イスラエル軍レバノン空爆を加え、ヒズボラはロケットなどで応戦し、戦闘に発展した。レバノン戦争と呼ばれる。ヒズボライスラエル軍に大きな損害を与えた。

八月一四日、安保理は停戦決議案を全会一致で採択し、イスラエル軍は国連の停戦決議を受諾した。人質奪還は達成できずイスラエルレバノン侵攻は失敗した。

 

イスラエル軍、ガザ撤退完了

九月、イスラエル軍ガザ地区からの撤退が完了した。

 

二〇〇七年

(一)パレスチナ、「挙国一致内閣」樹立合意も内部対立激化へ

パレスチナ諸派参加の「挙国一致内閣」樹立で合意

パレスチナ内部では主流派のファタハハマスとの間での内部抗争は激化し、パレスチナ人同士の衝突で多数の死者が発生してきた。この事態を打開するため、ファタハハマスパレスチナ諸派が参加する挙国一致内閣を樹立するための協議を重ねることにした。

二月、ハマスファタハの代表は、サウジアラビアの仲介によりメッカで会談し、挙国一致内閣を樹立することで合意した。「メッカ合意」と呼ばれる。

 

ハマス中心の挙国一致内閣樹立へ

挙国一致内閣の合意を受けハニヤ首相はハマスファタハの連立を実現するため首相を辞任、三月、改めてハマスを中心にした第二次ハニヤ内閣を発足させた。国際社会は前向きな動きと歓迎した。

 

挙国一致内閣不和、ファタハハマス対立

パレスチナに挙国一致内閣は成立したが、挙国一致とは裏腹にハマスファタハの溝は埋まらず、二カ月も経たないうちに双方の対立が激化し、内閣は麻痺してしまった。

五月、ハマスによる「アッバス暗殺計画」も発覚するなどファタハハマスの対立はさらに激化していった。

 

(二)ハマスガザ地区全域を掌握

六月一一日、ハマスはガザを占拠し、ハマスファタハの内部抗争は内戦状態にまでに発展した。

六月一四日、ハマスの部隊はガザ地区内の大統領府や保安警察本部を占領、ガザ地区全域の掌握を宣言した。ハマスガザ地区全域を掌握した。

 

(三)パレスチナファタハ支配のヨルダン川西岸とハマス支配のガザに分裂

ハマスガザ地区全域の掌握により、パレスチナファタハ支配の「ヨルダン川西岸地区」とハマス支配の「ガザ地区」に分裂した。

 

パレスチナ大統領令、ハニヤ首相解任措置、首相にファイヤードを指名

六月一五日、ハマスガザ地区全域を支配する事態を受け、パレスチナ国民憲章の大統領令により自治区全体に緊急事態の宣言が出され、ハニヤ首相は解任。ハマス関係者を排除し「第三の道」のサラーム・ファイヤード財務相が後任の新首相に指名され一六日に臨時内閣が発足した。ファイヤードは経済学博士号を持ち、世界銀行国際通貨基金IMF)で勤務したこともある財政通であり、財務相の経歴が長かった。

イスラエルは、パレスチナに非ハマス系のファイヤード内閣が発足したことを受け、昨年に凍結していたパレスチナ政府に対する税還付金の支払いを開始することにした。

 

(五)ガザのハマス、ハニヤ首相解任を拒否し、ガザ地区でハニヤ内閣継続

パレスチナ自治区は臨時内閣の成立により、ファタハが支配する西岸地区と、ハマスが支配するガザ地区に分断され、分かれて支配するようになった。

ハニヤ首相を解任されたハマス側は、「ハニヤ政権は民主的な選挙で選ばれた政権だ」とその正当性を主張し、ハニヤは解任を拒否、ガザ地区でハニヤ内閣は継続しハマスはますます先鋭化していった。

 

イスラエル、ガザ封鎖措置、ハマスは「テロ組織」だとされ次第に孤立

イスラエルハマスに対しては対立姿勢を崩さず、ハマスを弱体化させその脅威を封じ込めるため「ガザ封鎖」行動をとっていく。ガザのハマスは国際的にも「テロ組織」だとされ次第に孤立していくことになる。

 

(七)イスラエル労働党党首にバラク当選

六月、イスラエル労働党の党首選で元首相でもあったバラクが当選した。オルメルト首相はバラクを国防相に起用した。

 

(八)イスラエル、大統領にペレス就任

七月、イスラエルのクネセト(立法府)は大統領にペレスを選出、ペレスが第九代の大統領として就任した。イスラエルの大統領は儀礼的な存在として置かれ、実務は首相が担当する。任期は七年である。

 

(九)イスラエルリクード党首にネタニヤフ

八月、イスラエルリクードの前倒し党首選でネタニヤフが選ばれた。ネタニヤフは二〇〇五年、シャロンオルメルトリクードを離れてからリクード党首として党を主導してきており、圧倒的大差で勝利した。

 

一〇アナポリスで「中東和平国際会議」開催、和平交渉再開の合意

一一月、イスラエルパレスチナの関係が小康状態となったのを機会として、ブッシュ大統領は中東和平に向けて動いた。アメリカのアナポリスで「アナポリス中東和平国際会議」が開催された。

イスラエルオルメルト首相、パレスチナアッバス大統領、アメリカのブッシュ大統領、国連のパン事務総長はじめ各国より多数の代表者が出席した。

イスラエルパレスチナ双方は、「二〇〇八年中(ブッシュ大統領の任期内)に和平合意を目指し、さらに努力すること」で合意した。

 

二〇〇八年

(一)ブッシュ大統領、中東歴訪へ

一月、ブッシュ大統領の任期は残り一年となった。これまで中東和平仲介に積極的でなかったブッシュは大統領任期を終える前に関係首脳と協議するため中東に向かった。

一月九日にイスラエルオルメルト首相と、一〇日にはパレスチナアッバス議長とそれぞれ会談した。しかし、具体的な成果はなくイスラエルに有利な現状を追認する程度で終わり、パレスチナではブッシュに抗議するデモも起きた。

 

イスラエルハマス、交戦状態に

ブッシュ大統領の訪問を機にハマスイスラエルへのロケット攻撃を行った。イスラエルは報復にガザ地区を完全封鎖した。

一月一五日、イスラエル軍がガザ市街地に侵攻、連日空爆を行った。

一月一七日、パン・ギブン国連事務総長が「パレスチナ人による襲撃の即時停止、イスラエル軍の最大限の自粛」を求める声明を出したが、ハマスイスラエルもこれを無視した。

一月二〇日、ガザ封鎖により燃料が底をつきガザ地区唯一の発電所が操業を停止した。

一月二三日、エジプトとの国境に近いラファハ検問所近くの壁が爆破され、ガザ住民が食糧や燃料を求めてエジプト側へ流出した。双方の対立、攻防は続き、一月中だけでもパレスチナ側で一〇〇人近い犠牲者が出た。

 

イスラエルハマス、六カ月間の停戦で合意

ガザは東西の幅五~一二キロ、南北四〇キロのこの狭い土地の中に分離壁が続き、一八〇万人もの人々がひしめくように閉鎖の状況下で住んでいる。ここでイスラエルハマスが衝突を繰り返してきている。ガザの窮状は日増しに高くなっていった。

六月一九日、イスラエルハマスはエジプトの仲介で「一二月一九日までの六カ月間の停戦」をすることで合意した。

 

(四)六カ月の停戦期間終了、停戦延長協議も不調、ガザ中心に交戦続く

エジプト、停戦延長の仲介

一一月、停戦期間終了を目前にしても双方の交戦は止むことはなくガザの不安定状況はピークに近づいていった。エジプトは停戦延長に向け調停を続けた。

 

エジプトの調停不調

一二月一九日、六カ月の停戦期間の終了日である。停戦延長に向けエジプトの調停が続いたが「ガザ封鎖解除の見込みがない」と判断したハマス側が延長を拒否、停戦延長はならず、ガザを中心に双方はまた交戦状態となった。

ハマスイスラエルへロケッと攻撃をすれば、イスラエル軍ハマス支配のガザに激しい軍事攻撃を加える。双方の交戦状態はますます悪化してきた。イスラエルは来年二月の総選挙を控え、各会派とも対ハマスに弱気は見せられず、強硬姿勢で対抗した。

一二月二七日、イスラエルはガザに大空襲を加えた。ハマスはロケットで反撃、双方の攻撃は終わることなく死傷者も続出した。

一二月二九日、イスラエルのバラク防相ハマスとの「全面戦争」を宣言し、各国からの戦争停止の要請にもかかわらず、双方は互いに攻撃を止めない。双方の対立、攻撃状態は年を越して続いていった。

 

イスラエルオルメルト首相辞意表明、カディマの党首に外相のリブニ

九月、オルメルト首相が汚職疑惑で辞意を表明すると、カディマオルメルトの後任の党首選を行い、ツィピー・リブニを選出した。リブニは外相を務めており将来メイア首相に次ぐ女性首相と期待されていた。リブニは当初両親の影響もありリクードにいたが、シャロンと共に二〇〇五年にカディマに移っていた。

 

(六)アメリカ大統領選、民主党オバマが勝利

一一月四日、アメリカ大統領選で民主党バラク・オバマが、共和党のマケイン候補に勝利した。

 

二〇〇九年

(一)ガザでの交戦は続く、安保理が「恒久的停戦」を決議

ガザでの交戦は年を越して続く

一月三日、イスラエル軍空爆に加え地上部隊がガザ地区に侵攻、地上戦に突入した。パン・国連事務総長も事態を懸念し攻撃の即時停止の声明を出すがイスラエルは無視する。地上戦が拡大すればガザの壊滅は決定的である。

一月五日、ブッシュ大統領は「自衛を望むイスラエルの立場を理解する」と述べ、アメリカは停戦の条件として、ハマスのロケット弾発射の停止、エジプトからガザへの武器密輸ルートとなっているトンネルへの対応、ガザとイスラエルとの境界にある検問所の再開などを提示した。しかし、ハマスイスラエル寄りだとして拒否した。

 

安保理が「恒久的停戦」を決議

一月八日、安保理は「即時停戦」の上、「恒久的停戦」を決議し、「イスラエル軍のガザ撤退」を合わせて決議した。決議は賛成一四、棄権一であった。棄権一はアメリカであり、アメリカの親イスラエル路線は続いておりイスラエル・ロビーの影響力はここにも及んでいる。

安保理の決議に対し、イスラエルハマス共にこれを黙殺、イスラエルの攻撃は続き、ガザの被害はさらに増していった。

 

)ガザでの交戦、多くの死傷者と地区の潰滅的被害を残し停戦

ガザでの交戦、大きな被害を残し停戦

一月一七日、イスラエル軍の大規模攻撃でガザ地区は壊滅的な打撃を受け、受け身のハマス側は「一週間の停戦」を表明した。

一月一八日、イスラエルハマス側の表明を受け攻撃を中止した。一応攻撃は止まり暫定的な停戦となった。

一月二〇日、イスラエルはガザから軍を引き、双方が一方的に停戦を宣言した。ガザでの紛争は停止したがイスラエルガザ地区の封鎖は継続したままであった。

 

「ガザ紛争」

ガザを中心とする双方の戦いを「ガザ紛争」と呼ぶ。アラブ諸国は「ガザの虐殺」と呼んでいる。イスラエルアメリカのオバマ大統領の就任日と同じ一月二〇日にガザから軍を引くという行動を示し、「イスラエルはワシントンの動きに気を遣っていた」ともいわれる。この戦闘でパレスチナ側の死者は一四〇〇人以上にもなり、うち九〇〇人以上は民間人だという。イスラエル側の死者は市民三人を含む一三人で、あまりに一方的な「戦争」の惨状は国際的にも注目され、どのようにガザが復興できるか各国の支援と協力が期待される。

九月、国連人権理事会はハマスの対イスラエルロケット弾攻撃とともに、イスラエルのガザ攻撃を「戦争犯罪」と非難する報告書を発表した。

 

(三)アメリカ、大統領にバラク・オバマが就任

一月二〇日、アメリカ第四四代大統領に民主党バラク・オバマ(一九六一~)が就任した。オバマはハワイ生まれ、アフリカ系初の大統領となった。

 

イスラエル総選挙、リクード伸び党首ネタニヤフが議会多数派工作成功

二月、イスラエルの総選挙が行われた。カディマは二八議席で第一党を維持したが、リクードは一二から二七議席と大躍進しカディマに一議席と迫って第二党を確保し、全体では右派勢力が過半数となった。リブニ党首のカディマは第一党となったが、リクードの党首ネタニヤフが、リクード労働党、シャスなど六党からなる議会多数派工作を成功させた。

 

)ガザ復興支援の国際会議開催される

三月二日、ガザ紛争で大きな被害を受けたガザ地区への緊急支援や経済復興などについて協議するため、エジプトとノルウェーの共催による「ガザ復興のためのパレスチナ経済支援に関する国際会議」がエジプトのシャルム・エル・シェイクで開催された。エジプトのムバラク大統領、フランスのサルコジ大統領、イタリアのベルルスコーニ首相、イギリスのブレア前首相、国連のパン事務総長、アメリカのクリントン国務長官パレスチナ自治政府アッバス議長ら七五の国家や機関の代表者が集まり総額約四五億ドルの支援が発表された。パレスチナ国家建設に向け、中東和平プロセスの進展の重要性を認識し合い、イスラエルパレスチナ双方の長期の停戦の確立、早期のガザ復興の為の経済援助などを話し合った。アメリカ、EU始め各国が支援を表明した。

しかし、この会議には当事者のイスラエルハマスも招かれておらず、イスラエルによるガザ地区封鎖が続く中だけに、いかに復興を推進するかという根本的な課題は残されたままであった。

 

イスラエル、首相にネタニヤフ就任、第二次ネタニヤフ政権発足

三月三一日、多数派工作を成功させたネタニヤフが第一七代の首相に就任した。第一次政権(一九九六~一九九九)から一〇年ぶりに第二次ネタニヤフ政権を発足させた。

ネタニヤフ政権は労働党党首のバラクを引き続き国防相に置き、外相には右派「我が家イスラエル」の党首リーベルマンを据え、宗教政党など六党が加わり対パレスチナへの基本姿勢を確立していく。

ネタニヤフ首相はカディマを意識しながら「二国家共存」を表明するが「パレスチナ国家」の容認は限定的でリクードの基本姿勢は崩さない。「パレスチナ国家」を認めるには、①パレスチナは非武装で制空権を有しない。イスラエル軍が駐留する。②エルサレムの分割はしない。③入植地拡大は継続する。④パレスチナ人の帰還権は認めないなど諸条件が必要だとする。

 

(七)オバマ大統領、中東和平交渉再開に意欲

六月、オバマ大統領は就任から半年、カイロを訪問し中東和平交渉の再開に意欲を示した。「イスラエルパレスチナの紛争解決の唯一の方法はパレスチナ国家樹立による二国家解決策だ」と述べ、イスラエルには入植地拡大の中止を強く要求、パレスチナにはテロなど暴力の放棄を求めた。

 

(八)アッバス議長、イスラエルのネタニヤフ政府を牽制

九月、アッバス議長は、プレスインタビューに応じ、イスラエルとの和平交渉について次のような見解を示した。

イスラエルのネタニヤフ政府を「問題」であるとし、「ネタニヤフ政府と話し合う共通の土台が存在しない」、「国境問題やその他基本的な問題についてオルメルト前政権との協議で到達した地点から交渉を再開すべきだ」と述べた。

いよいよ「二国家共存」、「和平推進」に向けて関係者の話し合いが必要となってきた。

第一八章 二〇一〇年から二〇一五年までの中東情勢

中東情勢を含め國際間の諸問題はますます複雑になり、解決困難な状況が重なってくる。

二〇一〇年(平成二二年)から二〇一五年(平成二七年)までの主なイスラエルパレスチナ情勢について年を追って見ていく。

 

二〇一〇年

(一)トルコとイスラエル対立、ガザ支援船襲撃事件が発生

イスラエルとトルコの対立は、二〇〇三年のエルドアン政権の成立後急速に悪化していた。二〇〇九年一月のダボス会議で、エルドアン首相がイスラエルのガザ攻撃についての討論に際してイスラエルのペレス大統領の発言を批判し退席してしまったこともあった。トルコはイスラエルを非難する一方、イスラエルと対立している同じイスラム仲間のパレスチナに理解を示し、「自由ガザ運動」を中心にガザの復興援助に動いていた。

二〇一〇年五月三一日、イスラエル軍による「ガザ支援船襲撃事件」が発生した。トルコ中心で構成された「自由ガザ運動」のパレスチナ支援の六隻のガザ救援船団が、イスラエルにより封鎖中のガザへ建材や医療機器など救援物資を運搬中、ガザ沖の公海上イスラエル軍に急襲され、トルコ人を含む一〇人が死亡し多くの負傷者がでた事件である。

トルコのエルドアン首相は激怒し、「イスラエルの犯罪は必ず罰せられなければならない」とイスラエルを激しく非難、トルコ側は「イスラエルが謝罪しなければ国交断絶だ」と主張しイスラエル、トルコの関係はさらに悪化し対立が続いていった。イスラム諸国からは「エルドアンはアラブの仲間、パレスチナの良き理解者」だとトルコの行動を称えた。

この事件は国際的にも注目され、「ガザ封鎖解除」への国際世論は高まっていった。

 

(二)イスラエルパレスチナの直接交渉再開、しかし一カ月で中断

イスラエルパレスチナの直接交渉再開

二〇一〇年九月二日、アメリカの強い要請でイスラエルパレスチナの直接交渉が約一年八カ月ぶりに再開された。しかし交渉は全く先に進まなかった。

九月二六日、暫く凍結されていたイスラエルの入植活動の凍結期間が終了し、入植地建設が始まった。パレスチナは入植活動の凍結延長を求めたがイスラエルはこれを拒否した。

 

アッバス議長、「和平交渉の中断」を表明

一〇月八日、アッバス議長はイスラエルによる入植活動が再開されたことに反発し、和平交渉の会合への参加を取りやめ「和平交渉の中断」を表明した。

和平交渉は進展せず、交渉再開から僅か一カ月で中断となった。イスラエルによる入植活動は、パレスチナにとっては我慢できない大きな障害として立ちはだかっている。

 

(三)イスラエル、「イスラエルユダヤ人の国」との主張を前面に出す

イスラエルパレスチナの「和平交渉中断」姿勢に対抗して対パレスチナに強硬姿勢を示す。イスラエルは「ユダヤ人の国」との主張を強く出し始める。

 

イスラエル市民権取得に関する法案可決

二〇一〇年一〇月一〇日、イスラエルは「新たにイスラエル市民権を取得する者にユダヤ人国家に忠誠を誓わせること」という法案を可決した。「イスラエルユダヤ人の国」を主張する。

 

イスラエルユダヤ人国家」の主張

一一月、ネタニヤフ首相はパレスチナ自治政府に対して、入植活動を凍結する見返りに、「イスラエルユダヤ人国家として承認するよう」要求した。イスラエルの全人口の約二割近くは非ユダヤ人(イスラエル建国前からそこに住んでいたアラブ人、つまりパレスチナ人)である。イスラエルユダヤ人国家と認めることはここに住むいわゆる「イスラエルパレスチナ人」をばっさり切り捨てることにほかならず、二国家共存を主張するパレスチナにとって「イスラエル一国家」案にもつながるもので、イスラエルを「ユダヤ人国家」としての承認は決して受け入れられるものではない。

 

(四)チュニジア一青年の焼身自殺から「治安混乱」へ

北アフリカチュニジアは、一九五六年フランスから独立した国であり、ベンアリ独裁政権が二三年も続き、長期経済的不況から市民間に不満が溜まっていた。

二〇一〇年一二月、チュニジアの中部の町で野菜売りの一青年が焼身自殺するという事件が起きた。青年は街頭で野菜や果物を販売していたが、警察官から「営業の許可を得ていない」としてとがめられ暴行や侮辱を受けた。青年は役所に没収された商の返還を求め何度も交渉に行くが逆に賄賂を要求された上にきつく追い返された。家族の養いもできず絶望した青年は遂に抗議のために焼身自殺をした事件である。抗議運動は瞬く間にチュニジア全土に広がった。国民の不満は警察官に対するものだけでなく腐敗したベンアリ体制そのものに対する抗議運動に発展した。イスラム教において「自殺」は厳しく禁じられ、しかも「自分の体に火」などとは決して許されない。青年はそれを破った。しかしそれでも多くの市民は青年の行為を支持した。それほど当局への市民の不満は高まっていた。デモが続発し治安当局と衝突、多くの死傷者も出た。国内の混乱は年を越えて続いた。チュニジアの混乱は次第に他の国々にも影響を与えていく。

 

二〇一一年

(一)チュニジアの革命(ジャスミン革命)、ベンアリ政権の崩壊

チュニジアでの民主化運動、政権打倒行動の波はますます拡大した。ベンアリ政権は鎮圧に躍起になるが市民はどこまでも対抗した。治安軍はこれ以上市民の反発を抑えきれないと判断して政権から離反した。

二〇一一年一月一五日、ベンアリ大統領はサウジアラビアへ亡命、ここにチュニジアのベンアリ政権は崩壊した。この政変はチュニジアの代表的な花の名から「ジャスミン革命」と呼ばれる。

 

チュニジアの革命、アラブ諸国の政変に大きな影響を与える(アラブの春

チュニジアのように独裁体制への不満が募っている国は周辺に多くある。ジャスミン革命は瞬く間に他のイスラム国の政権にも大きな変革をもたらすことになった。エジプト、リビア、シリア、イエメンなどこの一連の政変は、一九六八年から起きたチェコスロバキアの自由化運動「プラハの春」にちなんで「アラブの春」と呼ばれる。

 

(三)ヨルダン、リファーイー内閣総辞職

二〇一一年二月一日、ヨルダンでは反政府デモの拡大の末、リファーイー内閣が総辞職した。

 

)エジプト、ムバラク政権の崩壊(エジプト革命

ジャスミン革命はアラブのリーダーを主張するエジプトにも飛び火、大きな政変の波が起きた。

二〇一一年二月一一日、エジプトのムバラク政権は一月二五日より続いた大規模反政府デモにより崩壊した。

軍最高評議会が暫定政権を担うこととなった。辞任を拒んでいたムバラク大統領も遂に折れシャルム・エル・シェイクに移り、三〇年に及んだ独裁政権が終わった。二〇一一年エジプト革命である。

二月一二日、軍最高評議会は「半年以内に新たな大統領と議会の選挙を行う」とした。これまでムバラク大統領は中東問題に深く関わってきたがムバラク政権の崩壊はその後のイスラエルパレスチナの情勢に大きな影響を与えることになる。

 

カダフィ退陣のリビア内戦、今に続くシリア内戦などアラブ諸国で政変へ

二〇一一年二月一五日、リビアではカダフィ退陣デモが激しく「リビア内戦」となり、四二年間続いたカダフィ政権が崩壊した。三月にはシリアで政府軍と反政府軍の戦闘が始まり今に続く「シリア内戦」がとなった。イエメンその他の国々にも政変の影響が生じていった。

アラブの春」はその後の中東情勢を始め国際情勢に多大な影響を与えて行くことになる。

 

イスラエル、バラク防相労働党を離党、新党「独立」を結成

イスラエル労働党は第二次ネタニヤフ政権では連立を組み、党首バラクは国防相に就いている。

二〇一一年一月、党内左派との対立が拡大してくるとバラクは副国防相マタン・ヴィルナイら数人と集団離党し、新党「独立」を結成し労働党を離れた。労働党勢力は大きく落ち込んだ。

 

安保理、「イスラエルの入植活動の即時停止を求める決議案」を審議

二〇一一年二月中旬、安保理イスラエルの占領地での入植活動の即時停止を求める決議案を審議した。一五カ国中一四カ国が賛成、アメリカは拒否権を行使した。拒否権行使のアメリカは「入植に正当性はないが、決議は和平交渉再開に有効ではない」と釈明した。

オバマ政権に期待していたアッバス議長は落胆した。イスラエルの和平派も失望を隠せなかった。国際社会も驚きを見せ、オバマ政権の今後の中東和平への姿勢に目が離せない。

 

パレスチナ、「ファタハ」と「ハマス」和解へ動く

アラブの春」に揺れるアラブ諸国の動きの間に、パレスチナ内部においても若者を中心に「ファタハ」と「ハマス」の和解を求める動きが出てきた。

 

ファタハ」と「ハマス」和解への基本合意

二〇一一年四月二七日、「ファタハ」と「ハマス」はエジプトの仲介で、「挙国一致内閣を成立させ、一年後を目途に総選挙を行う」ことなどの和解への基本合意をする。

五月四日、双方は和解合意の調印をし、正式に発表した。

主な点は、

一、実務的な暫定内閣を樹立する

二、一年以内に議長、評議会(議会)選挙を実施する

三、治安部隊を統合する

四、対外交渉は引き続きPLOが行う

などである。

 

和解が早まった原因

離反していた「ファタハ」と「ハマス」の歩み寄りが早まった原因が三つ程あるといわれる。

一、まずムバラク大統領失脚によるエジプトの情勢変化にある。エジプトは一九七九年イスラエルと和平条約の調印をし、一九九四年にヨルダンがイスラエルと和平条約を結ぶまでアラブ諸国で唯一のイスラエルと外交交渉を持った国であった。ムバラク大統領はハマスがガザで勢力を伸ばすとハマスと縁のある自国の同胞団が勢いづいてしまう恐れがあると自国の「同胞団」の動きに神経を使っていた。そのムバラクが失脚したことでハマスがエジプトの仲介を受け易くなったため、パレスチナでの「ファタハ」と「ハマス」の和解交渉が早く進んだといわれる。

二、またガザ住民が「ファタハ」と「ハマス」の分裂状態の解消を求め、またガザのハマス支配が続く限りイスラエルの封鎖も解消されないとの危機感からのデモ発生も双方の和解を早めたともいわれる。

三、さらに、シリアのアサド長期政権批判への民衆デモの拡大で、アサド政権の瓦解が現実的になりつつある不透明な状況下で、シリアに拠点を持つハマスの最高指導者ミシュアルがファタハと妥協せざるを得なくなったということも一因という。

だが、このような原因により和解が早まったとはいえ、現実には目に見えた進展は現れて来なかった。

 

オバマ大統領、「国家共存の境界線は一九六七年ライン」と表明

オバマ大統領、「二国家共存のための国境線は、第三次中東戦争前の国境線を基本とすべきだ」と発言

二〇一一年五月一九日、オバマ大統領は、国務省で「ファタハ」と「ハマス」の和解を受けるかたちで中東情勢とその政策について演説した。その中で、「イスラエルパレスチナの二国家共存のための国境線は、第三次中東戦争前の国境線を基本とすべきだ」と表明した。一九六七年の第三次中東戦争で、「イスラエルが占領地を獲得する前の停戦ラインを基本として国境を確定すべきだ」との考えを示したもので、「国境線」についての指針をアメリカ大統領として初めて明確に示した。

 

オバマ発言に対しネタニヤフ首相は拒否

このオバマ大統領の国境発言にパレスチナは一応の評価をするがイスラエルは強く反発した。

オバマ演説の翌日にオバマ大統領とホワイトハウスで会談したネタニヤフ首相は、「一九六七年のラインまでの撤退は絶対ありえない。イスラエルの安全を脅かすもので容認できない」とオバマ発言を突っぱねた。

 

オバマ大統領は「ハマスはテロ組織だ」と表明

またオバマ大統領はこの中東情勢発言の中で「ハマスはテロ組織であり、ハマスとは交渉しない」とも述べ、ハマスをテロ組織だとした。

 

一〇パレスチナ「国連加盟申請」、安保理協議するも不承認

ファタハ」と「ハマス」の和解の競技も順調に進まなかった。またイスラエルとの交渉も暗礁に乗り上げている現状の中でパレスチナは次の対策に出た。パレスチナの国連加盟の申請である。

 

パレスチナの国連加盟の申請

二〇一一年九月一六日、アッバス議長は「パレスチナを国家として認めさせる」、「九月二三日に国連に加盟申請する」との最終決定を発表した。

九月二一日、オバマ大統領は国連総会の一般討論演説でパレスチナの国連加盟申請に反対する意向を表明した。

九月二三日、アッバス議長はオバマ大統領の反対表明にもかかわらず、パレスチナの国連加盟を申請した。

 

安保理パレスチナの国連加盟の申請を協議、「不承認」となり事実上棚上げに

申請を受けた国連は直ちに安保理で協議した。理事国一五カ国の中で九カ国以上の賛成があれば国連総会に加盟を勧告することが出来ることになっていた。しかし協議の結果、加盟支持は中国、ロシア、インド、ブラジル、南アフリカレバノンの六カ国で九カ国に達しない。アメリカは拒否権行使を表明した。

この結果から、パレスチナの国連加盟の件は安保理の承認が取り付けられない状況となり審査は事実上棚上げとなった。。イスラエルは一連の顛末を「愚か者の劇場」などと非難した。

 

一一イスラエル労働党党首に女性のヤヒモビッチ

二〇一一年九月二二日、イスラエル労働党党首にシェリー・ヤヒモビッチ(五三歳)が就任した。今年の初めにバラク防相らが労働党を離れ党勢が落ち込んでいたが、女性力を発揮し党勢がどこまで回復するか期待された。

 

一二パレスチナ、「国連教育科学文化機関(ユネスコ)」加盟承認される

国連加盟が成らなかったパレスチナは、今度は国連教育科学文化機関(ユネスコ)への加盟を申請した。

二〇一一年一〇月三一日、ユネスコパレスチナの加盟を問う採決を行い、賛成多数でパレスチナユネスコ加盟が決定し、一一月のユネスコ総会で可決されて正式に加盟となった。イスラエルアメリカは反対した。

 

二〇一二年

アラブの春」の波は引き続きアラブ諸国を中心に大きなうねりとなっていく。

イスラエルパレスチナの和平交渉は中断されたままであり、パレスチナ内部のファタハハマスの協議も進展しない状況が続いていた。

 

(一)イスラエル軍ハマス幹部を拘束

二〇一二年一月一九日、イスラエル軍ハマスの幹部のアジス・ドゥエイク評議会議長をテロ組織に関与しているとして拘束した。ハマス側はイスラエルが「ハマスファタハの統一政権の樹立の動きを妨害しようとしている」と非難した。

 

(二)エジプト、大統領にモルシ自由公正党党首が就任

エジプトでは昨年のムバラク政権崩壊後、ムスリム同胞団が合法的な政治組織として活動を始め、「自由公正党」を組織した。同党は一二月の選挙で第一党となり、一般市民の支持も得てエジプト史上初めての自由選挙による大統領選で同党党首のモルシ氏を大統領に選んだ。

二〇一二年六月三〇日、モルシ政権が発足した。

 

(三)アッバス議長、「パレスチナの範囲」について発言、反応大

進まない和平、不安定な中東情勢は続いている。

 

アッバス議長の発言

二〇一二年一一月二日、アッバス議長の民放番組での発言が注目された。「私にとって(東エルサレムを含む)ヨルダン川西岸とガザがパレスチナで、それ以外がイスラエルである」、「私は難民であるが現在はラマラに住んでいる。(生れ故郷の)サファドを訪れることは私の権利であるが、住むことはそうではない」などと述べた。この発言は領土問題や帰還権にも触れるものとしてイスラエルパレスチナの反応は大きい。

 

アッバス発言への反応

アッバス発言があった翌一一月三日、イスラエルのペレス大統領は直ちに「歓迎する。この勇気ある言葉はイスラエルが真のパートナーを有していることを示している」、「我々は最大限の尊敬を持ってその言葉に応えなければならない」と述べた。

パレスチナでは「現実的だ」と評価する声がある一方、PFLPやハマスなどは「極めて危険だ。生まれ故郷への帰還権を放棄する発言は誰であっても許されない。難民帰還権は譲歩できない権利だ」と反発した。

 

(四)イスラエルハマス、互いに攻撃し合うも大衝突に至らず停戦

イスラエルパレスチナの和平交渉は中断したままで新しい進展がない。さらにイスラエルハマスの対立も止まず、イスラエルによりハマス幹部が拘束されるなど依然双方の衝突事件が頻発している。

 

イスラエル軍ハマスの衝突

二〇一二年一一月一四日、イスラエル軍がガザを空爆し、ハマス指導者で軍事部門トップのアフマド・ジャバリらを殺害した。

一一月一五日、イスラエル軍空爆は続き、ハマスはガザからロケット弾で反撃、イスラエル人三人が死亡した。ロケット弾はテルアビブにも飛来した。イスラエルのネタニヤフ首相は来年一月の選挙を控え弱腰を見せられない。四年前(二〇〇八年)の衝突ではイスラエル軍の地上侵攻もあり大紛争となったが、同じようになることが心配された。

アメリカやエジプトの停戦調停が続けられた。エジプトはイスラエルと平和条約を結んでいる。それにモルシ大統領はハマスとも話しが通じる。モルシ大統領は粘り強く仲介し、その努力は高く評価された。

 

停戦

一一月二一日、イスラエル軍のガザ空爆から八日目、調停が進み幸いにも前回のような衝突に至らず双方は停戦に合意した。

 

(五)国連総会、パレスチナの資格を「オブザーバー国家」に格上げ決議

パレスチナは前年(二〇一一年)六月、国連に加盟申請をしたが安保理段階で承認が得られなかった。その後一年半、状況は少し好転してきた。

 

国連総会、パレスチの資格を「オブザーバー国家」に格上げ決議

二〇一二年一一月二九日、国連総会でパレスチナ自治政府の資格を「オブザーバー組織」から「オブザーバー国家」に格上げする決議案が採択された。この日は一九四七年に国連パレスチナ分割案が採択された日と同日であった。つまり国連総会での分割決議から六五年目に当たる日であった。国連での「オブザーバー組織」の資格は一九七四年から認められており、「オブザーバー国家」への格上げが認められたことによりさらに一歩「パレスチナ国家」に向け前進したといえる。

決議の骨子は、

一、パレスチナ国家の独立権を再確認

二、パレスチナに(国連の正式メンバーでない)「オブザーバー国家」の資格を承認

三、一九六七年(第三次中東戦争)以前の境界に基づくパレスチナイスラエルの二国家共存に貢献する決意

四、中東和平交渉再開の必要性を表明

などである。

オブザーバー国家への格上げにより、世界保健機関(WHO)など多くの国連の機関や国際会議への参加資格を得ることが出来るようになった。

 

アメリカ、イスラエルは「反対」

決議は賛成一三八、反対九、棄権四一と国際社会の高い支持を見せつけた。ヨーロッパ主要国始め多くの国が賛成したのに対し、アメリカ、イスラエルは反対である。アメリカ、イスラエルの「反対」は、和平への展望に水を差すものでありパレスチナの今後に大きく影響していく。

 

イスラエル、入植地拡大を続ける

パレスチナのオブザーバー国家への格上げに反対するイスラエルのネタニヤフ首相は、「何も変わらない。格上げはパレスチナ国家創設を遠ざけるだけだ」と突き放し、ユダヤ人入植地の拡大を宣言、住宅三〇〇〇戸の建設計画を発表するなどさらに和平路線から遠のく施策を進めていく。

 

(七)パレスチナ、「ファタハハマスの関係改善を優先」することを決める

パレスチナは国連での資格格上げにより、国際刑事裁判所(ICC)に加盟する道も開かれ、イスラエルをICCに訴えることも可能になった。しかし和平への展望は開けず名目的な格上げに冷ややかに見る住民も多い。

ファタハハマスは和解に「合意」としているが、現実には和解は実現していない。

パレスチナ内部での対立は続いている。パレスチナ国家の実現には国民統合、和解が優先だ。未だに対立するファタハハマスの関係改善を早期に進めることが重要だ」と指摘する声が高まってくる。パレスチナとしては当面「ハマスとの和解など自国内の関係改善を優先」する考えが示されてきた。

 

二〇一三年

(一)ファタハハマス、和解に向けて話し合い加速へ

ファタハハマスは和解に向けて動き出した。

二〇一三年一月九日、ファタハハマスの対話が進む中、アッバス議長とハマスの責任者ハーレド・マシャル政治局長が会談、「和解交渉を加速する」ことで合意した。

四月二日、ハマスは政治局長選挙を行い、マシャル氏が再任された。マシャル氏は一九九六年の政治局設立当初から局長を務め、ハマスの創設者ヤシーン氏らがイスラエル軍により殺害された二〇〇四年から組織全体の指導者を兼ねている。

 

イスラエル総選挙、第三次ネタニヤフ政権発足

二〇一三年一月二二日、イスラエルのクネセト(議会)総選挙が施行された。ネタニヤフ首相率いるリクードは第一党となったが過半数に届かない。ネタニヤフ首相は中道政党らと連立を組んだ。

三月一八日、中道のカディマからリブニ党首が法相として入閣、第三次ネタニヤフ政権が発足した。国防相であったバラク元首相は政界を引退、後任国防相リクードのモシェ・ヤアロンが就任した。労働党は政権を離脱し野党第一党となった。

 

(三)パレスチナ、ファイヤード首相が辞任、後任にハムダラ

二〇一三年四月一三日、パレスチナ自治政府首相を約六年務めたファイヤードが辞表を提出、次期首相が選出され次第辞任することになった。

六月六日、ファイヤード首相の後任として大学の学長ラミー・ハムダラが就任した。しかし、同時に設置された副首相の権限をめぐりアッバス議長と認識の相違いから約二週間で辞表を提出した。辞表は一旦受理され

たがその後再び首相に指名され続投した。

 

イラン大統領にロウハニ師

二〇一三年六月、イラン大統領に保守穏健派のハサン・ロウハニ師が当選し、八月に第七代大統領に就任した。

 

)エジプトのクーデター、モルシ政権一年で挫折、マンスールが暫定大統領

エジプトのモルシ政権は、国民の支持を得て発展すると期待されたが、徐々にイスラム色も強まり支持は薄れていった。経済低迷も続き、次第に反モルシ、反同胞団のデモが頻繁に起き、同胞団側との衝突で死傷者も出てきた。軍は中立を装いながら反モルシの機会を狙っていた。

二〇一三年六月、カイロのタハリール広場に大群衆が集結しモルシ政権退陣を迫った。

七月三日、シシ軍最高評議会議長を中心とするエジプト軍がモルシ大統領の退陣を求めクーデターを起こし、憲法を廃止、モルシ大統領の権限を剥奪した。最高憲法裁判所長官のマンスールが暫定大統領に就き、正式大統領が選挙で選出されるまで統治にあたった。軍のクーデター以降、軍と同胞団の対立は続いていった。ガザの大きな支援者だったモルシ政権の崩壊は、ガザに大きな影響を与えた。エジプトからの密輸トンネルの大部分は破壊され物資や燃料が窮乏し、経済は悪化、ハマスは窮地に追い込まれていった。

 

(六)オバマ政権、「和平交渉」再開に積極的に動く

アメリオバマ政権は今年二〇一三年一月から二期目に入っている。オバマ大統領はシリアの内戦やエジプトの政変など激動する中東情勢にうまく対応できていないとも批判されている中で、「中東和平問題で存在感を示す時は今だ、二〇一〇年から頓挫している中東和平の交渉再開の仲介に動けるのは、政権中間のこの時以外にはない」との判断もあり積極的に動き始めた。

ケリー国務長官は精力的にイスラエルパレスチナなど中東訪問を重ね、ネタニヤフ首相やアッバス議長と会談、和平交渉再開について調整を続けた。

 

イスラエルパレスチナ、和平交渉再開に向けて双方共に強気

アメリカの全力和平交渉仲介が続き、二〇一三年七月二九日から交渉が再開できることとなった。

アッバス議長は和平交渉再開を前に訪問先のエジプトでパレスチナの姿勢を強調した。ユダヤ人の入植や境界線などに触れ、「ユダヤ人の入植者の存在は認めない。最終的には我々の土地に留まることはない」と述べ、西岸の入植やエルサレムの将来について「必要な譲歩は既に行った。同規模の土交換は協議に応じるがそれ以上でも、それ以下でもない」と強い姿勢を強調した。

一方、ネタニヤフ首相は従来からの強硬姿勢に変わることなく、アッバス大統領の主張には耳を貸さず、これに応ずる気配はない。

和平交渉を前にしての両者の意見の隔たりは大きく、どこまで歩み寄りが出来、真剣に交渉が進展するか注目されていく。

 

(八)三年ぶりに「和平交渉」再開、交渉期間は二〇一四年四月末までの九カ月

「和平交渉」再開、国際社会は交渉に期待

アメリカ仲介の努力が実り三年ぶりにイスラエルパレスチナの和平交渉が再開された。本格的な効果ある交渉になるか国際社会は期待を持って注視した。

二〇一三年七月二九日、イスラエル代表のリブニ法相とパレスチナの和平交渉アリカット代表は、二〇一〇年一〇月から中断していた中東和平交渉をアメリ国務省で再開した。アメリカは中東和平特使としてインディック元イスラエル大使を指名、ケリー国務長官も出席した。

 

交渉は二〇一四年四月末日までの九カ月間の予定

「中東和平交渉再開」の報道は、国際的に大きく伝えられ、拍手をもって歓迎された。交渉期間は前回(二〇一〇年)の交渉が約一カ月で中断した反省を踏まえ、今回は成果を急がず来年四月末日までの九カ月間を予定することで合意した。

オバマ大統領は交渉の難しさを指摘した上で「平和で安全に隣り合って暮らす二つの国家を実現するという目標に向け、アメリカは交渉全体を支援する」と強調した。

国務省のサキ報道官は「九カ月は交渉期限ではなく、進展があるなら延長もあり得る」と述べた。いよいよ和平の実現に明るい光が見えてきた。国際社会は、今度こそは交渉が軌道に乗り、順調に合意に進みそうだと期待し、双方の問題解決に向けての誠意ある取り組み姿勢とアメリカの仲介努力に注視した。交渉期限は来年四月。精力的な交渉が期待された。

 

解決すべき難題山積

交渉は再開されたが双方の間には解決すべき極めて困難な問題が山積する。

一、二国家共存でのパレスチナ国家の領土と国境の画定

二、共通の聖地エルサレムの帰属

三、パレスチナ難民の帰還問題

四、イスラエルによる占領地へのユダヤ人入植問題

など、いずれもこれまで何度も俎上に上ったが決裂したものばかりである。

 

主要問題の協議に入る前に相互の「信頼醸成措置」としての「妥協」策

難問ばかりであるので双方交渉者は直ちに本題に入らず、「交渉の進め方、交渉順序」などを協議し、会議を軌道に乗せることを優先した。そのために互いに「信頼醸成措置」ともいえる「妥協」の策を図ることにした。

イスラエルパレスチナの要望を入れ、収監中のパレスチナ人囚人一〇四人の段階的な釈放を決めた。

パレスチナは今まで強く求めていたイスラエル占領地での入植活動凍結を交渉継続の条件として求めないとした。

七月三〇日、二日間のワシントンでの協議を終え、次回からの実質協議を二週間以内に始めることとした。だが、交渉の優先順位で隔たりもあり、この先交渉が順調に進むか楽観を許さない。

 

(九)イスラエル、入植計画を進める一方、パレスチナ囚人二六人を釈放

二〇一三年八月一四日から和平交渉の実質協議に入ることとなった。

イスラエルはその前に大規模な入植計画を決め入植継続姿勢を示す一方、パレスチナ囚人の釈放を行った。

八月一一日、一二〇〇戸の住宅建設計画を発表、続いて協議に入る前日の八月一三日に東エルサレムで新たに九四二戸の入植計画を決めたと発表した。

八月一四日交渉開始当日の早朝、パレスチナ囚人一〇四人の釈放方針のうちその第一弾として二六人を釈放した。

パレスチナ側は囚人が釈放されたことを歓迎するが大規模な入植継続に不安が高まった。

 

(一〇)エルサレムで和平への実質協議始まる

二〇一三年八月一四日、実質協議がエルサレムで始まった。三年前の交渉が約一カ月で中断したのは入植活動継続が大きく影響した。今回の交渉に際しても入植活動は中断されず続いている。「入植活動継続」が先回と同じように障害とならないか大変懸念された。

九月一三日、この日は双方にとって大きな転機となった一九九三年の「オスロ合意」がなされてから二〇周年を迎えた日である。オスロ合意の意義を双方が再認識し今回の交渉が順調に進むことが期待された。

しかし、現実には双方が自分に有利なように解釈し、相手への非難中傷が先に立ち、なかなか交渉本題に入れなかった。

 

(一一)和平に向けてのオバマアッバス会談とローマ法王アッバス会談

二〇一三年九月二四日、オバマ大統領はアッバス議長と会談し、「パレスチナイスラエルとの和平交渉を成功させるため、あらゆる努力を払う」と言明し、「イスラエルと将来のパレスチナ独立国家の境界線は土地交換を伴う一九六七年の境界線(第三次中東戦争前の境界線)に基づくべきだ」と改めて強調、イスラエルが一部の入植地を併合する代わりに領土の一部をパレスチナ側に譲る「土地交換」に言及した。この境界に関する見解は交渉を進める上での有力な妥協点の一つとして注目された。

一〇月一七日、ローマ法王アッバス議長が会談し、両者は「和平交渉再開」が「紛争の公正かつ永続的な解決」に繋がるようにと期待を表明した。

 

一二イスラエルパレスチナ囚人二六人を第二弾として釈放

二〇一三年一〇月二八日、オバマ大統領はネタニヤフ首相と電話会談し和平交渉の進展を促した。

一〇月三〇日、イスラエルパレスチナ囚人二六人を第二弾として釈放した。

 

(一三)ネタニヤフ首相、入植住宅建設拡大を決定、パレスチナ側は非難

イスラエルパレスチナ囚人の釈放をする一方、入植地拡大の動きは止むことなく続け、パレスチナ側をさらに刺激した。

二〇一三年一〇月三〇日、ネタニヤフ首相はパレスチナ人囚人二六人を釈放した同じ日、一五〇〇戸の住宅建設推進を決めた。政権内の和平反対派への配慮と見られるが、ますます拡大する入植計画にパレスチナ側は「和平プロセス」の障害だと非難の声を高めていった。

 

一四)ケリー国務長官、進展しない和平交渉に懸念表明

順調に進展していない和平交渉であるがアメリカは辛抱強く仲介努力を続ける。

二〇一三年一一月一日、イスラエルを訪問中のケリー国務長官は「和平交渉が決裂すればイスラエルは国際的に孤立する。和平交渉へのイスラエルの協力が不十分だ。このままであると第三のインティファーダが起こる可能性がある」と現在継続中の和平交渉が進展していない現状から懸念を表明し、双方に「和平交渉の加速」を促した。

 

一五イスラエルリーベルマン(右派「我が家イスラエル」党首)外相再任

二〇一三年一一月一一日、イスラエル国会はリーベルマン前外相の再任を承諾した。リーベルマンは昨年一二月、背信行為などの罪で起訴され外相を辞任していたが、一一月六日の裁判で無罪となっていた。リーベルマンは右派「我が家イスラエル」の党首であり、対パレスチナの強硬派であるため、政権復帰後は中東和平交渉に悪影響を及ぼすとの見方も出てきた。

 

一六)ネタニヤフ首相、大規模入植住宅の建設計画撤回を命じる

イスラエル住宅省が過去最大規模となる入植者用住宅二万戸の建設をヨルダン川の西岸や東エルサレムに新たに計画した。和平交渉は進展のないまま三カ月以上が経過しているが、今回の計画は態度を硬化していたパレスチナ側をさらに刺激した。パレスチナ側は、「イスラエルがこの計画を止めなければパレスチナは国際機関へ加盟申請を行うなどの対抗措置を取り、和平プロセスの終わりを宣言することになる」と猛反発。和平交渉を仲介するアメリカもパレスチナ側に同調した。

二〇一三年一一月一二日、ネタニヤフ首相は、この状況を判断し、国際社会と不必要な対立を引き起こすとし、急遽アリエル住宅相にこの計画を撤回し再考するよう命じた。

 

一七イスラエル労働党党首にヘルツォグ

二〇一三年一一月二一日、イスラエル労働党は党首選を行い、元福祉・社会問題相のイツハク・ヘルツォグが現党首のヤヒモビッチを破り勝利した。一月の総選挙で労働党は党勢を回復できず、ヤヒモビッチは党内で求心力を失っていた。ヘルツォグはハイム・ヘルツォグ元大統領の息子である。

 

一八)EU外相理事会、和平交渉の進展に期待の声明を発表

二〇一三年一二月一六日、EUは外相理事会を開き、今進められている中東和平交渉に期待の声明を発表した。イスラエルパレスチナが聖地エルサレムの帰属や国境線画定などの最終地位交渉で合意すれば、「前例のない(規模の)政治、経済、安全保障面での支援」を双方に提供するとした。また、声明の中で和平交渉に取り組むネタニヤフ首相、アッバス議長、ケリー国務長官らの努力を称賛し、「恒久和平と繁栄の確立」を訴えた。

 

一九イランの核開発問題、「第一段階の措置」合意、イスラエルなど猛反発

イランの核開発問題が大きく動き始めた。

一〇月、イランの核問題についてイランと欧米六カ国がジュネーブで協議が始まった。一一月に入り核交渉は精力的に進められた。

一一月二四日、イランと安保理常任理事国にドイツを加えた六カ国は核開発の抑制と制裁の一部緩和をセットにした「第一段階の措置」と位置づけた合意が成立した。二〇〇二年に核兵器開発疑惑が浮上して以来、初めてイランの核開発に歯止めがかかるとして大きな外交成果に位置付けられた。

しかし、イスラエルサウジアラビアは猛反発した。ネタニヤフ首相は「合意は歴史的な誤りだ」と指摘。イスラエルはこれまで敵対するイランの核兵器開発を警戒し、核施設への軍事攻撃も辞さない構えを見せていた。

 

(二〇アラファト前議長の死因、「毒殺」ではない?

二〇〇四年に七五歳で死亡したアラファト前議長の死因について、当時から「自然死」とか「毒殺」とか諸説が入り乱れていた。

二〇一三年一一月、パレスチナの委員会から検体の調査を依頼されていたスイスとロシアの研究機関が調査結果を発表した。アラファトの検体からは毒性の強い「ボロニウム」が通常より高い水準で検出されたが、「完全にボロニウム毒殺」との断定には至らなかった。

一二月四日、フランスの調査団は「毒殺ではなかった」と調査結果を発表した。

一二月二七日、ロシアの調査団は「自然死」との結論を出し、毒殺説を否定した。

 

二一イスラエルパレスチナ囚人二六人を第三弾として釈放

二〇一三年の年末となった。和平交渉は続いていたが双方の衝突は止まず、双方に死傷者が続出する状況は続いた。

二〇一三年一二月三一日、イスラエルパレスチナ囚人二六人を第三弾として釈放した。今回の和平交渉は来年四月までの予定である。それまでに第四弾以降の囚人釈放がどのように行われて行くか期待された。

 

二〇一四年

(一)ケリー国務長官、和平交渉の進展を促すための「枠組み合意」案示す

和平交渉は開始から五カ月を過ぎ、期限まで残り四カ月となった。このままではこれまでと同様、交渉の「決裂」も心配される。アメリカは進展のない交渉の事態を憂慮し仲介姿勢を強め、交渉の進展を促すため今までの「仲介者」の立場を越えて「独自の和平案」の提示に踏み切り始めた。

二〇一四年一月二日、年明け早々ケリー国務長官エルサレムを訪問してネタニヤフ首相らと会談した。ケリー長官は和平交渉の進展を促進するために、国境確定の基準を明確にすることやパレスチナ独立後のイスラエル軍ヨルダン川西岸の一部での長期駐留などに関する和平交渉の指針を盛り込んだ「枠組み合意」を示した。

 

(二)イスラエルシャロン元首相が死去

二〇一四年一月一一日、入院中のイスラエルシャロン元首相が死去した。対パレスチナ強硬タカ派のリーダーがこの世を去った。首相在任中の二〇〇六年一月、脳内出血で倒れ、昏睡状態が八年間続いていた。

一月一三日、シャロン元首相の追悼式典と国葬が行われた。

 

(三)ネタニヤフ首相、「入植活動続ける」と表明

二〇一四年一月一六日、ネタニヤフ首相は和平交渉が進展せず欧州諸国から入植活動を批判されていることについて、「和平交渉を進展させる上で問題なのは、パレスチナ側がイスラエルユダヤ人国家だと承認しないことだ」と強調し、和平交渉が進展しない原因はパレスチナ側にあると訴え、今後も入植活動を続ける姿勢を示した。

イスラエル側は、先にケリー長官が示した和平交渉進展案にも乗っていく気配がない。

 

(四)オバマ大統領、ネタニヤフ首相と会談、「和平交渉」の進捗を強く促す

二〇一四年三月三日、ネタニヤフ首相はアメリカを訪問しオバマ大統領との会談が行われた。

オバマ大統領は「二国家誕生の可能性は残っている。双方の妥協が必要だ」と和平交渉の進展を強く促した。これに対しネタニヤフ首相は「パレスチナ側が交渉に努力していない」「パレスチナ側がイスラエルユダヤ国家と認め、その安全保障を真剣に受け止めるよう望む」と主張し、交渉が進展しないのはパレスチナ側に非があると強調した。

 

(五)ネタニヤフ首相、親イスラエルロビー団体(AIPAC)会合で演説

二〇一四年三月四日、ネタニヤフ首相はアメリカの親イスラエルロビー団体アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)」の会合に出席し、「歴史的な和平を実現する用意はあるが、それにはまずパレスチナ人がイスラエルユダヤ人国家を承諾することが前提条件だ」と述べた。これに対しパレスチナ側は強く反発し、「断じて受け入れられない。和平交渉の一方的な終了を公式に宣言したに等しい」と断じた。

 

(六)パレスチナ、「和平交渉譲歩に反対する」大規模デモ起きる

二〇一四年三月一七日、パレスチナ自治区のラマラで数千人の市民による大規模なデモが起きた。この日、オバマアッバス会談が行われるのを前に、会談で俎上に上るとされる「ユダ人国家の承認」など主要項目での譲歩に反対を訴える大規模デモが発生、多くの市民が強い「民意」を示した。

 

(七)オバマ大統領、アッバス議長と会談、「和平交渉」の進捗を強く促す

二〇一四年三月一七日、オバマ大統領とアッバス議長の会談がホワイトハウスで行われた。

オバマ大統領はイスラエルパレスチナ双方の和平枠組み合意に決断を迫り、国境問題解決を含め先にネタニヤフ首相との対談での主張と同様、イスラエルパレスチナ双方の「妥協」の必要性を強調し和平交渉の進展を強く促した。

アッバス議長は国境画定に関し、東エルサレムパレスチナ国家の首都とする「第三次中東戦争前の境界」を改めて主張し、パレスチナ人の釈放について「イスラエルが今月末に予定通り釈放を実行するか注視している」と述べた。

 

アメリカ、和平交渉の進展を一層強く迫る

予定した和平交渉の期限が近付いて来たが著しい進展効果が見られない。真剣に交渉が続けられているのかと交渉への「本気度」を問う声も出てきた。アメリカは和平交渉進展を一層強めた。。

二〇一四年三月二六日、ケリー国務長官アッバス議長と会談し、中東和平「枠組み合意」の受け入れを迫り、四月末の交渉期限以降も交渉を継続するよう訴えた。さらにケリー長官は、三月末からイスラエルパレスチナを訪問し、ネタニヤフ首相、アッバス議長らと会談を重ねた。

 

イスラエルパレスチナ囚人の四回目釈放を実施せず

和平交渉の進展が低迷する中、交渉期限が近づく三月末にイスラエルが次のパレスチナ囚人を開放するかどうか、その動きに注目された。

二〇一四年三月三一日になったがイスラエルパレスチナ囚人の四回目の釈放を行わなかった。

 

(一〇)パレスチナ、「国際条約加盟」を申請

二〇一四年四月一日アッバス議長は四回目の釈放が行われなかったことを非難、国際条約加盟申請のための文書一五件に署名し提出準備を整えたと発表した。アッバス議長は昨年七月に中東和平交渉が再開した際、「加盟申請を控える」としていたが、パレスチナ囚人の「釈放」見送りに「イスラエルの不誠実」「約束違反」と反発、対抗措置として加盟申請書類に署名したという。

四月二日、国連報道官は、パレスチナ自治政府から一三件の申請文書を受理したことを明らかにした。この一三件の中にはヨルダン川西岸を占領しているイスラエルにとって一番懸念していた戦争犯罪を裁く国際刑事裁判所(ICC)への加盟申請は含まれていなかったことから、「最終局面での交渉を有利に運ぶための戦術」ではないかとの見方もあり、ICC加盟申請を留保したパレスチナの今後の「出方」が注目された。

 

(一一)イスラエルパレスチナの国際条約加盟申請に反発、和平交渉進展せず

パレスチナの国際条約加盟申請にイスラエルは反発する。イスラエルの和平交渉責任者リブニ法相は、パレスチナ囚人の「釈放実施を検討中にパレスチナが加盟申請に署名したことから釈放を取りやめたと説明。「正統な措置だ」とし、パレスチナが加盟申請を撤回せず、交渉を延長出来なかった場合、制裁措置も検討すると反論した。

二〇一四年四月三日、イスラエル政府は予定していたパレスチナ人二六人の釈放を取りやめることを正式に決定した。

四月六日、ネタニヤフ首相は閣議で、中東和平交渉を続ける用意があると断った上で、「パレスチナの一方的な動きには一方的な動きで応じる」「パレスチナ政府の出方次第では打ち切りもあり得る」と述べ、厳しい姿勢を示した。

四月九日、ネタニヤフ首相は閣僚に対し、パレスチナ側との接触を制限するよう指示した。

四月一〇日、イスラエル政府はパレスチナ自治政府に対する経済制裁を決めた。パレスチナ自治政府に代わって徴収している「関税」について、自治政府への送金を停止するという。送金停止によるパレスチナの経済的ダメージは大きい。パレスチナ側の反発は必至となった。

イスラエルではネタニヤフ首相の方針を支持、入植活動は継続されており分離壁効果も出ている今、ここで「和平交渉を急ぐ必要はない」との声が高くなった。

一方、パレスチナではアッバス議長の求心力が低下する中、「暫定政権の強化とハマスとの和解、国際世論へのアプローチが先決」との意見も強く出てきた。

 

(一二)和平交渉の期限(四月末日)迫り駆け引き激化、仲介のアメリカに焦り

パレスチナの国際機関への加盟申請行動、イスラエルパレスチナ人釈放中止決定など双方の駆け引きは激化し、真剣に和平交渉に臨もうとしているのか疑問さえ出てきた。

和平交渉期限の四月末日まであと二〇日余り、イスラエルパレスチナの駆け引きは激化、双方とも従来からの主張を譲らず、相互不信も強まり根幹となるテーマには殆ど入れない状況になってきた。

二〇一四年四月四日、アメリカのケリー国務長官は訪問中のモロッコで「アメリカが費やせる時間と努力には限界がある」と述べ、アメリカの仲介にも限界があり中東和平は「重大な局面に差し掛かっている」と警告し、イスラエルパレスチナ双方が歩み寄らなければアメリカは仲介を見直す可能性を示した。

四月六日、七日とアメリカのインディック中東和平特使は、エルサレムイスラエルのリブニ法相、パレスチナの中東和平交渉責任者のアリカット氏と三者協議を行い、打開策を探った。だが効果的な突破口を見出せなかった。

四月九日、ケリー国務長官はワシントンでイスラエルリーベルマン外相と会談し「和平交渉の決裂回避」を目指し意見交換をし、交渉継続の重要性を強調した。リーベルマン外相はパレスチナの国際機関への加盟申請を改めて批判した。

アメリカの仲介努力は続くが交渉決裂の危機も迫り、アメリカに焦りと苛立ちが出てくる。

四月一七日、インディック特使は重ねて三者協議を行い、月末に迫った交渉期限を延長し、決裂を回避するよう双方に働きかけた。

 

(一三)パレスチナファタハハマスが「統一暫定政権樹立」に合意

二〇一四年四月二三日、和平交渉期限まであと一週間。交渉が進まない中でパレスチナ自治政府に大きな変化が出てきた。主流派ファタハとガザのハマスによる「パレスチナ統一暫定政権樹立」に向けた話し合いを始めることに合意したと発表された。

パレスチナ自治区は二〇〇七年以降、ファタハ主導の自治政府が統治するヨルダン川西岸地区ハマスが実効支配するガザ地区に分裂し、その後和解に合意したこともあったが実現せず、現在も離反した状況にある。その双方がここにきて手を結び「統一政権を樹立しよう」と合意した。五週間以内に「統一暫定政権」を樹立し、暫定政権発足から少なくとも六カ月を経た後に政権関係の選挙を実施するとした。ハマスのハニヤ首相は「合意はパレスチナの人々にとって朗報だ」と述べた。

 

(一四)イスラエルパレスチナの「統一暫定政権樹立合意」に反発

二〇一四年四月二三日、ネタニヤフ首相はパレスチナの「統一暫定政権合意」への動きが発表されると直ちにこれに強く反発、ファタハハマスの合意破棄を迫り、「ファタハハマスの合意は和平を踏みにじるものだ」「アッバス議長は和平よりテロ組織のハマスを選んだ」「テロ組織ハマスが加わったパレスチナ自治政府とは交渉しない」と強く非難した。

アッバス議長は反論、「イスラエルとの和平を推進する姿勢に変わりはない」と強調した。

 

(一五)イスラエル、「和平交渉中断」を宣言

二〇一四年四月二四日、イスラエル政府は安全保障閣僚会議での全員一致で決議した「中東和平交渉の中断」を一方的に宣言し、同時にパレスチナへの経済制裁を科す方針も明らかにした。

ネタニヤフ首相は和平交渉中断の決定について「私が首相である限り、イスラム原理主義ハマスハマスに支援された政権と交渉することはない」とし、「和平交渉の再開にはアッバス大統領がハマスとの和解合意を破棄する必要がある」と強調した。

アッバス議長はイスラエルの「和平交渉中断」決定に反発した。「イスラエルがこの問題に干渉する権限は無い」「(パレスチナ内での)和解と(イスラエルとの)和平交渉は相反しない」「統一政権樹立と和平交渉は両立できる」と反論した。

和平交渉はまた新たな難問に直面し、交渉継続は見込めない状況になってきた。

ケリー国務長官は「和平交渉は双方の妥協により継続」すべきだとイスラエルパレスチナ双方に歩み寄りを求めた。交渉継続すら合意できなければ、アメリカの外交力低下が改めて印象付けられる。アメリカは何としても交渉の継続を実現したかった。

 

(一六)アッバス議長、和平交渉「延長の用意」あると表明

二〇一四年四月二六日、アッバス議長は和平交渉中断後の初めての記者会見で、和平交渉期限を延長して協議する用意はある」と述べた。しかし、交渉継続には①パレスチナ人囚人の釈放を再開し、②入植活動の凍結を継続し、③境界線の画定などの諸条件の整備が重要だと従来の主張を繰り返した。

 

(一七)パレスチナ、国際条約加盟推進方針を変えず

二〇一四年四月二七日、パレスチナ解放機構(PLO)の中央評議会は声明を採択し、国際条約への加盟を推進する方針を確認した。四月二九日の交渉期限を前に和平交渉が中断状態にある中、イスラエルへの対決姿勢を鮮明にした。

このままでは和平交渉は破綻する恐れが強まってきた。

 

(一八)和平交渉、双方の歩み寄りなく期限切れとなり「交渉中断」

二〇一四年四月三〇日、和平交渉に双方の歩み寄りは見られず、結局、中断のままとなった。

ケリー国務長官は、交渉は「中断」というよりも「休止」だとして「今の最善策は(交渉を)休止し、厳しく見直して、今後何が可能で、何が不可能かを見極めることだ」と述べ、双方が交渉の重要性を認識して歩み寄り、再び交渉への道を開くことを期待した。

国務省のサキ報道官もこれまでの交渉に一定の成果があったことを強調した上で、「双方が次に何をどうしたらよいのか答えを出すまで休止が必要だ。(交渉が)終わったとは考えていない」と述べた。

三年ぶりに今度こそはと期待されて開始された和平交渉は中断、決裂状態となり崩壊の恐れさえ出てきた。和平への希望は遠のき、国際社会は貴重な機会を逸したと失望した。

和平交渉は中断期間に入った。和平交渉の仲介に精力的に関わってきたアメリカではあるが、交渉が順調に進展しなかったことにアメリカ国内でもオバマ政権での「外交政策批判」の声も出てきた。

この状況から、結局アメリカ仲介の今回の中東和平交渉も「失敗」であった。

 

(一九)ネタニヤフ首相、「ユダヤ人国家」法整備を目指す

二〇一四年五月一日、ネタニヤフ首相はイスラエルを「ユダヤ人国家」と規定する基本法の制定を目指す考えを明らかにした。パレスチナの統一暫定政権合意に対抗する発言とみられるが、「ユダヤ人国家」と規定されればパレスチナ難民の帰還永遠に実現しなくなると懸念するパレスチナ側の反発は必至だ。

 

二〇)ネタニヤフ首相来日、安倍首相と会談

二〇一四年五月一一日、ネタニヤフ首相が公式実務訪問賓客として来日、一二日に安倍首相と会談した。

中東和平交渉が先月に中断して以降、ネタニヤフ首相が外国を訪れ、首脳と会談するのは初めてである。両国は中東地域の平和と安定に向けて協力を強化していく方針で一致した。会談で安倍首相はネタニヤフ首相に対し中東和平交渉再開へ一層の努力を要請した。

 

(二一)アッバス大統領、ケリー国務長官と和平交渉中断後初の会談

二〇一四年五月一四日、アッバス議長はロンドンでケリー国務長官と和平交渉中断後初めて会談した。ケリー長官は「交渉再開はパレスチナイスラエル次第だ」と強調、「双方に有益でない措置を控えるよう」求めた。

 

(二二)ローマ法王中東を訪問、和平共存を訴える

フランシスコローマ法王は五月二四日から三日間の予定で中東を訪問した。

二〇一四年五月二五日、法王はパレスチナ自治区ベツレヘムアッバス議長らと会談。イスラエルとの和平実現に向けた努力を促した。

五月二六日、法王はエルサレムイスラエルのペレス大統領、ネタニヤフ首相とそれぞれ会談し、パレスチナとの和平共存を訴えた。また、法王は平和祈願のためペレス大統領とアッバス議長をバチカンに招待すると明らかにした。二人は法王の招請を受け、来月バチカンを訪れる予定という。

 

(二三)パレスチナ、「統一暫定政権」発足へ、ハムダラ首相任命

二〇一四年五月二七日、ファタハハマスは統一暫定政府の内閣人事で大筋合意したと発表した。基本的にはファタハハマスのいずれの政治色も排除した実務型の布陣とし、近く閣僚人事を発表するとした。

五月二九日、統一暫定政権の首相には統一暫定政権発足に向けた環境づくりのため四月二五日に辞表を提出していたハムダラ自治政府首相が任命され、内務相も兼任することになった。

 

(二四)ケリー国務長官、「統一暫定政権」についてアッバス議長に電話

二〇一四年六月一日、ケリー国務長官アッバス議長に電話し、近く発足予定の「統一暫定政権」について「ハマスの役割に懸念している」とし、新政権がイスラエルの承認や非暴力の原則を順守しパレスチナイスラエルのこれまでの合意を受け入れるよう重ねて要求した。

アッバス議長はこれに「約束を守る」と応じたという。

 

(二五)ネタニヤフ首相、ハマスが加わる「統一暫定政権とは交渉拒否」の姿勢

イスラエルは、ハマスの加わるパレスチナの「統一暫定政権」の発足に強く反発している。

ネタニヤフ首相はパレスチナの「統一暫定政権」について、「テロ組織のハマスが属し、ハマスに依存する暫定政府を国際社会は認めてはならない」と国際社会に訴えた。また「この政権とは和平交渉をしない」と述べ、暫定政権とは交渉しない姿勢を明確にした。

 

(二六)パレスチナ、「統一暫定政権」が発足、最終統一までには曲折も

二〇一四年六月二日、ハムダラ首相が指名されパレスチナ統一暫定政権が発足した。二〇〇七年から続いた分裂状態が解消、「統一パレスチナ」に向けた重要な一歩を踏み出した。

アッバス議長は「分裂状態は終わった」「(パレスチナ)統一の始まりだ」と強調、「新たな政権はイスラエルの国家としての承認を含め、これまでの国際合意を順守するとともに、パレスチナ政府は引き続き和平交渉を求めている」と述べた。

ハマス側も内閣成立を歓迎した。しかし、ハマスは引き続きガザ地区を実効支配しており、ハマスの軍事部門の一部には統一暫定政権に不満もある。イスラエルが統一暫定政権に反対している状況下において、パレスチナ政権が名実ともに一本化できるのは安易でなく、まだまだ曲折も懸念される。

 

(二七)イスラエル、「パレスチナ統一暫定政権発足」に強く反発、制裁も

二〇一四年六月二日、イスラエルパレスチナ統一暫定政権の発足に直ちに反発した。

二日未明、イスラエル空軍はガザの空爆をおこなった。

ネタニヤフ首相は治安閣議を開き、「テロ組織ハマスが加わる政権とは和平交渉をしない」ことを再確認した。閣議パレスチナへの制裁権限をネタニヤフ首相に付与することを決めた。

六月四日、イスラエル住宅省は入植住宅一五〇〇戸の入札を行うと発表し、アリエル住宅・建設相は「パレスチナのテロ内閣発足」への対応だと説明した。

 

(二八)アメリカなど「パレスチナ統一暫定政権発足」に好意的反応

パレスチナ統一暫定政権の発足にアメリカは好意的に反応した。

二〇一四年六月二日、サキ報道官は統一暫定政権の今後の動向を注意深く見守るとしながらも、新政府への援助再開を表明した。

六月四日、ケリー国務長官は訪問先のレバノンの首都ベイルートで「新政権が非暴力の原則やイスラエルの存在を明確にした」と語り、「アメリカが今後協力を進めても問題ない」との見解を示した。また国連、EUも新政権の発足を好意的に支持し、協力する意向を示した。

 

(二九)エジプト、新大統領にシシ前国防相

二〇一四年六月八日、エジプトの新大統領にシシ前国防相が就任した。シシ新大統領は、昨年七月の事実上のクーデターを主導、先月の大統領選挙で圧勝していた。

 

(三〇)アッバス議長とペレス大統領、バチカンで平和の祈り

二〇一四年六月八日、ローマ法王の招きでバチカンを訪問したパレスチナ自治政府アッバス議長とイスラエルのペレス大統領はバチカンで平和の祈りを捧げ対談した。

 

(三一)イスラエル、ペレス大統領の後任にリブリン前国会議長を選出

二〇一四年六月一〇日、イスラエル国会は七月に任期満了を迎えるペレス大統領の後任に、リブリン前国会議長を選出した。リブリン議長は右派与党のリクードに所属しており、今後中東和平交渉にどのような見解を示すか注目される。

 

(三二)イスラエルパレスチナの関係さらに悪化、イスラエル軍がガザ空爆

和平交渉の中断中にもイスラエルユダヤ人入植活動は止むことなく、「イスラエルパレスチナ浸食」は続き、パレスチナ人悲願の「パレスチナ人国家樹立」は遥か遠いものになっていった。

二〇一四年六月二日に統一暫定政権が発足してから、イスラエルパレスチナの関係はさらに悪化、衝突の危険さえ出てきた。イスラエルは引き続きパレスチナの統一暫定政権に強く反対している。

六月一一日、イスラエル軍がガザ北部を空爆パレスチナ人に死傷者がでた。イスラエル南部へガザからロケット弾一発が発射されたことへの報復という。ネタニヤフ、アッバス両首脳は互いに「事件の責任は相手側にある」と非難し合った。パレスチナ新政権の発足後初の攻撃であった。双方の関係はさらに悪化の方向に向かっていった。

 

(三三)イスラエルパレスチナ、双方の「少年の誘拐殺害事件」起きる

イスラエルパレスチナの関係が悪化する中、さらに対立を深める事件が発生した。イスラエルの少年が行方不明になり、その後遺体で発見された。ところがその事件から数日後、今度はパレスチナの少年が誘拐され焼き殺されるという事件が起きた。

 

イスラエルの少年三人誘拐、殺害される

二〇一四年六月一二日、イスラエルの少年三人が誘拐され、行方不明となる事件が発生した。ネタニヤフ首相は「ハマスが三人を誘拐した。責任はハマスと統一暫定政権を発足させたアッバス大統領にある」と強く主張した。イスラエル側は大規模な捜索活動を行い、その中で二〇〇〇戸以上のパレスチナ人の家宅捜査などを行ったほか、四〇〇人以上のパレスチナ人を逮捕した。何人かの死傷者も出た。

六月三〇日、イスラエル軍は行方不明となっていた少年三人の遺体をヘブロン近郊で発見したと発表した。ハマスの犯行だと主張し「報復攻撃」に踏み切る可能性も示唆、一触即発の事態となった。ネタニヤフ首相は治安閣議で「ハマスは報いを受けることになる」と強調した。

これに対してハマスの報道官は「(イスラエルが報復攻撃に出れば)地獄への扉を開くことになる」と牽制した。

 

パレスチナの少年拉致、焼殺される

イスラエルの少年三人の誘拐殺人事件でイスラエルパレスチナが揺れる中、今度はパレスチナの少年が拉致され焼殺されるという事件が起きた。

七月二日、イスラエルが占領する東エルサレムで誘拐されたパレスチナ少年の焼殺された死体が見つかった。アッバス議長はイスラエルによる犯行だと強く非難した。

七月四日、パレスチナ少年の葬儀に数千人が参列、イスラエル治安部隊と衝突が起き負傷者や逮捕者が出た。「少年は油を飲まされて火をつけられた」との報道もあり、火葬を忌み嫌うパレスチナ人にとって耐え難い行為にハマスの怒りは最高潮に達していった。

 

(三四)イスラエルハマス、「戦闘」状態に入る

双方の「誘拐殺害事件」はイスラエルパレスチナの悲惨な対立への引き金となった。イスラエルによるガザへの空爆と、ハマス側からのイスラエルへのロケット弾攻撃という「戦闘」へと発展してしまった。

二〇一四年七月七日、ガザのハマス側からイスラエルに対しロケット弾が発射された。イスラエルは治安閣議で軍事報復の強化を決め、「境界防衛策戦」を開始すると発表した。

 

戦闘の経緯

一、イスラエル軍、ガザ空爆を開始する

七月八日、イスラエルによるハマスへの本格的軍事作戦が始まった。イスラエル空軍はガザのハマスの拠点を集中空爆した。ガザからはイスラエルに向けロケット攻撃を加えるが、強力な空軍力を持つイスラエルによる空爆でガザの被害はさらに増加した。

七月九日、双方の攻撃は続いた。

七月一〇日、イスラエル空軍はガザ全域の空爆に踏み切った。

戦闘は長期化の様相となってきた。ネタニヤフ首相も「長期化」を示唆し「ガザからのロケット攻撃が弱まらない限り軍事作戦を続行する」方針を示しており、ガザでの死者はさらに増加する恐れがある。

二、国際社会は休戦を呼びかける

七月一〇日、国際社会は一斉に戦闘の悪化を懸念し双方に自制を促し、休戦するよう呼びかけた。

三、安保理は停戦を呼びかける

七月一一日、イスラエル軍レバノンからイスラエルにロケット弾が撃ち込まれことを明らかにした。戦線がレバノンにまで拡大する恐れが出てきた。本格的な軍事作戦が始まった八日から一一日までの四日間でガザは九〇〇カ所以上が空爆された。死者は一〇〇人を超え負傷者は七〇〇人以上となった。ネタニヤフ首相は「どんな国際的圧力もテロ組織への我々の攻撃を止めることはできない」と述べ、ハマスがロケット攻撃を止めるまではガザへの軍事作戦を継続する意向を示した。

七月一二日、安保理は戦闘激化に「深刻な懸念」を表明し、双方に二〇一二年一一月の停戦合意に立ち戻るよう呼び掛ける報道声明を発表した。その上で、二国家共存を前提に「包括的な和平合意」を目指す双方の直接交渉再開を、安保理として支持するとした。エジプトのシシ政権は前のモルシ政権のようにハマス側に理解を示さず仲介に消極的で、今のところ停戦仲介に乗り出すような動きを見せていない。

四、イスラエル軍の特殊部隊、ガザ北部に地上侵攻した

七月一三日、イスラエル軍の特殊部隊がガザ北部に侵攻した。イスラエルが八日に軍事作戦を本格化させた以降、地上戦が明らかになったのは初めてである。イスラエルによるガザ攻撃から一週間、戦闘は止まず、アメリカ始め欧米諸国、ローマ法王、国連の事務総長も事態を憂慮し「停戦」を呼び掛けるが攻撃の応酬が続く。

ガザの死者は一七〇人を超え、負傷者も一一〇〇人以上となった。

五、エジプトの停戦案、イスラエルは受け入れハマスは拒否、事実上決裂、双方の攻撃は続き被害は拡大

七月一四日、アメリカ政府はイスラエルに対し、ガザ地区での地上作戦停止を要請した。同日夜、エジプト政府は、イスラエルハマス双方に一五日午前九時より戦闘を段階的に縮小させ、一時間後に完全に停止、その後に双方が長期的な停戦に向けた協議を行うなどの「停戦案」を提示した。

七月一五日、イスラエル政府は午前七時に閣議を開催し対応を協議、保守強硬派のリーベルマン外相らが自国の安全保障を理由に受諾反対論を表明したが、政府として「停戦案受け入れを決定」した。一方、ハマスは停戦案をイスラエルへの降伏とみなし、「ただ戦闘止めろと求めているだけだ」として受け入れを拒否した。大きな被害を受けたまま、またイスラエルの封鎖解除など明確な「見返り」もないままでの停戦は受け入れられなかった。イスラエルは一時停戦を受け入れたもののハマスのロケット攻撃は止まず、イスラエル軍ガザ地区への空爆を再開した。停戦工作は事実上失敗、双方の攻撃は続行し、被害は拡大していく。国際社会から停戦を求める声が高まる中、トルコのエルドアン首相はイスラエルのガザ空爆を「テロ」だと非難。「トルコ以外の国はテロをやめろと声を上げていない」と憤慨した。パレスチナ側の死者は一九七人に達した。イスラエル側に初の死者が一人出た。

六、イスラエル、ガザ一〇万人に「避難勧告」

七月一六日、イスラエルは、ガザ地区北部や東部の住民約一〇万人に南部などに「避難する」よう警告した。軍事作戦の拡大、空爆の強化を進めるという。一方、ハマスは、「心理作戦だ。恐れる必要はない」と警告を無視するよう呼びかけた。ガザでの死傷者は日毎に増加し、死者は二二五人に達し、負傷者も一五六〇人以上となる悲惨な状況となった。

七、双方、国連の「人道的一時停戦」の提案を受諾するが直後また戦闘を始める

七月一七日、双方は人道支援を目的にした国連の提案を受け入れ「五時間の一時停戦」を行った。しかし、期限が終った直後また戦闘が再開された。

八、イスラエル、ガザへの「地上侵攻作戦」に踏み切る

七月一七日、イスラエルガザ地区への「地上侵攻」作戦に出た。空爆だけでなくの本格的地上戦に踏み切り新しい段階に突入した。ハマスが構築したガザからイスラエル内へ通じる地下トンネルの破壊が、空爆のみでは不十分だと判断し、ガザからの危険な侵入を防衛し、ガザ全土を占領すべきだなどの強硬意見もあり、地下トンネルの破壊が重点的に行われた。地上攻撃による徹底的破壊が目的という。

九、ガザ地上侵攻で「トンネル破壊」など被害大きい

七月一八日、オバマ大統領はネタニヤフ首相と電話会談し、「イスラエルには自衛の権利がある」とした上で、アメリカや同盟国が「戦闘悪化と罪のない市民のさらなる犠牲を深く懸念している」と伝えた。ネタニヤフ首相は「地上作戦を拡大する用意がある」と述べ、ガザへの地上攻撃を強化する可能性を示した。

七月一九日、ガザ地上侵攻から三日目、地下トンネルの破壊は一〇カ所以上、施設や住宅などの破壊も進み、ガザの死者は三〇〇人以上になった。トルコのエルドアン首相は、「イスラエルの一部の政治家はナチスヒトラーと同じ精神構造を持っている」、イスラエルの行動は「ジェノサイド(大量虐殺)だ」と述べ、イスラエルの行動を厳しく批判した。アメリカ、エジプト、そして国連なども停戦を呼び掛けるがイスラエルにその気配は全くない。

一〇、国連安保理、双方の対立を懸念、即時停戦を求める

地上攻撃が続き、民間人の犠牲者が増え続ける中、停戦を目指す国際社会の動きが本格化してきた。

七月二〇日、国連安保理はガザ情勢を非公開で協議し、事態の悪化と市民の犠牲拡大に「深刻な懸念」を表明する報道談話を発表、「敵対行為の即時停止」と「国際人道法の尊重」を求めた。ネタニヤフ首相はテレビ演説で、「イスラエルがこの戦争を選んだのではない。ハマスに責任がある」と述べ、国民に理解を求めた。

イスラエル軍の攻撃は拡大し、パレスチナ側の死者は四〇〇人以上となった。

一一、オバマ大統領、即時停戦を求める。パレスチナ側死者〇〇人を超える

七月二一日、オバマ大統領は声明を発表し、「国際社会は今、ガザの停戦に集中しなければならない」「ガザの状況に深く懸念している」と述べ、即時停戦を求めた。その上でケリー国務長官に即時停戦の実現に向けて最大限の努力を尽くすよう指示したことを明らかにした。犠牲者が増え続ける事態に国際社会の動きも活発になっている。八日からの戦闘は二週間となり、地上侵攻から五日目である。パレスチナ側の死者は遂に五〇〇人を超えた。一方イスラエル側の死者はこれまでに二四人だという。国連安保理も「速やかな停戦」を要求、パン・ギブン事務総長もイスラエルに「最大限の自制」を求めた。

一二、国連事務総長、ケリー国務長官相次いで中東入り。安倍首相、ネタニヤフ首相と電話協議

七月二一日、ケリー国務長官は停戦案を提案したエジプトへ入り、中東入りしている国連のパン事務総長と会談した。

七月二二日、ケリー国務長官はエジプトのシシ大統領、シュリク外相と会談し、その後の記者会見でエジプトの停戦案に支持を表明した。安倍首相はネタニヤフ首相と電話で協議した。安倍首相はガザの情勢に深い憂慮を表明し、「停戦実現へ勇気ある決断」を強く求めた。しかし、戦闘は続き、パレスチナ側の死者は六〇〇人を超え、負傷者も四〇〇〇人近くになった。

一三、国連人権理事会、イスラエル非難決議案可決、アメリカは決議に反対した

七月二三日、ケリー国務長官はエジプトからイスラエルに入り、停戦実現に向けネタニヤフ首相と会談し、ヨルダン川西岸ではアッバス議長と会談した。国連人権理事会(構成四七カ国)はスイスで開催した緊急会合で、イスラエル軍によるガザ地区への攻撃を非難し、人権侵害の実態を調べる国際調査団の派遣などを盛り込んだイスラエル非難決議案を審議し、賛成二九(発議者のパレスチナ自治政府アラブ諸国)、反対一(アメリカ)、棄権一七(EUや日本)で可決した。イスラエル大使は「決議案はバランスを欠き、(紛争の)火に油を注ぐものだ。人権理事会にイスラエルの自衛を止めることはできない」反発し、調査団の受け入れを拒否した。アメリ国務省のハーフ副報道官も決議案について定例記者会見で、「偏向した反イスラエル行動の一つだ」と述べ、「我々は、たとえ一国でもイスラエルのために立ち上がる」とイスラエル支持への強い姿勢を示した。

会合はイスラエル側、パレスチナ側双方が非難合戦を繰り広げ、歩み身寄りを見せなかった。この日も戦闘は続き、イスラエル軍ガザ地区唯一の発電所である火力発電所を攻撃した。ガザでの死者は七〇〇人を超えた。

一四、「学校」が砲撃される。パレスチナ側死者はさらに増え七五〇人を超える

七月二四日、イスラエル軍ガザ地区北部にある国連が運営する避難所として住民を受け入れている学校に砲撃を加え、少なくとも一五人が死亡した。死者の多くは子供であったという。他に二〇〇人以上が負傷した。国際社会からイスラエルへの停戦圧力が一段と高まる可能性がある。軍事作戦開始から一七日目、ガザでのパレスチナ人死者は七五〇人を超え、八割以上が一般市民で、子供も多いという。

一五、ケリー国務長官、一週間の停戦案を示すが不調。パレスチナ側死者八〇〇人を超える

ケリー国務長官は七月二三日のイスラエル訪問で「一週間の停戦案」を示したとされるが双方とも主張に妥協し難い条件を設定しており、合意は遠かった。こうした中でも闘争は続き、ガザでの死者は八〇〇人を超え、イスラエル側の死者は民間人三人を含む三六人になった。

一六、イスラエル、ケリー長官案を拒否、「一二時間の一時停戦」を決める

七月二五日、イスラエル政府は同日夜、治安閣議を開き、ケリー長官の「一週間停戦案」を拒否することを決め、人道目的で「一二時間の一時停戦」をするとした。

一七、一二時間の人道的停戦、駆け引き続く。衝突は続きパレスチナ側の死者は、一〇〇〇人を超える

七月二六日、ハマス側は「一二時間停戦」を受け入れ、「午前八時から午後八時まで一二時間」の一時停戦に入った。ケリー長官は、パリでフランス、トルコ、カタールの外相らと停戦について協議し、「一二時間停戦」を延長するように求める声明を発表した。イスラエルは「停戦を四時間(二七日午前〇時まで)延長する」と発表した。ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区では、イスラエルのガザへの軍事行動に抗議しデモが発生しており、イスラエル軍との衝突が起きている。イスラエルは同日夜、国連要請に応じ、停戦をさらに二四時間(二八日午前零時まで)延長する」と明らかにした。ところが、ハマスは最初の一二時間の停戦が終わった時点で延長を拒否。「イスラエルの装甲車がガザから撤退しない限り、人道的停戦は無効だ」として、イスラエルへのロケット弾攻撃を開始した。イスラエル軍攻撃によるパレスチナ人の死者は二六日、一〇〇〇人を超えた。一方、イスラエル側の死者は、これまでに四三人である。

七月二七日、イスラエル軍もガザへの軍事行動を再開した。ここにきてハマスは国連の要請に応じ、人道支援を目的に「二七日午後二時から二四時間の一時停戦」に応じると表明した。しかし、ガザからのロケット弾攻撃は止まず、イスラエルハマスを非難し、ガザ攻撃を再開した。「一時停戦は崩壊」し、双方の駆け引き、心理戦はさらに激しくなっていった。

一八、オバマ大統領、ネタニヤフ首相に「即時無条件の停戦」を求める

国際社会は停戦をめぐり大きな動きを示してきた。オバマ大統領はネタニヤフ首相と電話協議し、空爆や地上侵攻などでの死傷者増大への懸念を改めて示したうえで「人道上即時無条件の停戦を実施することが必要だ」と伝え、早期の停戦実施に向けて尽力するよう求めた。

一九、イスラエルのガザ攻撃に各国で非難デモ

七月二五日のイラン七七〇都市での「ガザ攻撃抗議デモ」に続き、二六日、二七日にはイスラエルのガザ攻撃を非難する大規模なデモがベルギー、パリ、ロンドン、オタワなどでも行われ、大きく注目された。

二〇、国連安保理、「即時無条件の停戦」を求める議長声明を発表

七月二八日、国連安保理は緊急総会を開催し、七月二二日にヨルダンから提出されていたイスラエルハマス双方に「即時無条件の人道的停戦に入ることを求める議長声明」について協議し、アメリカを含む安保理一五カ国の全会一致でこれを採択した。声明は一時停戦を求めた上で、エジプト仲介案を基に持続的な停戦への取り組みを要求した。国連パン事務総長も各勢力が人道的停戦に深い関心を示していると述べ、停戦への強い実行を期待した。このような国際社会の要請が高まる中でも戦闘は止まず、ネタニヤフ首相は「軍事作戦はハマスの地下トンネルを破壊するまで終わらない」、「長期戦に備えなければならない」と述べ、軍事作戦の続行を表明するなど、戦闘はさらに激化、拡大の恐れさえ出てきた。

二一、イスラエル、ガザを猛攻発電施設破壊、住民生活混乱、パレスチナ側の死者一一〇〇人を超える

七月二九日、イスラエルのガザへの軍事作戦は四週目に突入、猛攻は続き長期化の様相となってきた。ガザ唯一の火力発電所は砲撃を受け破壊、大規模停電は電力の供給停止、病院、学校、汚水処理対応、燃料不足などガザ住民の生活に大きな支障となった。ガザ中部の難民キャンプ攻撃で死傷者も出た。八日の軍事作戦開始からガザの死者はさらに増加し一一〇〇人を超えた。イスラエルへの国際社会の非難も続く。イランの最高指導者ハメネイ師は、イスラエルを「狂犬」だと非難。「これは大量虐殺だ」としイスラエルが主張するハマス武装解除に反対する姿勢を示した。南米のチリとペルーはイスラエルのガザ攻撃への抗議として、それぞれ駐イスラエル大使を召還することを決めた。既に、ブラジルとエクアドルも大使を召還しており、イスラエル中南米の関係にも影を落としている。

二二、イスラエル、学校などの非難施設を砲撃。パレスチナ側の死者は一三〇〇人を超える

七月三〇日、ガザ北部で国連が住民の避難所として開放している学校に砲撃があり、少なくとも一九人が死亡した。学校砲撃をうけて、国連パレスチナ難民救済事業機構(UNRWA)は「イスラエル軍による深刻な国際法違反を非難する」と表明した。UNRWAが運営する学校は七月二四日にも砲撃を受け死傷者がでている。パン国連事務総長は「眠っている子供を攻撃するほど恥ずべきことはない」、「今回の攻撃は重大な国際法違反であり、加害者は責任を取らなければならない」と異例の強い口調で非難した。ガザ東部でも攻撃で一五人が死亡するなど、八日からの戦闘でのガザの死者は一三〇〇人を超えた。イスラエル政府は治安閣議で「地下トンネル破壊完了まで軍事作戦の継続」を決定、作戦の長期化は必至だ。一方、ハマス側も「イスラエルの侵略とガザ封鎖の解除なくして停戦は無い」として徹底抗戦の構えを崩していない。

二三、停戦の展望見えず過去最長の軍事作戦となる。パレスチナ側の死者は一四〇〇人を超え過去最悪

七月三一日、今日で戦闘開始から二四日目に入り、双方の軍事作戦は過去最長となり、ガザの死者も子供や女性を含む一般人が多数を占め、一四〇〇人を超え過去最悪となった。長引く戦闘と多数の犠牲者が出ているガザの惨状に欧米で「反イスラエルデモ」などの動きが拡大してく。トルコのエルドアン首相は「イスラエルがしていることと、ヒトラーがしたことはどこが違うのか」と強く批判、多くの子供や女性が殺害されたことを「大虐殺」だと糾弾した。停戦が実現せず、なぜここまで双方の闘争が激化しきたのか。理由は主に三点あるといわれる。

第一は、「国家対国家」の戦争でなく、「国家対武装組織」の戦いになっていること

第二は、双方が互いに相手を承認しておらず、直接交渉の意思がないこと

第三は、その両者の間に立って停戦を説得できる有力な調停役がいないこと

などである。

そして双方の戦闘の主目標も見えてきた。

イスラエルは「ハマス武装解除」である。ロケット弾と地下トンネルを徹底的に破壊し、ハマスの攻撃能力を奪い、再び攻撃が出来ないように大打撃を与えることである。一方ハマスは「ガザ地区の封鎖解除」と「イスラエルにより身柄拘束中のパレスチナ人の解放」である。これまでの戦闘で大勢の犠牲者が出ているだけに封鎖解除などガザの人々への「成果」があり、「勝利」の実感がなければ「停戦」はできない状況もある。

二四、「七二時間の人道的停戦」に合意、しかし、停戦発効後すぐに合意崩れ戦闘が再開、パレスチナ側の死者は一六〇〇人を超える

八月一日未明、アメリカのケリー国務長官と国連のパン・ギブン事務総長は共同で「イスラエルハマスが七二時間の人道的停戦に合意した」と発表した。「一日午前八時から停戦に入り、直ちに双方の代表がエジプトのカイロで本格的な停戦交渉に入る」、「その間に死者の埋葬や負傷者の治療、食料の補給など人道的支援を進める」という。しかし、「停戦」はすぐ「崩壊」してしまった。「停戦」発効の直後、地下トンネルでの衝突が起き、イスラエル兵が一人死亡、一人が誘拐されたため、ハマス側の停戦違反だとしたイスラエル軍がガザ南部を砲撃。戦闘が開始されガザ市民に多くの死傷者がでた。双方とも相手が先に停戦違反行動に出たのだと非難し合った。互いに責任が相手にあると非難し合う状況に、停戦を仲介したオバマ政権は大きな衝撃を受けるが、オバマ大統領は「極めて困難で、時間も掛るであろうが仲介努力を続ける」と述べ、停戦の必要性を訴えた。国連としては「人道的停戦を順守するよう双方に影響力を持つ国々の働き掛けを要請する」とし、停戦に期待するが、国連としての停戦への限界に無力感もでている。先月八日以降の戦闘でパレスチナ側の死者は一六〇〇人以上、負傷者も七〇〇〇人を超え、一方イスラエル側の死者は民間人三人を含め六六人となったという。

二五、カイロで「停戦交渉」を予定、パレスチナ側交渉団がカイロ入り

八月二日、国連とアメリカの呼びかけによる「停戦交渉」が予定された。仲介にあたるエジプトのシシ大統領は「流血に歯止めをかける真のチャンスだ」と強調し、双方の代表団のカイロ入りを待った。

八月三日、本格的な停戦に向け、ハマスなどパレスチナ側の交渉団はエジプトカイロに入り、エジプト政府と交渉への調整に入った。一方、イスラエルの交渉団にカイロ入りの動きは無い。イスラエル代表団が交渉の席に着き、本格的な停戦に向けた協議が開始されるか予断を許さない。

二六、イスラエル地上部隊がガザ撤退を始める。戦闘は続きパレスチナ側の死者は一七〇〇人を超える

八月三日、イスラエル軍地上部隊はガザ地区の地下トンネルの破壊がほぼ完了したとしてガザ北部から撤退を始めた。しかし、ネタニヤフ首相は「トンネル破壊の目的達成までは軍事作戦は続ける」として停戦の気配はない。ガザ南部での戦闘は続き、イスラエル軍はガザ南部ラファで国連が運営する学校付近を空爆し、少なくとも一〇人が死亡、約三〇人が負傷したという。学校にはパレスチナ難民が避難している。国連やアメリカはイスラエル軍による空爆を厳しく非難。民間人の犠牲拡大にイスラエルへの風当たりはさらに強まってきた。ガザで連日、子供を含めパレスチナ人の犠牲者が増加している惨状に心を痛める市民の怒りの声は、世界各地に広がっていった。フランスのパリで一万人以上が参加するデモが起きるなどヨーロッパ各地やアメリカ、中南米諸国、そして日本の東京でもガザでの「即時停戦と平和」を訴える動きは続き拡大した。イスラエルに対する非難の声が多い中、戦闘開始からガザでの死者は一七〇〇人を超え、負傷者も九〇〇〇人以上となった。

二七、イスラエル、「七時間停戦」を発表、パレスチナ側の死者は遂に一八〇〇人を超える

八月四日、イスラエル軍は午前一〇時から、人道目的の「一方的な七時間停戦」を行うと発表した。トンネル破壊はほとんど完了したとして既に地上部隊の大半をガザから撤退させており、今後は空爆中心の作戦に軸足を移すとみられる。しかし、ハマス側は「イスラエルの停戦表明は、虐殺行為から関心をそらすための策略だ」と不信感を示し、戦闘を続けるとした。ガザでの死者は遂に一八〇〇人を超えた。

二八、「七二時間停戦」に合意、イスラエル軍ガザ撤退、イスラエル交渉団がカイロ入り

八月五日、カイロでの本格停戦協議に入る前イスラエルパレスチナ双方は「八月五日、午前八時から改めて七二時間の停戦に入ることに合意」したとエジプト当局者が明らかにした。イスラエル軍は、ガザに展開していた「地上部隊を撤収」させた。今度こそ真の「停戦」の実行となるか期待は高まった。「午前八時から七二時間の一時的停戦」に入った。八月八日の午前八時が停戦期限である。イスラエルの停戦交渉団は五日夜にカイロ入りした。

二九、エジプト仲介の本格停戦に向けた協議が始まる

八月六日、パレスチナの停戦交渉団は既にカイロ入りしている。イスラエルの停戦交渉団はエジプト政府と交渉への調整を始めた。仲介役のエジプト政府は、先ず双方の要求を調整し相手に伝える形をとることになる。ハマス側としては、「経済封鎖の解除」は譲れない一線である。ガザはイスラエル、エジプトの両国との境界がそれぞれ封鎖された状態であり、燃料や建材が不足、公務員の給与遅配も頻発など市民生活での困窮は著しく、不満の矛先はハマスに向けられつつある中で、ハマスが求める最大の焦点は「経済封鎖解除」である。またイスラエルに拘束されているパレスチナ人の釈放、破壊されたガザ空港の建設などもハマスにとって重要だ。一方イスラエルは以前からハマスの「武装解除」を強く要求してきており、リーベルマン外相らの「ハマスの非武装化強硬意見」はさらに強く、ネタニヤフ政権の安定にも「ハマス武装解除」は譲れない。本格的停戦に向け双方の対立は深く、ともに譲歩は困難であり、エジプト仲介の交渉に難航も予想される。

三〇、「七二時間の一時停戦」期限が切れ双方攻撃再開、イスラエル代表団は帰国、パレスチナ側死者一九〇〇人に

八月六日、パレスチナ側の死者は一八〇〇人を超えた。

八月七日、ハマスはガザ封鎖解除などの条件が認められない場合、攻撃を再開すると宣言した。五日に発効した七二時間の停戦は八日の午前八時に期限を迎えるが現状から不安である。

八月八日、続いていた七二時間の一時停戦期限が午前八時に迫る。イスラエルはさらに期限の延長に前向きであるが、ハマスは経済封鎖が解除されない限り次に進むことは拒否している。午前八時、停戦期限が切れた。双方の攻撃が再開した。イスラエル空爆ハマスはロケット弾を発射した。七月八日からの戦闘による死者はパレスチナ側で民間人を中心に一九〇〇人にもなり、イスラエル側は六七人となった。カイロで続けられていた本格停戦協議も双方共に譲歩困難で行き詰まり、イスラエル代表団は「戦闘が行われている状況の下では交渉は不可能」として帰国した。パレスチナ代表団はカイロに留まった。

三一、イスラエル、「ハマス打倒、ガザ占領」の強硬論もでる

八月九日、ハマスはロケット弾四〇発を発射し、イスラエル軍はガザのモスクなど五一か所を空爆した。イスラエル国内では、「ハマスからのロケット弾攻撃が続けばハマスを打倒し、ガザを占領すべきだ」との強硬論もでてくる。イスラエルの軍事作戦に抗議するデモがロンドン始め世界各地で頻発した。

三二、双方の対立の中、イスラエル代表団がカイロに戻り交渉を再開する

八月一〇日、ネタニヤフ首相は「目的達成まで攻撃停止はしない。攻撃されている状況では停戦交渉はしない」と主張した。一方パレスチナ代表団は「イスラエルが無条件で交渉に戻らなければカイロを去る」と反論した。イスラエル代表団はカイロに戻り、交渉を再開することになった。

三三、エジプトの仲介で再び「七二時間の停戦」に合意

八月一一日、ここにきて双方はエジプトの要請を受け、「一一日午前〇時過ぎから七二時間の停戦」をすることに合意した。八月一四日の午前〇時が停戦期限である。

三四、停戦中に交渉は開始されたが進展なし

八月一二日、交渉は一一時間以上に及んだが進展がない。双方の主張に隔たりが大きく協議は難航している。

三五、エジプトの「一時停戦をさらに五日間延長する」提案に双方が合意した。パレスチナ側の死者は二〇〇〇人近くになる

八月一三日、今回の停戦期限は明朝一四日午前〇時である。何か対応が出来ないとまた戦闘が再開される恐れがある。エジプト政府は双方の調整を行い「一時停戦をさらに五日間延長することに双方が合意した」と発表した。今回の停戦は「一九日午前〇時までの五日間」である。この間にもガザでの負傷者の死亡や遺体の発見などでパレスチナ側の死者は二〇〇〇人近くになった。

三六、交渉団は協議を再開したが進展しない

八月一七日、双方の交渉団は協議を再開、停戦期限の一九日午前〇時までの合意を目指し協議を重ねたが今回も進展がない。

三七、エジプトは「一時停戦をさらに二四時間延長」することを提案、双方が合意した

八月一八日夜、双方は仲介のエジプトの要請を受け、「一時停戦をさらに二四時間延長」することに合意した。この合意で「八月二〇日午前〇時までの停戦」となるが、今まで何回となく「停戦」合意は守られず、すぐ戦闘が再開されてしまう状況の繰り返しに「今回が最後の延長だ」とする声も出る。

三八、「停戦期間中」にもかかわらず戦闘再開、ガザ空爆、交渉決裂、パレスチナ側の死者は二〇〇〇人を超えた

八月一九日、停戦期間中である。イスラエル軍は「ガザからロケッ弾三発が発射されイスラエル南部に着弾した」と明らかにした。ネタニヤフ首相はロケット弾発射が「明確な合意違反」だし、ガザ攻撃を指示、軍はガザ北部を空爆した。さらに首相は「戦闘中は交渉しない」として「交渉団のカイロ引揚げ」を指示した。今まで双方の本格的交渉はカイロで断続的に続けられていたが、ここに来て交渉は暗礁に乗り上げ決裂状態に陥った。イスラエル軍の攻撃によりガザは再び戦火に包まれた。停戦延長合意はどこかへ飛んでしまった。パレスチナ側の死傷者は続出し、これまでの死者は二〇〇〇人を超え、負傷者は一〇〇〇〇人以上になり医師や薬品不足も続いている。

三九、延長された交渉期限が切れ、パレスチナ側の交渉団はカイロを去る

八月二〇日、延長された交渉期限は切れ、パレスチナ側の交渉団は、「協議は失敗した」として仲介役のエジプト政府に新たな停戦への案を提示してカイロを去った。

四〇、戦闘は激化しガザ空爆は続く。ハマスの軍事部門幹部三人死亡、ハマスは内通容疑で三人を処刑

八月二一日、イスラエル軍によるガザ空爆は続き、少なくとも二六人が死亡した。ハマスのガザからのロケット弾攻撃も止むことなく、双方は再び激しい戦闘状態に突入した。ハマスの軍事部門カッサム隊はイスラエル軍の攻撃で指揮官三人が死亡したとの声明を出した。同じ日に三人もの中心幹部を失ったハマスには大きな痛手となった。ハマスは当方の情報がイスラエル側に漏れている疑いがあるとして内通容疑で三人を処刑した。

四一、ハマス、内部の情報管理を強化、パレスチナ側の死者は二〇九二人となる

八月二二日、ハマスイスラエルに内通していたとしてガザに住むパレスチナ人一八人を処刑した。同じ日に三人もの幹部を失ったショックは大きく、昨日の処刑を含め二一人も処刑したハマス側の行動は、「情報管理の強化を徹底しなければならない」とする危機感の表れであった。イスラエルではガザからの砲撃で四歳の男児が死亡した。軍事作戦が始まってからイスラエルの子供が死亡したのは初めてであり、ネタニヤフ首相は「ハマスは高い代償を払うことになる」と警告した。これでイスラエル側の死者は民間人四人、兵士六四人となり、合わせて六八人となった。一方、パレスチナ側の死者は二〇九二人となった。

四二、エジプトは双方に「攻撃を停止し、本格的に停戦に向けた協議を再開するよう」呼びかけた

八月二三日、エジプト政府はイスラエルパレスチナ双方に対し「攻撃を停止し、本格的に停戦に向けた協議を再開するよう」呼び掛けた。同日、アッバス議長はエジプトのシシ大統領と会談後「一刻も早い交渉再開」を訴えた。またアッバス議長はこの日、「国際刑事裁判所(ICC)に加盟申請することを認める書類に署名した」とも報道された。ICCへの加盟に向けて議長の最終判断が注目される。

四三、イスラエル軍ハマス幹部狙い」を強化、ハマス財政担当トップを空爆で殺害

八月二四日、双方の攻撃は止むことは無い。イスラエル軍ハマスの財政担当トップを空爆で殺害したと発表した。イスラエルは二一日にもハマスの軍事部門幹部指揮官三人も殺害しており、「ハマス幹部」を標的とする作戦を強化している。こうした中でハマスと連携する武装組織の活動が活発になってきている。昨日レバノン領内から迫撃砲イスラエル北部に発射されたのに続き,今日はシリア領内からイスラエルが占領中のゴラン高原迫撃砲弾が飛んだ。ヒズボラの動きでさらに戦線が拡大する兆しもある。

四四、エジプト、交渉進展への「新たな停戦案」を提案か?パレスチナ側の死者は二一三四人となる

八月二五日、パレスチナ側からのものとして交渉が進展しそうな情報が発表された。仲介役を務めるエジプトが検問所を開け、ガザ再建のための建設資材搬入を認めることにつながる可能性のある「新たな停戦案」を提案したという。パレスチナは「イスラエルが受ければ、我々も受け入れる」との姿勢を示した。ガザ封鎖解除につながる有効な提案になるか注目される。双方の戦闘は今日も続いている。今までにパレスチナ側の死者は二一三四人、負傷者は一万九一五人、イスラエル側の死者は六八人となった。

 

(三五)イスラエルハマス、「停戦(長期的停戦)」に合意する

イスラエルハマスが本格的長期停戦に合意

二〇一四年八月二六日、エジプト政府は「イスラエルハマスが期限を設けず停戦し、一カ月以内に和平に向けた交渉を始めることで合意した」と発表した。七月八日の戦闘開始から五〇日目で終結に向けた重大な局面を迎えた。

ハマス側が、痛手を受け、乏しい成果の中で停戦合意を受け入れたきっかけの一つは、先日ハマス軍事部門幹部三人が殺害されたことにより組織が弱体化に向かい、さらにイスラエル軍が他の幹部殺害作戦にポイントを絞ってきたことだともみられる。さらに戦闘が長期にわたりロケット弾の手持ちが少なくなっていたともいわれる。ハマスにとっては不利な状況下の停戦であった。

 

停戦合意内容の骨子

停戦合意は二段階になっており、概ね次のようである。

第一段階では双方が軍事行動を即時停止する。停戦は二六日午後七時(日本時間二七日午前一時)に発効し、期限は無期限とする。イスラエルは封鎖している検問所を開放し、救援物資や建設資材などの搬入を容認する。ガザ市民に対し、ガザ沖合での漁業規制を緩和するとしている。

さらに第二段階としては、その後一カ月かけ長期的な本格停戦とガザ封鎖解除などに向けた条件、例えばハマスが求めていた空港や港湾の建設やイスラエル側が要求していたハマス武装解除などを含め諸問題について協議を重ねるとしている。

 

(三六)「長期的停戦」の合意後も不安定な諸状況続く、国際社会の懸念高まる

七月、八月と続いた今回の戦闘は「長期的停戦」という形で終息したが、特にパレスチナ側の受けた被害は実に大きく、一四〇〇人以上の民間人を含め二二五〇人を超える死者を出した悲惨な現実は、停戦合意後の双方の協議に深い傷として残っていく。イスラエルハマスとは二〇〇八年からの六年間で三度の大規模な軍事衝突(ガザ戦争)を起こしたが、今回の戦闘でガザは最大の被害を受け、住民の生活に大きな不安を残した。

 

イスラエル、「実質勝利の停戦」とするが「戦闘を継続すべきであった」との声も高い

二〇一四年八月二七日、ネタニヤフ首相は勝利宣言をした。イスラエルの世論の大勢は今回のガザ侵攻を支持しているが、一連の軍事作戦で確かな成果が得られなく停戦に至ったことに「戦闘を継続すべきであった」との声も高い。

 

ハマス、屈辱の大きな被害を残しての「停戦」であり武装解除など難問が山積

ハマスにとっては大きな被害を受けた後であり、屈辱の停戦であった。

八月二八日、ハマスのメシャル最高指導者は記者会見でハマス武装解除について「誰もハマスから武器を取り上げられない」と述べ、今後の交渉でハマス武装解除を議題とすること自体を受け入れないとする姿勢を示した。

 

イスラエルヨルダン川西岸の「土地接収」計画

八月三一日、イスラエル政府は占領地ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区内の土地約四平方キロを一方的に国有地だとして接収すると発表した。過去三〇年で最大規模だという。

パレスチナ側はユダヤ人入植地拡大につながり「イスラエルパレスチナ双方の関係に大きな不安定化を招く」として強く非難した。

 

国際社会、イスラエルの入植計画に非難続出

イスラエルの入植活動に国際社会からも相次いで非難の声が上がった。

九月一日、国連のパン事務総長は「国際法違反にあたり、二国家構想を追求する解決策に完全に逆行する」と非難した。イギリス、イスラエル平和団体「ピース・ナウ」なども強い懸念を示した。

九月二日、アメリカは、サキ報道官名でパレスチナが将来の首都とする東エルサレムでのイスラエルの接収計画に、「二国家共存を実現する行方を阻害するものだ」と深い懸念を表明し撤回を求めた。さらに双方に和平を阻害する「一方的な措置」を取らないよう求めた。

 

ガザ復興への支援の動き

九月四日、パレスチナ自治政府イスラエルとの五〇日間の戦闘による被害で、ガザ復興に七八億ドル(約八二〇〇億円)が必要となる見込みだと明らかにし、「費用の多くは国際社会からの支援に頼ることになる」と述べた。

九月九日、国連とパレスチナ自治政府は、ガザの再建に約五億五〇〇〇万ドル(約五八〇億円)の支援を国際社会に求める声明を出した。同日、エジプトはガザ復興のため支援国会合を一〇月一二日にカイロで開催すると表明した。

 

アッバス、ネタニヤフ両首脳が国連で演説、対立する主張を展開

九月二六日、アッバス議長は国連総会での一般討論で、イスラエルのガザ攻撃を「完全な戦争犯罪だ」と強く非難し上で、イスラエルとの和平交渉について「明確な行程表がなければ意味がない」と指摘、イスラエルの占領地撤退に期限を設ける国連安保理決議案を準備していることを明らかにした。また「ガザを苦しみから解放するには、イスラエルの占領終了とパレスチナ国家の独立以外にはない」主張した。

九月二九日、ネタニヤフ首相も国連総会で演説し、イスラム過激派やイランの核兵器開発を放置すべきでないとした上で、ハマスも同じだと断じた。またパレスチナとの和平交渉については「イスラエルにとっては最優先事項ではない」との立場を示した。

 

アメリカ、イスラエルの入植活動を強く批判。ネタニヤフ首相は不快感を示す

一〇月一日、オバマ大統領とネタニヤフ首相の対談が開かれた。その対談の直前にイスラエル平和団体が「イスラエル政府が東エルサレムでの二六一〇戸の住宅建設を最終承認した」とする声明を発表した。アーネスト大統領報道官は「(入植活動は)国際社会の批判を招き、イスラエルと最も緊密な同盟国でも距離を置く」強い口調で非難した。

入植問題は両首脳の会談でも取り上げられたとみられるが、会談後ネタニヤフ首相は同行記者団に「(入植計画は)二〇一二年に承認されており(今回の承認は)単なる行政手続きにすぎない」と語り、不快感を示した。

しかしアメリカは、入植活動が続けばイスラエルパレスチナの対立が激化しかねないと懸念を深めている。ユダヤ人社会が一定の発言力を持つアメリカでは、歴代の政権が中東政策をめぐり、ほぼ一貫してイスラエルへの配慮を示してきた。しかしオバマ、ネタニヤフ関係はイランの核開発やイスラエルによるガザ攻撃に関してたびたび衝突してきており、両首脳の距離から「これまでで最も離れた距離のある同盟関係」だとの見方も出ている。

 

パレスチナ暫定政権、ガザで初閣議

一〇月九日、パレスチナ暫定政権は、政権発足後初めてパレスチナ自治区のガザで閣議を開いた。ハムダラ首相はガザ再建が最優先事項だと強調した。カイロで一〇月一二日にガザ復興のための「支援国会合」が開催されるのを控え、国際社会に対し、統一政権がガザの統治を担っていることを示す狙いがあるとみられる。

 

ガザ復興の「支援国会合」開催。復興が具体的に動き出す

一〇月一二日、荒廃したガザ復興について話し合う国際会議がノルウェーとエジプトの共催によりカイロで開催された。五〇以上の国や地域、機関の代表らが参加、アッバス議長はガザ復興には「四〇億ドル(約四三〇〇億円)が必要だ」と述べ、国際社会に支援を求めた。

 

国連事務総長、「和平協議」推進を促す

一〇月一三日、国連のパン・ギブン事務総長はパレスチナ自治区のラマラでパレスチナ統一暫定政権のハムダラ首相と会談、エルサレムではネタニヤフ首相と会談した。事務総長は両者に対し、ガザの戦闘を繰り返さないためにも「ガザの不安定さの根本的原因を取り除くことに取り組まなければならない」と述べ、イスラエルパレスチナの二国家共存による抜本的解決の必要性を強調し、「和平交渉に戻る」よう呼びかけた。

事務総長はネタニヤフ首相との共同記者会見で、イスラエル政府が占領地での「新たな入植計画」を承認したことについて「入植計画は正しいメッセージを送らない。イスラエル政府はこうした活動を止めるべきだ」と強く非難した。また事務総長は一〇月一四日、ガザ東部を視察し「筆舌に尽くし難い破壊状況だ」と述べ、二〇〇八年末からの戦闘被害よりも深刻な状況だと憂慮を示した。

 

イギリス下院、パレスチナを「国家」と承認すると議決

一〇月一三日、イギリス下院は「パレスチナ自治区を国家として承認する」と決議した。「協議されている二国家共存による解決案を支持するため、イスラエル国家と並んでパレスチナ国家を承認すること」に対し賛否を問い、賛成二七四、反対一二の大差で承認された。この決議に法的には拘束力はなく、政府政策に直ちに影響は無いものとみられる。

 

ネタニヤフ首相、東エルサレムで一〇六〇戸の住宅建設計画を承認

一〇月二七日、ネタニヤフ首相は占領地の東エルサレムで新たにユダヤ人住宅一〇六〇戸の建設計画を承認した。パレスチナ側は「このような一方的な行動は(パレスチナ人の)爆発につながる」と強く反発し、パレスチナ自治政府のハムダラ首相は「東エルサレムを首都としないパレスチナ国家などあり得ない」とイスラエル側の行為を非難した。

 

エジプト、ガザの境界沿いに緩衝帯設置へ

一〇月二九日、エジプト政府はシナイ半島とガザの境界沿いに、ガザからのイスラム過激派の侵入を防止するための緩衝帯を設ける作業を始めた。シナイ半島北部で二四日、イスラム過激派がガザ武装勢力の支援を得て兵士三〇人以上が死亡する自動車爆弾事件が起きており、これを受けた措置だという。エジプトはハマスと自国内のテロ組織とのつながりを分断して監視を強化し、ハマスの影響を排除する狙いがある。

 

スウェーデンパレスチナを正式に「国家」と承認

一〇月三〇日、スウェーデン政府はパレスチナを正式に「国家」と承認した。EU主要国での最初の承認であり、和平交渉や他の未承認国の動向に影響を及ぼす可能性もある。

イスラエルは反発し、駐スウェーデン大使を召還し、スウェーデンとの外交関係の格下げも考えているという。

 

(三七)ヨルダン川西岸、特に「エルサレム」をめぐり高まる緊張と衝突

二〇一四年一〇月下旬からヨルダン川西岸での対立が高まり、エルサレム旧市街地の「聖地」での衝突事件が頻発、「長期的停戦」後の不安定状況が現実味を帯びてきた。

 

「聖地」をめぐる対立

イスラム教の聖地「ハラム・アッシャリーフ」はまたユダヤ教の聖地「神殿の丘」である。この地は、かつてイスラム教徒が占めるヨルダンが統治していたという歴史的経緯から今もヨルダン側の手で管理されており、無用な対立を防ぐためユダヤ教徒はここで祈ることを認められていない。しかし、特に右派ユダヤ教徒の「聖地」での祈りにかける想いは強く、イスラム教徒との衝突は何度も起きてきた。そのような状況の中、近年イスラエル治安当局とパレスチナ人の対立が強まり、死傷事件も度々起きている。

 

イスラエル、「神殿の丘」を封鎖

二〇一四年一〇月二九日、この聖地で事件が起きた。ここで祈りを強行した右派のユダヤ教徒パレスチナ人の男が襲撃、重傷を負わせた。イスラエル警察はこのパレスチナ人が反撃の発砲をしたとしてこの男を射殺した。

翌三〇日、イスラエル治安当局は、パレスチナ側の反発を避けるための予防措置として事態の鎮静化を図るため「神殿の丘」を約一四年ぶりに封鎖した。パレスチナ側は「パレスチナ人への宣戦布告だ」と強く非難した。エルサレムをめぐり双方の対立は陰険な状況になっていく。

 

イスラエル、ガザに通じる全ての検問所を封鎖

一一月二日、イスラエル政府はガザに通じる全ての検問所を封鎖すると発表した。ガザ地区から一〇月末にロケット弾が発射されたことへの対抗措置という。

ガザ地区ではエジプトに通じる検問所も封鎖されている状況にあり、封鎖が長引けばガザをめぐる緊張が再燃する恐れもある。

 

エルサレムでまた双方が衝突

一一月五日、エルサレムでまた事件が起きた。聖地をめぐりイスラエル治安部隊とパレスチナ人の緊張が高まっている中で、パレスチナ人の男の運転する車が歩行者に突っ込み、イスラエル治安部隊員一人が死亡、九人が負傷する事件が発生した。イスラエル警察はハマスによる「ひき逃げテロ」だと非難し、この男を射殺した。

これに対しパレスチナ側の不満は高まっており、ハマスは男を称賛する声明を出した。またヨルダンは一連のイスラエルの行為を「イスラム教徒の権利を侵害し、聖域でのかってないエスカレートした行為」だと非難し駐イスラエル大使を召還した。大使召還は一九九四年の両国の平和条約締結以来初めてであり、今後の関係が懸念される。

 

EU加盟国を中心にパレスチナへの理解深まる

一一月八日、欧州連合(EU)のモゲリーニ外交安全保障上級代表(EU外相)は訪問先のパレスチナ自治区ラマラで記者団に対し「エルサレムは(イスラエルパレスチナ)二国家の首都にするべきだ」と述べ、改めてエルサレムの帰属に関するEUの立場を表明した。

また最近、中東情勢をめぐり、欧州連合(EU)加盟国の間でパレスチナを「国家」として承認する動きが強まっており、二国家共存を目指すEU加盟国の議会などで決議が採択されるケースが増している。一〇月三〇日にはスウェーデンパレスチナを国家として承認している。

決議に法的な拘束力はないが、承認をテコにユダヤ人入植地問題などで強硬姿勢を続けるイスラエルに圧力をかけたい考えだ。ただ、その効果は未知数だともいわれる。専門家からは「いくつかの加盟国の承認だけでは流れを変えることはできない」との見方もあり、また加盟国も一枚岩でなく、ドイツは「イスラエルパレスチナ双方の交渉でしか問題は解決できない」と否定的だといわれる。このようにパレスチナへの国際的理解は次第に高まってきた。

 

アッバス議長、アラファト前議長の死去から一〇年式典で「東エルサレムパレスチナの首都」と発言

一一月一一日、パレスチナ自治政府アラファト前議長の死去から一〇年の式典が自治区のラマラで開かれた。アラファト前議長が目指したパレスチナ国家樹立への道はまだ遠く、和平交渉も四月に中断したままだ。

アッバス議長は追悼式典で「東エルサレムは私たちが樹立するパレスチナ国家の首都だ。私たちはエルサレムと聖地を守る」と宣言、「イスラエルは占領をやめるべきだ」と述べた。

 

ネタニヤフ首相、「テロ撲滅」の発言

ネタニヤフ首相は一一日夜の演説で「全土で治安対策を強化し、テロリストの家を破壊する。石や火炎ビンを投げる者には厳罰を科し、その親には罰金を払わせる」との方針を発表した。さらに「アッバス議長は暴力行為を助長している」として無責任だと非難した。

 

イスラエルパレスチナの衝突事件続発

イスラエルパレスチナの衝突は長期的停戦後も頻発し、死傷事件は後を絶たなかった。

一一月一二日早朝、パレスチナ自治区ラマラの近郊で、イスラム教礼拝所のモスクが放火された。また、イスラエル北部のアラブ人都市では、ユダヤ教礼拝所のシナゴーグに火炎瓶が投げ込まれるなど双方の対立は続きますます治安上の不安感が高まってきた。

 

イスラエル、国連調査委員会の調査に協力拒否

一一月一二日、イスラエル外務省は、国連人権理事会の独立調査委員会が今年七月から八月にかけてのガザ戦闘に関して調査するとしていることについて、「人権理事会は歴史的にイスラエルに対して敵意を持っており、調査のための委員会ではなく、イスラエルを有罪とする結論を決めつけている委員会だ」として「国連の調査への協力を拒否する」と発表し、調査委員会メンバーの入国を拒否した。調査委員会はガザでの戦争犯罪などについて調査し、二〇一五年三月に報告書を人権理事会に提出することになっている。

 

ケリー国務長官アッバス議長、ヨルダンのアブドラ国王と会談

一一月一三日、アメリカのケリー国務長官はヨルダンの首都アンマンでアッバス議長、ヨルダンのアブドラ国王とそれぞれ会談した。和平交渉の再開、パレスチナでの対立問題などについて話し合われた。

 

ネタニヤフ首相、ケリー国務長官らと会談

一一月一三日夜、ネタニヤフ首相は、ケリー国務長官、ヨルダンのアブドラ国王と会談し、エルサレム旧市街でのイスラエルパレスチナの対立について、沈静化を図ることで合意した。

 

イスラエル、封鎖している「神殿の丘」への入構を緩和

一一月一四日、イスラエル当局は、先月末より封鎖している「神殿の丘」への入構を緩和するとした。しかし、礼拝可能なのは東エルサレム在住者など一部に限られるという。

 

ヨルダン川西岸地区で双方の衝突激化、新しいインティファーダの恐れも、エルサレム聖地の緊張続く

イスラエルパレスチナの対立は「聖地」をめぐり宗教的にもますます激しくなってきた。衝突は聖地エルサレムだけでなくヨルダン川西岸の各地で発生、先月よりイスラエル治安当局とパレスチナ民衆、中でも若者らとの衝突が頻発し、殺人事件も出てきた。イスラエル側の入植計画はさらに進み、パレスチナ側の反発は激しくなっていた。次の新しいインティファーダへの恐れも出てくる。

一一月一六日、エルサレムでパレスチ人のバス運転手が担当車両の中で死亡しているのが見つかり、パレスチナ側はユダヤ人に殺害されたと主張したがイスラエル当局は自殺と断定した。

一一月一七日、イスラエルの主張に反発したパレスチナ住民らが警察と衝突、運転手の葬儀には数千人が参列し「復讐」を叫ぶなどパレスチナ住民の怒りは頂点に達してきた。

 

パレスチナ人、ユダヤ教礼拝所を襲撃。イスラエルは犯人の自宅破壊など「報復」を

一一月一八日早朝、エルサレムユダヤ教礼拝所(シナゴーグ)がパレスチナ人に襲撃される事件が起きた。銃と斧を持ったパレスチナ人の男二人がシナゴーグに侵入、礼拝中だったユダヤ人に襲いかかりユダヤ教聖職者(ラビ)を含む五人が死亡、警察官を含む六人以上が負傷した。犯人の二人は駆けつけた警察官により射殺された。事件をめぐりパレスチナ解放機構(PLO)の反主流派「パレスチナ解放人民戦線(PFLP)」が犯行を認めた。ハマスは今回の襲撃を「バス運転手事件の報復だ」と称賛、新たなインティファーダの始まりだとしさらなる報復攻撃を呼びかけた。若者らとの衝突が頻発し、殺害事件も相次いだ。

ネタニヤフ首相は事件を受け、「パレスチナ自治政府ハマスが対立を煽った結果だ」と非難、容疑者の自宅の破壊を命じるとともに、これまでの「テロ犯」の自宅破壊も急ぐよう指示した。この作戦は二〇〇〇年から始まった第二次インティファーダの時にテロ防止目的で多用された。二〇〇五年、国際社会による批判の高まりなどを受けて中止されたが政府はこの再開を決めた。

 

オバマ大統領一連の事件を憂慮

オバマ大統領は礼拝所での殺傷事件など一連の対立を最大限の言葉で非難し、「過去数カ月であまりにも多くのイスラエル人、パレスチナ人が命を落とした」と述べ、イスラエルパレスチナ双方に緊張を緩和するよう自制を求めた。

 

(三八)イスラエル政府、「ユダヤ人国家基本法」を承認

二〇一四年一一月二三日、イスラエル政府は閣議で、イスラエルを「ユダヤ人国家」として定める基本法案を賛成多数で承認した。

ネタニヤフ首相らは「全国民の平等を保障する」と強調するが、アラブ系議員らは「人種差別的な法案だ」と批判している。批判の主な理由は、この法案が可決されれば基本法の中で、イスラエルは「ユダヤ的民主的国家」から「ユダヤ人の祖国(ナショナルホームランド)」と定義され、アラブ系イスラエル国民一七〇万人に対する差別を制度化する恐れある上、イスラエルの民主主義国家としての性格よりも「ユダヤ人国家」としての面を強調しており反民主的だとしている。また独立宣言で既に「イスラエル国ユダヤ人移民と離散民に開かれる」と謳われており改めて法案の必要性があるのかと疑問視する声もあった。

閣議は荒れ、一四閣僚は賛成したが、リブニ法相が党首を務めるハトヌアやラピド財務相が党首を務めるイエシュアティドの中道二政党の六人は反対した。

 

(三九)EUを中心に国際的にパレスチナを「国家」と承認を求める動き高まる

二〇一四年一二月二日、フランス国民議会(下院)は、パレスチナを国家として承認するよう政府に働きかける動議を賛成三三九、反対一五一、棄権六で可決した。

イスラエルパレスチナの紛争を解決し、二国家実現が和平への道だとする動きが国際的にも欧州諸国を中心に高まってきている。最近では一〇月以降でも国連のパン・ギブン事務総長の発言、イギリス下院の議決やスウェーデン政府の承認、そして今月に入ってEUの見解など二国家共存による和平への期待が強まっている。

しかし、イスラエルは「これらの動きは和平への努力を阻害するものだ」反論し、強気の姿勢は崩さない。

 

(四〇)イスラエル、「国会を解散し、来年三月総選挙実施」を決める

ネタニヤフ政権内の対立

ネタニヤフ首相の率いる右派リクードは、昨年一月の総選挙で第一党となったが過半数に届かず、ラピド財務相、リブニ法相がそれぞれ党首を務める中道二政党と極右二政党を含め五党で連立を組み、ネタニヤフ政権が発足している。

しかし連立発足後、首相ら右派、極右の政策とラピド財務相、リブニ法相ら中道の方針との対立が表面化してきている。今年春に頓挫した和平交渉、八月のガザへの軍事行動、「来年度予算の編成」、また今回の「ユダヤ人国家法案」等をめぐり意見は相違し対立を深め、連立に亀裂が生じていた。

 

ネタニヤフ首相、ラピド財務相とリブニ法相を解任。国会解散と総選挙を求める

二〇一四年一二月二日夜、ネタニヤフ首相はラピド財務相とリブニ法相の解任を発表。国会解散と総選挙の実施を求める方針を示した。首相は「両閣僚は私が率いる政権を激しく批判してきた。閣僚が内部から政権の方針や指導者を攻撃する行動は容認できない」と述べた。

 

イスラエル、国会解散と総選挙実施を決める

一二月三日、国会各会派代表は協議し、国会を解散、来年(二〇一五年)三月一七日に総選挙を前倒しで実施することに合意した。

一二月八日、イスラエル国会(定数一二〇、任期四年)は任期を二年以上残し解散した。選挙は諸情勢からリクードを中心に現在よりも右派寄りになる可能性が大きく、和平に否定的な右派勢力が優勢とみられており、今年四月に頓挫した和平交渉の再開は更に困難になりそうだ。

 

(四一)イスラエルパレスチナヨルダン川西岸やガザでの衝突収まらず

二〇一四年一二月一〇日、ラマラ近郊で世界人権デーパレスチナ人のデモ行進があり、デモ隊とイスラエル軍が衝突、参加していたパレスチナ自治政府のジャド・アブアイン入植地問題担当高官がイスラエル軍兵士により暴行を受け、病院で死亡した。アッバス議長はイスラエル側の行為を「許せない野蛮な行為だ」と激しく非難した。しかしイスラエル側は「持病による死」だとして対立した。

一二月一一日、高官の葬儀に数千人が参加、イスラエル側は治安に応援部隊を送り込みデモ隊を鎮圧した。

一二月二〇日、イスラエル軍はガザ南部のハマス施設に空爆を加えたことを明らかにした。一九日にガザからイスラエル領内にロケット弾が撃ち込まれたことへの対抗措置だという。

イスラエルによるガザ空爆は八月二六日に停戦が成立して以降初めてで、双方の対立抗争は方々で深い憎しみの中で続いていく。

 

(四二)ヨルダン、「二国家共存和平」への決議案を国連に提出も安保理否決

国連非常任理事国ヨルダン、「二国家共存につながる和平案をまとめるよう求める決議案」を国連に提出

二〇一四年一二月一七日、国連安保理非常任理事国であるヨルダンはイスラエルが二〇一七年末までに占領地から撤退し、二国家共存につながる和平案をまとめるよう求める決議案を国連に提出した。また、首都を「東エルサレム」とすることやパレスチナ難民やイスラエルに拘束されているパレスチナ人の取り扱い、水資源をめぐる双方の問題について、「公平な解決」を求めている。

 

ヨルダン提出の案、安保理で採決されるが「否決」となる

一二月三〇日、ヨルダン提出の案は国連安保理で採決に付された。これが決議されれば、大きく和平に向けて進展すると期待された。

しかし、理事国一五カ国のうち採決に必要な九カ国の支持が得られず否決された。フランス、中国、ロシアなど八カ国は賛成、アメリカ、オーストラリアの二カ国は反対、イギリスなど五カ国は棄権した。

 

アメリカは「双方の直接対話による円満合意以外道なし」と「反対」

常任理事国イスラエルを擁護しイスラエルの安全保障を重視するアメリカの反対は、採決に大きく影響した。

アメリカのパワー国連大使は採決後、「イスラエルパレスチナの和平合意は双方の円満な合意以外にはない。交渉を通して双方が包括的な合意に達するまでは、紛争が解決することはない」とし、「このような期限を設けるなど非建設的な手法では合意の達成はできない。この決議案では二国家共存を実現するための機運を取り戻す努力を損なうものでより亀裂が深まる」と否定的で決議案に反対した理由を述べた。

アメリカはこれまで和平合意に向け仲介努力を続けてきたが、目立った成果が見えない中、「和平合意は双方直接対話により円満な合意以外にはない」とし、双方が話し合いを続けるようにと仲介の限界ともとれる腰を引いた姿勢を示し始めたようにも思える。

 

パレスチナの失望

決議案の否決にパレスチナマンスール国連大使は「二国間の解決は暗礁に乗り上げ、和平は見通せない状況なのに、安保理はまたも責任を果たさなかった」と失望感をあらわにした。

 

四三パレスチナ、「国際刑事裁判所(ICC)」への加盟申請に踏み切る

パレスチナは、遂に対イスラエルへの重要なカードを切った。和平交渉の進展を期待し国際刑事裁判所(ICC)への加盟を見送っていたが、イスラエルの占領地からの撤退などを求める決議案が否決されたことを受け、対抗措置としてICCへの加盟に踏み切った。

二〇一四年一二月三一日、アッバス議長はICCへの加盟条約に署名し、来年(二〇一五年)早々に国連へ提出するための準備を終えた。

パレスチナは二〇一二年一一月、地位は「オブザーバー国家」に格上げされているが、申請資格とされる「国家」とみなされるかが注目される。

 

二〇一五年

(一)パレスチナ、「国際刑事裁判所(ICC)加盟」申請、反響大

パレスチナ、「国際刑事裁判所(ICC)加盟」申請

二〇一五年一月二日、パレスチナはICC加盟に必要な文書を国連本部に提出した。パレスチナマンスール国連大使は「法的手段を通じて正義を実現するための意義深い一歩だ」と述べた。

申請が正式に認められパレスチナがICCに加盟に加盟すれば、イスラエルによる「戦争裁判」などをICCが審査することが可能になる。

 

ネタニヤフ首相、パレスチナの「申請」に強く反発

パレスチナの「申請」に対してネタニヤフ首相は「パレスチナ当局はイスラエルと対決する道を選んだ」「我が将兵をICCに引き出させはしない」「裁きにかけられるべきなのはハマス戦争犯罪者だ」と強く反発した。

和平交渉は昨年四月に止まったままだが、再開は一層困難な情勢となった。

 

イスラエルパレスチナへの「税金送金」を凍結

イスラエル政府は一月三日までに、パレスチナ政府に代わって徴収している税金約五億シェケル(約一五〇億円)の送金を凍結する経済措置を決めた。パレスチナがICCに加盟申請をしたことへの報復措置だという。

イスラエルは、一九九四年にパレスチナと交わしたパリ協定などに基づき関税などを代行徴収し送金しており自治政府の重要な財源になっている。送金凍結が長引けばパレスチナは大きな打撃を受け経済はマヒする恐れがある。イスラエルの措置に国際的にも批判が出てくる。

 

アメリカはパレスチナの「申請」に困惑

アメリカはパレスチナがICCに加盟申請をしたことについて、「パレスチナ主権国家ではなく加盟資格がない」としており、サキ報道官も「深く困惑している」とも述べた。一方、イスラエルパレスチナへの税金の送金を凍結したことにも「緊張を高めるだけだ」と批判。両陣営に対し、直接の和平交渉再開に向け、緊張緩和に取り組むよう改めて求めた。

 

国連は申請を受理、オバマ大統領は遺憾の意を表明

一月七日、国連はパレスチナがICCに加盟申請した文書を正式に受理したことを確認した。

一月一二日、オバマ大統領は「パレスチナ主権国家ではなく、加盟資格がない」とするアメリカの立場を表明し、「パレスチナのICC加盟が建設的な前進になるとは思わない」と指摘した。

 

(二)パリで新聞社襲撃事件など「反ユダヤ的テロ」事件起きる

イスラム過激派,パリで新聞社や食料品店などを襲撃

二〇一五年一月七日、パリで風刺画が売り物の週刊新聞「シャルリー・エブド」の事務所にイスラム過激派の男三人が侵入、イスラム教を風刺したことへの報復だとして発砲、一二人が犠牲になる事件が発生した。その後、犯人二人がパリ郊外で人質を取り立てこもり発砲事件で警官が一名死亡、さらにユダヤ人向け食品スーパー襲撃事件でユダヤ系住民四人が犠牲になり一連の事件で一七人が死亡した。

 

パリで反「テロ」の「大規模追悼デモ」、テロへの対抗姿勢鮮明に

一月八日、国連安保理は「テロ行為を最大限の言葉で非難する」と表明した。各国も強烈に非難した。

一月一一日、パリでの「テロ」事件の犠牲者を悼む大規模追悼デモがパリなどで行われ、三七〇万人もの市民らが参加した。フランスのオランド大統領を始めネタニヤフ首相、アッバス議長、イギリスのキャメロン首相、ドイツのメルケル首相など各国からの首脳らの参加も多く、アメリカからは駐仏大使が参加した。今までにない大行進となった。

ネタニヤフ首相は行進に参加した後、「イスラエルは対テロで欧州を支援する。同時に欧州もイスラエルを支援する時だ」と発言、欧州での「反ユダヤ」への拡大を懸念し欧州との連携を強調し、欧州からイスラエルへの移住者を望むものが増加している傾向について「イスラエルは(ユダヤ人である)あなたたちの家だ」と述べ、移住を歓迎する声明を発表した。

エルサレムではパリでの追悼大行進に合わせ追悼集会が開かれた。

なお、一月一三日にイスラエルで行われたテロ被害者の葬儀にはリブリン大統領、ネタニヤフ首相ら数千人が参加、改めて対テロへの姿勢を示した。また、同日、フランスでは臨時招集された議会で「テロに対する戦争」を宣言し、国全体がテロリストに立ち向かう姿勢を示した。

 

(三)ムハンマド風刺画の「シャルリー・エブド紙」に対するイスラム側の反発

フランスのシャルリー・エブド紙が最新号で預言者ムハンマドの風刺画を掲載したことに対する反発がイスラム教徒の住む国々でさらに広がっている。

トルコでは二〇一五年一月一四日、裁判所は風刺画を掲載するインターネットサイトの遮断を命じた。また一月一五日、ダウトオール首相は「表現の自由は侮辱の自由ではない」と痛烈に批判した。イスタンプールでは市民が抗議活動を展開した。イランは「イスラム教徒への挑発であり、過激派の火をさらに燃え上がらせる」と表明した。セネガルでは風刺画を転載した発行物の配布を禁止した。フィリピンのミンダナオ島マラウィでは一五〇〇人が抗議活動をし、アフリカのモーリタニアでも大規模なデモを計画している。また、エジプトのカイロにあるスンニ派最高権威機関のアズハルは一月一四日、イスラム教徒に「無視」するように呼びかけ、「預言者ムハンマドは偉大であり、こうしたモラルのない行為にムハンマドの偉大さは影響されない」と強調した。

 

(四)国連高官、中東情勢悪化に「和平交渉」への懸念発言

二〇一五年一月一五日、国連のトイベルグクタンゼン事務次官補(政治担当)は、安全保障理事会で開かれた中東情勢に関する公開会合で、イスラエルパレスチナの紛争について「今や未知の領域に入った。和平交渉に復帰するいかなる当面の希望も打ち砕かれたようにみえる」との認識を示し、情勢悪化に深刻な懸念を表明した。

 

(五)国際刑事裁判所、「戦争犯罪に関する予備的調査」開始

二〇一五年一月一六日、国際刑事裁判所(ICC)は、昨年夏のイスラエルハマスの戦闘などについて「戦争犯罪に関する予備的調査」を開始したと発表した。

主任検察官は「期限を設けず独立した立場で調べる」と述べ、予備的調査で犯罪の疑いが出れば裁判所の許可を得て本格的調査を開始するという。

ネタニヤフ首相は「予備的調査の開始はICCの権限を越えている。パレスチナは国家ではない」と反論した。

これに対しICCは、「自治政府は国連総会でオブザーバー資格を付与されていることから加盟は認められる」との立場を表明、「独立、公正な立場を十分保ち、調査を進める」とした。

予備調査はイスラエルの行為のみでなく、パレスチナにも及ぶが、パレスチナ側はハマスも含めICCに協力するとしている。

ただ、イスラエルはICCに加盟しておらず、イスラエルの責任を訴追してもICCの権限は直接及ばないともいわれ、今後のICCの動きが注目される。

 

(六)来日中のパレスチナ外相、「日本の支援期待」

二〇一五年二月一七日、来日中のマルキ・パレスチナ自治政府外相は、マスコミ記者会見などで当面のパレスチナ情勢や和平交渉など今後の対応について語った上で、「フランスや英国など欧州でパレスチナ国家承認へ向けた動きが加速している」とし、日本に「経済面に加え政治的な役割を求める」とも述べ、パレスチナ支援の機運を高めるよう期待した。

 

(七)ネタニヤフ首相、アメリカ共和党の招待でアメリカ訪問へ

野党共和党の招待でネタニヤフ首相が三月上旬訪米予定

ネタニヤフ首相の訪米が二〇一五年三月上旬に予定された。三月一七日のイスラエル総選挙の直前である。

今回のネタニヤフの訪米は、上下両院で多数を占める野党の共和党が、オバマ大統領の「頭越し」に招いたもので、ネタニヤフ首相は三月三日に議会での演説も予定されるという。招待した下院のベイナー議長は欧米など六カ国とイランの核協議を推進するオバマ政権に批判的な対イラン強硬派として知られる。

 

オバマ政権側は不快感、ネタニヤフ首相の議会演説予定に反発

二〇一五年二月二三日、アーネスト報道官は「オバマ大統領は三月のネタニヤフ首相の訪米時には会わない意向だ」と明らかにした。ネタニヤフ首相の訪米がイスラエル総選挙の直前であることも会談拒否の理由としているが、議会演説で首相が「イランの脅威」を強調し、オバマ大統領が推進する「イランとの核協議に反対を表明する可能性」もあるとみられることから、政権との会談を避けたものだという。また「一国の指導者が訪米する場合、大統領側と調整するのが長年の外交儀礼だ」と記者会見で不快感を示した。

オバマ大統領の任期は二年を切った。政治的なレガシー(遺産)づくりのためキューバとの国交交渉の開始に続き、イランとの和解には三月末までの枠組み合意、六月末までの包括合意を目指している。オバマ政権にとって緊張の時期にきている。

二月二五日、ケリー国務長官は下院外交委員会で、ネタニヤフ首相の行動について「正しくない判断をしている可能性がある」と批判。ライス大統領補佐官も両国関係の「破壊的な行為」だと批判した。

イラン核協議は今、三月中の政治的な枠組み合意を目指し、大詰めを迎えている。この直前でのネタニヤフ首相のアメリカ議会での演説に関しオバマ政権側の反発はさらに高まってきた。アメリカとイスラエは従来から党派の垣根を越えて理解し合う関係であったことを踏まえ、今回のネタニヤフ首相の演説は「政党政治が持ち込まれることで党派的であり、両国関係の足を引っ張るものだ」と双方の関係悪化が深まることが懸念され、オバマ政権とイスラエル関係が険悪化してきている。

 

(八)ネタニヤフ首相アメリカ議会で演説、オバマ政権との亀裂深まる

ネタニヤフ首相、「親イスラエル団体」の大会で「イラン核交渉を批判」する演説を行う

二〇一五年三月二日、ネタニヤフ首相はワシントンで親イスラエル団体「アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)の大会で、「(イラン核交渉の合意が)イスラエル生存権を脅かす可能性がある」と主張し、翌日のアメリカ議会での演説の前哨戦的な意気込みを見せた。

 

ネタニヤフ首相アメリカ議会で演説、オバマ政権の政策を批判、オバマ政権との「亀裂」決定的

三月三日、ネタニヤフ首相はアメリカ議会で演説した。

ネタニヤフ首相は予想通りイラン核協議の合意を「非常に悪い取引だ」と酷評し、オバマ政権の外交姿勢を繰り返し非難した。こうした首相の意図を察知していたアメリカ政権も上院議長を兼ねるバイデン副大統領が外国訪問を理由に異例の欠席、多くの民主党議員がボイコットした。

オバマ大統領はネタニヤフ首相と面会せず、首相の議会演説後、記者団に対し「何らの実現可能な代案を示さず、新味がない」と演説を批判した。

オバマ大統領の二〇〇九年の就任以来、ギクシャクした関係を続けてきた両氏の亀裂は、この演説で決定的になった。

両首脳が公の場で見せた異例の対立は、パレスチナ和平交渉を含む中東での諸問題の解決に努力してきたアメリカと中東隋一の親アメリカであるイスラエルとの関係のさらなる悪化を印象付けた。

民主党のリーダー、ペロシ下院院内総務は「アメリカが、持てる知見を尽くしてイランの核を止めようとしている協議を侮辱された」と声明を発表し、やり切れない思いをぶつけた。

 

ネタニヤフ演説は自身の「選挙」を意識したものか

ネタニヤフ氏のアメリカ議会での演説は、二週間後の三月一七日に予定されているイスラエルの総選挙を意識したものでもある。総選挙ではネタニヤフ首相の率いるリクードが優勢と見られていたが、選挙戦終盤にきてネタニヤフ氏に疑惑も生じ、旗色が悪くなってきていた。アメリカ議会での演説は、イランに融和姿勢を示しているオバマ氏に批判的なイスラエル国内の有権者の支持を取り付けたい狙いがあったとみられる。

イスラエル野党は、首相のアメリが議会での演説について、「イランの核兵器開発を阻止することにならない」と批判し、今回の演説の結果「対米関係を悪化させ、イスラエルは孤立する」とも批判し手厳しい意見も出てきた。

イスラエルでは近年、貧富の差が拡大し物価が高騰、軍事費のしわ寄せなどから病院などでの公共サービスの低下も著しく、市民生活の向上を求める声が高まっている。このような国内情勢の中、ネタニヤフ首相のアメリカ議会での挑発的な発言は「選挙の論点を安全保障問題にすり替え、内政や経済問題から市民の目をそらそうとしている」「対米関係をさらに悪化させるだけだ」との批判も出ている。

 

(九)イスラエル総選挙、与野党選挙戦の攻防

反ネタニヤフの野党陣

イスラエル総選挙(定数一二〇)は、二〇一五年三月一七日である。

二〇一五年三月七日、イスラエルでの中道左派政党関係者やその支持者が中心となり、テルアビブでネタニヤフ首相を批判する約五万人の大集会が開催された。

三月九日、イスラエル総選挙まで一週間、野党はネタニヤフ首相の経済政策を批判し、イランの核問題をめぐって、同盟国アメリカとの関係を損ない国際的に孤立していると批判している。野党中心のシオニスト・ユニオンは労働党のヘルツォグ党首、ハトヌアのリブニ党首で組んだ統一会派政権交代を狙っている。ネタニヤフ首相がアメリカ議会で演説後も与党リクードの支持率は伸び悩み傾向。与野党接近の状況だが、野党が「反ネタニヤフ」でまとまれば、与野党逆転も予想される。世論調査では優勢だとみているが差は僅かである。現地メディアの世論調査では「接戦、中道左派の野党陣営が僅差でリード」としている。

 

ネタニヤフ側終盤の攻勢、「パレスチナ国家の樹立に反対」「入植活動継続」の強硬姿勢

リクード中心の政権側は、負けることは許されない。

ネタニヤフ首相は選挙戦の終盤、自身の率いる右派与党リクードの劣勢が伝えられ危機感を募らせていた。首相は支持基盤を強化し右派層の票を確保するため、最後の攻勢に出た。パレスチナ問題やイラン核開発問題など安全保障問題を前面に出し、強硬姿勢を鮮明にした。

ネタニヤフ首相はリクードが政権にあり自身の首相続投が決まった場合、その任期中は「パレスチナ国家を認めない」とパレスチナ国家の樹立を拒否、「それを認めればイスラエルを攻撃するイスラム過激派に領土を与えることになる」と危機感を煽った。さらに「入植活動を継続する」と表明し、これまでの施策の強化拡張を主張した。またアラブ系イスラエル人の動きを警戒する姿勢も示し右派層の不安を煽った。

 

(一〇)イスラエル総選挙、ネタニヤフ与党勝利、中東に広がる失望感

右派与党リクード勝つ。ネタニヤフ右派強硬政権継続の可能性濃厚

二〇一五年三月一七日、イスラエル総選挙が実施された。即日開票の結果、選挙戦終盤に粘ったネタニヤフ首相が率いる右派与党リクードが三〇議席を獲得し第一党となった。優勢かとみられていた中道左派シオニスト・ユニオンは二四議席と伸びなかった。単独過半数を得た党はなく連立政権となる見込みだ。

三月一八日、一二〇の議席数がほぼ固まった。リクード三〇、シオニスト・ユニオン二四、アラブ統一会派一三、イエシュアティド一一.クラヌ一〇、ユダヤの家八、シャス七、我が家イスラエル六、その他宗教政党など一一となった。右派、宗教系の議席がほぼ半数を占めており、「再選されればパレスチナ国家樹立を認めない」と明言した通算四期目を目指すネタニヤフ首相の続投が濃厚だ。リクード中心の右派強硬政権が成立すれば、選挙前より右派傾向は強くなるとみられ、パレスチナとの緊張はさらに高まることは必至だ。

 

中東和平を願った中東に失望感

選挙結果はイスラエルパレスチナとの関係に大きな影響を与える。二国家解決案をめぐる双方の交渉の行く先は見えなくなった。中東和平を願った中東に失望感が広がった。

 

一一オバマ大統領、「イスラエルとの関係を見直す」とイスラエルを牽制

ネタニヤフ首相のアメリカ議会での演説でイスラエルアメリカ両国間の亀裂が深まった上に、選挙中に首相が「パレスチナ国家を認めない」との立場を表明したことを受け、イスラエルパレスチナの和平交渉を仲介していたアメリカ側を強く刺激した。

二〇一五年三月一九日、オバマ大統領はネタニヤフ首相に電話し、総選挙で同首相率いるリクードが勝利したことに祝意を伝えた上で、「両国関係について政策の選択肢を再検討しなければならない」と述べ、両国の関係見直しを示唆した。

アーネスト報道官も三月一九日の記者会見で「アメリカの(対イスラエル)政策を再検討する必要が生じた」と強調した。また「二国家共存はアメリカ政策の根幹だった」とも指摘し、イスラエルを支持してきた国連での立場の変更も示唆した。イスラエルアメリカの関係に生じた亀裂がどこまで深くなるか目が離せない。

 

(一二)オバマ政権、ネタニヤフ首相への不信感拭い去れず

ネタニヤフ首相は、アメリカとの関係に摩擦を生じてきたことに関し、選挙後、強硬発言を修正するかのような発言をした。

二〇一五年三月一九日、ネタニヤフ首相はアメリカテレビのインタビューに臨むと「二国家による持続可能で平和的な解決を望んでいる」と述べ、前言を事実上撤回したともとれる発言をした。しかし、「そのためには状況が変わらなければならない」とも付け加え、パレスチナ側が武装解除することやイスラエルユダヤ人国家であると認めることが条件だとする従来からの立場を繰り返し述べた。

 

アメリカ、ネタニヤフ首相の釈明への不信感

アメリカは、ネタニヤフ首相の「前言撤回」ともとれる釈明発言があったとは言え、アメリカのイスラエルに対する不信感は残ったままだ。

三月二三日、マクドノー大統領首席補佐官は「約五〇年間に及ぶ(イスラエルによるパレスチナの)占領を終わらせなければならない」と訴え、「パレスチナ主権国家の持つ権利がある」と強調。「私たちは、(ネタニヤフ首相の)発言が無かったように振舞うことはできない」と強調し、首相の態度を批判した。

三月二四日、オバマ大統領はホワイトハウスの記者会見で、パレスチナ国家の樹立に反対しているネタニヤフ首相との対立について「自分と首相の個人的な関係の問題ではなく、現実的な(政策の)問題だ」と強調した。また「首相の一連の発言からパレスチナ国家の樹立をどのように達成できるかを描くのは困難だ」と改めて批判した。アメリカ政権のネタニヤフ首相への不信感は払拭されていない。イスラエルとの関係見直しにも言及したアメリカとイスラエルの亀裂は深まっていく。

 

一三イスラエルパレスチナへの税金送金を再開すると発表

イスラエル政府は今年一月からパレスチナ自治政府への税金の送金を凍結しており、これを非難する声は続いている。

二〇一五年三月五日、パレスチナ解放機構(PLO)の中央評議会はヨルダン川西岸でのイスラエルとの治安協力を停止することを決めた。イスラエルパレスチナ政府への税金の「送金凍結」をしたことへの対抗措置と見られるが、実際に治安協定が停止されれば異例の事態で、パレスチナ武装勢力によるイスラエルへの武力攻撃などが頻発する恐れがある。

三月二七日、イスラエル政府は「送金を再開する」と発表した。「人道的配慮と現時点におけるイスラエルの利益を全体的に考慮した」という。当面の混乱は避けられた。税金の送金についてはアメリカなどから再開するよう圧力が掛けられていた。

 

(一四)イランの核問題包括協議始まる、ネタニヤフ首相は一貫して反対

イランの核問題をめぐっては、二〇一三年にイランに保守穏健派のロウハ二政権が発足して以来、欧米など六カ国とイランが包括解決に向けた交渉が積極的に開始され、二〇一三年一一月には、「第一段階」に位置付けられる合意が成立している。その後も交渉期限を延長して協議が続けられてきた。しかし、イスラエルは歴史的にイランを敵視し、特に最近のイランの核をめぐる欧米など六カ国とイランの交渉に反発、ネタニヤフ首相はイランの核の脅威を訴え、一貫して強い姿勢で「合意を阻止する」とする言動を続けている。

二〇一五年三月一九日、オバマ大統領は電話でのネタニヤフ会談でイラン核協議について、「核保有を阻止する包括的な取り決めを追求する方針」を重ねて示した。また同日、オバマ大統領はイランへの声明で「この問題を解決する歴史的な機会を逃すべきではない」と強い決議を示した。

三月二〇日、イラン核協議の解決を目指す主要六カ国とイランはスイスのローザンヌでの協議を終え、一定の前進があった。しかし、経済制裁の解除などで対立が解けず、三月二五日に協議を再開した。

三月三一日、枠組み協議の最終日であるが、一日延長して更に詰めることとした。

四月一日、協議は最終の合意文書の起草に入った。

 

(一五)イラン核協議「最終合意の枠組み」で合意、「最終合意」へは難航も

二〇一五年四月二日、イランの核問題についてイランと安保理常任理事国にドイツを加えた六カ国は、「最終合意の枠組み」で合意し、共同声明を発表した。

精力的な協議を続けてきた結果、最終合意に向けた枠組みの合意ができた。イランは核爆弾の製造につながるウラン濃縮活動を大幅に縮小し、欧米はイランの合意履行を確認した上で、独自の経済制裁を凍結する。国連安保理の決議に基づく制裁も解除する。

イラン核協議は枠組みで合意できた。しかし、六月三〇日が期限の最終合意には技術的な細部を詰める必要があり、さらなる難航も予想される。

アメリカのオバマ大統領は「歴史的な合意だ」と称賛の声明を出した。だが共和党は最終合意について「議会の承認が必要だ」と主張し、オバマ政権に揺さぶりをかける動きもある。

四月三日、イランのロウハ二大統領は演説で、核協議の枠組み合意を「国民の歴史的な記憶として残る」と評価した.同時に国政全それには般の決定権を握る最高指導者ハメネイ師の指導に感謝を示した。大統領は、六月末までの最終合意を目指すが、それにはハメネイ師の了解が必要である。イラン国内の強硬派には核開発の制限に対する不満もある。

四月九日、枠組み合意後のほぼ一週間沈黙を守っていたハメネイ師は、「最終合意への署名と同時にすべての経済制裁が解除されるべきだ」との立場を明らかにし、アメリカの主張を牽制した。「アメリカの譲歩」を引き出す狙いとの見方もある。アメリカは制裁解除の時期を「核関連のすべての主要な措置が取られたと国際原子力機関IAEA)が立証した後」、「最終合意が履行される中で段階的に経済制裁が解除される」とし、「イランが義務履行を怠れば、制裁は即時復活する」としている。

枠組み合意に対し、反イランのサウジアラビアイスラエルは強く反発した。特にネタニヤフ首相は「イスラエルの(国家としての)存続の脅威になる」と強い懸念を示した。

 

(一六)パレスチナ国際刑事裁判所に正式加盟、イスラエルは反発

パレスチナは二〇一五年一月までに国際刑事裁判所(ICC)への加盟に必要な手続きを終えている。

四月一日パレスチナ自治政府は正式加盟した。これに対してもイスラエルアメリカは反対である。自治政府のマルキ外相が裁判所で開かれた式典に出席した。パレスチナはICCに正式に加入したことにより、イスラエルに国際的な圧力を加えることも可能になる。特にイスラエルが占領しているヨルダン川西岸地区への入植活動や前年夏のガザ侵攻で二〇〇〇人以上が死亡した件など「戦争裁判」について、イスラエル側を追及することも可能になり、イスラエル側の反発は必至である。

イスラエルのネタニヤフ首相はパレスチナのICC加盟を批判し、「(パレスチナ自治政府の)加盟は容認できない」としており、双方の対立激化が懸念される。

 

(一七)イスラエル、第四次ネタニヤフ政権発足

ネタニヤフ首相、党で連立合意

イスラエルのリブリン大統領は、選挙結果を受けリクードを率いるネタニヤフ首相に組閣を要請した。組閣期間は六週間、首相は各党との協議を開始し五月初旬に協議を終えた。

二〇一五年五月六日、ネタニヤフ首相は右派、極右、宗教政党と連立内閣を樹立することに合意した。交渉は難航したがようやく定数一二〇の半数を上回った。連立を組むのは右派リクード(三〇)、中道右派クラヌ(一〇)、極右ユダヤの家(八)、宗教政党のシャス(七)とユダヤ教連合(六)の計五党で六一議席となった。僅差の過半数では不安定であり、ネタニヤフ首相は連立の拡大を図ろうと他の政党と交渉する意向を示した。

 

第四次ネタニヤフ政権発足、外交は一段と強硬に

五月一四日夜(日本時間一五日未明)、通算四期目となるネタニヤフ首相率いる新連立政権が発足した。連立には中東和平に積極的な政党は加わっておらず、昨年春に頓挫した和平交渉が再開される可能性は低い。今後、極右政党の存在感が強まるのは確実で、イランやパレスチナに対する外交姿勢は一段と強硬になりそうだ。

 

(一八)ネタニヤフ首相、改めて「二国家構想支持」と発言

二〇一五年五月二〇日、ネタニヤフ首相は欧州連合(EU)のモゲリーニ外交安全保障上級代表(外相)とエルサレムで会談した際、パレスチナとの和平について「私は二つの国家という構想を支持する」と述べた。ネタニヤフ首相は三月に「二国家による持続可能で平和的な解決を望んでいる」と発言しており、今回の発言は改めて二国家構想を支持するとしたものである。

 

(一九)オバマ大統領、ネタニヤフ首相の「二国家構想支持」発言に不信を示す

二〇一五年六月二日、オバマ大統領はイスラエルの民放チャンネル2のインタビューで、「(ネタニヤフ首相の二国家構想支持の発言があったとされるが)国際社会は既に、パレスチナとの二国家共存に対するイスラエルの真剣さを信じていない」と述べ、イスラエルがどこまで真剣に二国家共存を考えているか改めて「真剣さを疑う」と批判した。国際社会もネタニヤフ首相の支持発言にパレスチナに受け入れられないような条件を示しており首相の真意がどこにあるか疑問の声も上がっている。

 

(二〇)パレスチナ暫定内閣総辞職、ハムダラ首相は再度組閣へ

二〇一五年六月一六日夜、アッバス議長はファタハの革命評議会の会合で「パレスチナ政府は二四時間以内に解散する」と発表した。ハマスが実効支配しているガザ地区における内閣の運営について、ここ数カ月間にわたって内部亀裂が深まっており解散が検討されてきたが今回合意ができたという。

六月一七日、パレスチナ暫定内閣は総辞職した。新内閣の組閣に当たってはハマスを含むパレスチナ各派と協議するとし、再度組閣を要請されたハムダラ首相は組閣に取り組んだ。

 

(二一)フランス外相、「和平交渉の早期再開」を訴える

二〇一五年六月二一日、中東訪問中のフランスのファビウス外相は、ネタニヤフ首相とアッバス議長とそれぞれ会談した。外相はイスラエルパレスチナの和平交渉の早期再開に向けたフランス主導の取り組みについて説明し、「イスラエルの安全を保障し、パレスチナに国家を持つ権利を与えなければならない」と訴えた。アッバス議長はフランスの取り組みを歓迎し、パレスチナ側は交渉再開に前向きであることを強調した。一方、ネタニヤフ首相は「和平は外部から押し付けようとする国連決議案からは生まれない」と牽制し、「和平当事者間の交渉によってのみ実現できる」と述べ、フランスの提案を拒否した。

 

(二二)エジプト、三年ぶりに駐イスラエル大使復帰の見通し

二〇一五年六月二一日、エジプトのシシ大統領は、新しい駐イスラエル大使を任命した。約三年ぶりに大使復帰の見通しとなった。二〇一二年一一月に当時のモルシ大統領がイスラエルによるガザへの攻撃に抗議し、大使を召還したままの状態が続いていた。シシ大統領就任以来、両国は急速に接近しており、ネタニヤフ首相は新大使任命を「歓迎する」と述べた。

 

二三)国連人権委員会、昨年のガザ戦闘の「戦争犯罪」について報告

二〇一五年六月二二日、国連人権理事会の独立調査委員会は、前年の七~八月のガザでの戦闘について報

告書を発表し、イスラエルハマスの双方が「戦争犯罪」を行った可能性を指摘した。報告書はイスラエルハマスによる国際人権法などの「深刻な違反」を示す「かなり多くの情報」を入手したとし、「違反行為が戦争犯罪に相当し得る」ケースがあったと結論づけた。また報告者によるとパレスチナ側の死者は二二五一人(うち民間人が一四六二人)、イスラエル側の死者は兵士を中心に七三人であったとしている。ネタニヤフ首相は、調査委員会の報告書について「イスラエルの破壊を求め、複数の戦争犯罪を行っているテロ組織から自国を守っただけだ」と主張し、「戦争犯罪に当たらない」と反論した。

 

(二四)アッバス議長、新政権発足に向け協議を進める意向

パレスチナ暫定政権発足から一年以上が経過したが不安定で統一政権の成果が見られない。二〇一五年六月二三日、アッバス議長は幹部会合を開き、機能不全に陥っている統一暫定政権に代わる政権を近く発足させる方針を決めた。委員会を立ち上げ、組閣に向けて全政治勢力と協議すると述べた。

 

(二五)パレスチナ、ICCへ「戦争犯罪」に関する資料を提出

二〇一五年六月二五日、パレスチナのマルキ外相はオランダのハーグにある国際刑事裁判所(ICC)本部を訪れ、イスラエルの「戦争犯罪」などに関する資料を初めて提出した。ICCの検査官が進めている予備調査を補完し正式捜査につなげたい考えだ。

 

(二六)「イスラム国」(IS)、ネット動画で「ガザ」など「世俗派」制圧宣言

過激派組織「イスラム国」(IS)が中東や北アフリカで過激的なテロ活動を強化している。ますます支配範囲を拡大し勢力を誇示してきた「イスラム国」は、ガザのハマスなどにも矛先を向け、ガザにイスラム国を建設するとまで主張してきた。

二〇一五年六月三〇日、「イスラム国」(IS)がハマスイスラエルを打倒すると「宣戦布告」した「動画」をインターネット上で公開した。動画はハマスなどがシャリア(イスラム法)を厳格に適用していないとして非難し、シャリアを守らない「不要な世俗派」であると指弾し絶滅させると宣言している。約一七分間の動画は銃を持った覆面の兵士が登場。「イスラム国」がダマスカス南部の難民キャンプを制圧したことに言及した上、同じようにガザ地区で行うとし主張し、ガザ制圧を宣言している。

 

(二七)エジプト、シナイ半島で過激派と軍が衝突、テロの拡大続く

二〇一五年七月一日、シナイ半島北部でエジプト軍の複数の検問所が同時に襲撃される事件が発生した。「イスラム国」(IS)傘下の「イスラム国シナイ州」による襲撃であり、エジプト軍が反撃し過激派戦闘員一〇〇人以上を殺害したが軍兵士も一七人が死亡した。二〇一三年七月のクーデター以降、同胞団支持者の一部が過激化している。先月二九日には首都カイロでバラカート検事総長が暗殺される事件が起きたばかりであり、テロの脅威はさらに拡大する懸念がある。

 

(二八)イラン核協議、「最終合意」なる

二〇一五年七月一四日、イラン核問題を協議していたイランと欧米など六カ国は、解決に向け最終合意に達した。国際原子力機関IAEA」監視下で一定のウラン濃縮を認め、イランの核開発を長期にわたり制限するわりに、安保理や欧米などが科している経済制裁を段階的に解除するという。国際社会の大半は核拡散に歯止めがかかり外交上大きな成果であり、中東の安定にもつながると歓迎している。イランとアメリカは断交三五年、ここに両者が歩み寄った歴史的意義は大きい。イラン市民は歓迎し、経済制裁解除に期待する。

 

(二九)イラン核協議、イスラエルサウジアラビアは猛反発

イラン核協議の最終合意発表に、対立するイラン周辺諸国は反発した。特にイランと敵対するイスラエルサウジアラビアは直ちに正面から強烈に反発した。イスラエルのネタニヤフ首相は「歴史的な誤りだ」と即座に批判、サウジアラビアの当局者も「この地域をより危険な状態にする」と反発した。合意内容はイランの核開発活動を制限しているが、イランがIAEAの目をすり抜け、核兵器製造につながるウラン濃縮を続け、事実上の核保有国となりこの地域と世界の脅威となるとして強硬に非難した。

 

(三〇)イラン核協議、最終合意を受けてのアメリカ議会承認の「壁」

イラン核協議は最終合意に達したが、実行までには高いハードルがある。最終合意を受けて、アメリカ議会は合意内容の審議を行い承認する必要がある。上下両院で多数を占める共和党は核協議自体に反対してきた経緯もある。イランに科す経済制裁についてはその可否を判断することとなる。アメリカは一九七九年のテヘランアメリカ大使館人質事件後、対イラン制裁に踏み切っており、経済制裁解除は国内外の政策に大きな影響が出てくる。合意はイランの核開発は制限する。だが関連施設の保有は認めるとしている。このため、共和党の中には「中東での核拡散は防ぐが、代わりに世界の核開発競争に油を注ぐことになる」との声もある。オバマ大統領は「最終合意実行の障害になる(不承認の)議決には拒否権を発動する」としている。しかし、両の三分の二以上の賛成で拒否権が覆されれば、制裁解除は見送られることとなる。その場合、イランが最終合意を「ほご」にする可能性も出てくる。オバマ大統領はイラン核合意の成果を誇示した。一年半の任期を残し政権の遺産(レガシー)づくりを求めた執念が実ったとも言われる。しかし、今後に解決すべき問題は極めて多い。

 

(三一)アメリカのカーター国防長官、イスラエルを訪問し防衛協力を確認

二〇一五年七月二〇日、アメリカのカーター国防長官はイスラエルを訪問、ヤアロン国防相と会談し同盟関係を確認した。

翌二一日、カーター国防長官はネタニヤフ首相と会談した。カーター長官はイラン核協議の最終合意を「歴史的誤り」と反発するネタニヤフ首相対し、アメリカによる防衛協力を改めて確約したとみられる。

 

(三二)イスラエルパレスチナの対立、また激化

二〇一五年七月下旬になってきてもイスラエルパレスチナとの対立は止むことなく、衝突は各所で発生、双方の関係はさらに悪化してきた。

七月二三日、ヘブロンパレスチナ人が殺害されたことを受け、パレスチナ人デモ隊とイスラエル軍が衝突した。

七月二九日、ネタニヤフ首相はヨルダン川西岸の入植地ベイトエルに住宅三〇〇戸の建設を承認した。また、東エルサレムに約五〇〇戸の建設計画を承認した。これに対し、アッバス議長は「和平プロセスを再開させようとする国際社会の努力を壊すものだ」と反発した。

八月、九月になっても双方の衝突は続いた。

 

三三)「エルサレム」をめぐり対立激化、新たなインティファーダの恐れ

二〇一五年九月一三日、エルサレム旧市街のハラム・アッシャリーフ(ユダヤ教での「神殿の丘」)をめぐりパレスチナ人とイスラエル治安当局と衝突が起きた。エルサレムをめぐる衝突は激化、死者も続出する状況になってきた。緊張状態は旧市街からヨルダン川西岸やガザ地区にも拡大した。

一〇月四日、ヨルダン川西岸で一八歳のパレスチナ少年が射殺され、一〇月五日にはベツレヘム近郊の難民キャンプで一〇代のパレスチナ少年が殺害された。また、一〇月一一日にイスラエルによるガザ空襲でパレスチナ人妊婦と娘が死亡するなどの事件もあり対立は収まらない。テロや襲撃事件が急激に拡大してきた。ヨルダン川西岸でのパレスチナ人がユダヤ人を殺害する事件が起きると触発される形でイスラエルの抑圧に対するパレスチナ人の怒りが爆発、対立の炎は西岸全土に広がった。衝突殺人事件が続発、ガザからのイスラエルへの報復空爆が続いた。

一〇月中旬には一九八七年と二〇〇〇年に発生したインティファーダ次ぐ「新たなインティファーダ」の危険険性も出てきた。

一〇月に入って急速に拡大した衝突による双方の死傷者は、イスラエル側は死者八人、負傷者約七〇人、パレスチナ側は死者四四人、負傷者は約一八〇〇人以上に達している。アメリカのケリー国務長官は、ネタニヤフ、アッバス両首脳と対立の沈静化について個別に協議した。

 

三四)ネタニヤフ首相のホロコースト発言、内外で非難される

二〇一五年一〇月二〇日、ネタニヤフ首相がエルサレムで開催された世界シオニスト会議の会合で講演、一九四一年のホロコーストに関する発言がパレスチナ人からだけでなくイスラエル人からも非難された。首相が「ユダヤ人大虐殺(ホロコースト)は、パレスチナ人のイスラム教指導者であったハジ・アミン・アルフセイニ師がヒトラーユダヤ人を焼き殺せと進言したために起きたものだ」と発言した。さらに「当初ヒトラーユダヤ人を皆殺しにする意思はなく、追い出したかっただけだ」と述べ、宗教指導者のヒトラーへの「扇動」がなければ大虐殺はなかったと語った。この発言に専門家からも「事実と異なる」と指摘があるほか、ネット上でも発言の直後から「不正確で、ヒトラーの責任を軽視する発言だ」との批判が続出した。

アッバス議長は、ネタニヤフ首相の発言は「歴史がいかに歪められ、利用されるかを示すものだ」と非難した。

 

(三五)EU、ユダヤ人入植地産品に「入植地産」と表示する方針を決める

二〇一五年一一月一一日、EUはユダヤ人入植地で作られた製品について「入植地産」と表示する方針を決め、EU域内で販売する際、「イスラエル産」ではなく「入植地産」とするよう加盟国に求めた。占領地での入植活動は国際法違反だとされ、欧州ではイスラエルパレスチナ政策に抗議するため、イスラエルの入植地製品を買わないよう呼びかける市民運動が起きていた。ネタニヤフ首相は「EUは自らを恥ずべきだ」と強く反発し、損害を受けるのはイスラエルではなく、入植地で働くパレスチナ人だと指摘した。

一方、パレスチナ側は「入植地製品の不買運動に向けた重要な動きだ」と歓迎した。

 

(三六)パリで同時多発テロ事件発生

二〇一五年一一月一三日、フランスのパリ市街と郊外(バンドー)のアン・ドニ地区の商業施設において「イスラム国」(IS)の戦闘員とみられる複数のグループによる銃撃および爆発が同時多発的に発生し、死者一三〇名、負傷者三〇〇名以上となるテロ事件が起きた。

イスラム国」(IS)の勢力はシリアやイラク地域から、中東全体、北アフリカ、そして今回のフランスまでもその範囲を拡大し、世界中のどこにおいても発生するテロの脅威となってきている。

 

(三七)チュニジア四団体にノーベル平和賞

二〇一五年一二月一〇日、今年度のノーベル平和賞チュニジア民主化を後押しした「国民対話カルテット」に贈られた。

チュニジアでは二〇一一年の独裁政権崩壊後、対立するイスラム勢力と世俗派の動きに危機感を強めた労働団体弁護士会、人権団体、経営者団体の四組織が二〇一三年、「カルテット」を結成。憲法制定などの工程表を示して両者を仲介し、立憲主義と民主的な選挙に道を開いた。

第一九章 二〇一六年から二〇一八年までの中東情勢

アメリカにドナルド・トランプ氏が新大統領として登場してくる。

二〇一六年(平成二八年)から二〇一八年(平成三〇年)までの主なイスラエルパレスチナ情勢について年を追って見ていく。

 

二〇一六年

(一)トルコとイスラエル、両国の関係改善へ大筋合意

トルコとイスラエルの国交関係は、二〇一〇年のイスラエル軍によるトルコのガザ支援船襲撃事件を受けて悪化していたが、正常化へ向けて話し合いが進められていた。

二〇一六年一月二日、トルコの各紙は、エルドアン大統領が「イスラエルはトルコのような国を必要としている。トルコもイスラエルを必要だと認めなければいけない」と述べ、両国の関係改善に意欲を示したと報じた。

昨年末、両国は召還していた互いの大使の再派遣やイスラエルのトルコへの補償金の支払い、トルコ拠点を置くハマス幹部の追放、イスラエル沖の天然ガス油田に関する両国間協力の模索などが盛り込まれた和解案に合意していた。

 

)核開発を制限し始めたイランに対し、「経済制裁」解除へ

二〇一六年一月一六日、昨年七月のイランの核開発に関する合意が履行され、イランに対する経済制裁解除が発表された。IAEAが、イランは約束通り核開発を制限しているか調査した結果、約束が果たされているとの結論を受け、欧州各国は制裁を解除した。アメリカは国内法の関係で少し遅れるという。

イスラエルサウジアラビアは制裁解除の動きに警戒を強めた。

 

(三アッバス議長、モスクワでプーチン大統領と会談

二〇一六年に入ってもイスラエルパレスチナの対立は続き、各所で双方の衝突が起き死傷者も出ている。

和平交渉が頓挫している中、パレスチナアッバス議長は現状を打開し、和平推進に向け「新しいメカニズムを作りたい」とするなど努力を重ねた。

二〇一六年四月一八日、アッバス議長はモスクワを訪れプーチン大統領と会談した。プーチン大統領は「中東和平の努力を支援する」と表明。アッバス議長は中東和平の国際会議をモスクワで開催するよう要請した。

 

(四)「サイクス・ピコ協定」から一〇〇年、「IS」を中心に中東の混乱続く

二〇一六年五月、第一次世界大戦中に英・仏が密かに結んだ「サイクス・ピコ協定」から一〇〇年が経った。シリア東部やイラク西部の地域では不自然な国境線の設定から、スンニ派シーア派は対立してきた。過激派組織「イスラム国」(IS)は二〇一四年六月にカリフ制国家の樹立を一方的に宣言し、「サイクス・ピコを破壊した」と主張した。かれらの強硬姿勢はさらに過激な活動に発展し中東は混乱していった。

 

(五)イスラエル連立政権、極右政党「わが家イスラエル」が加入

ヤアロン国防相辞任

ネタニヤフ首相は昨年三月の総選挙を受け、自ら党首を務める右派リクードを中心に連立政権を発足させているが、連立は国会定数(一二〇)の半数をわずかに上回る六一議席にとどまっている。ネタニヤフ首相は政権与党の勢力拡大を模索し、「わが家イスラエル」の政権加入を模索していた。

二〇一六年五月二〇日、イスラエルのヤアロン国防相は、「過激勢力がイスラエルリクードを乗っ取った」「(首相の最近の振る舞いによる)首相への信頼を失ったため、政府と議会から退く」との意向を表明し、政界を引退した。国防相職を「わが家イスラエル」のリーベルマン党首に提示したことが背景にあるとみられる。

 

わが家イスラエル」が政権入り

五月二五日、ネタニヤフ首相とリーベルマン党首が合意し、「わが家イスラエル」が政権入りした。「わが家イスラエル」は極右政党として知られ、リーベルマン党首は対パレスチナ政策で厳しい。これでネタニヤフ政権の議席は六六議席に増加した。また、「わが家イスラエル」は念願の国防相ポストを獲得しリーベルマン党首が国防相に就くこととなった。イスラエル政権に極右政党が加わったことで和平に大きな影響が出ることが懸念される。

 

)「パレスチナをめぐる国際会議」、パリで開催

二〇一六年六月三日、パレスチナをめぐる国際会議がパリで欧米や中東など約三〇カ国の外相らが出席して開催された。ネタニヤフ首相は「(イスラエルパレスチナ)両者の直接交渉のみに応じる」とし、このような国際会議は「和平を遠ざける」と反対、会議への出席を拒否している。パレスチナも会合には出席していない。会議の冒頭フランスのオランド大統領はパレスチナ問題をはじめとする中近東問題の混乱について、放置すれば「過激主義やテロの台頭につながる」と指摘した上で、「最終的にはイスラエルパレスチナが平和のために勇気ある決断を下すことが必要だ」と両者に歩み寄りを求めた。会議を主導したフランスのエロー外相は会議終了後の記者会見で、「事態が手遅れになる前に急いで行動を起こさなければならない」と強調し、両者が直接協議できる環境を年内にも整えたい意向を示した。

 

)トルコとイスラエル、「関係正常化」で合意

二〇一六年六月二七日、トルコとイスラエルは外交関係を正常化することで合意した。発表は、トルコはユルドゥルム首相が首都アンカラで、イスラエルはネタニヤフ首相が滞在中のローマで、同時に行われた。今回の合意を受け,ガス輸出入など経済関係の改善や大使派遣など両国関係を全面的に正常化させることとなる。

 

)米、ロ、EU、国連のカルテット、「中東和平交渉の再開」を求める

アメリカが仲介したイスラエルパレスチナに関する和平交渉は、二〇一四年に事実上決裂し、頓挫したたままである。

二〇一六年七月一日、アメリカ、ロシア、欧州連合(EU)、国連で構成する中東和平に関するカルテットは、イスラエルパレスチナ双方に対し、頓挫している「中東和平交渉の再開」に取り組むことを求めた報告書を発表した。報告書はイスラエルパレスチナの「二国家共存」が「持続的な平和を実現する唯一の方策だ」と強調、市民への暴力・テロ攻撃の停止やユダヤ人入植地の拡大停止に向け、関係当事者に積極的な措置を取るよう求めた。

 

(九)トルコとイスラエルの関係改善、トルコのガザ支援船イスラエルに寄

トルコとイスラエルの関係改善が進み始めた。

二〇一六年七月三日、イスラエルのガザ封鎖が続いている中で、トルコのガザ支援船が食料品や小麦粉、米、砂糖、おもちゃなど一万一〇〇〇トンを積んでイスラエルの南部のアシュドットに寄港した後ガザに向かった。トルコは関係正常化の条件としてイスラエルに封鎖解除を求めていたが、イスラエル側が「ハマスが軍事利用する恐れがある」として拒否。結局トルコ側が譲歩して、支援船を「イスラエルの港を経由させる」ことで合意してこのようなガザ支援が可能となった。

 

(一〇)トルコ、クーデター未遂事件

二〇一六年七月一五日、トルコでクーデター未遂事件が発生した。軍の一部が反乱を起こしボスボラス海峡に架かる二本の橋を封鎖し、アタチュルク空港に戦車を乗り入れ、空港を一時閉鎖した。国営テレビ局を占拠して「国の全権を掌握した」とアナウンスさせた。続いて戒厳令と外出禁止令を宣言した。

エルドアン大統領は休暇でトルコ西南部のマルマリスにいたが素早く反応し、「兵士よ、基地に帰れ」、「市民は(軍の行動に抗議するため)街頭へ繰り出そう」などと呼びかけさせた。呼応した多数の市民が街の広場や通りに繰り出し反乱軍に抗議の声を上げた。休暇先から急遽イスタンプールに戻った大統領は市民の大歓迎を受け反乱軍は投降した。クーデターは未遂に終わった。一連の政権転覆計画には、アメリカに在住するエルドアン大統領の政敵、イスラム指導者フェトフッラー・ギュレン師が関わっているとされ、アメリカ政府にギュレン師をトルコに引き渡すよう要求した。

 

(一一)トルコ国会、イスラエルとの国交正常化を承認

二〇一六年八月二〇日、トルコの国会はイスラエルとの国交正常化を承認した。イスラエルは六月末に閣議でトルコとの国交正常化を承認しているが、トルコは先月に発生した軍の一部によるクーデター未遂事件のため承認手続きが遅れていた。

 

(一二)オバマ・ネタニヤフ会談、オバマ氏「ユダヤ人入植活動」の懸念表明

オバマ大統領の任期は残り四カ月となってきた。大統領は頓挫したままの和平交渉を進展させたかった。

二〇一六年九月二一日、オバマ大統領とネタニヤフ首相の会談がニューヨーク市内のホテルで行われた。オバマ大統領はヨルダン川西岸でのユダヤ人入植活動に「深刻な懸念」を表明した上で、和平交渉の進展にネタニヤフ首相の最大の努力を要請した。イスラエルの入植活動は国際的に強い批判にも関わらず今年に入ってからも建設地の土地を広範囲に接収すると決めるなど終わることなく続けられている。

 

(一三)アメリカ大統領選までカ月、トランプ候補のイスラエル寄り姿勢

アメリカ大統領選は二〇一六年一一月に実施される。民主党ヒラリー・クリントン氏と共和党ドナルド・トランプ氏が激しく争っている。残された期間は一カ月余り。両氏は最終の追い込みに入っている。

二〇一六年九月二五日、トランプ氏はイスラエルのネタニヤフ首相とニューヨークにトランプ氏が所有する超高層ビルトランプ・タワー」で非公式に会談した。トランプ氏は親イスラエルとして知られ、大統領選期間中もイスラエル寄りの発言を続けている。

トランプ陣営の声明によると、トランプ氏はネタニヤフ氏との会談で、エルサレムは三〇〇〇年以上にわたりユダヤ人の永遠の首都であり続けると認識しているとし、「(自身が大統領に選出されれば)エルサレムイスラエルの不可分の首都というアメリカ議会の以前からの決定についてこれを「承認する」と述べたという。

アメリカ議会は一九九五年一〇月に、エルサレムイスラエルの不可分の首都と認め、テルアビブからのアメリカ大使館の移転を承認する法律を可決したが、歴代の大統領(ビル・クリントンジョージ・W・ブッシュバラク・オバマ)は民主党共和党とも外交政策に関する行政府の権限侵害に当たるとしてこの法律を施行していない。トランプ氏が大統領に選出された場合、イスラエルアメリカ大使館はエルサレムへ移転される可能性が高い。しかし、エルサレムの最終的地位が定まっていない今、移転には曲折も予想される。トランプ候補の動きが注目された。

 

(一四)ペレス前イスラエル大統領死去、国葬オバマ大統領ら参列

二〇一六年九月二八日、イスラエルシモン・ペレス前大統領がテルアビブの病院で死去した。九三歳だった。

九月三〇日、国葬エルサレムで営まれ、アメリカのオバマ大統領、クリントン元大統領、パレスチナ自治政府アッバス議長ら、多数の国や地域の首脳や要人が参列した。アッバス議長のイスラエル訪問は、ネタニヤフ首相との会談が物別れに終わった二〇一〇年九月以来六年ぶりであった。アッバス議長とネタニヤフ首相は握手をし、短い言葉を交わした。

 

(一五)各国首脳ら、ペレス氏の「和平推進への尽力」に敬意を表わす

二〇一六年九月二八日、ペレス氏の葬儀に参列した首脳らはペレス氏が生前中東和平に尽力した功績を讃え、その死を悼んだ。ネタニヤフ首相は追悼式典で、「イスラエルと世界にとって偉大な人物だった」と功績を称賛。ペレス氏は(生前)「和平が実現すれば、安全保障につながる」と言っていたと述べた。

オバマ大統領は式典でペレス氏が深く関与した「二国家共存」に向けた尽力を讃えた上で、和平交渉が暗礁に乗り上げる中、アッバス議長が参列したことに触れ、「(中東の)和平の努力が終わっていないことを思い出させる」と強調した。

 

(一六)イスラエル世論調査パレスチナとの「和平は無理」が三分の

イスラエルパレスチナの和平プロセスは二〇一四年四月に中断後、暗礁に乗り上げたまま進んでいない。このような中で和平についての世論調査がアラブ系を含むイスラエル人六四六人を対象に行われた。

二〇一六年一〇月二日、世論調査の結果がニュースサイト「ワラ」に掲載された。それによると約三分の二(六四%)が「絶対に実現しない」と回答した。また、二四%は「和平は実現可能だが五年より長くかかる」と答え、「五年以内に実現可能」との回答は僅か四%であった。

 

(一七)アメリカ、イスラエルの入植計画を異例の非難、イスラエルは反論

二〇一六年一〇月五日、アメリ国務省のトナー副報道官は声明を発表し、イスラエル政府が先月下旬、ラマラ北方に約三〇〇戸の入植住宅を建設する計画を承認したことに「強く非難する」と述べ、友好国のイスラエルを異例の厳しい表現で批判した。その上で、「二国家共存」による紛争解決に「さらなる打撃を与える」と指摘した。またトナー氏は、アメリカがイスラエルへの三八億ドル(約三兆九〇〇〇億円)の軍事支援を決めた後にこの計画が承認されたことに不快感を表明。さらに、オバマ大統領や世界中の指導者が中東和平を推進したペレス前イスラエル大統領の死を悼んでいる時にこの計画が進められたことにも「失望している」と述べた。また、この計画について「新たな入植地は建設しないというイスラエル政府の公式表明に反している」として強く非難した。

イスラエル外務省は、アメリカ政府の非難声明に対し「新たな入植地ではない」と反論した。また、「中東和平への本当の障害は入植地ではなく、パレスチナが一貫してユダヤ国家の承認を拒否していることだ」と訴えた。

 

(一八)アメリカ大統領選挙、トランプ氏が勝利

二〇一六年一一月八日、アメリカ大統領選は全米各州で投票が行われ、全世界が注視する中、開票は東部から始まった。開票は進みトランプ氏がヒラリー氏をリードした。

一一月九日未明、当選を確実にしたトランプ氏は支持者を前に勝利演説をした。獲得選挙人総数は、トランプ氏が三〇六人、クリントン氏が二三二人であった。トランプ氏の予想を覆しての勝利のニュースは世界中を駆け回った。

 

(一九)トランプ氏の大統領選勝利、中東の首脳らは直ちに反応

トランプ氏の勝利に中東諸国の指導者らは直ちに反応した。

イスラエルのネタニヤフ首相は、最大の祝意を表し歓迎した。「トランプ氏はイスラエルの真の友人だ」と讃え、「真の友との連携を楽しみにしている」と声明を出し協調姿勢を示した。

エジプトのシシ大統領は、電話で祝意を伝え、「あらゆるレベルでアメリカとエジプトの協力関係が促進されることを期待している」と述べた。

サウジアラビアのサルマン国王は、トランプ氏が「中東や世界の安定をもたらすことを望む」と歓迎のメッセージを出した。

パレスチナ自治政府は、「いかなる大統領とも協力する」と述べるにとどめ、アリカット和平交渉担当者は、アメリカが主導した中東和平交渉が二〇一四年から中断したままであることを受け「アメリカ新政権は(イスラエルパレスチナの)二国家共存による解決に向けた協議を実行に移してほしい」と訴えた。

トルコのエルドアン大統領は、トランプ氏に電話で祝意を伝え、両者は二国間関係を強化し、「テロとの戦い」を含む地域・国際問題に関して協力を続けることで一致した。また、ユルドゥルム首相は、今年七月にトルコで起きたクーデター未遂の首謀者される在米イスラム指導者ギュレン師の身柄をアメリカが引き渡せば「トルコとアメリカの友情の新しいページが開かれる」との考えを示した。

イランのロウハニ大統領は、トランプ氏が選挙運動中からイラン核合意の破棄に言及していることを念頭に「核合意は一つの政府により変更される可能性はない」「合意が覆されることはない」と述べた。また、ザリフ外相は、オバマ大統領の外交成果の一つである核合意に関し、「最も重要なことは、将来のアメリカ大統領が合意を守ることだ」とくぎを刺した。

 

(二〇)トランプ氏の親イスラエル姿勢鮮明、イスラエルが大歓迎

イスラエルは親イスラエルのトランプ氏が次期アメリカ大統領に就任することに大歓迎で大きな期待を寄せている。

トランプ氏はネタニヤフ首相とは旧知の中で、両国関係が冷え込んでいたオバマ政権より親イスラエルになると見られる。トランプ氏は大統領選挙戦の期間中にも中東情勢に強い関心を持ち、テルアビブにあるアメリカ大使館を「エルサレムに移す」などとも述べ、「イスラエルは中東唯一の真の民主主義国であり、人権擁護者で、希望の光だ」と讃えて親イスラエル姿勢を鮮明にしている。

二〇一六年一一月一一日、トランプ氏はイスラエルの政府寄りの日刊紙イスラエル・ヨハムに送ったメッセージで中東和平交渉について、「わたくしの政権は正しく持続的な和平実現に大きな役割を果たせると思う」と従来通りアメリカが交渉の仲介役を務める意向を示した。また「和平は他人から押し付けられるものではなく、両者が直接交渉でなければならない」とも指摘した。

一一月一七日、イスラエルのダーマー駐米大使はニューヨークでトランプ氏と会談した。大使は会談後、記者団に「トランプ氏はイスラエルの真の友人であることに疑いはない」と述べ、トランプ政権で主席戦略官・上級顧問に起用されるスティーブン・バノン氏について「協力していくことを楽しみにしている」と語って次期アメリカ政権との良好な関係に期待を寄せた。

 

(二一)イスラエルとトルコ、関係正常化し互いに大使を任命

イスラエルとトルコは、二〇一〇年に起きたガザ支援船襲撃事件を受けて関係が悪化していたが二〇一六年六月、国交正常化に合意をした。

二〇一六年一一月一六日、イスラエルとトルコは互いに大使を任命した。

 

(二二)パレスチナ自治区ラマラに「アラファト博物館」開館

二〇一六年一一月一〇日、パレスチナ自治政府議長であった故ヤーセル・アラファト氏の足跡を紹介する博物館がヨルダン川西岸のパレスチナ自治区のラマラにオープンした。「アラファト博物館」はアラファト氏の遺品や関連資料のほか、パレスチナの歴史の関する資料などが展示されている。特にパレスチナ問題が生まれたイスラエル建国当時から現代に至る一連の出来事に関する写真や映像の展示、アラファト氏が晩年イスラエル軍によって軟禁状態に置かれていた議長府の部屋での状況なども復元されており、パレスチナ人自身を知る教育・文化施設となっている。

 

(二三)パレスチナファタハ総会開催、引き続きアッバス氏を議長に

二〇一六年一一月二九日、パレスチナファタハは七年ぶりに「ファタハ総会」を自治区のラマラで五日間の予定で開幕した。ファタハは最高意思決定機関である中央委員会のメンバー二三人のうち一八人と、中央委員会に次いでの意思決定機関である革命評議会の議員一三二人のうち八〇人を選出する。初日はアッバス氏を全会一致で引き続きファタハ議長に選出した。アッバス氏は、中東和平でイスラエルとの交渉が頓挫していることに関連し、トランプ次期アメリカ大統領に対し、次期政権も将来のパレスチナ国家樹立を支持するよう求め、中東和平政策で「公平な解決策を提示してくれることを望む」と呼び掛けた。

 

(二四)フランス、中東和平再開へ向け三者会談提案、ネタニヤフ首相は拒否

フランスは中東和平交渉の再開に国際的な協力を呼び掛け、今年六月の協議開催に続き年内に約三〇カ国の外相らを招き協議する予定をしている。それに向けフランスのオランド大統領は環境整備のため、ネタニヤフ首相とアッバス大統領との三者会談を提案した。

二〇一六年一二月八日、ネタニヤフ首相はオランド大統領と電話会談し、同大統領提案の三者会談について、「国際会議でなければ前提条件なしでアッバス大統領と直接会談に出向く」と述べ、事実上拒否した。ネタニヤフ首相は「こうした国際会議は和平実現に寄与しない。イスラエルは出席しない」としている。

パレスチナ側は、一貫してフランスの提案を受け入れる意向を示している。

 

(二五)トランプ氏、駐イスラエル大使に親イスラエルフリードマン氏指名

トランプ次期アメリカ大統領は、大統領選挙中からエルサレムイスラエルの首都と認め、「アメリカ大使館をエルサレムに移す」などと述べていたが、政権構築に向け具体的に動き出した。

二〇一六年一二月一五日、トランプ氏は弁護士のデビッド・フリードマン氏を駐イスラエル大使に指名すると発表した。フリードマン氏はトランプ氏の友人で選挙戦でも顧問を務め、親イスラエルで入植活動支持派である。イスラエル右派はフリードマン氏のイスラエル大使指名を歓迎した。フリードマン氏は大使の指名を受けて「(イスラエルの)永遠の首都エルサレムで仕事することを楽しみにしている」と声明を出した。

一方、パレスチナ側にはフリードマン氏の「駐イスラエル大使」の指名に懸念の声が出ている。

 

(二六)ネタニヤフ首相、トランプ氏の大統領就任は「和平への好機」と期待

イスラエルのネタニヤフ首相は、トランプ氏が次期アメリカ大統領に就任することについて「好機」と捉えている。

二〇一六年一二月二〇日、ネタニヤフ首相は年末恒例の外国人メディアとの記者会見で、「トランプ氏の大統領就任は素晴らしいことだ。新たなアイディアを進める機会となる。トランプ氏がホワイトハウスにいる間に新しいアイディアを提案し、共に(中東和平に向けての)紛争を解決に導けるか考えるつもりだ」と述べた。中東和平の在り方が大きく変わる可能性もあり今後の展開が注目される。

 

(二七)安保理、「ユダヤ人入植活動の即時停止を求める決議」を採択

二〇一六年一二月二三日、安保理ヨルダン川西岸と東エルサレムでのイスラエルによる「ユダヤ人入植活動の即時停止を求める決議」を一五カ国中一四カ国の賛成多数で採択した。アメリカは「棄権」した。

決議の要旨は、

一、入植は国際法に違反しており、迅速かつ完全に中止すべきである。

一、一九六七年四月の国境線を変更することは認められない。

一、テロや挑発、破壊行為など市民への暴力を防止することを求める。

一、そしてすべての参加者に対し、中東和平に向けた交渉の開始にたゆまぬ努力をすべきだなどとしている。

 

(二八)アメリカ、安保理での「入植停止決議」採決に拒否権を行使せず「棄権」

アメリカは安保理での決議を「棄権」した。イスラエル寄りの立場をとってきたアメリカが決議に際し拒否権を行使せず「棄権」したことは、イスラエル非難決議を実質的に「容認」した異例の棄権であったとされる。オバマ政権が採決を「棄権」した背景には、親イスラエルの立場を明確にするトランプ次期大統領への牽制などいくつかの要因が絡む。ケリー国務長官アメリカが「棄権」したことについて声明を発表し「(和平は)二国家共存こそが唯一の解決策というのがアメリカの長年の立場だ。しかし入植拡大などによって棄権にさらされている」として入植活動がこれ以上拡大すれば中東和平交渉に深刻な影響を与えると訴えた。オバマ政権はトランプ次期政権の親イスラエルの姿勢に警鐘を鳴らそうとしている。

トランプ氏は親イスラエル色が強く過去のアメリカ政権以上にイスラエル寄りで、ネタニヤフ首相の政策に理解を示す政策を進める可能性がある。トランプ次期政権のキーパーソンと目されるクシュナー氏はユダヤ系のアメリカ人であり長女イバンカさんの夫である。イバンカさんもユダヤ教に改宗しているなどトランプ氏の周辺はイスラエル寄りである。またトランプ氏は国連の動きやオバマ政権の判断に不満を強めている。「(自分が大統領に就任する)来年一月二〇日以降事態は変わることになるだろう」とツイッターに投稿して「決議案には拒否権を行使すべだ」と主張しており、オバマ政権より一層イスラエル寄りの政策をとることを示唆している。

 

(二九)安保理決議にイスラエルは強く反発、パレスチナは評価

イスラエル政府は安保理での採決に直ちに反応、「この恥ずべき反イスラエル決議を拒否し、従うつもりはない」と声明を発表し、強く反発した。

ネタニヤフ首相はアメリカが拒否権を行使しなかったことについて、「オバマ政権は国連での集団攻撃からイスラエルを守れなかったどころか裏で結託していた」と主張し、「トランプ次期大統領やアメリカ議会の友人たちと協力し、この馬鹿げた決議による悪影響をなくすべく取り組んでいくことを楽しみにしている」とオバマ大統領を批判すると同時にトランプ氏に期待を示した。

一方、パレスチナ側は「イスラエルの政策への大きな一撃だ」と今回の決議を歓迎し、「ユダヤ人入植について国際社会が一致して批判したことになる。二国家の平和的共存による解決を支援する強い姿勢が示されたものだ」と評価した。

 

(三〇)オバマ政権残り一カ月、イスラエルの「入植活動」継続を強く非難

ケリー国務長官イスラエルの「入植活動」継続を非難

二〇一六年一二月二八日、ケリー国務長官はワシントンで中東和平の将来像について講演し、イスラエルユダヤ人の入植活動を継続していることを非難し、「二国家共存の実現が中東和平を成し遂げる唯一の方法だ。ネタニヤフ政権はイスラエルの歴史上もっとも右翼的で、他の政権よりも入植活動を進めてきた。アメリカ歴代政権は入植活動に反対してきた。イギリス、フランス、ロシアなど世界のあらゆる国も反対だ」と異例の強い表現で非難、イスラエルを擁護する姿勢を鮮明にするトランプ次期大統領を牽制し批判を強めた。その上で、和平交渉を再開するための指針として、一九六七年の境界に基づく国境画定、パレスチナ難民への補償、エルサレムは二つの国家の首都、イスラエルの安全確保など六項目の原則を示した。事実上の同盟国で歴史的に強く結びつくイスラエルに対し、公然と非難するのは異例である。

 

ネタニヤフ首相、反論

ネタニヤフ首相は「深く失望した。イラエルが外国の指導者から和平の重要性を教えられる必要はない」と発言。「問題の本質は、パレスチナイスラエルユダヤ人国家として承認しないことである。イスラエルの立場を反映していない偏った見方だ」と強く反発した。

トランプ氏はツイッターで「イスラエルに無礼・軽視な扱いを続けてはいけない。(大統領就任の)一月二〇日はもうすぐだ」と中東政策を転換する意向を示しオバマ政権を批判している。また国連についても「問題を解決せず、問題を引き起こしている。時間とお金の無駄だ」と記者団に不満を述べるなどイスラエルを擁護した。

パレスチナ自治政府は「イスラエルが全ての入植活動を停止した時点で和平交渉を再開する用意がある」と声明を発表した。

 

二〇一七年

(一)アメリカ下院、安保理の「入植停止決議」に反対する決議案を可決

二〇一七年一月五日、アメリカ下院は安保理が先月に採択したイスラエルによる「入植停止決議」に反対する決議案を賛成多数で可決した。安保理決議にオバマ政権は拒否権を行使せず棄権にまわり、イスラエルを擁護しなかったとして共和党などが反発していた。下院の決議は「一方的な反イスラエル安保理決議には今後、反対して拒否権を行使すべきだ」とし、親イスラエル傾向が鮮明である。

これに対し、オバマ大統領は、(民主、共和)両党の歴代大統領が進めた二国家共存の政策を慎重に考慮して対応したと述べた。またアーネスト報道官は記者会見で「イスラエルの入植活動と(パレスチナとの)対立による継続的な暴力行為が、二国家共存の解決を一層難しくしている」と指摘した。

 

(二)イラン、ラフサンジャニ元大統領死去、ロウハニ現大統領の改革路線痛手

二〇一七年一月五日、イランの保守穏健派の重鎮、ラフサンジャニ元大統領が死去した。ラフサンジャニ師の強力な支援を後ろ盾として改革路線を進めてきたロウハニ現大統領にとって大きな痛手で、五月に予定される大統領選にも影響を及ぼす可能性がある。ロウハニ師は核合意に伴う経済制裁の解除を実現させた。保守強硬派の反対を押し切ることができたのはラフサンジャニ師の支援があったからだといわれる。

アメリカでは、イランの敵対国であるイスラエル寄りの姿勢を鮮明にするトランプ氏が間もなく大統領に就任する。トランプ氏はこれまで制裁解除に伴うイランの核合意を「破棄すべきだ」と主張している。トランプ政権がイランにこのまま強い態度で臨めば、イランが強硬姿勢に転じることもあり得る。ラフサンジャニ師の死去は今後のイランの行方に大きな影響を与える。

 

アメリカ大使館のエルサレムへの移転問題急浮上、移転へ懸念の声沸く

アメリカ大使館のエルサレムへの移転問題

トランプ氏は選挙運動中からイスラエル寄りの姿勢を鮮明にし、エルサレムイスラエルの首都だとして、アメリカ大使館を「エルサレムに移転する」と明言している。二〇一七年に入りアメリカ大使館のエルサレムへの移転案がトランプ新政権の発足を前に急浮上してきた。

アメリカ大使館のエルサレム移転については、歴史的にはアメリ連邦議会で一九九五年に「エルサレム大使館法」で一九九九年五月までに大使館をエルサレムに移転することを規定している。しかし、その第七項は大統領に対してアメリカの安全保障上の利益のために必要ならば半年ごとに同法の履行を差し止める権限を付与している。クリントン政権以降、歴代大統領は半年ごとにこの権限を行使することで移転の実施を先送りしてきた。オバマ大統領は二〇一六年一二月に、一七年五月までの移転先送りを決めている。

アメリカを含めイスラエルにある各国の大使館は、イスラエルが「首都」とするエルサレムではなく、イスラエル最大の都市テルアビブに置いている。イスラエルは一九六七年の第三次中東戦争で占領した東エルサレムを含むエルサレム全体を「イスラエルの永遠の首都」と主張しているが、国際社会はエルサレムを「イスラエルの首都」と認めていないし、パレスチナ自治政府も東エルサレムを将来の独立国の「首都」と主張している。現在もエルサレムの国際上の地位は未決定であり、エルサレムの帰属は「二国家解決」の和平問題の中心的課題になって今も争いが続いている。「移転」についてトランプ氏はこの大統領令が失効する前に「新しい決定」を発表するだろうとの観測もあり、移転問題が再燃する可能性がある。大使館をエルサレムに移すとなれば、イスラエルが主張する「エルサレムイスラエルの首都」と認めることになり世界中のイスラム教徒の猛反発も予想され、イスラエルパレスチナ自治政府の関係悪化など中東情勢の不安定化がさらに拡大するのは必至である。大使館移転問題はパレスチナ問題についてアメリカの関与を考える上で、重要な要素の一つであるのは確かだ。

間もなく任期を終えるオバマ政権もトランプ氏の「移転」の動きにくぎを刺している。ケリー国務長官は「地域全体でひどい爆発が起こるだろう」と述べ、「イスラエルと国交を持つヨルダンやエジプトとの関係も損なうことになる」と指摘している。

 

アッバス議長、アメリカ大使館の「移転」の動きに懸念を示す

二〇一七年一月九日、パレスチナ通信は、パレスチナ自治政府アッバス議長がトランプ次期アメリカ大統領に書簡を送り、アメリカ大使館をエルサレムに移転しないよう訴えたと報じた。

アッバス議長は別のインタビューでも「(アメリカ大使館の移転計画は)アメリカが紛争解決で役割を果たす上での正当性を奪うばかりでなく、二国家共存の解決策を破壊するものだ」と批判した。さらに、アメリカ大使館を移転すれば「(我々は)イスラエル承認を撤回せざるを得なくなる」と警鐘を鳴らした。

ヨルダンのモマニ・メディア担当相もアメリカ大使館の移転は「レッドライン(越えてはならない一線)」と警告。「イスラム教国やアラブ諸国の反発は必至だ」として中東の大きな火種になりかねないと訴えている。

 

(四)「中東和平交渉の再開を促す国際会議」、パリで開催

二〇一七年一月一五日、パリで欧米や中東、EUなど約七〇の国や機関が参加して中東和平交渉の再開を促す国際会議が開かれた。当事者であるイスラエルパレスチナは欠席した。会議はイスラエルパレスチナ自治政府の間で対立するエルサレムの帰属問題や国境の扱いで「持続的な平和実現には二国間の交渉による解決しかない」「第三次中東戦争から続くイスラエルの占領を終わらせる」など、「二国家共存」の原則を確認し、占領終結などを含んだ共同宣言を採択して閉会した。「親イスラエル」姿勢を強めるアメリカの次期トランプ政権を牽制した形である。

フランスのエロー外相はトランプ氏がアメリカ大使館をエルサレム移転する考えを示していることについて「(エルサレムの情勢が緊迫する中での双方の対立を煽る)挑発的行為だ」と述べ自制を求めた。その上で、中東和平に関し次期アメリカ政権と率直に意見を交わす考えも示した。

パレスチナ側は「二国家共存」が確認され「イスラエルが占領をやめることの必要性を強調した会議だ」として歓迎した。一方、イスラエルのネタニヤフ首相は「意味のない会議だった」と批判した。

入植活動をめぐっては、国連安保理が先月、即時停止を要求する決議を採択、今回の共同宣言もパレスチナ側が求める入植停止を後押しした形だ。しかし、ネタニヤフ政権は右派傾向が強い上に、トランプ次期アメリカ大統領からも支持を得ているとして入植停止に応じる見込みはないとみられる。

 

(五)トランプ氏、アメリカ第四五代大統領に就任

二〇一七年一月二〇日、アメリカ第四五代大統領に昨年一一月に大統領選を制したドナルド・トランプ氏が就任した。トランプ氏は就任演説で今後のアメリカの政策は全てアメリカを最優先にしたものになるとし、「アメリカ第一」「アメリカを再び偉大にする」と強硬な国家主義的姿勢を明確に表明した。

 

(六)トランプ大統領、積極的に外交交渉へ

トランプ大統領は就任した直後から積極的に外交交渉を始めた。

二〇一七年一月二二日、トランプ大統領イスラエルのネタニヤフ首相と電話協議し、来月上旬にホワイトハウスで首脳会談を行うことで一致した。メキシコのペニャニエト大統領やカナダのトルドー首相とも会談をする方針を表明。一月二七日のイギリスのメイ首相との会談を皮切りに、各国首脳と会談する姿勢を示した。

ネタニヤフ首相との電話協議ではイスラエルとパレスチの和平問題やイラン情勢について話し合ったとみられ、親イスラエルの立場を鮮明にしているトランプ氏が今後、ネタニヤフ氏との首脳会談などを通じて、イラン核合意、「イスラム国」(IS)掃討、アメリカ大使館のエルサレム移転、ユダヤ人の入植など中東の不安定問題にどのように取り組んで行くか注目される。

 

イスラエル、「入植活動」を加速、パレスチナ側強く反発

イスラエル政権は、親イスラエル路線のトランプ氏がアメリカ大統領に就任したことを受け、これまで自粛していた占領地での入植活動を再び加速する動きを見せてきた。

二〇一七年一月二二日、イスラエル政府は東エルサレムユダヤ人住宅五六六戸の入植住宅建設計画を承認した。続いて一月二四日、ヨルダン川西岸などに二五〇〇戸を建設する計画を承認した。今回の承認はネタニヤフ首相と入植推進派のリーベルマン国防相の主導によるもので一度に承認された戸数としては二年以降で最大である。ネタニヤフ首相はフェイスブックで「これからも入植活動を続ける」と強調、リーベルマン国防相も「遂に(入植活動を続ける)通常の状態に戻った」と主張した。パレスチナ側は直ちに反発、パレスチナ自治政府の議長府は声明を出し、「地域に安全と安定をもたらそうとする試みへの障害であり、和平実現に向けた努力への障害だ」と強く主張した。国際社会はイスラエルによる占領地での入植建設を国際法違反とみなしている。イスラエルの入植政策を非難してきたオバマ政権下では、イスラエル政府は入植拡大を控える傾向にあった。アメリカの政権交で歯止めを失い入植地拡大がますます進められるものとみられる。

 

(八)トランプ大統領、大使館の移転について「まだ話すのは早過ぎ」と慎重

二〇一七年一月二六日、トランプ大統領アメリカ大使館のエルサレムへの移転について、メディアのインタビューに応じ、「まだ話したくない。時期尚早だ」と述べた。トランプ氏は選挙活動中、エルサレムへの移転を約束していたが、現況からの判断か事実上の後退ともとれる発言とみられる。トランプ氏が大使館問題についてメディアに対して言及したのは大統領就任後初めてである。大統領報道官も先に「(移転の)議論はまだ初期の段階にある」と述べており、大使館問題は慎重に進められているようだ。

 

(九)トランプ大統領、イギリスのメイ首相と会談、大統領就任後外国首脳と初

二〇一七年一月二七日、トランプ大統領ホワイトハウスでイギリスのメイ首相と首脳会談を行い、両国の通商協定や「イスラム国」掃討などめぐり協議した。これまで両国は「特別な関係」と形容されてきている。トランプ大統領は会談後の共同会見で、「イギリスとの絆を新たにした」とし、今後も関係強化に取り組む考えを示した。大統領就任後にトランプ氏が外国首脳と会談したのはメイ首相が初めてである。

 

(一〇)トランプ大統領、テロ対策などで「入国禁止の大統領令」に署名

二〇一七年一月二七日、トランプ大統領イスラム過激派などのテロリストの入国を阻止するためとして、全ての国からの難民の受け入れを一二〇日間停止する。また、難民以外の外国人も、イスラム教徒が多数を占める七カ国(シリア、イラク、イラン、リビアソマリアスーダン、イエメン)からの入国を九〇日間禁止するとした大統領令に署名した。この大統領令の波紋は、アメリカ国内の司法や国際関係に大きな混乱をもたらす危険を孕んでいると懸念された。

 

(一一)パレスチナの中東和平交渉責任者、アメリカ大使館の移転を強く牽制

二〇一七年一月二八日、パレスチナの中東和平交渉の責任者でPLO事務局長のアリカット氏はCNNの取材に対し、「トランプ政権がアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移転させた場合、イスラエルの国家承認を取り下げる」と言明した。「アメリカが東エルサレムは(イスラエルに)併合されたと言うなら、我々はいかなる状況でもイスラエルを国家として認めない」と断言。また(大使館の)移転はアメリカがパレスチナイスラエルの「二国家共存は死滅したと認めたことに等しい」とも述べ、アメリカ大使館のエルサレム移転を強く牽制した。

 

一二)ネタニヤフ首相、「各国大使館は首都エルサレムへ」と改めて強く言及

アメリカ大使館のエルサレム移転について、トランプ大統領が「時期尚早」と述べたと報道されている中、イスラエルのネタニヤフ首相は「エルサレムへ移転を」と強く主張している。

二〇一七年一月二九日、ネタニヤフ首相は閣議で「アメリカ大使館はここエルサレムにあるべきだ。これは今も昔も私たちの立場だ」と強調。「エルサレムイスラエルの首都だ」として、「アメリカ大使館だけでなく、すべての大使館はここに来るべきだ。そのうち、ほとんどの大使館が来るだろう」と強い期待を込めてこれまで以上に熱を込めて語り、来月のワシントンで予定されるトランプ大統領との首脳会談を前に大使館の移転を改めて強く求めた。

 

一三アメリカのペンス副大統領、ヨルダンのアブドラ国王と会談

二〇一七年一月三〇日、アメリカのペンス副大統領はヨルダンのアブドラ国王とワシントンで会談した。ホワイトハウスによると、イスラエルにおけるアメリカ大使館の移転問題を含め起こりうる変化について国王の見解や和平に向けての最善策などについて協議したという。アブドラ国王は、一方的にアメリカ大使館を移転することはイスラム教徒による強い反発が予想されると懸念を持ち、エルサレム旧市街地はかってヨルダン領で、エルサレムにあるイスラム教の聖地「ハラム・アッシャリーフ一帯の維持管理など管理権をヨルダンが持つことから、こうした現地の警戒感を伝えたとみられる。

 

一四イスラエルユダヤ人入植活動をさらに強化

二〇一七年一月三一日、イスラエルのネタニヤフ首相とリーバーマン防相ヨルダン川西岸のユダヤ人入植地で新たに三〇〇〇戸の住宅を建設する計画を発表した。先週、過去最大級規模の二五〇〇戸の住宅建設計画が承認されたばかりであり、入植者団体や連立政権の右派がさらに一段上の住宅建設を強硬に求めている。リーバーマン氏はフェイスブックを通し西岸地区に「本来の生活」が戻りつつあると述べ、入植活動をさらに進展させる姿勢を示した。

国際社会はイスラエルが入植計画を強めてきたことに「和平交渉再開はさらに困難になった」として懸念を強めている。

 

一五アメリカ、イランのミサイル発射実験に報復の追加制裁

二〇一七年二月一日、アメリカのフリン大統領補佐官は、先月二九日にイランが弾道ミサイルの発射実験を行ったことに対し記者会見で「イランに公式に警告した」と述べた。

二月二日、トランプ大統領はイランのミサイル実験に対し「イランは正式に(アメリカの)警告下にある」とツイッターで非難した。トランプ氏はもともとイランを「テロ支援国家」として敵視し、オバマ前大統領がまとめた核合意を強く批判。大統領選では核合意の破棄を訴えていた。

イラン側はアメリカへの反発を強めている。ロイター通信によると最高指導者ハメネイ師の側近は、トランプ氏を念頭に「経験の浅い(未熟な)人物がイランを脅迫するのは初めてではない」と指摘。「アメリカ政府はイランへの脅しは無意味だと理解するだろう。イランは自衛することにどこの国の許可も必要としない」と語り、アメリカの脅しには屈しないとの立場を強調した。また、「実験は防衛目的であり、核弾頭を搭載できる仕様ではなく、核合意に違反しない」と主張した。

二月三日、トランプ政権はミサイル発射実験を行ったイランへの報復措置として、追加制裁の実施を発表した。ミサイル開発やテロ組織への支援に関与した一二団体と個人一三人が対象だという。

 

一六アメリカ、イスラエルの入植地建設強化に懸念を表明

アメリカ、中東和平やユダヤ人入植地建設に関する声明発表

二〇一七年二月二日、トランプ政権のスパイサー大統領報道官は中東和平やユダヤ人入植地建設に関する声明を発表した。声明では、イスラエルが占領するヨルダン川西岸パレスチナ自治区などに建設した現存の入植地は許容するとしても、「新たな入植地の建設や拡大は(和平という)目標到達の助けにはならない」と懸念を表明した。声明は「政権として入植活動について、公式な立場は(まだ)示していない」とした上で、イスラエルに対し、事実上、新たな建設や拡大は自制するように求めている。トランプ政権が入植地に関し声明で見解を示したのは初めてであり、現地関係者を中心に大きな反響を呼んでいる。入植地活動に批判的なニューヨークに本部があるユダヤアメリカ人組織「イスラエル・ポリシー・フォーラム」のコプロウ代表はハーレツ紙の取材に、声明は「心強い内容だ」と評価している。その上、ネタニヤフ氏は入植地拡大を強力に推進しようとしているのではなく、「穏便な現状維持」であり、連立政権内強硬右派からの「政治的プレッシャー」を回避する力を与えるだろうと分析している。また、アメリカの前駐イスラエル大使のシャピロ氏はツイッターで、「(声明は)長年のアメリカの方針の一環である」と指摘。今回あえて声明を出したのはネタニヤフ氏が「(入植推進を求める)強硬右派の圧力を抑止するため、トランプ氏からの(入植地の新たな建設を牽制する)プレッシャーを求めているからではないか」と記している。一方、イスラエルのハーレツ紙は、トランプ政権が入植地拡大を無条件に支援すると期待していたイスラエルの右派が声明に「驚き、失望した」と報じた。イスラエルの政権内の極右を中心に入植推進派の声は大きい。

 

トランプ大統領イスラエルの入植活動に自制を求める

二〇一七年二月一〇日、トランプ大統領はネタニヤフ首相との会談を数日後に控え、イスラエル紙のインタビューに応じ、「(和平交渉について)合意に達することは可能だ」と述べ交渉仲介に意欲を示した。その上で、「(入植地の拡大は)和平の助けにならない」との認識を示し、「分別を持ってほしい」とイスラエルに自制を求める発言をした。また「イスラエルの批判はしたくない」とも述べ、親イスラエルの姿勢をも示した。

 

一七)ネタニヤフ首相、トランプ大統領と会談のためアメリカへ

ネタニヤフ首相がトランプ大統領との首脳会談に臨むためアメリカを訪れた。トランプ大統領が同盟国イスラエルの首相を迎えて、当面のアメリカ大使館の移転問題を含め「中東和平に対する根本的な姿勢」をどのように示すか。親イスラエルトランプ大統領の発言に国際社会は大きな関心を持って注視した。

 

(一八)トランプ大統領、共同記者会見で「二国家共存にこだわらない」と発言

二〇一七年二月一五日、トランプ大統領とネタニヤフ両氏はホワイトハウスで共同記者会見をした。

トランプ氏は「(イスラエルパレスチナ)双方が話し合い、和平に繋がるのであれば、二国家共存でも、一国家でもどちらでもいい。私はこだわらない」と述べ、「双方が最も良いとした方で結構だ」との意向を表明した。

歴代アメリカ政権は「二国家共存」を支持して仲介役を果たし、これが唯一の中東和平の解決策だとして来ただけに、「二国家共存にこだわらない」との発言はアメリカの中東和平政策の転換を意味し、イスラエル寄りの姿勢をより鮮明にしたものとみられる。反面、アメリカ自らが堅持してきた和平の大原則を後退させるものだとも受け止められた。

 

(一九)トランプ大統領の「二国家共存にこだわらない」との発言、大きな反響

トランプ大統領の「二国家共存にこだわらない」との発言に反響は大きい。

 

ネタニヤフ首相はトランプ発言を歓迎

ネタニヤフ首相は「トランプ氏ほどの(ユダヤ人とユダヤ人国家の)支持者はいない」と自らの立場を理解解してくれたと称賛し、トランプ氏の発言を歓迎した。イスラエル国内の右派勢力も一様に歓迎の姿勢を示した。

 

パレスチナ側は、どこまでも「二国家共存」を強く主張

アッバス議長は、「二国家共存を拒む和平実現は不可能だ。我々はこの原則に基づきパレスチナ国家を樹立し、イスラエルとの平和共存を目指していく」とする声明を出し、あくまで「二国家共存」による解決への姿勢を示した。その上で、アメリカの支持を改めて強調。「和平実現に向けてトランプ政権と積極的に関わる用意がある」と述べた。トランプ大統領の声明にはあからさまな反発は見せず、トランプ政権の今後の出方を様子見しつつ解決に努めたい考えを示した。パレスチナの和平交渉責任者のアリカット氏は、アメリカの中東和平政策の転換に、「二国家共存の和平案を葬り、パレスチナ国家を抹殺するものだ」と非難した。

 

アメリカ国内での反応

アメリカ国内おいても大統領の発言に国務省の担当者さえ驚いたとも伝えられ、「中東政策もトランプ流」だと評された。またアメリカのヘイリー国連大使はトランプ発言の翌日、「二国家共存を支持する」と発言し注目を浴びた。ヘイリー氏は中東情勢をめぐる国連安全保障理事会の会合に出席後、記者団のインタビューに応じ、歴代アメリカ政権の基本路線を踏襲する「二国家共存を(トランプ政権も)アメリカも支持する」「揺るがない」と強調し、イスラエルパレスチナが協議の席に着く方法を「従来型にとらわれず、新鮮な点で考える」と述べた。

 

(二〇)アラブ連盟諸国、改めてパレスチナ国家樹立、二国家共存支持を主張

二〇一七年二月一六日、アラブ連盟のアブルゲイト事務局長はグテレス国連事務総長とカイロで会談後声明を出し、「(パレスチナ国家樹立による)二国家解決が必要だ」と指摘した。

二月二一日、エジプトのシシ大統領とヨルダンのアブドラ国王はカイロで会談し、「パレスチナ国家の独立」と「二国家共存」を目指す方針を改めて確認した。イスラエルとの関係が深い両国が歩調を合わせ、「単一国家」案に反発した形となった。また、エジプト大統領府によると両首脳は中東和平交渉の行き詰まりを打開するため、トランプ政権を含めて連携していくことで合意し、一九六七年の第三次中東戦争前の境界線に基づき、東エルサレムを首都とするパレスチナ国家を樹立する方針を確認した。

 

二一トランプ大統領アッバス大統領に「アメリカ訪問」を招請

二〇一七年三月一〇日、トランプ大統領は大統領就任後初めてパレスチナ自治政府アッバス大統領と電話会談し、アッバス大統領のホワイトハウスへの早期公式訪問を招請した。ホワイトハウスの発表によるとトランプ氏は、「和平は中東地域のみならず世界情勢にも大きく影響する。そのためにはイスラエルパレスチナによる直接交渉が必要でありアメリカも交渉に関与していく」との姿勢を明確にし、交渉促進向け仲介努力に強い意欲を表明。「和平は可能であり、合意を結ぶべき時が来た」と述べた。一方、アッバス大統領の報道官によるとアッバス氏は、「イスラエルと共存するパレスチナ国家を樹立するため和平に尽力する」と応じ、「二国家共存」の実現を目指す考えを強調した。

 

(二二)ネタニヤフ首相とアメリカ外交特別代表、「中東和平」について会談

二〇一七年三月一四日、イスラエル首長府はネタニヤフ首相とトランプ政権で外交交渉の特別代表を務めるジェイソン・グリーンブラット氏がエルサレムで会談し、中東和平やイスラエルユダヤ人入植政策などについて協議したと発表した。両氏は五時間にも及び熱心に会談。パレスチナ和平やイスラエルユダヤ人入植政策を協議し、「和平と治安の実現という目標に向かった方策」を探り、「イスラエルパレスチナの真の永続的な和平を実現するため、共に尽力すること」を再確認したという。グリーンブラット氏は同じ三月一四日、パレスチナ自治区ラマラでアッバス議長とも会談した。

 

(二三)イスラエル軍機、シリア空爆国間関係緊張

二〇一七年三月一七日未明、イスラエル軍機がシリアの複数の目標に攻撃を加えた。シリア側も地対空ミサイルで応戦した。イスラエル側はシリア国内のイスラムシーア派原理主義組織ヒズボラが標的であったとするが、ここ数年来で二国間の最も深刻な事態となった。

三月十九日、イスラエルリーベルマン国防相は、「シリアがまた我が国の航空機に対し防空システムを使ったら、次はためらうことなくシステム全体を破壊する」と述べ、次回に同じような動きがあれば直ちに報復すると警告した。

 

(二四)ペンス副大統領、「トランプ大統領は大使館移転を真剣に検討している」

二〇一七年三月二六日、アメリカのペンス副大統領は、ワシントンで開催された親イスラエルロビー団体アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)の会合で演説し、「(トランプ)大統領はテルアビブにあるアメリカ大使館のエルサレムへの移転を真剣に検討している」と述べた。トランプ氏は、大統領選で「移転」を公約していたが、パレスチナアラブ諸国の猛反発もあり大統領就任後は「時期尚早だ」と述べるなど、実行するかどうか明言を避けている。

 

(二五)アラブ連盟首脳会議、「二国家共存」を支持、和平交渉の再開を求める

二〇一七年三月二九日、アラブ連盟(二一カ国・一地域)の首脳会議がヨルダンの死海沿岸の地で開催された。会議ではイスラエルと将来のパレスチナ国家の「二国家共存」を支持し、和平達成の期限を設けた上での中東和平交渉の再開を求める共同宣言を採択した。また、トランプ政権が検討中とする大使館の「エルサレム移転」計画を念頭に「世界各国が自国の大使館をエルサレムに移転したり、エルサレムイスラエルの首都と認めたりしないように求める」と訴えた。

アラブ連盟は、二〇〇二年の首脳会議でサウジアラビアから提案された対イスラエル包括和平案、①イスラエルが一九六七年の第三次中東戦争で占領した土地から撤退し、②パレスチナ国家の樹立を受け入れれば、③アラブ連盟諸国がイスラエルとの関係を正常化するとした「アラブ和平イニシアティブ」を採択している。今回の共同宣言はこの方針を再確認し、二国家共存に基づく和平がアラブ世界の戦略的選択であるとした。

首脳会議でアッバス議長は「二国家共存は和平を達成する唯一の解決策だ」とし、「イスラエルの占領地への入植活動の拡大が共存による解決の土台を崩している」と訴えた。イスラエルと国交もあり、会議の主催国のヨルダン国王も、「二国家共存による解決なくしてこの地域の平和と安定はない」と強調した。

首脳会議では共同宣言のほか、シリア内戦の政治的解決、過激派組織「イスラム国」(IS)対策、リビアの安定化などが協議された。

なお、首脳会議の前日の三月二八日、アラブ連盟の外相らはパレスチナ問題に関し協議した。「二国家共存」による解決案の支持、在イスラエルアメリカ大使館のエルサレムへの移転案に反対、一九六七年の占領域の返還、入植地拡大反対、イランのアラブ諸国への介入反対などを表明した。

 

(二六)イスラエル安全保障閣議、入植地の「新規建設」を承認

イスラエルユダヤ人入植活動は終わることがない。

二〇一七年三月三〇日、イスラエルの安全保障閣議ヨルダン川西岸にユダヤ人入植地を新たに建設することを全員一致で承認した。イスラエルは入植の拡大計画を続けてきたが新規入植地の建設は過去二〇年以上にわたり行ってこなかった。新入植地は二月に最高裁の命令に基づき西岸の無許可入植地アモナの強制撤去を実施した対象住民らの受け地にもするという。

 

(二七)トランプ大統領、エジプトのシシ大統領と初会談

二〇一七年四月三日、トランプ大統領ホワイトハウスでエジプトのシシ大統領と初の首脳会談をした。

テロ対策での協力強化を確認し、オバマ政権下で冷え込んでいた両国関係の改善を強調した。トランプ氏はシシ氏を手厚くもてなし、シシ氏に対し「アメリカは非常に良き友で同盟国だ。私自身もそうだ」と述べ、さらに「シシ氏は非常な難局に素晴らしい仕事をしてきた」と讃えた。シシ氏もトランプ氏が「対テロで断固とした態度をとっている」と称賛し、「エジプトと私は効果的なテロ対策で(アメリカと)協力する」「問題の解決に向けて(トランプ氏を)非常に強く、熱烈に支持する」と語った。

ホワイトハウスによると両氏は中東和平について、永続的な平和に向かうようにイスラエルパレスチナを支援していくことが、アメリカ、エジプト両国の「共通の利益」になると確認したという。

 

(二八)イスラエル刑務所収監のパレスチナ人受刑者、ハンガーストラキ始める

イスラエルパレスチナの交渉の中で、イスラエルの刑務所に収監されているパレスチナ人受刑者の解放の問題がある。現在、数か所の刑務所に六五〇〇人程のパレスチナ人が収監されているという。

二〇一七年四月一七日、イスラエルの刑務所に収監されているパレスチナ人受刑者一〇〇〇人以上がハンガーストライキを開始したとパレスチナ自治政府が明らかにした。今回のストライキはマルワン・バルグーティー受刑者が「パレスチナ人受刑者の日」に合わせて呼び掛けたものだという。バルグーティー受刑者は、第二次インティファーダの際に対イスラエル攻撃に関与したとして二〇〇二年に逮捕され終身刑を言い渡され服役している。若くしてファタハの闘士となり国会議長の経験もあり、自治政府議長選挙に出馬すれば勝利するとの予想もあるほどパレスチナでは人気の高い指導者である。

 

(二九)トランプ政権、シリア内戦でのアサド政権側を非難

二〇一一年に起きたシリア内戦はさらに混迷を深めつつ、今年で七年目となる。ロシアやイランへの依存を高めるアサド政権は過去一年、反体制派の都市部の拠点を次々に奪還して優位に立ってきた。

二〇一七年四月四日、アサド政権側がシリア北部で住民側に化学兵器を使用し、多数の死傷者が出たとされる疑義が浮上した。トランプ政権は、(アサド政権側が)化学兵器を使用したことに関し、「(アサド政権は)いくつもの一線を越えた。このような極悪な行為を看過することはできない」と非難した。トランプ大統領は「(私の)シリアとアサド政権に対する考えは大きく変わった」と述べた。

 

(三〇)トランプ政権、中東関与を強めイラン包囲網の構築に動く

トランプ政権は、前オバマ政権下で二〇一五年七月に合意された「イラン核合意」の見直しに乗り出した。「核合意」についてトランプ大統領は選挙中から「史上最悪の取引」と指摘し、見直しを公約している。またティラーソン国務長官も「核保有国になる」というイランの目標達成を遅らせるだけに過ぎないと酷評している。マティス国防長官もサウジアラビア、エジプト、イスラエルなど中東五カ国を歴訪し、アラブ諸国との希薄化している関係の修復を急ぎ、イラン包囲網の構築を探っていくなどトランプ政権は「対イラン」で中東との連携の動きを強めている。

 

(三一)ハマスが新綱領発表、対イスラエル姿勢軟化を示す

二〇一七年五月一日、ガザ地区を実効支配しているハマスは、これまでのイスラエル領を含むパレスナ全領土を取り戻すとした一九八八年のハマス憲章よりも、イスラエルへの対決姿勢を軟化させた内容の新たな綱領を発表した。新綱領は、国際的に認知されている一九六七年の第三次中東戦争前のイスラエルとの境界線を認める姿勢を示し、八八年の憲章よりも対決姿勢を抑え、パレスチナ国家の建設を受け入れたものとなっている。また紛争について、ユダヤ人に対する宗教戦争ではなく、また闘争する相手はユダヤ人全体ではなく、ユダヤ人国家をつくるためにパレスチナを占領するユダヤ人だと説明し、対イスラエルで強硬路線から柔軟路線へと現実路線に転換する可能性を示す内容になっている。

 

(三二)トランプ大統領アッバス議長と会談へ

トランプ大統領アッバス議長と二〇一七年五月三日にワシントンで初めて会談する予定だ。親イスラエルへの姿勢を見せるトランプ大統領は就任直後の二月、(アッバス議長より先に)ネタニヤフ首相と会談している。その会談でトランプ氏は、「(イスラエルパレスチナの)二国家共存」に必ずしも固執しない姿勢を示した。またトランプ氏は今回の会談に先立ち、ロイター通信のインタビューで「イスラエルパレスチナの和平が見たい」と述べ、和平交渉の仲介に意欲を見せた。

パレスチナ内では、最近ハマスに対イスラエル「現実路線」への変化が見られる。こうした中での会談でアッバス氏は、トランプ氏と「戦略的協力関係」を構築し、中東和平実現に向けてトランプ政権が新機軸を打ち出すことを期待している。

 

(三三)トランプ・アッバス会談、トランプ大統領「中東和平仲介」に意欲

二〇一七年五月三日、トランプ大統領アッバス議長とホワイトハウスで会談し、中東和平に向けた共同声明を発表した。

共同声明でトランプ氏は、アメリカが和平実現に積極的に関与する姿勢を示し、「喜んで仲介者になる」「最後の、最も重要な和平合意に署名できるように支援したい」と強調して、中東和平交渉の仲介に意欲を示した。ただ、具体的な和平案や交渉再開などには踏み込まなかった。

これに対しアッバス氏は、「我々の戦略的選択は、二国家共存に基づいて和平をもたらすことだ」と強調。トランプ氏の「勇気ある指導力、見識、素晴らしい交渉力」に期待すると述べた上で、「歴史的な和平条約をもたらす真のパートナーになれる」と述べた。

トランプ氏はこれで、ネタニヤフ、アッバスの両氏との会談を終えた。中東和平交渉の仲介に意欲を示しているトランプ氏が、次にどのような手を打ってくるかが注目される。

今回の会談の成果を評して(和平を目指す姿勢は示されたが、和平協議の再開など具体策までの言及はなく)「今後の和平推進に期待と不安の交錯する会談であった」とする声もある。

 

(三四)トランプ大統領初外遊、サウジアラビアイスラエルなど訪問へ

二〇一七年五月四日、アメリホワイトハウストランプ大統領が今月下旬にサウジアラビアイスラエルバチカンを訪問すると発表した。五月二五日にブリュッセルで開かれる北大西洋条約機構NATO)首脳会議と二六日~二七日にイタリアのシチリア島で開かれる主要国首脳会議(G7)の出席に合わせて訪問するという。トランプ氏にとって大統領就任後初の外国歴訪で、イスラム教、ユダヤ教キリスト教の中心地を一気に訪問することになる。

サウジアラビアではサルマン国王らと会談し、イランとの核合意などをめぐりオバマ前政権下で悪化していた両国関係の修復を図る。サウジアラビアはトランプ氏の初訪問が自国に決まったことについて、「アメリカがイスラム諸国とパートナーシップを結べるという非常に明快なメッセージだ」(ジュベイル外相)と歓迎。この機にアラブ及びイスラム諸国の首脳らを招き「核合意問題」「イスラム国」(IS)への対応などについてトランプ大統領と話し合うという。またトランプ氏の訪問は聖地メッカを擁する「イスラム教のスンニ派の盟主」としての威信を内外に誇示する絶好の機会だとしている。

イスラエルでは、対イラン問題、中東和平問題が主要議題となるが、アメリカ大使館のエルサレムへの移転ついての言及が注目される。さらにパレスチナではアッバス議長らとの会談が予定されるという。「二国家共存」に対するトランプ氏の真意がどのような形で示されるか、中東政策が揺れている中での訪問に各国は動向に注視する。

バチカンではローマ法王との会談が予定されている。

 

(三五)ハマス、新指導者にハニヤ氏を選出、孤立解消の「現実路線」へ転換か

二〇一七年五月六日、ハマスは最高評議会を開催し、新指導者となる政治局長に任期満了となったメシャル氏の後任としてイスマイル・ハニヤ氏を選出した。ハニヤ氏は二〇〇六年にパレスチナ自治政府の首相になった経歴を持つ。中東和平の実現にはパレスチナ内部の対立解消が先だとの意見もある中で、ハマスは先日「新綱領」を発表した。ハニヤ氏は孤立を解消する「現実路線」を取るとの見方も出ている。

 

(三六)イスラエルアラビア語公用語から外す法案を閣議決定

二〇一七年五月七日、イスラエル政府は閣議で、自国を「ユダヤ人の民族的郷土」と定義し、アラビア語公用語から外すとする法案を承認した。イスラエル人口の約一八%はアラブ系住民だという。アラビア語公用語でなくなった後の諸対応に懸念の声がある。

 

(三七)アッバス議長、「ネタニヤフ首相と会う用意がある」と発言

二〇一七年五月九日、アッバス議長はトランプ大統領が近くサウジアラビアイスラエルを訪問する際パレスチナ自治区へも訪問するとの期待感を示し、トランプ氏による中東和平の取り組みの一環として、自身もイスラエルのネタニヤフ首相と会う用意があるとの考えを示した。

 

三八プーチン大統領、和平交渉への仲介意欲

トランプ大統領が中東和平仲介に意欲を示す中、ロシアも交渉の再開を目指して影響力の保持を図る方針である。

二〇一七年五月一〇日、プーチン大統領はネタニヤフ首相と電話会談し、中東和平やシリア問題について協議した。翌五月一一日にはロシア南部のソチでアッバス議長と会談した。プーチン大統領は昨年九月、ネタニヤフ首相とアッバス議長の直接対話をモスクワで開催することを提案し双方の了承を得たが、直前になってネタニヤフ氏の延期の主張により、実現しなかったという。

 

(三九)イラン大統領選、ロウハニ師が再選

二〇一七年五月一九日、イランの大統領選挙において保守穏健派で現職のハッサン・ロウハニ師が、保守強硬派のイブラヒム・ライシ前検事総長を破り当選した。影響力を増すイランは中東に安定をもたらすのか、危機を強めるのか。核合意による制裁解除で国際社会への復帰が期待される一方、その軍事的台頭にアメリカやその周辺国が警戒を強める。二期目のロウハニ政権の行く手は厳しい。

 

(四〇)トランプ大統領、中東・欧州歴訪

二〇一七年五月一九日、トランプ大統領サウジアラビアイスラエルなどの歴訪に出発した。

 

サウジアラビア

最初の訪問国、サウジアラビアの首都リヤドに到着、サルマン国王らの出迎えを受けた。

五月二一日、トランプ大統領は、リヤドで開催されたイスラム諸国五〇カ国以上の首脳らが出席した国際会議で演説した。イスラム教を「世界で最も偉大な信仰の一つ」と呼び、テロや過激主義に立ち向かう必要性を訴えた上で、この闘争は「異なる信仰や、宗教、文明間の戦いではない。善と悪との戦いだ」と強調。過激派組織「イスラム国」(IS)などを念頭に、「テロリスト、過激派を駆逐せよ」と連携と共闘を呼びかけた。また、中東諸国は「アメリカの力を待つのではなく、自分たち国のため子供たちのために、どのような未来を望むのか、自力で決めなければならない」と述べ、それぞれの国による取り組みを促した。

なお、アメリカ政府はイランの脅威に対抗するため、サウジアラビアへ一一〇〇億ドル(約一二兆円)にのぼる巨額の防衛用兵器を売却することを発表。トランプ大統領とサルマン国王は会談し、武器売却契約に署名した。

 

イスラエル

五月二一日、ネタニヤフ首相はトランプ大統領イスラエル訪問を翌日に控え、イスラエル第三次中東戦争で東エルサレムを占領してから五〇周年を祝う式典で演説し、「エルサレムは、これまでもこれからも、常にイスラルの首都だ」と述べた。また、「神殿の丘」と「嘆きの壁」についても「今後も常にイスラエルの主権の下にある」と言明した。トランプ大統領は二二日にイスラエルを訪問し、「嘆きの壁」を訪れる予定がある。

五月二二日、トランプ大統領イスラエルに入った。空港でネタニヤフ首相らの歓迎の出迎えを受けた後、リブリン大統領と会談した。

ネタニヤフ首相との会談では、対イラン問題や中東和平問題について話し合われた。トランプ氏はイランについて、(一九一五年に結んだ)核合意によってイランが「強気になった」との認識を示し、「イランに富と繁栄を与えてしまった。アメリカにとってはひどいものだ」と述べ、「イランに決して核兵器を持たせることはない。断言する」と主張し、イランの核開発を阻止する姿勢を重ねて強調した。中東和平については中断している交渉の再開に向けた仲介に積極的に役目を買って出る意向を改めて表明した。トランプ氏は会談前に「嘆きの壁」を現職大統領として初めて訪れ、壁に手をついて祈りを捧げ、親イスラエルの姿勢をアピールした。会談後には「イスラエルとの壊れることのない絆を再確認した」と語り、「(中東和平は)最も難しいディール(取引)だと聞いている。だが、最後には達成できると感じている」と展望を述べた。

 

パレスチナ

五月二三日、トランプ大統領パレスチナ自治区ベツレヘムアッバス議長と会談した。会談後の記者会見でトランプ氏は「和平実現に向け私にできることはすべてやる」と仲介への意欲を重ねて示した。また、「和平を進めるには暴力を止めよ」「暴力を容認したり、資金を援助したり、報いたりする環境には、和平は決して訪れない」と述べ、パレスチナ全体で暴力やテロを支援する行為を断つよう課題を示した。

アッバス氏は和平再開によるパレスチナ国家の建設、その際の国境を第三次中東戦争前の境界に基づくこと、パレスチナの首都は東エルサレムにすることなどを改めて求めた。またイスラエルに収監されているパレスチナ囚人の待遇問題などにも詳しく言及し、イスラエルの「占領」を批判。アメリカのイスラエルへの対応に期待を寄せた。

トランプ氏は、中東を離れる直前にエルサレムイスラエル博物館で演説した。「アラブ諸国イスラム圏とともに、安定や安全をもたらす協力関係を構築する」と述べ、「和平実現は簡単ではない」と認めた上で、「双方が厳しい判断を迫られるだろう。しかし、決意と歩み寄り、和平は可能なのだという信念があれば、イスラエル人とパレスチナ人は合意に至れるはずだ」と力説して、中東訪問を締めくくった。博物館での演説を終えたトランプ氏は次の訪問国バチカンに向かった。

 

バチカン

五月二四日、トランプ大統領バチカンを訪れ、ローマ法王フランシスコと会談した。法王はトランプ氏に平和の象徴とされるオリーブの木の彫り物と環境保護の重要性について記した書物を贈呈し、「この木のように平和をつくってほしい」などと要請。また地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」への残留を促した。トランプ氏はパリ協定の扱いについてはなお検討中との認識を表明。「私たちは平和の力を使うことができます。あなたの言葉は忘れません」と語り、法王に黒人指導者マーチィン・ルーサー・キング牧師の著書を贈呈した。

トランプ氏はバチカン訪問で予定通り三宗教のゆかりの地を同時に訪れたことになる。

 

北大西洋条約機構NATO)首脳会議と主要国首脳会議(G7

バチカン訪問を終えたトランプ大統領は、二五日にブリュッセルで開かれた北大西洋条約機構NATO)首脳会議、二六日~二七日にイタリア南部シチリア島タオルミナで開かれた主要国首脳会議(G7)に出席した。

五月二七日、九日間にわたる中東、欧州の歴訪を終え帰国したトランプ大統領は、「各国首脳との絆を深める旅だった」と述べ、歴訪の旅の成果を総括した。

 

四一イスラエル、東・西エルサレムを結ぶロープウェーの建設を決める

二〇一七年五月二八日、イスラエル政府は、ユダヤ人が多く住む西エルサレムからアラブ系住民の多い東エルサレムの旧市街を結ぶロープウェーの建設を閣議で決定した。ロープウェーは全長一・四キロメートルで「嘆きの壁」に近い糞門に駅を設けるという。パレスチナ側の反発や国際社会からの批判を招くのは必至とみられる。

 

四二トランプ大統領、大使館のエルサレム移転の「半年先送り」指示

二〇一七年六月一日、トランプ大統領イスラエルにあるアメリカ大使館のテルアビブからエルサレムへの移転を六カ月延期する指示書に署名した。トランプ氏は大使館移転を公約にしており、その判断が注目されていた。ホワイトハウスは声明で「中東和平交渉の成功の可能性を最大限にし、アメリカの安全保障上の利益を守るためだ」と理由を説明し、「単に時期の問題で移転方針そのものは変更しない」としている。

この決定にイスラエルの首相府は、「落胆した」と反発した上で将来の移転を期待した。一方、パレスチナ側は「移転は和平交渉を瓦解させるものだ」と長年警告をしており、「延期の決定は和平にチャンスを与えるものだ」と一定の評価をした。

 

四三サウジアラビアやエジプトなどアラブ四カ国、カタールと断交

二〇一七年六月五日、サウジアラビアとエジプト、バーレーンアラブ首長国連邦(UAE)はカタールとの国交を断絶すると発表した。各国は「カタールがテロ組織を支援している」と主張し、安全保障上の措置だとしている。「アラブの春」以降、パレスチナのガザの窮状支援に手を差し伸べるべきだという活動を進めていたカタールは、国交を断つとの措置に「事実に基づかない不当な措置だ」と反発している。この断交により空路は大混乱し経済活動にも影響が出てきた。

六月六日、トランプ大統領は、サウジアラビアのサルマン大統領に電話し、ペルシャ湾岸諸国が団結することが重要だと呼びかけた。

六月一三日、トルコのエルドアン大統領は、「カタールを孤立させることは残酷で、イスラムの価値観に反する大きな過ちだ」と断交した国々を批判し、カタールを支持する姿勢を示した。

 

四四ハマスガザ地区実効支配から一〇年、パレスチナ内紛解消なるか

ガザがハマスの実効支配に入って一〇年、ガザの苦悩

二〇一七年六月一四日、パレスチナ自治区ガザ地区イスラム原理主義組織ハマスの実効支配下に入ってから一〇年になる。この間、イスラエルとの数度にわたる大規模な交戦、イスラエルによる封鎖策、パレスチナの内紛での政治経済の荒廃などにより、ガザ地区の市民生活は落ち込んでいる。さらにカタールアラブ諸国との断交問題も影を落とす。ハマスにとってカタールは強力な後ろ盾だが、サウジアラビアなどは「カタールハマスなどテロ組織を支援している」と非難。今回の断交問題はガザの市民の暮らしに新たな打撃となっている。ガザの苦悩は続いている。

 

パレスチナ内紛の解消は

ガザ地区の現状は実に厳しい。だが、少し明るさも見えてきた。ハマスは先に新綱領を発表し対イスラエル政策に軟化の姿勢を示し、また、新指導者にも現実路線を取るであろうハニヤ氏を選んでいる。近々パレスチナ内でのファタハとの関係も改善される協議が始まる気配だ。和平交渉が進展するためにもファタハハマスの対立解消が何よりも先に必要だと指摘される。

 

四五イスラエルヨルダン川西岸で新たな入植地建設開始、パレスチナ反発

二〇一七年六月二〇日、イスラエル政府は、ヨルダン川西岸のラマラ北部のシロ入植地の近くで、新たなユダヤ人入植地の建設を始めた。新入植地の建設ついてはは本年三月、安全保障閣議で承諾を得ているもので一九九二年以来二五年ぶりだという。

入植の進む状況を批判し続けているパレスチナは、今回の新たな入植地の建設に猛反発。アッバス議長は声明で、「(和平交渉の仲介に意欲を示している)トランプ大統領の努力を妨害する行為だ」と反発している。

 

四六アラブ諸国カタールに「関係正常化条件」を示すがカタールは拒否

二〇一七年六月二二日、サウジアラビアなどアラブ諸国は断交したカタールに対し、関係正常化の条件として一三項目の要求を示し、一〇日以内に対応を求めた。主な要求は「イランとの外交関係縮小」、「(サウジに批判的なカタールの)衛星テレビ、アルジャジーラの閉鎖」、「(ムスリム同胞団アルカイダヒズボラなど)テロ組織との関係断絶」、「(カタールにある)トルコ軍基地の閉鎖」、「賠償金の支払い」などとしている。

七月二日、アラブ諸国の求めた一〇日間が過ぎる。カタールにとってはアラブ諸国の示す条件は厳しいもので到底受け入れられない。アラブ諸国カタールが要求を拒否したのを受け、七月二日の期限を二日間(四八時間)延長し、カタールの譲歩を待った。この日、トランプ大統領サウジアラビアのサルマン国王やカタールのタミム首長と電話で協議し、断交問題への懸念を表明した。ただ、カタールには中東で最大のアメリカ軍基地がある一方、以前からサウジ寄りの姿勢であるトランプ氏の仲介の効果は弱い。

七月五日、アラブ諸国カタールとの国交を断交して一カ月となるが関係は好転しない。アラブ諸国はカイロで外相会議を開き、「カタールは否定的な返答しかしていない」と非難。関係を断絶した状態を今後も続けていくと言明し、追加制裁に踏み切る考えを示唆した。断交の長期化は避けられない情勢だ。

トランプ大統領は、エジプトのシシ大統領と電話会談し、サウジアラビアなどがカタールと断交した問題の解決の向け、全関係国による協議を継続する必要があると訴えた。

 

(四七)ユネスコ、「ヘブロン旧市街」をパレスチナ世界遺産に登録へ

パレスチナ自治区ヘブロンにはイスラム教で「アブラハム(イブラヒム)・モスク」、ユダヤ教でマクペラの洞窟」などがあり、イスラム教、ユダヤ教共通の聖地がある場所とされている。

 

ユネスコヘブロン旧市街をパレスチナの遺産と分類し、世界遺産に登録へ

二〇一七年七月七日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)はヘブロン旧市街をイスラム教、ユダヤ教キリスト教を加えた「三つの宗教の巡礼地」などとし、紛争や災害などからの保護が必要な「危機遺産リスト」に入れ、パレスチナの遺産として分類し世界遺産に登録すると決めた。

 

イスラエルは猛反発

イスラエルユネスコが「ヘブロン旧市街」をパレスチナの遺産に分類したことについて、「ここはユダヤ人の祖先の墓のある聖地だ。ユダヤ教徒との関わりが考慮されていない」と強く反発。ネタニヤフ首相は、「ユネスコの新たな妄想的な決定だ」と猛反発し、国連への拠出金を一〇〇万ドル減らすと決めた。

 

(四八)イラク、「イスラム国」(IS)支配のモスル解放を宣言

過激派組織「イスラム国」(IS)対策も中東地域問題の大きな課題だ。

二〇一七年七月九日、イラクのアバディ首相は声明を発表し、二〇一四年六月に「イスラム国」(IS)が制圧し、イラク最大の拠点として支配した北部モスルの解放を宣言した。「イスラム国」(IS)打倒を最優先課題の一つに掲げ、イラクを支援してきたアメリカや国際社会にとっても大きな戦果となる。モスル奪還を追い風に「イスラム国」(IS)掃討への攻勢は一段と高まっていく。

 

(四九)エルサレム旧市街で銃撃事件、イスラエル警官二人死亡

二〇一七年七月一四日、エルサレムの旧市街のハラム・アッシャリーフ(ユダヤ教の呼称「神殿の丘」)入り口付近で、アラブ系イスラエル人の男三人がイスラエル警官を銃撃し、警官二人が死亡、一人が負傷した。実行犯は射殺された。エルサレムで死傷者が出る衝突事件はここ数年相次いで起きているが銃による襲撃は稀である。事件を重大視したイスラエル政府は敷地一帯を封鎖し、金曜礼拝を休止した。イスラエルのネタニヤフ首相とパレスチナ自治政府アッバス議長は事件を受け直ちに電話で協議した。ネタニヤフ首相は「敷地の治安を守るため、必要な全ての措置を取る」と表明し、アッバス議長は「聖なる敷地、祈りの場での事件であり暴力に対する拒絶と非難」を表明し、双方が非難した。

 

(五〇)イスラエル側が聖地入り口に金属探知機設置、パレスチナ側強く反発

二〇一七年七月一六日、イスラエル側は「神殿の丘」の入り口付近に検問所を設け金属探知機を設置、敷地内で礼拝をする際、ここを通ることとし警備を強化した。パレスチナ側は強く反発している。

 

(五一)フランスのマクロン大統領、和平交渉再開に向け「努力する」と発言

二〇一七年七月一六日、フランスのマクロン大統領はパリの大統領府でイスラエルのネタニヤフ首相と会談し、中東和平交渉の再開について「あらゆる外交努力をする」と約束した。ただし、イスラエルが進めるユダヤ人の入植活動については「交渉再開や和平の妨害になってはならない」と注文を付けた。マクロン氏は記者会見で、将来的にイスラエルと独立したパレスチナの「二国家共存」を目指す従来の立場と変わりがないことを強調しつつ、「エルサレムを首都として国境を画定し、両国が隣り合って暮らせる解決を導きたい」とした。一方、ネタニヤフ首相は、中東の紛争が解決しないのは、「パレスチナユダヤ人国家を認めようとしないことに原因がある」と改めて主張した。

 

(五二)トランプ氏の支持率、三六%に低下

二〇一七年七月一六日、アメリカの成人一〇〇一人を対象にしたワシンントポスト紙とABCニュースの共同調査によるトランプ大統領の支持率が発表された。就任から一〇〇日頃の四月には四二%だった支持率は三六%に低下、不支持率も五八%と五ポイントも上昇した。歴代の大統領の支持率と比較しても低いという。

 

(五三)金属探知機設置からエルサレム聖地で衝突拡大、死傷者多数

イスラエルが設置した金属探知機の撤去をめぐりイスラム教徒らの反発がささらに高まり、パレスチナや聖地を管理するヨルダン当局は「現状変更だ」と反発している。

二〇一七年七月二一日、イスラム教の金曜礼拝の日である。数千人のデモ隊がイスラエル治安部隊と衝突した。聖地入り口付近では「我々の聖地だ。占領を許さない」と金属探知機を通ることを拒絶し、敷地外で礼拝を行っている。イスラエル側が金属探知機を撤去しないことからアッバス議長は「金属探知機が撤去されるまでイスラエルとの全てのレベルで接触を停止する」と発表した。抗議行動は旧市街地のほかヨルダン川西岸などで起きイスラエルの治安部隊と衝突。パレスチナ人三人が死亡し、数百人が負傷した。同日夜、ラマラ北部のユダヤ人入植地でパレスチ人の男がイスラエル人の民家に押し入り、刃物で四人を刺し、うち三人を殺害する事件が起きた。犯行の動機は聖地への出入り規制への反発だという。犯人は銃で撃たれ重傷を負った。抗議はイスラム教徒が多い国に広がり、イスラエル批判はますます高まった。ヨルダンでは数千人のデモが発生した。

七月二三日、ヨルダンの首都アンマンにあるイスラエル大使館が襲撃されて銃撃戦となり、ヨルダン人二人が死亡し、イスラエル人一人が負傷した。大使館周辺は立ち入りを禁止され、大使館の職員を退避させている。イスラエルとヨルダンとの関係も、一九九四年両国が平和条約を結んで以来最も深刻な事態の一つとの見方も出ている。

 

(五四)イスラエル、金属探知機を撤去、代替策を導入する方針

二〇一七年七月二四日夜、イスラエル政府は治安閣僚会議を開き、国際社会からの問題解決への圧力もあり、批判の広がりや衝突の拡大を懸念し、設置していた金属探知機を撤去することを決めた。代替策として「高性能の監視カメラなど先端技術を使ったセキュリティー検査システム」を導入する方針を示しており、一方的に新たな対策を導入すればパレスチナ側の怒りを増幅させる恐れがある。情勢がさらに悪化し大規模な衝突が起これば、新たな二〇〇〇年のようなインティファーダ(民衆蜂起)の勃発につながりかねないと懸念される。

 

(五五)イスラム教徒、イスラエルの金属探知機撤去の代替案も許さず

二〇一七年七月二五日、イスラエルは金属探知機を撤去したが、聖地をめぐる問題が沈静化する気配はない。イスラエルが発表した大胆案を含め「あらゆる変更を許さない」「七月一四日の事件以前の聖地の状態に戻すべきだ」との立場を崩さない。アッバス議長は立ち入り規制につながるあらゆる機器の撤去を求めた。また、現地のイスラム教指導者は「礼拝敷地に入らず街頭で礼拝を行う」よう示唆し、イスラム教徒は敷地外での礼拝や抗議デモを続けた。敬虔なイスラム教徒であるトルコのエルドアン大統領は、「イスラエルがテロ対策を名目に聖地を奪おうとしている」と主張。世界のイスラム教徒に向け「全員がエルサレムを訪問すべきだ。皆でエルサレムを守ろう」と呼びかけた。同日夜、アッバス議長はパレスチナ指導部の会合で、「私たちの聖地を損なおうとする者への正当な反応だ」とし、イスラエル当局との治安協力の一時停止を継続すると発表した。

 

(五六)イスラエル、全ての警備機器を撤去

二〇一七年七月二七日、イスラエル当局は聖地に導入した治安対策のための装置を全て撤去したことを明らかにした。これを受けて、アル・アクサ・モスクを管理するワフク(宗教協議会)は二七日午後から敷地内での礼拝を再開すると発表した。これに応じて多数のイスラム教徒が敷地内になだれ込み、イスラエルの治安部隊と衝突。一〇〇人以上の負傷者がでた。

七月二八日、イスラム教の金曜礼拝の日である。イスラエル当局が五〇歳未満のイスラエル人の聖地への入場を制限。多くのパレスチナ人は敷地外の路上で祈りを捧げ、イスラエル当局の措置に抗議の声を挙げた。

 

(五七)アラブ四カ国、カタールとの断交で強硬姿勢崩さず

二〇一七年七月三〇日、カタールと断交したサウジアラビアやエジプトなどアラブ四カ国は、バーレーンの首都マナマで外相会議を開き、イランとの関係縮小やテレビ局アルジャジーラ閉鎖など一三項目の要求を改めてカタール側に求めた。四カ国は、「カタールが誠実に応じれば、対話の用意はある」と強調した。カタールはこれに応じる気配はなく、断交の長期化は避けられない。

 

(五八)聖地騒乱は一応沈静化、しかし対立の根幹は変わらない

聖地をめぐる騒乱は、イスラエル側が警備機器を撤去したことによりひとまず沈静化した。ただ、一連の衝突はイスラエルによる長年の圧力で高まったパレスチナの不満が容易に大規模な衝突に発展しかねないことを示したとも言える。また、機器撤去はイスラエル側の「譲歩」であり、パレスチナ側は「大きな勝利」だとするが、実態は七月一四日の事件以前の状況に戻ったのみの現状維持で、旧市街がイスラエルの実効支配下にあるという事実には変わりはない。

 

(五九)ハマスファタハとの分裂状態解消に前向きに協議する声明出す

二〇一七年九月一七日、ハマスは声明を出し、「行政委員会」を解体しパレスチナ自治政府との分裂状態の解消に向け協議する意向を示した。声明はまた、パレスチナ評議会選挙の実施を「受け入れる」と述べた。ファタハハマスの声明を歓迎する姿勢を示している。だが、イスラエルアメリカなどはハマスを「テロ組織」と認定しており、また、これまでも対立解消の試みに失敗しているだけにこれからの進展が大いに注目される。

九月一八日、アッバス議長とハマスの最高責任者ハニヤ氏がほぼ一年ぶりに電話会談をし、双方の和解について協議した。今まで対立が激しかった双方の責任者がこれを契機により協議を重ねることが期待される。

 

(六〇)ファタハハマス、分裂解消へ、ハムダラ首相ガザで協議

二〇一七年一〇月二日、パレスチナのハムダラ首相はハマスとの対立解消に向け協議を本格化させるためガザを訪問した。閣僚らを伴ってガザを訪れた首相は「分断の痛みを終わらせ、和解と統一の実現や、ガザ再建のために戻ってきた」と強調した。最大の焦点はハマスの軍事部門の扱いだとされる。アッバス議長は「一つの国家、一つの武器」と述べ、同部門が統率下に入るよう要求している。しかし、ハマスの最高指導者ハニヤ氏は「(イスラエルによる)占領が続く限り武器を持ち抵抗する権利を持つ」と述べており、協議が成功するか注目される。アメリカやイスラエルパレスチナ側で和解が実現してもハマスの軍事部門の扱いに問題を投げかける。イスラエルのネタニヤフ首相は「偽りの和解を受け入れる用意はない」としており「軍事部門への対応」が今後の進展の鍵になる。

 

(六一)ファタハハマス、分裂解消で合意、ガザ行政権を自治政府に移譲へ

二〇一七年一〇月一二日、ファタハハマスの代表者は「和解協議で合意した」と発表した。和解協議はエジプトの仲介で、「二〇一一年の和解案」を土台に首都カイロで一〇月一〇日から行われていた。合意は一二月一日までにガザの行政運営をハマスから自治政府に完全に移管し、その後、総選挙を行い正式な統一政府の樹立を柱としている。アッバス議長は「分裂を解消するための最終合意」として歓迎する意向を示しており、一カ月以内に一〇年ぶりにガザを訪問する予定という。ハマスのハニヤ氏も「エジプトの支援で合意に達した」との声明を発表した。しかし、今回の和解文書にはハマスの軍事部門の取り扱いは盛られておらず、「ハマス武装解除」が今後の焦点である。

 

(六二)アメリカ、「ユネスコ脱退」を表明、イスラエルも続いて脱退表明

二〇一七年一〇月一二日、アメリ国務省ユネスコからの脱退方針をユネスコ側に通知したと発表した。脱退の理由について、ユネスコでの(分担金の)滞納の増大やユネスコの根本的な組織改革の必要性、反イスラエル的な姿勢が続いていることなどへの反感があるという。二〇一八年一二月末までに正式脱退するとし、一九年からはオブザーバー国として関与するとしている。

イスラエルのネタニヤフ首相はアメリカの脱退表明に続きイスラエルも脱退することを表明した。ネタニヤフ首相は今年七月、ユネスコイスラム教とユダヤ教の共通の聖地を擁するヘブロン旧市街をユダヤ教との関係を考慮せず、パレスチナ世界遺産に登録したことに猛反発していた。

 

(六三)イスラエル、「ハマスが加わったパレスチナ統一政府とは交渉しない」

二〇一七年一〇月一七日、イスラエルは治安閣議を開き、パレスチナファタハハマスが統一政府を発足させてもハマスの軍事部門の解体などの条件を満たさない限り和平交渉をしない方針を決めた。イスラエル政府は和平交渉をする条件として、テロ組織ハマスの軍事部門の解体、ハマスによるイスラエルの承認、ハマスとイランとの関係断絶、ガザ地区でのパレスチナ自治政府による完全な治安管理など七項目の条件を挙げた。

これに対しハマス側は「内政干渉だ」と猛反発しており、パレスチナ自治政府側も「イスラエルがいかなる発言をしても和平を前進させるパレスチナの公式な立場は変わらないとしている。

 

(六四)アメリカ、パレスチナの和解協議に「ハマスの非武装化」要求の声明

二〇一七年一〇月一九日、トランプ政権で中東和平担当のグリーンブラッド外交交渉特別代表は、パレスチナファタハハマスの和解協議について「いかなるパレスチナ(統一)政府も明確に非暴力を約束し、イスラエル国家を承認するとともにテロリストの武装解除を含め過去の合意事項の履行義務を受け入れ、平和的交渉を支持しなければならない」との声明を出した。

 

(六五)ハマス、「ハマス武装解除を強制することは誰にもできない」と強調

二〇一七年一〇月一九日、ハマスガザ地区指導者シンワル氏は、「ハマス武装解除を強制することは誰にもできない」と協調。「議論は最早、イスラエルの承認ではなく破壊についてだ」「イランとの関係を断つと考える者は妄想的だ」とも述べ、イスラエルアメリカの主張に反発するとともに、パレスチナ自治政府アッバス議長に向けメッセージを送った形だ。ハマスはまだ強硬である。

 

(六六)ハマス、境界検問所の管理をパレスチナ自治政府に移譲

二〇一七年一一月一日、ハマスは先月のファタハと和解協議に基づき、境界検問所の管理をパレスチナ自治政府に移譲した。一二月一日までのガザの行政権移譲に向け一歩近づけた。

 

(六七)「バルフォア宣言」から一〇〇年

二〇一七年一一月二日、「バルフォア宣言」からちょうど一〇〇年経った。イギリスのメイ政権は宣言の正当性を主張する。イスラエルのネタニヤフ首相は宣言一〇〇年に合わせた形でイギリスを訪問し、メイ首相と会談し、「我々の祖先からの故郷にユダヤ人の独立国を再建する道を開いた」と宣言を称賛した。イギリス国内では野党労働党などからはこの機会をとらえ、パレスチナ国家を正式に承認すべきだとの声が上がっている。

パレスチナ自治政府は、「この宣言によって我々は大きな犠牲を払ってきた。イギリスはこの恥ずべき宣言を謝罪し、パレスチナ国家承認を含めて改善に動くべきだ」と訴えた。アッバス議長は「イギリスは歴史的な不正をただす行動を一切とらず、謝罪も補償もしていない」と強く非難し、国家承認などを改めて求めた。

 

(六八)トランプ政権、ワシントンのパレスチナ代表部閉鎖を警告

二〇一七年一一月一七日、アメリ国務省パレスチナ自治政府に対し、ワシントンにある代表部(大使館に相当)の閉鎖を警告した。自治政府イスラエルとの和平交渉に本気で応じるべきであり、一一月九日にアッバス議長が国連総会での演説でイスラエルの植民地活動などを国際刑事裁判所(ICC)が捜査し、イスラエル当局者を訴追すべきだと主張したことを閉鎖警告の理由に挙げている。中東和平交渉の再開に向けてパレスチナ側に圧力をかけた格好だ。

これに対し、パレスチナ側は「イスラエルからの圧力だ。アメリカの脅迫や圧力を受け入れることはできない」と反発している。

 

(六九)パレスチナ各派、統一政府樹立に向け協議始める

二〇一七年一一月二一日、パレスチナファタハハマスなど一三会派は、統一政府樹立に向けたエジプト仲介の協議をカイロで始めた。一一月二三日まで二〇〇七年以降続く分断統治解消のため統一政府の準備や〇六年以降行われていない評議会選の実施時期、ガザの治安体制などを協議する。一二月一日までにガザの行政権限を自治政府に移譲することを目指すが最大の焦点はガザの軍事部門の扱いである。

一一月二二日、各会派は共同声明で「二〇一八年末までに、議長と評議会(議会)選を実施するよう中央選管に要請することで合意した」と発表した。議長選は〇五年以来、評議会選は〇六年以来実施されていなかった。

 

(七〇)ハマス、行政権限移譲期限を「一二月一〇日に延期」と発表

二〇一七年一一月二九日、ハマスはガザの行政権をハマスから自治政府に移譲する期限を一二月一〇日に延期すると発表した。両者は「和解協議を確実に終わらせるための準備」に時間が必要と延期の理由を説明した。ただ、ハマスの軍事部門の武装解除のほか、電力供給不足や公務員給与の削減など両者の溝は深く、協議が難航している模様だ。

 

(七一)トランプ大統領、「エルサレムイスラエルの首都」と認定する方針

エルサレムの「首都」認定かの報道

二〇一七年一二月一日、多くの通信社がトランプ大統領が一二月六日にも演説でエルサレムイスラエルの「首都」と認める方針だと報じた。イスラエルエルサレムを「恒久的な首都」と宣言して政府機能をこに置いているが、国際社会はエルサレムイスラエルの首都と認めておらず、アメリカ、日本など各国は商業都市のテルアビブに大使館を置いている。アメリカは一九九五年、エルサレムに大使館を移転する法律を制定したが、歴代の政権は周辺アラブ諸国の反発などへの懸念を含め「安全保障上の問題」として大統領の権限(大統領令署名)で移転実施を先送りしてきた。

大使館移転について近日中にトランプ大統領の判断が示されるのではないかと注目されていたが、(移転への判断の前に)「エルサレムの首都認定」の報道は、大きな衝撃として伝わった。

 

「首都」認定方針に反発や批判続出

トランプ大統領の「首都」認定かの報道にアッバス議長始めパレスチナ側は「アメリカがエルサレムイスラエルの首都と認めれば和平プロセスは崩壊する。エルサレムへのアメリカ大使館移転と同じレベルの危険を孕み地域を不安定化させる」と強く懸念を示し、反発を強めている。ハマスインティファーダ(反イスラエル闘争)の再開をパレスチナ人たちに呼びかけると警告した。周辺アラブ諸国ムスリムイスラム教徒)も懸念の声を上げ、トルコのエルドアン大統領はィスラム教徒にとってレッドライン(超えてはならない一線)だと警告し、承認した場合イスラエルとの「外交関係の断絶」もあり得ると明言し、イスラム協力機構(OIC)の会議開催などの措置を取ることも検討していると明らかにした。また、ヨルダンのサファディ外相は「危険な結末を招く」と警告した。また、フランスのマクロン大統領などアメリカの主要な同盟国の首脳からも懸念の声が上がっている。

 

(七二)トランプ大統領、大使館の「エルサレム移転」示唆

二〇一七年一二月五日、パレスチナ自治政府の報道官によれば、トランプ大統領アッバス議長と電話会談し、大使館をエルサレムに移転する意向を伝え、明日六日に行う演説で自身の決意を表明する予定という。これに対し、アッバス議長は「(イスラエルとの)和平プロセス、そして地域や世界の治安に重大な結果をもたらす」と警告。大使館移転を防ぐため世界の首脳らとの接触を続けると表明した。ハマス各派は、六日から八日を「怒りの日」と名付け、ヨルダン川西岸全域で抗議活動を呼びかけた。同日、トランプ氏はサウジアラビアのサルマン国王、ヨルダンのアブドラ国王、エジプトのシシ大統領にも相次いで電話で協議し、大使館の移転方針を伝えた。

報道によればトランプ氏は六日午後一時(日本時間七日午前三時)、正式にエルサレムイスラエルの首都と認め、大使館の移転を発表するという。

アラブ諸国は一斉に反発。アラブ連盟(二一カ国と一機構)は「アラブ諸国と全イスラム教徒の権利に対する侵害」と批判し、「エルサレムを首都と定めると世界平和やに電話で協議し、安定の深刻な脅威になる」と声明を発表。同日緊急会合を開き、「エルサレムの法的政治的地位を変更するいかなる手段もとるべきではない」と主張した。

トランプ氏の「発表観測」は波紋を広げ、サウジアラビア、エジプト、ヨルダン、トルコ、フランス、ドイツなども反対の意向を示した。

 

(七三)トランプ大統領、「エルサレムイスラエルの首都」と公式に認定

二〇一七年一二月六日、トランプ大統領ホワイトハウスで声明を発表し、エルサレムイスラエルの首都と認定し、テルアビブにあるアメリカ大使館をエルサレムに移転する手続きを始めるよう指示した。

トランプ大統領は演説で、「エルサレムイスラエルの首都として公式に認める時が来た」と述べた上で、「歴代の大統領は公約を実行しなかったが私はこれを実行する」「エルサレムイスラエル政府の所在地で、国会や最高裁判所が存在する。イスラエルの首都である実態を認識する以外の何物でもない」と主張した。また、「国務省に大使館をテルアビブからエルサレムに移設するよう指示した」とし、これらの決定が「和平合意への努力から逸脱するような意図を持っていない」「アメリカはイスラエルパレスチナ両者の合意成立のためには最大の努力を惜しまず、両者が合意するならば、二国家共存解決について支持する」と述べた。

 

(七四)トランプ大統領の「首都認定」発表、国際社会から懸念や批判続出

トランプ大統領の「首都認定発表」に、国際社会から「不当で無責任」「一方的で挑発的」「国際法国連憲章に違反」「中東和平交渉に悪影響」「支持しない」などと一斉に批判や懸念の声があがった。

アッバス議長は演説で「最大の過ちであり容認できない措置だ。アメリカは和平に向けた努力を全て台無しにした。和平プロセスから仲介役を放棄したという宣言だ」と強く反発し、「地域の過激派を助長することになる」と警告。ヨルダン川西岸、東エルサレムの旧市街、ガザで治安当局と衝突が発生した。ハマスは「地域におけるアメリカの国益に対する地獄の門を開くものだ」と非難し、新たな民衆蜂起を呼びかけた。

一方、イスラエルのネタニヤフ首相は「歴史的で重要な措置だ」「トランプ大統領の正しい判断に感謝している」と称賛した。

 

(七五)安保理、緊急会合開催

二〇一七年一二月八日、国連安全保障理事会の緊急会議が一五理事国のうちイギリス、フランス、スウェーデン、エジプト、ボリビアなど八カ国の要請で開催された。会合では「エルサレムの帰属はイスラエルパレスチナの二者間で決めるべきだ」「(アメリカの認定は)国際法やこれまでの安保理決議と矛盾する」などとアメリカを除く一四カ国が反対や懸念を表明した。アメリカのヘイリー国連大使は、「イスラエルは全ての国と同様に首都を決定する権利がある」と強調。また、「国連は長年にわたり、イスラエルに敵対的な姿勢を示してきた」と国連批判を展開。アメリカの孤立ぶりが浮き彫りになった。

 

(七六)アラブ連盟、緊急外相会議開催

二〇一七年一二月九日、アラブ連盟(二一カ国、一機構)はカイロでアメリカの「首都承認」について協議。「国連安保理決議に違反している」などとして撤回を求めた。安保理に対してアメリカの決定を非難する決議の採択を要求し、世界各国にパレスチナ国家承認をするよう呼びかけた。パレスチナ自治政府のマリキ外相は、「アメリカの決定はパレスチナ人の権利を侵害するものでアメリカへの信頼を失わせた」と批判した。

 

(七七)「エルサレム首都認定」に非難と抗議広がる

マクロン・ネタニヤフ会談

二〇一七年一二月一〇日、フランスのマクロン大統領はパリでネタニヤフ首相と会談。アメリカの「首都宣言」を受け入れない姿勢を改めて示した。その上で、イスラエルに対してユダヤ人入植地建設の凍結を求め、パレスチナとの対話による解決を促した。

一方、ネタニヤフ首相はトランプ大統領の「認定」を称賛。エルサレムについて「常に我々は(イスラエルの)首都であり続けてきた。イスラエルの首都はエルサレム以外にはない」と述べた上で、「パレスチナがより早く現実を真剣に受け止めることが必要だ。歴史的な事実を踏まえてこそ和平交渉が前進する」と強調した。

 

トルコのエルドアン大統領、「イスラエルはテロ国家」と非難。ネタニヤフ首相反論

二〇一七年一二月一〇日、エルドアン大統領は演説で「首都宣言」は無効だとした上で、イスラエルを「占領国家でテロ国家だ」と非難し、「パレスチナは抑圧された犠牲者だ」と述べた。

これに対しネタニヤフ首相は、「(トルコが敵対する)クルド人の村々を爆撃し、記者を拘束するような国家指導者(エルドアン氏)のお説教は要らない」強く反発した。

 

各地で衝突相次ぐ

パレスチナ側の報道によると、ヨルダン川西岸やガザでイスラエル治安部隊との衝突が続き、一〇日までに四人が死亡し、一二〇〇人以上が負傷した。混乱はイスラム教徒のインドネシアやマレーシアのみでなく、ベルリンやストックホルムなどでも抗議デモが発生している。

 

(七八)イスラム協力機構が緊急首脳会議開催、「エルサレム首都認定」を批判

二〇一七年一二月一三日、イスラム圏の五七カ国・地域で構成されるイスラム協力機構(OIC)の加盟首脳らはトルコのイスタンプールで緊急会議を開き、共同声明でアメリカの「エルサレム首都認定」を最も強い言葉で非難」するとし、「無効で違法」と訴え、国際社会に対し、イスラエル占領下にある「東エルサレムパレスチナ国家の首都と認定する」ようを求めた。また、今回の「危険な宣言」は和平プロセスからアメリカが手を引いたことを示すものだと指摘した。

トルコのエルドアン大統領は「アメリカはもはや公平な和平の仲介役を果たすことは出来なくなった」と指摘した。

アッバス議長は、「(アメリカは)完全にイスラエル寄りだ」「今後一切、アメリカの(中東和平の仲介者などの)役割を受け入れない」とアメリカとの決別を明言した。

今回の会議はトルコのエルドアン大統領が招集し、イラン、ヨルダン、レバノンカタール、クエートなどの首脳が出席した一方、サウジアラビアアラブ首長国連邦(UAE)、エジプトなどは外相など閣僚級の出席にとどまった。中東の対立構造が影を落とし、イスラム圏が結束しきれていないことを映し出したともいえる。

 

(七九)ガザの行政権限移譲期限、「無期延期」に

二〇一七年一二月一三日、ハマスの幹部は「一二月一〇日まで延期」としていたガザの行政権移譲期限が「無期延期」になったと明らかにした。協議が難航している上に、「首都認定」問題の発生などにより更に協議が必要とした。

 

(八〇)EU、首脳会議で「二国家共存」支持表明

二〇一七年一二月一四日、ブリュッセル開催された欧州連合(EU)首脳会議は、「イスラエルパレスチナの二国家共存による解決策への強い支持を改めて表明する」との共同声明を採択した。

 

(八一)パレスチナ各地でデモ、治安部隊と衝突

トランプ大統領の「首都承認」宣言に対する抗議活動は依然続いている。

二〇一七年一二月一五日、イスラム教の金曜礼拝の日。パレスチナ各地で数万人のデモがあり、イスラエルの治安当局と衝突、死傷者が多くでた。パレスチナの「赤新月社赤十字社に相当)」によると、トランプ宣言以降、パレスチナ人八人が死亡し、催涙ガスやゴム弾などによる負傷者は数千人を超えているという。

 

(八二)トルコのエルドアン大統領、「東エルサレムにトルコ大使館の開設」を

トルコがアメリカやサウジアラビアとの関係を悪化させている。エルサレムイスラエルの首都と認定したアメリカを激しく非難するほか、対カタールではサウジとの関係をこじらせている。

二〇一七年一二月一七日、エルドアン大統領は「東エルサレムは(イスラエルの)占領下にある以上大使館は容易に開けないが、神の思し召しでその日は近い。我が国はそこに大使館を正式に開設するだろう」と述べ、「ユダヤ人にはイスラム教徒の中心地であるエルサレムを占有する権利はない」と強調した。

 

(八三)安保理、「首都認定」撤回案、アメリカが拒否権を発動し否決

二〇一七年一二月一八日、安保理はエルサエムをパレスチナの首都とするトランプ大統領の一二月六日の認定を無効とし、撤回を求める決議案を否決した。アメリカ以外のすべての理事国一四カ国が同案を支持したが常任理事国であるアメリカが拒否権を発動したため否決された。。決議案は首都認定に反対するアラブ諸国に一つで非常任理事国のエジプトが作成。アメリカを名指しはしていないが「エルサレムの地位に関する最近の決定の深い遺憾の意を表明する」と明言した。その上で、「エルサレムの性格や地位、人口構成を変更する目的でのいかなる決定や行為も、一切の法律的効力がなく無効で、関連する安保理決議に基づき撤回されなければならない」と指摘し、トランプ大統領が首都認定に合わせて明らかにした大使館の移転計画に関連しても「全ての国に対し、外交公館をエルサレムに設置することを控えるよう要請する」としている。

一二月一九日、安保理で首都認定の撤回を求める決議案が否決されたことを受け、アッバス議長はアメリカを強く批判し、国連総会の緊急会合を要請する方針を固めるとともに、二二の国際機関や国際条約への加盟申請書に署名した。アラブ諸国代表のイエメンとイスラム協力機構(OIC)代表のトルコが共同で「エルサレムの地位に関する最近の決定に深い遺憾の意を表明する」とし、国連総会で採決すべく緊急特別総会の開催を要請した。

一二月二〇日、トランプ大統領ホワイトハウス閣議冒頭で、「(国連総会での採決にあたり)同案に賛成する国への資金供与を削減する」と支援の停止を警告した。パレスチナ側は「アメリカは各国を脅している」と非難した。

 

(八四)国連緊急特別総会、「首都認定」撤回を求める議案、賛成多数で採択

一二月二一日、国連総会が開催され、「首都認定」方針の撤回決議案が賛成多数(加盟一九三カ国中一二八カ国)で採択された。賛成は日本やイギリス、ドイツ、フランスなど重要なアメリカの同盟国を含んでいる。反対はアメリカ、イスラエルグアテマラホンジュラストーゴミクロネシアマーシャル諸島パラオナウルの九カ国で、棄権は三五カ国、二一カ国が欠席した。アメリカのヘイリー国連大使は国の意向に沿って決議に反対し、「国連の無責任なやり口に加わらなかった国々に感謝する」と謝意を示し、賛成しなかった六四カ国を招いて来年一月三日夜、「友情に感謝する宴」を催すと表明した。

パレスチナや中東などのイスラム諸国は国連総会の採択に歓迎の声を挙げた。パレスチナ自治政府の報道官は声明で、「国際社会が正しいパレスチナ大義を支持し、いかなる決定も現実を変えられないことを再確認するものだ」と述べ、アメリカからの圧力に屈せず賛成票を投じた国々に謝意を表明した。

一方、イスラエルのネタニヤフ首相は「こんな馬鹿げた決議を全面的に拒否する」と主張し、採決に反対や棄権した国々に謝意を示した。

 

(八五)グアテマラ、在イスラエル大使館を「エルサレムに移転」すると発表

二〇一七年一二月二四日、中米のグアテマラのモラレス大統領は、テルアビブにあるイスラエル大使館をエルサレムに移転すると発表した。アメリカに追随して大使館移転を表明した初の国となった。ネタニヤフ首相は歓迎し「私の友人、エルサレムであなた達を待っている」と述べ、他に少なくとも一〇カ国と移転について接触していると表明した。

 

(八六)イラン、反政府デモ発生

二〇一七年一二月二八日、イラン北東部で食料品やガソリンの価格高騰などを背景にデモが発生。その後「国外支援よりもっと国内の経済対策を重視せよ」「シリアではなく、われわれのことを考えよ」「レバノンのためでなくイランのために」と各地に広がる反政府デモに発展した。最高指導者ハメネイ師にまで矛先が向けられるようになった。鎮圧隊との衝突でデモ隊から多数の死傷者が出た。アメリカ側はデモを支持しイランの体制指導者を非難している。

 

二〇一八年

(一)トランプ大統領、対パレスチナ支援の停止を示唆

二〇一八年一月二日、トランプ大統領は中東和平プロセスが停滞していることを認めるとともに、年間三億ドル(約三四〇億円)余に相当する対パレスチナ支援を停止する考えを示唆した。トランプ氏はツイッターで「(アメリカはパレスチナに)年間何億ドルも支援しているが感謝も尊敬もない」「パレスチナはもはや和平を協議する意志がない。今後このような大金を支払う必要があるだろうか」と述べた。

 

(二)パレスチナアメリカの支援停止示唆に反発

二〇一八年一月三日、トランプ大統領パレスチナの支援停止を示唆したことをめぐり、パレスチナ側は強く反発した。アッバス議長の報道官は「エルサレムパレスチナ国家の首都であり、金で売り渡すものではない」と批判し、PLO幹部のアシュラウイ氏は「脅しには屈しない」「和平への取り組みを妨害したのはトランプ大統領なのに、無責任の行動の結果をパレスチナ人に転嫁しようとしている」と反発した。

 

(三)イラン革命防衛隊、「反政府デモ鎮圧」宣言、庶民の不満はくすぶる

二〇一八年一月七日、イランの精鋭軍事組織「革命防衛隊」は国内全土に波及していた反政府デモについて、「革命を支持する人々が情報省や警察と共に制圧した」とデモ鎮圧を宣言した。一連のデモで二二人が死亡し、六〇〇人以上が一時拘束されたとされる。鎮圧宣言の裏で庶民の不満はくすぶっている。

 

(四)パレスチナアメリカとイスラエル牽制、中東和平に亀裂広がる

アメリカの「首都認定」「大使館移転」「支援停止」などの対パレスチナ施策と、これを「歓迎」するイスラエルの動きにアッバス議長始めパレスチナ側の反発は高まる一方だ。

二〇一八年一月一四日、アッバス議長はパレスチナ解放機構(PLO)中央委員会で演説し、トランプ大統領の一連の施策を批判し、和平交渉を「世紀の取引(ディール)」と表現し仲介に意欲を示してきたトランプ大統領について、「世紀の取引は世紀の侮辱だ」「我々はアメリカの(和平への)案を受け入れないし、その仲介も受け入れない」と強調。さらに、一九九三年にイスラエルと相互承認した「オスロ合意」について、「もはやオスロ(合意)は存在しない。イスラエルが終らせた」と指摘。イスラエルユダヤ人の入植地建設などにより将来の「二国家解決」を阻害しているとし「イスラエルと結んだ全ての合意を見直すべきだ」と呼びかけた。

中央委員会では「(アメリカが)エルサレムの首都認定を撤回しない限りアメリカを和平交渉の仲介役として認めない」と決め、「オスロ合意」の凍結などの対抗措置を決めた。二二日から二日間の予定で始まるアメリカのペンス副大統領のイスラエル訪問を前にアメリカを牽制した形だ。

 

(五)アメリカ、国連パレスチナ難民救済事業機関への支援拠出金の凍結を発表

二〇一八年一月一六日、アメリ国務省国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)に対して一月上旬に支払う予定だった拠出金一億二五〇〇万ドル(約一三八億円)のうち、六五〇〇万ドルを凍結すると発表した。UNRWAは中東全域でパレスチナ難民とその子孫に教育や医療などのサービスを提供する国連機関であり、現在、五〇〇万人が支援の対象になっている。支援拠出金の凍結はUNRWA事業運営に大きな支障となる。関係者は「最悪の資金難に直面している」と警鐘を鳴らした。パレスチナの指導者らは「アメリカ政府の対応は残酷で、露骨に偏向している」「立場の弱い人々に対する残虐行為だ」と非難した。

 

(六)アメリカのペンス副大統領、エジプト、ヨルダン、イスラエルを歴訪へ

アメリカのペンス副大統領は、二〇一八年一月二〇日~二三日の日程で、エジプト、ヨルダン、イスラエルの中東三カ国を歴訪する。「首都認定」で亀裂が生じたアラブ諸国との関係修復とともに、テロ対策での連携強化や中東和平問題の進展に向けた糸口を探るのを主目的とする。イスラエルでは二二日にネタニヤフ首相らと協議するほか国会で演説し、「嘆きの壁」も訪問するという。パレスチナへの訪問はアッバス議長が「会談を拒否」しており実現しない。

 

(七)ペンス副大統領、「大使館を二〇一九年末までにエルサレムへ移転」と表明

ペンス副大統領は、エジプトとヨルダンを訪問した後、イスラエルへ入った。

二〇一八年一月二二日、ペンス副大統領はイスラエル国会で演説し、アメリカ大使館を「来年末までに(テルアビブから)エルサレムに移転」させる意向だと表明した。ペンス氏は「(トランプ大統領は)フィクションよりも真実を選んだ」と述べ、公約実現とエルサレムの首都認定の正当性を改めて主張した上で、大使館の移転時期を明確に示した。大使館の移転時期をはっきり示したのはこれが初めてである。

 

(八)アッバス議長、EU側に「早期にパレスチナ国家の承認を求める」と発言

二〇一八年一月二二日、ペンス副大統領との会談を拒否していたアッバス議長は訪欧してブリュッセルのEU外相会議に出席していた。同会議でアッバス議長は、「EUは真のパートナーであり親友だ」と強調した上で、「早期にパレスチナ国家を承認するようEU加盟国に求める」と呼びかけた。EUのモゲリーニ外相はEUとして中東和平に向けて、「二国家解決の実現」を目指す従来の方針を堅持すると改めて表明した。

 

(九)ペンス副大統領歴訪終える、サウジ・エジプトなど大きな反応示さず

二〇一八年一月二三日、ペンス副大統領は「嘆きの壁」を訪問して中東歴訪を終えた。「首都認定」や「アメリカ大使館の移転」などについてパレスチナ側が猛反発している中、アメリカの親イスラエル姿勢がより鮮明になった中東訪問であった。だが、ペンス氏の訪問に内政や安全保障上の課題が山積するサウジアラビアやエジプトなどの親アメリカのアラブ諸国の反応は「沈黙」しており、アメリカと対立してまで新たな難題を抱え込みたくない、不満を抑えながらもアメリカとの関係を悪化させたくないとの判断が働いているとみられる。多数のパレスチナ難民の暮らすヨルダンやサウジと歩調を合わせるアラブ首長国連邦(UAE)の首脳からも大きな批判の声はない。また、「首都認定」などに強く反発しているトルコのエルドアン大統領も今のところ言及を控えている。アメリカ軍が支援するシリアのクルド人勢力を標的に越境作戦を開始したばかりで、今アメリカとの緊張関係をさらに高めたくないと判断したようだ。

 

(一〇)トランプ大統領、「首都認定の正当性」を主張、「支援金の凍結」を表明

二〇一八年一月二五日、ダボス会議に出席するためスイスを訪れていたトランプ大統領は、イスラエルのネタニヤフ首相と会談した。トランプ氏は冒頭、「イスラエルは常にアメリカを支持してきた」と謝意を述べた。会談で首都認定と大使館移転は「極めて歴史的で重要な行動」と指摘、首都認定により「エルサレム問題を片付け、もはや話し合う必要がなくなった。これにより中東和平交渉を進展できる。私は誇りに思っている」と首都認定の正当性を主張した。ネタニヤフ氏はこれに応え、「歴史現状を正しく認定した行為」であり「真実の上にしか平和は実現できない」とトランプ氏の行為を全面的に評価した。

トランプ氏はさらに、パレスチナ支援拠出金について「(パレスチナが)和平交渉に復帰しない限り凍結する」と表明し、和平交渉のテーブルにパレスチナ側が着かなければ、資金援助を凍結すると警告した。また、パレスチナ自治政府が中東を訪問したペンス副大統領との会談を拒否したことを「非礼な行為」だと批判した。

 

(一一)トランプ大統領の「パレスチナ支援金の凍結」表明に反発さらに拡大

二〇一八年一月二五日、トランプ大統領パレスチナ支援拠出金の凍結についての考えを示したことに関係者の反発が一気に拡大した。

パレスチナ解放機構(PLO)のエラカト事務局長は「我々の尊厳をカネで買うことはできない」と反発し、和平交渉に応じない姿勢を改めて示した。また、来日中の国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)のクレヘンビュール事務局長は、「難民の不安が高まり、中東地域の不安定化をもたらす」と強い懸念を表した。

 

(一二)アメリカ、ハマス最高指導者のハニヤ氏を「テロリスト」に指定

二〇一八年一月三一日、アメリ国務省ハマスの最高指導者ハニヤ氏を「テロリストに指定」し、制裁を課した。声明で「ハニヤ氏はハマスの軍事部門と密接な繋がりがあり、武装闘争を提唱している」と述べた。ハニヤ氏が所有するアメリカ国内の資産は全て凍結され、アメリカの個人企業は同氏との取引を禁止される。ハマスアメリカの動きに対し、今回の決定よって「抵抗運動の継続を我々が思いとどまることはない」と反発した。

 

(一三)パレスチナ元外相、「和平交渉に新しい多国間の交渉の枠組み」を主張

二〇一八年一月三一日、パレスチナ自治政府の特使として来日したシャース元外相は、行き詰まっている和平交渉について、「アメリカはイスラエルに偏りすぎた。アメリカが唯一の仲介者であった時代は終わった。新たに多国間の交渉枠組みを設けるべきだ」と述べた。また、二〇一五年の「イラン核合意」での協議をモデルにする案に触れアメリカを協議から外すことはできないとし、アメリカとも協議への参加を求める意向を示した。また、「二国家共存以外に道はない」と強調した。

 

(一四)パレスチナ支援国会合開催、「二国家解決」の声が相次ぐ

二〇一八年一月三一日、パレスチナ問題を支援する国際的な枠組みである支援調整委員会の閣僚級特別会合がブリュッセルで開催された。会合では「二国家解決」を支援する声が相次ぎ、アメリカやイスラエルからも強い異論はなかった。ガザの電力危機への対応などを中心にパレスチナ支援への国際社会の連携強化が話し合われ、「エルサレムの首都認定」についてのアメリカ政権への目立った批判はなかったという。

 

(一五)PLO、「イスラエル国家承認の凍結を検討する委員会」の設置を発表

二〇一八年二月三日、PLO首脳部はイスラエル国家承認を凍結することを検討する委員会を設置すると発表した。PLOの中央評議会が先月イスラエルの承認凍結を求めた後としては初めて会議を開き、三時間にわたる協議の末にイスラエルの国家承認凍結について検討する委員会を設置するとの声明を発表した。執行委員会はアッバス議長に「ただちに政治、行政、経済、安全保障の面におけるイスラエル占領政府との合意の解消に向けた計画の準備に取り掛かる」よう求めた。トランプ政権の「首都認定」以降、PLO指導部のアメリカ政権へのいら立ちは激しさを増している。

 

(一六)シリア内戦、さらに混迷を深める

二〇一八年二月七日、アメリカ軍主導の有志連合はシリア東部デリゾール近郊でアサド政権側の部隊を空爆し一〇〇人以上が死亡した。翌八日にはアサド政権軍はダマスカス近郊の東グータ地区に激しい空爆を加え、多数の死傷者がでた。また、北西部のトルコ軍の侵攻したアフリンやアサド政権軍が化学兵器を使用したとされるイドリブ県などでの戦闘も激しさを増し、シリア内戦はさらに混迷を深めている。これまでに四〇万人以上が死亡し、一千万人以上が家を追われたとされる。二〇一一年に「アラブの春」に触発されて始まったシリア内戦は当初、トルコや湾岸アラブ諸国が支援する反体制派とアサド政権が対峙する構図だった。それがISの台頭とこれの掃討を経てロシアやイランが支えるアサド政権、アメリカやサウジアラビアなどが支援する有志連合及び支援を受けるクルド人勢力、クルド人勢力を敵視するトルコ及び反体制派といった各勢力間の主導権争いがますます激化し、大国の代理戦争の様相も見せる構図となってきている。

 

(一七)国連パレスチナ難民救済事業機関アメリカの拠出金凍結を批判

二〇一八年二月九日、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の高官は、アメリカが多額の拠出金凍結を表明した問題で、同機関が「財政的に機関存続の危機に瀕している」と訴えた。また、「減額の理由をアメリカはまだ我々に説明していない」と批判した。アメリカは同機関への最大の資金拠出国であり凍結の影響は大きい。

 

(一八)イスラエル戦闘機墜落事件、イスラエルの対イラン・シリア状況悪化

シリア内戦が続く中、イランはシリア内戦を通じてアサド政権を支持し、シリアやレバノンへの影響力を拡大してきている。イスラエルはイランの進出に警戒を深めているがそうした状況下でイスラエル軍戦闘機の墜落事件が起きた。

二〇一八年二月一〇日、シリアからイスラエル領空に無人機が飛来した。イスラエル軍はこれをイスラエルへの「攻撃」とみなして撃墜した。イスラエルは「無人機はイランのもの」だとし、報復措置としてシリアにあるイランの拠点をF16戦闘機数機で空爆した。シリアは対空ミサイルで反撃。これにより戦闘機のうち一機がイスラエル領内に墜落した。これまで負けを知らないイスラエルは戦闘機の墜落に大きなショックを受け、新しい報復としてシリア領内の防空施設や関連通信施設など一〇数カ所を空爆した。今回の衝突は、長年敵対してきたイスラエルとイランが初めて「シリア領内で真正面からぶつかった」もので状況がさらに悪化し緊張が急激に高まった。

ネタニヤフ首相はテレビ報道で、「イランが我々に対抗するシリア国内でのいかなる試みも許さない」と強調し危機感をあらわにした。また、アメリカ、ロシアともシリア内戦の激化や周辺地域での対立拡大は回避したいのが本音であり両国の対応が注目される。

 

(一九)トランプ大統領、和平へのイスラエルパレスチナ双方の意欲に疑問符

トランプ大統領はこれまで中東和平交渉について、パレスチナは消極的だとして非難してきたがイスラエルに対しては批判を避けてきた。

二〇一八年二月一〇日、トランプ大統領は中東和平などについてイスラエル・ハヨム紙のインタビューに応じ、一一日付け同紙に概要が掲載された。トランプ氏は、「現時点ではパレスチナ人は和平を目指していないと思う。そして、イスラエルが和平を目指しているとは必ずしも確信できない」と述べた上で、「アメリカとしては成り行きを見守るしかない」と語った。中東和平へのパレスチナの姿勢のみでなく、イスラエルに対しても言及し疑問符を付けた形だ。そして、イスラエルの入植活動について、「現在もこれまでも、和平を複雑にしている問題」だとし、「和平にとって良いことではない」との認識を示した。また、「首都認定」についてエルサレムイスラエルの首都だと明確にしたかったとし、「具体的な境界については双方の合意を支持する」と語り、「和平合意を達成するには双方が困難な譲歩に応じる必要がある」と述べた。

 

(二〇)イスラエル警察、ネタニヤフ首相の汚職疑惑で「起訴を検察に勧告」

二〇一八年二月一三日、ネタニヤフ首相の汚職疑惑を調べているイスラエル警察は長期調査の結果、収賄と詐欺、背任の罪で同首相を起訴するよう検察に勧告した。実業家二人に便宜を図り、百万シェケル(約三千万円)を超える高額品を受け取ったとの疑惑や競合紙の無料配布を制限する見返りに、自身に好意的な報道をするよう有力紙のオーナーに要請した容疑があるという。警察は、「起訴するに十分な証拠がある」との声明を発表した。ネタニヤフ氏は「何もないのだから(捜査は)何もなく終わるだろう」と自身の潔白を主張している。だが政権基盤は強固でなく極右政党の台頭はネタニヤフ氏の求心力の低下を招く。政権内での右派政党の主張は国内政治だけでなく中東和平再開に大きな影響を与える。

 

(二一)イスラエル軍ハマス側衝突、死傷者発生し緊張高まる

二〇一八年二月一七日、ガザ地区イスラエルとの国境近くで爆発があり、巡視中のイスラエル兵四人が重軽傷を負う事件が発生した。イスラエル軍パレスチナ側によって取り付けられた爆発物によるものとし報復として即座に戦車でハマスの監視所などを砲撃した。ガザ当局によるとパレスチナの少年二人が死亡し、複数の負傷者出ている。イスラエル軍は一七日から一八日未明にかけてハマスの軍事施設など一八カ所を攻撃した。ガザ側からのロケット弾の発射もあり緊張が高まっている。

 

(二二)ネタニヤフ首相、「対イラン直接行動も」と強硬姿勢示す

二〇一八年二月一八日、ネタニヤフ首相はミュンヘン安全保障会議で講演し、イランの勢力圏が中東を包み込むように広がってきており、中東の脅威になっているとイランの行動を批判して危機感を訴えた。ネタニヤフ氏は長方形の金属片を掲げて「ここに(イスラエルに侵入し撃ち落とした)イランの無人機の残骸がある。わが国が(先日)撃ち落としたものだ」「わらわれは国を守るためには躊躇なく(イランが支援する勢力にではなく)イラン自体にも行動する。その決意を試すな」「必要があればイランそのものに対して(直接に)行動する」とイランの動きを強く牽制した。

ネタニヤフ氏のすぐ後に演説したイランのザリフ外相は、ネタニヤフ氏の挑発に「反応するに値打ちのない漫画のような曲芸だ」と打ち捨て、「イスラエルは日常的にシリアやレバノンに侵攻している」と応酬した。

 

(二三)アッバス議長、中東和平は「新たな多国間協議の枠組みで」と訴え

二〇一八年二月二〇日、アッバス議長は安保理事会で演説し、中東和平問題についてアメリカ主導の仲介でなく、より多くの国が参加する「新たな多国間参加の枠組み」による中東和平プロセスを発足させるとともに、パレスチナ国家承認の道を整えるため、二〇一八年半ばまでに和平国際会議を開くことを提案した。

さらに、イスラエル寄りの姿勢を鮮明にするトランプ政権に不信を募らせており、これまで和平交渉を主導してきたアメリカを念頭に「一国が地域や国際紛争を解決することは不可能だ」と多国間の国際的な機構の構築が不可欠だと訴えた。和平会議は二〇一七年一月にパリで開かれた国際会議をモデルとし、特に国連を始め常任理事国欧州連合(EU)イスラエルパレスチナの参加の必要性を求めている。

アッバス氏の訴えに対し、アメリカやイスラエルは強く反発している。アメリカのヘイリー国連大使は和平交渉の役割で「国連を頼り、アメリカの役割を拒否するような政策を模索するのであればパレスチナの人々の願いがかなうことはない」と警告した。イスラエルのダノン国連大使は「アッバス氏こそが和平交渉を拒否してきた当事者だ」と非難し、「今回もアメリカの首都認定を交渉拒否の言い訳にしようとしている」と批判した。

 

(二四)トルコとシリア側衝突拡大、シリア内戦はさらに混迷

二〇一八年二月二〇日、シリア北西部アフリンでシリアとトルコ双方の軍事的緊張が高まっている。トルコ軍はクルド人勢力を標的にアフリンに一カ月前から越境作戦を続けており、アサド政権がクルド人勢力に民兵部隊の援軍を送りこれをトルコ軍が砲撃し死傷者もでている。トルコ軍が越境までして警戒しているのには理由がある。アサド政権は二〇一一年に始まったシリア内戦で首都などの防衛を優先し、クルド人の多く暮らす北部からの軍の部隊を撤退させた。この過程でシリアのクルド人勢力、民主連合党(PYD)はアフリンを掌握した。こうした中、トルコはシリアのクルド人勢力が拡大したことでトルコ国内の非合法組織、クルド労働者党(PKK)が分離独立に勢い付くことを警戒し、アフリン越境作戦にでたのが衝突を拡大させた発端となった。だが、トルコとしてはアサド政権との衝突は避けたいのが本音であり、アサド政権を支えるロシアやアサド政権の退陣を求めるアメリカの動きが注目される。

 

(二五)アメリカ、在イスラエル大使館を「五月にエルサレムに移転」と発表

二〇一八年二月二三日、アメリ国務省は在イスラエル大使館を今年の五月に現在のテルアビブからエルサレムへ移転させると発表した。ペンス副大統領が一月にイスラエル訪問の際、大使館移転は「一九年末まで」にとしていたのを大幅に前倒しした。現在、領事施設として使われている西エルサレムのアルノナ地区にある建物に移転させ、暫定的に大使館として使用する。その間に恒久的な大使館の建設に向け、用地の取得を進めるという。移転を急いだ背景には一一月の議会中間選挙をヒカエ、重要な支持基盤であるキリスト教福音派の存在が大きい。福音派アメリカ人口(約三億二千万人)の二五%を占めるとされる大票田である。移転はイスラエル建国七〇周年の記念日と同日の五月一四日を予定するとされ、ネタニヤフ首相は歓迎し、「建国の七〇周年記念日は一層盛大な国家的記念行事になるだろう」と述べた。

パレスチナ側は猛反発をしている。パレスチナの和平交渉担当のアリカット氏は、「パレスチ人のみならず、全てのアラブ人、イスラム教徒、キリスト教徒を挑発しようとしている」と憤りを表明した。

 

(二六)安保理人道支援でシリア全土での三〇日間停戦決議を採択

二〇一八年二月二四日、国連安保理は内戦が続くシリア全土で人道支援や負傷者らの非難を目的とした三〇日間の停戦を求める決議案を全会一致で採択した(安保理決議二四〇一号)。しかし、停戦決議は過激派などを標的とした軍事作戦は対象外となっていることなどから、停戦実現へ予断を許さない状況が続くとみられる。

 

(二七)シリア、首都近郊東グータ地区の空爆続く、ロシアが「時限停戦」提案

二〇一八年二月二五日、アサド政権軍は首都ダマスカス近郊の東グータ地区を空爆した。東グータ地区は首都近郊に残る最後の主要な反体制派の拠点である。アサド政権軍は地区奪還を目指し激しく攻撃を加えている。

二六日にも攻撃が続き、死者は猛攻が始まった一八日以降で五六一人に達し、三〇〇〇人以上が負傷したという。国連安保理が三〇日間の停戦決議をしたばかりだが停戦の実効性は確保できていない。政権側は反体制派を「テロリスト」とみなして攻撃を継続している。

こうした中、ロシアの提案で東グータ地区での戦闘を二七日から毎日、現地時間、午前九時から午後二時までの五時間、「時限停戦」することとなった。約四〇万人とされる東グータ住民の地区外非難を進めるという。

 

(二八)ロシア提案の「時限停戦」実効なく、シリアでの人道的危機深刻化

二〇一八年二月二七日、ロシアが提案した「時限停戦」が始まったがアサド政権軍の反体制派拠点東グータへの空爆は依然継続している。アサド政権は翌二八日には同地区に精鋭地上軍を投入し本格的な制圧作戦を開始。反体制派の支配地域を一部奪回した。住民らはこの危険な状況下での非難経路の利用を拒否しており住民の避難は進んでいない。また、地区内への食料や医薬品など支援物資の搬入もままならず人道的危機が深刻化している。政権軍は三月に入っても激しい攻撃を続けた。

 

(二九)グアテマラ大統領、五月に「大使館をエルサレムに戻す」と表明

二〇一八年三月四日、グアテマラのモルス大統領はワシントンでの講演で、在イスラエル大使館を今年五月にテルアビブからエルサレムに移すと表明した。大統領は講演の中で、「エルサレムイスラエルの首都と認定する」と宣言。「今年五月に、イスラエル建国七〇周年を記念して、私の指示の下、アメリカが大使館を移設した二日後にグアテマラの大使館をエルサレムに戻す」とした。また、「先陣を切ることも重要だが、正しい行動をすることはもっと重要だ」と強調し、「多くの国が我々の後に続くと確信している」と述べた。グアテマラエルサレムに大使館を置いていたが、一九八〇年の国連安保理決議を受けテルアビブに移していた。

トランプ大統領が昨年一二月に「首都宣言」して以来、大使館のエルサレム移設を発表した国はグアテマラが初めてである。

 

(三〇)トランプ・ネタニヤフ会談、大使館移転など協議

二〇一八年三月五日、トランプ大統領はネタニヤフ首相とホワイトハウスで会談した。トランプ大統領は、五月のイスラエル大使館のエルサレム移転に合わせ、同地を訪問するする可能性に言及し、「イスラエルは私にとって非常に特別だ。特別な国であり、特別な人たちだ。そこへ行くことを楽しみにしている」と述べた。また、エルサレムの首都認定について、「あの決定をとても誇りに思っている」と語った。

ネタニヤフ首相は、トランプ大統領を、ユダヤ人をバビロン捕囚から解放したキュロス二世、ユダヤ人によるパレスチナでの国家建設を認めたイギリスのバルフォア元首相、イスラエル建国を承認したアメリカのトルーマン元大統領になぞらえて「あなたの類い稀な友情に感謝したい」と持ち上げた。

 

(三一)シリア内戦勃発から七年、終息見込めず混乱拡大、死者三五万人超え

シリア内戦勃発から七年、終息の見込みなく、死傷者は続出している。

二〇一八年三月六日、東グータ地区でのこれまでの死者は八〇〇人を超え、七日には九〇〇人となった。

一〇日には一〇三一人に達し、うち二一九人は子どもだという。アフリンではトルコ軍が周辺の村や丘陵地を制圧し市街地を包囲した。死亡者は二三〇人以上という。「シリア人権監視団」が三月一二日に明らかにしたところによると、二〇一一年三月一五日以降の犠牲者数は三五万三九三五人に達したという。民間人の死者は一〇万六三九〇人に上り、うち子どもが一万九八一一人、女性が一万二五一三人だという。

 

(三二)トランプ大統領、ティラーソン国務長官の退任発表

二〇一八年三月一八日、トランプ大統領は自身のツイッターでティラーソン国務長官の退任を発表した。後任にポンペイオ中央情報局(CⅠA)長官が就任する。国務長官が就任一年余りで退任するのは異例である。

 

(三三)シリア政権軍、東グータ地区の「八割以上を制圧」

シリア政権軍による東グータ地区での大規模な攻撃は続いている。死者は一四〇〇人以上に達し、避難者は五万人を超えた。

二〇一八年三月一八日、政権軍は東グータ地区の八割以上を制圧したという。アサド大統領は東グータを訪れ、政権軍の兵士らを激励した。

 

(三四)トルコ軍シリア北部アフリンクルドの拠点を「全面掌握」

トルコ軍のクルド人勢力掃討を名目にシリアへの越境攻撃は止むことなくアフリン地区は混乱している。アフリン地区から三万人もの住民が周辺に脱出した。

二〇一八年三月一八日、トルコのエルドアン大統領は「テロリスト(YPG)のほとんどは逃亡した。軍は残された爆弾などの除去作業を進めている」と述べ、トルコ軍と同軍が支援する民兵組織がアフリン市街地の中心部を「全面掌握した」と発表した。

 

(三五)ガザで大規模デモ、イスラエル軍と衝突激化

二〇一八年三月三〇日、ガザで数万人が参加する大規模なデモが行われた。一九四八年のイスラエル建国などで故郷を追われたパレスチナ人の帰還を求め、イスラエルとの境界フェンスに集結したデモの市民らが暴徒化し、イスラエル軍と衝突。デモは三一日も続きイスラエル軍の発砲などで一五人が死亡、負傷者は一四〇〇人以上に上った。デモはイスラエル建国で難民となった「ナクバ(大惨事)」を忘れないとする五月一五日まで続けられるという。

 

(三六)トランプ大統領、「イラン核合意」離脱を表明

二〇一八年四月八日、トランプ大統領ホワイトハウスで演説し、イランと結んだ核合意から離脱すると表明した。二〇一五年に合意されたオバマ前大統領の成果を否定するトランプ政権は「合意の下でイランの振る舞いは悪化した」と一方的に離脱をした。アメリカの合意離脱で中東地域のさらなる不安定化を招く恐れがある。

 

(三七)イスラエルとイラン、シリアを巡り衝突の懸念拡大

シリアを巡るイスラエルとイランの対立が一層緊迫してきた。

二〇一八年四月九日、イスラエル軍によるシリア軍基地への攻撃で一四人の兵士が死亡した。自国軍人が含まれていたイランは猛反発した。イスラエルは敵対するイランが隣国シリアで影響力を拡大することに危機感を抱いており、そこにイランの陣地を築くことは許せないと主張する。二月にはイランの無人機撃墜とイスラエルの戦闘機墜落事件もあり両国の緊張は急激に高まっていた。

 

(三八)シリア政権軍、東グータ地区をほぼ制圧

シリア政権軍は、二〇一八年四月中旬までに東グータ地区をほぼ制圧した。空爆や地上戦で二月中旬以降住民ら一六〇〇人以上が死亡し、五四〇〇人以上が負傷した。

 

(三九)イスラエルアメリカ大使館、エルサレムに移転

二〇一八年五月一四日、アメリカはテルアビブにあるイスラエルアメリカ大使館を、首都と認定したエルサレムに移転した。エルサレム南部のアルノナ地区である。イラン核合意からの離脱に続き、国際社会の批判を押し切ってのイスラエル建国七〇周年の記念日に合わせての移転であった。移転記念式典にはアメリカ政府からはサリバン国務副長官、トランプ大統領の長女イバンカ大統領補佐官や娘婿のクシュナー上級顧問らが出席した。トランプ大統領は映像を通じ祝福の言葉を送った。イスラエルのネタニヤフ首相は「輝かしい日だ」と移転を祝った。パレスチナ側は猛反発している。

 

 

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(四〇)パレスチナアメリカ大使館移転に抗議デモ、死者六〇人以上に

パレスチナ自治区では移転に抗議するデモ隊とイスラエル軍との衝突が各所で起き、多数の死傷者がでた。

抗議デモは一五日まで続いた。一五日は七〇年前のイスラエル建国で多数の難民が発生した「ナクバ(大惨事、大破局)」と呼ぶ記念日で抗議デモは激しさを増した。特にガザでの抗議は激しく、イスラエルとの境界のフェンス付近には数万人が抗議の声を上げた。前日からのイスラエル軍との激しい衝突で六〇人以上が死亡し三〇〇〇人近い負傷者がでた。ガザでの過剰な武力の行使に対しアメリカを除く國際社会はイスラエルを一斉に非難した。だがネタニヤフ首相は「境界を守る義務がある」と反論している。

 

(四一)グアテマラアメリカに続いて大使館をエルサレムに移転

二〇一八年五月一六日、中米のグアテマラは在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移転した。移転はアメリカに続き二カ国目である。グアテマラアメリカが大使館を移転すれば自国もそれに続いて大使館を移転するとしていた。

 

(四二)アメリカ大使館の移転問題、中東に新たな緊張を拡大、中東和平はどこへ

アメリカ大使館のエルサレム移転問題は、新たな緊張要因を拡大させた。和平交渉への糸口さえ見えなくなった。最近のアメリカの国連離れ、エルサレム疎遠傾向にある中東情勢は一層混沌としてきた。中東和平はどこへ向かうのか。

おわりに

これまでパレスチナ問題に関わる諸事項を概ね年代順に見てきた。余りにも複雑すぎて焦点がどこにあるのか纏めきれない。当初からパレスチナ問題を分かり易く説明したり解説したりしようとしたものでないので、このような年表的記述方式では致し方ない。しかし、パレスチナ国家の樹立はあるのか。二国家共存は可能かが問われていることは間違いないと理解できた。何百万人ものパレスチナ難民の苦しい生活状況、とりわけ子供たちの現状を思うと心が痛む。和平への期待は大きいが、最近のトランプ大統領の「エルサレム首都認定問題」や「エルサレムへの大使館移転問題」「国連パレスチナ難民救済事業機関への拠出金凍結問題」などを受け、中東和平の行方はますます不透明になってきたと危惧する。

和平の行方について多くの意見がある。

一、パレスチナ国家は樹立され、二国家共存は達成される。

一、パレスチナ国家の樹立は望ましいが、パレスチナの現在の状況から悲観的だ。

一、パレスチナ国家の樹立はもうない。イスラエルはこれからも占領を続ける。

一、イスラエルの強硬姿勢はより強くなり、対立・抗争は止むことなく続く。

一、パレスチナは次第にイスラエルに吸収され、イスラエルの一国家構想が固まる。

一、一国家でも二国家でも、どちらでもいい。悲惨な対立や闘争はやめ、早く普通の生活さえ戻ればいい。

 

様々な意見がある中、状況は好転せず、残念ながら現状では和平交渉再開の兆しさえ見えない。国際社会は協力して今以上に「パレスチナ問題」に真剣に向き合い、交渉再開に向けて協議を重ねることが必要だ。このまま対立が長引けば状況は悪くなるばかりだ。今までの交渉の失敗を反省し、形だけの握手を急がず、「事前の周到な調整」が必要だ。最近のアメリカ大使館の移転などエルサレムをめぐる問題の大きさに、「中東和平は断たれた」との声も囁かれる。だがアラブ諸国は二〇〇二年に採択された「アラブイニシアチブ」の基本姿勢は維持している。イスラエルパレスチナ双方の当事者を動かせるのは国際社会だ。国連を中心に総力を結集すべきであり、今こそ国際社会は中東和平の問題と改めて真剣に向き合う必要がある。

 

イスラエルパレスチナ」に

「真の和平」は実現するか